メルヒェン61 夢幻と妖幻のファンタズマゴリア(2)
幻想は光の奔流のように隙間無く。濁流のような激しさの中で二人は舞い踊る。
最小限の動きで刃から逃れ、至近距離で眼前に銃口を向ける。
刃の側面が弾いて銃口を逸らし、そこからがら空きの体に切り込む。
咄嗟に体を後ろに倒し、反撃の弾丸を見舞う。
しかし、造作も無く刀が弾く。
「まったく化け物じみてますね。こういうタイプは」
神無月は素早く逆手に持ち替え、その切っ先を落す。
横に転がりそれを避け、跳ねるように起き上がる。弾切れの拳銃を投げつける。
銃弾を弾く神無月にとって、それを叩き落すなど造作も無く……眼前に迫る刃。
咄嗟に回避しつつも、頬が刃を掠める。
(神速に及ぶか……!)
神無月……否、神有月キョウの斬撃は神速。
彼のそれと互角に斬りあえるのは、アイスの動きが先読みに近いレベルに洗練されているからだ。
だが、たった一手で戦局が覆る。
一歩下がってアイスが踏み込むのを待ち構えることでキョウは王手をかけた。
「刈るッ……!」
「チッ!」
その一瞬、アイスはその手にあるナイフを投げつける。
大型のナイフが左肩に突き刺さり、苦悶の表情を浮かべながらも、力の限り薙ぎ払う。
もう一本のナイフを即座に持ち替え、肩に峰を当てて白刃を受け止めるが、人外の威力に吹き飛ばされる。
地面を転がるアイスと、肩の傷に食い縛るキョウ。
「神を降ろしたこの体に傷を……」
「チッ、ぽっと出の理想が、よくやりますね」
アイスの表情は、言葉に反して楽しげだった。
くん、と手首を引けば突き刺さったナイフが勢いよく巻き取られ、手元に戻る。
「さあどうする刀巫女。私のような化け物を刈ってきたんだろう? 人でなしの私にその理想が届くか、もっと試せばいい」
「っ……」
少女の姿をしていながら、その形相は血に植えた獣の如く。
しかしアイスはふと警戒を解いた。
「残念、時間切れだ」
瞬間、キョウの足元が爆発する。
舞い上がる土埃を嘲るように、しかしナイフを握りなおす。
「さて、ここで終わるかそれとも……」
視界を遮る土埃が、徐々に薄まって……神速の何かがアイスの腕を貫いた。
のみならず、貫通して背後にあった木に打ち止めた。
「つぅッ……面白いことしてくれますねぇッ!」
刃は骨ごと貫いていて、木にも揺らぐことなく突き刺さっている。
悠長に外している余裕はなく、身動きは取れない。
「ファックッ……!」
吐き捨てるように。そして唯一残ったナイフを握り締めるが……。
土煙が晴れると、アイスは驚き、そして笑う。
「決着はついたらしいな」
「ぐっ、うぅ……」
至近距離での手榴弾、その身に神を下ろしたとて、無傷でいられるはずもなく。
その姿は満身創痍だった。
衣服ごと、体の至るところが破片に切り裂かれ、爆発によって体に強い衝撃を受けている。
「ざまあみろ。自分の理想が誰かに負けるなんて思いもよらない、なんて思ってるからだ」
「こんな……血の池の地獄みたいな理想を抱く相手に屈するなんて……」
アイスの理想。それは闘争を楽しむこと。
身を削り、鎬を削り、命の削りあいを楽しむ。
それはかつての残虐なる好敵手と、黒き恩師からの賜物。
立っているのもやっとという状態に、得物を失った巫女。
大木に縫いとめられて尚、アイスの勝ちは揺るがない。
ついにキョウは両膝を着く。
「ハッ……にしても、ガッチリ刺さってますね」
苦痛への耐性が高いために、冷静に刀を抜こうとする。
しかし、どうしても抜けない。まるでこれそのものが封印だとでもいうかのように。
肘ごと捨てる……というのも選択肢としてありかと思いながらも、キョウはついに倒れた。
「仕方ありませんね。地道に掘り進めますか」
一応注意を払いながら、アイスは刀が突き刺さっている木の方をほじくり始めた。
運河のような魔法の群れ、黄河のような百鬼夜行。
ぶつかりあってそれは今も僅か。湧き出る夢幻の泉は間も無く枯れる。
死屍累々の野山の上で、舞踏を踊るは妖精二人。
一人は萌黄色の妖幻。桜の花弁と共に死を運ぶ。
一人は玉虫色の妖精。幻想の万華鏡を甦らせる。
妖幻の乙女は困惑する。
「どうして……妖幻の私に、ここまで存在を揺るがされるような……」
「それが理想の世界。私たちが身を賭して、果てて、それでも往生際が悪い私たちが辿り着けた場所の法則……魔の法と理」
理想の世界に外れなく、理想の尺度は思いの強さ。
妖幻といえど、理想人であれば例外ではなく……。
「私もいまやこの有様。人の心のなかにしか居場所を見出せなかった……それでも、ワタシはワタシ。アナタはドウ?」
「私は……」
「そもそもアナタの理想はなんだった? キョウと一緒になって、どうするつもりだった?」
妖幻にとって、それは理想ではなかった。
そもヤグラは妖幻であるということ以外は全て、理想さえもサクラからの借り物。
妖幻として目覚めてから新たに理想に目覚めることもなく、最初から今この瞬間まで妖幻としての理想などありはしなかった。
そう、マヨヒガも何もかも、結局はヤグラ自身のものではないのだ。
「あなたは妖幻であるがゆえに、理想人ではない。理想人ではない以上、この世界ではワタシには……いいえ、誰にも勝てない」
理想人は誰もがそう。無情と無念を抱えて尚も理想を目指す。
憧れも尊びも羨みも妬みも恨みも、それが理想なればすべてが等しく。
幻想の夜は明け、理想の朝焼けが世界を照らす。
吸血鬼は灰となり、鬼は骸と化した。
八岐大蛇は怪物の子等に食いつくされ、一つ目の巨人は九尾の炎に焼き尽くされた。
牛頭の大男は牛鬼に食い破られ、巨大な海魔は更なる影に飲み込まれた。
アラクネとジョロウグモは互いに牙を収め、首無しの騎士と首切れの馬は互いを受け容れる。
天の龍神と海の怪竜は互いに尾を噛み、妖精と小人は輪になって踊る。
「ワタシとアナタは、似ている」
晦の瞳は、どこか哀愁を思わせる切なさを宿している。
「幻想は最後の妖精で、妖幻も最期は一人ぼっち」
「それがなんだというの。私は1にして全。全にして1。取り残されたアナタと一緒にしないで頂戴な?」
「あなたは人間と妖幻が手を取り合えると言った。もしかしたら、そうなのかもしれない。だから……」
金色の妖精はふわりゆらりと宙を歩み寄る。
蔦と茨の波と、渦巻く白い手腕が互いを抱き寄せるように絡み合う。
妖精の小さな手が妖幻の頬に触れる。それはそっと、水面に触れるように。
「分かり合えるからこそ、争うことも認める、そんなあり方も素敵じゃない?」
優しく微笑む小さな妖精に、ヤグラは目を奪われてしまった。
その得体の知れない魅惑がなんんあのか、ヤグラは知る由もなく。
「仲良くケンカしましょう? ワタシと彼と、アナタと彼女たちで、面白おかしい幻の遠き郷を築けるかもしれない」
「幻の遠き郷……」
「数多ある幻想を招き、拠り所となる場所。此処こそが幻想と彼と、アナタたちの永住の地……そう、それがきっと、ワタシの最後の役目なんだと思うから」
「最後? あなたは一体何を……」
そして妖精は強く、羽で空を打つ。
「さあ、ワタシのお友達。アナタの求めた世界を注ぎ込んで? 一切合切喚び込んであげるから」
妖精は琥珀色の光に包まれて、七色の光を七つの方角へと放つ。
幻色は彼方まで届き、地に満ちて、影を照らさずに隙間から入り込む。
木々の間に、空の隅に、地の底に、朝靄の中に、夜闇の奥に、夕焼けの裏に、昼下がりの下に。
地に満ちては混ざり合い、あやふやな境界にもう一つ世界を。
結界はあやふやな二つを別ち、共に交じり合うための異界を。
「最後の幻想、ロストファンタズム……まさか、貴女は……!」
「アァ、素敵なワタシのアナタ。ソの心の万華鏡を、どウか忘れれナイデ……」
琥珀はみるみるうちにその身を削っていく。
最後の幻想が、現に幻の色を行き渡らせるために。光を行き届かせるために……。
そして、ひとかけらの飛礫となって、たった一つの宝石となって地面に落ちる。
それは手の平ほどの琥珀だった。
琥珀を拾うのは、一人取り残された少年。
「……消えたわよ、あなたのお友達。残念ね」
しかし少年は……白兎は首を横に振る。
「いいえ、消えてませんよ彼女は。ただ見えなくなるくらい細かく散っていっただけです」
最後の幻想は散っていった。
彼をいざない、導く架け橋となるために。
少年と幻想を繋ぐために、その身を捧げた。
白兎は、琥珀を見つめ続ける。
「友人を犠牲にして辿り着いた幻想の味はどう?」
その言葉には紛れもなく皮肉が込められていた。
しかし、そんなものは聞こえないと言う風に虚空を見つめていた。
心底驚いたような顔をして。
「そうか……そういうことか。イリスさん」
こっちに振り返る白兎さんを見て、私はぜんぶが上手くいったんだと分かった。
「なんとか、上手くいったみたいですね!」
やりきったという充足感が心と体に溢れてくる。
安堵のあまり足ががくがくしたけど、アヤメとルナちゃんがすかさず両脇にはいって支えてくれた。
ただ一人、困惑しているヤグラさんが問う。
「どういうこと……?」
「その琥珀が白兎さんと幻想の絆の証、イマジナリーフレンドの鍵です」
「イマジナリー……空想の、友人」
幻想が人を魅了し、妖幻が人の心に宿るなら、空想の友人になれるはずだと思った。
幻想追い求める三人の中で、最も理想が強かな白兎さんなら、きっと乗り越えると。
一体どれほどの力があろうとも、そこに理想が宿らなければ勝つことは出来ないルール。
一か八かの賭けになっちゃうけれど、それなら白兎さんが一番信じられた。
「空想の友人……それが本当にハッピーエンドだというの?」
「元々、ファンタちゃん……じゃなかった。晦さんには幻想を信じて、愛してくれる人だけが必要でしたし、白兎さんも幻想さえあれば他に何も要らない。つまり、相思相愛!」
理想同士惹かれあい、紡がれた理想が形を成したなら、それは紛れもないハッピーエンドだ。
「だから晦は、その琥珀の持ち主である白兎さんにしか見えないんです」
その関係性は、私とアヤメに似ている。
私は妄想だから、私がいる限りアヤメは現実に顕現することも出来るけど、白兎さんは自分から幻想を生み出すことは出来ないから、晦さんは失った幻想を取り戻すことは出来ない。
それでも、最後のひとかけらを失うことはないはずだ。その心が幻想を忘れない限り。