メルヒェン65 遥か見通すの風の読み手、事象を手繰る魔女
ドクはそして、全部説明し終えたというふうに右手を上げた。
「というわけで、君たちは担当者のところに行ってくれたまえ」
「えっ」
「あなたはなにもしないの?」
「ボクはほら、研究で忙しいから。最悪の場合でも仮想電脳を切り離せば解決する事件に過ぎないからね。まあたまに見物させてもらうよ」
ということで、私たちはドクと別れてその担当者さんに会いに行くことにした。
どうやら仮想電脳の世界を創った人で、高性能なアンドロイドもそこそこ発明しているらしい。
でも暴走しているのがすべてその人のだから、責任を取るために自ら担当になったとかなんとか。
エアさんとマクスウェルさ……ちゃん? に案内されて、その人のところへ向かう。
さっき乗ったエレベーターが地上よりも深い場所へと向かっていく。
地下でエレベーターの扉が開く。
灰色の通路、大きなガラス窓の手前に、黒い髪の乙女がいた。
「三日月瞑、時間だ」
「分かったよ」
そして黒髪の女性は……三日月瞑さんは振り返る。
ふわふわとした長い黒髪は白衣に映えて。
瞼が重たそうにしている、眠たげな眼。
たゆんと揺れる黒インナーの胸の膨らみ。
研究者にどうしてこんな謎の色気があるなんて、私にはちょっと理解できない。
「君が、ドクの言っていた……モルモット?」
「モルモ……は、初めまして、イリスです。こっちがアヤメで」
「そっちの金色は知ってる。最高傑作の子」
「ルナ・ロマンシアよ。よろしく」
やっぱり研究者は眼を悪くしやすいのか、この人も眼鏡をかけていた。
黒縁のシンプルなデザインの眼鏡だ。外したらかなり大人の色気を発揮しそう。
「すみません、私のせいで巻き込んでしまって……」
「あ、いえ、大丈夫です。私の理想にモ繋がることなので」
「ありがとうございます……三日月瞑。ここでアンドロイドとAIの開発をしています」
アンドロイド……そういえばアンドロイドのウエイターさんや、警察さんも居た気がする。
人間と同じような自然さで、人間よりも完璧な立ち振る舞い。
本当に素敵だと思った。
接客業は大変だというし、機械でいいと思いました。
というかお仕事とかは全部ロボットに任せたほうがいいと思います。
とりあえず、私は自分の理想を話した。
メルヒェンのこと、宝石のこと、私の創る世界のこと。
「それは素晴らしいね。僕の理想にもちょっと近い」
「どんな理想なんですか?」
「人間とアンドロイドが互いに助け合い、共存共栄できる世界だよ」
「人間とアンドロイドの……メルヒェンですね!」
それはこの前の人間と幻想の三人にも似て、とにかくこの件が終わったら瞑さん
も誘ってみよう。
「それじゃあ、そろそろ事件の方を……」
「あ、すみません。その前に一つだけ、テストをさせてくれないかな」
「テスト?」
「君たちの戦闘能力を確かめたいんだ。フィールドはもう用意してあるから、こっちの二人と戦って欲しい」
「えっ、あっ……」
もうそこまで驚かない。むしろ当然あるだろうなとすら思ってしまっていた。
これが順応というものなのだと思うと、成長を感じられる嬉しさと共に、染まってしまった悲しさがあって複雑な心境です。
「あちら側はやる気満々だったからな、当然の流れだ」
この世界は理想比べするのが一般的だから、むしろこうなることが自然なのか。
そして、ガラス窓の向こう……地下実験室に入る。
簡素な部屋で、エアさんとマクスウェルさんの正面に立つ。
「ドクの気が狂っていても眼に狂い無し、というのは中々癪だが」
「えっと……?」
「不死性と膨大な魔力を内包するドクの最高傑作……その攻撃性能はユートピア内でも遥か上位のものだ。それを受け止めるほどの理想、どれほどのモノか。確かめさせてもらう」
椿さんから聞いていた、ユートピアの理想人で最も有名な実力者。
前の戦争で、安全無欠の勇者と互角に戦ったっていう、本物の理想人。
風を操り、未来を予測する異能を持つ無間の風、インフィニット・ウィンド。
科学による魔法の再現、魔力の生産操作を人工的に可能にした異能の持ち主、マクスウェルの魔女。
そんな人たちと戦う……さすがに今の私でも緊張する。
それでも負けたくない。理想を押し通すのに、相手を選ぶ必要はない。
「アヤメ」
「イリス、出し惜しむな。アレは今までのとは次元が違う」
「分かってる」
硬く金剛の護り、あらゆる非業と災禍を撥ね退ける、白き金剛石のプリズム。
「彼は金剛石。<金剛石:千光万色の絶対領域>
」
遠く遠のく、果ての果て。光と風が駆け抜けて、架かる幻影に届くは疾風の如く。
「疾風怒涛の電光石火」
私が付与できる最高速度の魔法。
今まででこれ以上に速い理想人はいなかった。
誰かの理想と交じり合う度に、自分の力が増しているような気がする。
以前まで思いつきもしなかった呪文と魔法、成長が実感できる。
アヤメが前に出ると、エアさんも前に出た。
私とマクスウェルさんが同じく後衛。
これはもしかして、奇しくも同じ……。
「ッ!」
アヤメは屈み、瞬発力を活かして一気に飛び出したかと思うと、神速でナイフが打ち出される。
投擲されたナイフは弾丸のような速度でエアに迫る
かと思うと、ナイフは見えない何かに弾かれ、真上に打ち上げられた。
「っ!?」
真上に弾かれたナイフは、エアの眼前にまっすぐ落ちて……。
「チッ!」
破裂音と共に打ち出されたナイフを、アヤメは紙一重で避け、身を翻しながら柄を握る。
もう一度、眼前にナイフを叩き込む。
今度は右に逸れたナイフを、アヤメは先回りしてキャッチする。
そのまま背面を取ってエアに切っ先を放つ。
それをエアはそれが見えているかのように半歩ずれて、、紙一重で回避した。
でもアヤメもまた即座にナイフを回転させて逆手に握り、その首筋に突き刺そうとする。
「くっ……!」
アヤメは突然飛び退った。
着地しながら、見えない何かを刃で弾く。
「ほう、よく分かったな。お前にも先読みの力があるのか」
「殺意と殺気には敏感でね」
それにもう一つ、風の音だ。
アヤメは風の音を聞いて相手の行動をいち早く察知することが出来た。
ただ、それでも風より早く動くのは私の魔法でもギリギリみたいだ。
速い、とにかく疾い。
先読みと疾風、攻撃は避けられ素早い攻撃を繰り出す……というのも、きっと手加減しているに違いない。
だってまだマクスウェルさんの支援すらない。
「っ……」
これが理想世界トップクラスの理想人、その実力……!
「それでも……アヤメっ!」
「分かってる。だいたい分かった」
「ッ!」
アヤメは一瞬で踵を返し、マクスウェルへと駆け出す。
風よりも速いアヤメには、もう誰も追いつけない。
「いっけぇッ! アヤメぇっ!」
「殺戮招導・一閃突破」
右足、左足、そして次の右足で一気に最高速へと到達。そしてマクスウェルへ……。
アヤメのナイフは、アヤメの体と一緒に、マクスウェルの体をすり抜けた。
「えっ!?」
(ダミーかッ……!?)
「避けて!」
アヤメは咄嗟に飛び上がって、見えない風の刃を回避する。
追随する風もナイフで弾き、なんとか着地まで攻撃を凌ぐ。
「チッ、厄介な」
「言うだけあっていい反応だ。ならこれでどうだ」
風がアヤメの周囲を取り囲む。
このままでは危険だと気づいたときには、既に竜巻が出来上がっていた。
「くっ……」
ダメだ。これじゃ勝てない。
どうしよう、どうすれば……あの二人に勝つにはどうしたら?
(イリス!)
(アヤメ!?)
(サバトの時と同じ要領だ。エアにぶちかませ!)
それ以外に私が出来ることはない。なら、それをするまで。
前傾姿勢で、アヤメよりはるかに遅い私は駆け出す。
そのまま、私は全力でエアの背中に飛び掛った。
すると、あと数歩のところで突然マクスウェルが何もない空間から姿を現した。
「やらせない……!」
「ッ!? 出るなウェル!」
分厚い氷の壁が、私と彼女達の間に創られた。
魔力の通った、本物の魔法……。
「なら、いける!」
ただ頑丈なだけのこの魔法、ただの壁ならどうしようもない。
でも魔法同士のぶつかり合いなら、魔力と魔力のぶつかり合いなら大丈夫。
金剛石の魔法は曇り一つない氷をごりごりと削っていく。
焦った様子でエアが振り向いて横目に見る。
「うそっ……でもっ!」
「退けウェル!」
「でもっ!」
(気を散らしすぎたな、風使い)
緩んだ竜巻からアヤメが飛び出す。
傷付くことをまったく意に介さないで、最速最短まっすぐにエアに突き進む。
(これで締め……!)
油断はない。確信して声を漏らすこともなく、刃は喉元に滑り込み……。
瞬間、バチバチと音を立てて瞬く。
「がっ……!」
「えっ……!?」
それは青い電光だった。
アヤメの体は自ら発光しているかのように輝いて、瞬いて、そして声もなく苦しみに悶えていた。
「……惜しかったな」
エアの言葉と共に電光は止んで、アヤメの体が音を立てて床に落ちる。
「あ、アヤメぇっ!!」
頭が真白になった。
気が付けば氷の壁は砕けて、マクスウェルの体を弾き飛ばした。
でも、そんなことはどうでもいい。アヤメに治癒の魔法をかけないと!
「しっかりしてアヤメ!」
返事が無い。
とにかく、回復魔法しないと……!
「地に満ちる命、草木花々の息遣いを、命の瞬きを繋ぎとめて、奇跡の光をもたらす……オーバード・ヒーリング」
金剛石に使っていた魔力も全部こっちに回して。
死人さえ甦らせる勢いで、アヤメの体を癒す。
所々、炭化すらしているように見える体はみるみるうちに癒えていく。
「惜しかったな。ナイフの投擲を弾かれた時に察することが出来れば……」
「……ふぅ、これでよし」
どうやらエアにはもう戦闘を続ける意思がなかったみたいだ。
これが実戦なら、きっと私たちの敗北で。相手が悪ければ死んでしまっていたかもしれない。
というか実際、私たちは負けてしまった。
「それにしても、その回復力はドクから聞いたとおり途轍もないな。ドクが目当てにするわけだ」
「えっ、どういう……」
問おうとした瞬間、アヤメの呼吸が戻った。
「……ぐっ、がはっ!」
「アヤメ! 気が付いた!?」
「ドクがお前を招いた理由の一つだ。その尋常ならざる回復力を観察し、研究し、新たな最高傑作に活かすためのな」
つまり、私の魔法はドクにとって研究対象で、そのために呼ばれたということ。
「なに、直接何かするわけじゃないから安心するといい。そのための仮想電脳だろうからな」
「えっ。でも、ルナちゃんは死なないくらいの再生能力を持ってますよ?」
「あれは厳密には生き返るような能力を持った肉体を創るもので、何の変哲もない死人を生き返らせるものではない」
私にはちょっとそこまで細かく分からないけれど、そうらしい。
「アヤメ、大丈夫?」
アヤメは起き上がって、こっちを向くこともなく押し黙ってしまっている。
「どうしたの? まだどこか痛む?」
「すまない。私が不用意に攻めたせいで……」
「違うよ、私がアヤメに少しでも防御の魔法をかけられなかったから……」
自分の守りを優先するあまり、アヤメの守りを疎かにしてしまった。
確かに私はアヤメほど戦闘能力はない。
だからこそ、アヤメが攻められるように防御魔法を付与するべきだった。
たとえ私が危険に晒されるとしても、オフェンスのアヤメが心置きなく攻められるようでないと。
「いや、この世界に来て半年程度で俺たちに一定の戦果を上げたのだから、むしろ誇れることなんだが。なあウェル」
「私の魔法、粉々にされた。つよい」
分厚い氷の壁だった破片が白い床に散らばっている。
そこにはもう魔力は感じられないから、この氷自体は極普通の氷。
ということは、ウェルさんの魔法は現象そのものを引き起こすタイプなのかもしれない。ちょっとよくわからないけど。
「何はともあれ、久々にいい勝負が出来た」
私は落ち込んだアヤメを慰めながら、二人の後について外に出る。
すると、瞑博士が拍手で出迎えてくれた。
「すごいすごい、あのドクが目をつけるわけだ」
「あ、ありがとうございます」
「その防御力ならあのファイヤーウォールを突破するのには十分だよ」
瞑博士はそう言いながらエレベーターのボタンを押して開く。
「さて、それじゃあ作戦を説明するよ。使ったカロリーを取り戻しながらね」