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メルヒェン59 集束の三幻色(3)

 そう、私は現の全てを捨てた少女。

 そう、私は友達さえも捨てた乙女。

 そう、私は恋心さえも捨てた夢女。


 夢を追い続けた人生だった。

 それ以外の全てを投げ捨てた人生だった。

 きっと、それはこの世界では珍しくないことなのかもしれないけれど。

 やっぱり私にとっては、どうしても諦められない夢だった。


 きっと彼女は怒っているに違いない。

 置いていってしまった私を恨んでいるのに違いない。


 だから私はもういいの。夢に生きて、夢に死んだ。それでいい。

 嫉妬と罪悪感に駆られて命を投げて、逃げた私には何の価値も無くて。


 そんなことはないと、誰かに言ってほしい。

 違う、誰かにじゃない。彼女の口から、あの冷たくて、遠くで響く笛の音のような声で。


 謝ることもできなくて、縋ることもできなくて。

 もう何をして欲しいのかもわからない。何かをしてほしいという感情は確かにあるのに。





 ……これだ。この感情だ。


「アヤメ! ルナちゃん!」

「来たか」

「おっけー!」


 二人は応えて、アヤメは下がってルナは飛んでくる。


「上手く出来るか分からないけど……ううん、大丈夫」

「その意気だ」

「王子様ならへーきへーき!」


 神無月さんは私がすることなんて眼中にないと言う風に、私たちに背を向ける。

 丁度いい、そのほうが緊張しなくて済むから。


 これから私がするのは、アリスちゃんがやったことよりもむずかしい。

 眠り子さんは夢の中だからこそアリスちゃんの元へと戻ってこれた。

 私はあの人を、この世界に喚ぶ。


 きっと大丈夫、そのための材料はちゃんとあるんだから。


「いきます……!」



 有限なる現実、無限なる幻想、言の葉は願いを紡ぎ、日と月は光で繋がる。

 希望の光を絶やさないように、絶望の闇に飲み込まれないように。

 遥か、遙かなる雪原、雲海の上のヴァルハラ。柘榴の石の虹の帯。


 繋いで結び、編んで紡ぐ。

 そして、血を結ぶかのような糸は小指に。


 引き寄せ、手繰り寄せて億兆、遥か彼方でさえも喚覚よびさましてみせる。


「今此処に導け愛の研鑽、きゅうする極地きょくちっ。愛想円環ラブロタリー虹柘榴レインボーガーネットぉーっ!!」



 大きな大きな虹が、私たちの真上に出来上がる。

 それは地と地を繋ぐ空の橋ではなくて、七色の帯が途絶えることのない、環状の輪。

 キラキラと瞬く光の粒が、ひらひらと舞い降りる。雪のように。


「あれは……」

「いったいなにを……?」


 さすがに神無月さんも気を取られていた。

 そうでなくちゃ私が困る。これは神無月さんのための魔法でもあるのだから。


 私は虹の輪に向かって、精一杯に叫んだ。


「あなたの理想は、間違ってなんか無い! あなたの願いは、あなただけは手放しちゃいけないから!」


 確かに悲しい出来事だった。

 二人が互いに手を取り合って、逃避行をすればハッピーエンドだった。


 でもそうはならなかった。どうしてかなんて、考えるまでも無い。


「目の前の幸せを捨て去ってでも叶えたい理想だったなら、諦めたらダメだよっ! 犠牲にした幸せだって取り戻せるくらい幸せにならなきゃ、理想が嘘になっちゃうよっ!」


 この世界はすべての理想を叶えられる場所じゃない。

 自分の理想のためならば、他の人だって傷つけるし、潰える理想だってある。

 それでも、誰もが理想を比べあって、納得して、満足して後を託すんだ。


 それすらしないうちに諦めたら、これまで犠牲になってきたものが可哀想だ。


「あなたの中で神無月さんに対する罪悪感があるっていうなら、報わせてあげればいいっ!」

「イリス、貴女は何を言って……」

「諦めないで、花見月サクラ。あなたの理想は……幻想はまだ終わってないっ!」


 光の粒が渦を巻くように、イリスの眼前に集束する。

 七色の輪から降り注ぐ三幻色は、そして一人の乙女の姿を形作る。


 その姿を彼女が見間違えることはないはずだ。

 

「イリスさん、私は……私は怖い」

「大丈夫です」

「神無月さんに、どんな顔で会えばいいのか……」

「大丈夫です、花見月さんの理想は、あの結末だったからこそ誰にも恥じることはないんですから。私が保証します!」


 いつもなら、私なんかがと言ってしまいそうなセリフだ。

 でも、今は自信をもって言える。花見月さんの選択は間違いじゃなかったって。

 どこまでも幻想に近づこうとした彼女だからこそ、あの選択は正しかった。


 だって花見月さんは、醒めない幻想ゆめを追い続ける理想人だから。


「……あの時、夜は明け、夢は醒め、恋心もまた冷めてしまいました。私はそんな自分に絶望したんです。私には幻想に至る資格が無いのだと……ならせめて、桜の木で朽ち果てて、鮮やかな花を咲かせ、永遠の夢に落ちれるならばと」


 虹の輪も光の飛礫も消えて、後に残ったのは夜闇のように深い、紺色の髪の乙女。

 柔らかい印象の、優しそうな人に見える。

 愛らしい苦笑を浮かべながら、こちらにぺこりと頭を下げる。


「私を呼んでくれて、ありがとうございます。あなたは神無月さんとは別の意味で命の恩人です」

「うあっ、こ、これはご丁寧にどうも……」


 ふと、神無月さんの驚いた表情が見えた。


「イリス……これは幻術か」

「正真正銘、本物の花見月さんです。ちゃんと甦らせました」

「甦らせたって……」

「もちろん私だけの力じゃないです。アリスちゃんや、ヒルデさんの理想も力も借りてて……」


 私がここまで色々な理想を繋いできたから出来たことだ。


「何より、ヤグラさんが居なきゃえにしが無くて出来ませんでした。これはヤグラさんのおかげでもあるんです」


 そう、ヤグラさんが居なければ実現しなかったこの魔法。

 どれ一つとして欠けていいものは無いのだ。


「だから、もうやめてください神無月さん。罪滅ぼしのために戦うなんて、この世界には悲しすぎますよ……」

「色々と急すぎてついていけないのだが……」

「ああっ! 本当に私が居るじゃないですか。すごいですねー!」


 落ち着いた雰囲気を自ら投げ捨てるような、呑気でハツラツな声。

 サクラさんはヤグラさんに歩み寄る。


「私とそっくり……本当に私の片割れなんですねー」

「貴女は……どうして今更」

「理想を研げるチャンスがあれば、掴みますとも。なにせ私は理想人ですから」

「貴女は私に託したじゃありませんか。希望も絶望も、すべて手放して私に……」

「うん……ごめんねヤグラ。だから今更返してとは言わないよ。でも、取り戻すべきものは見つけたから」


 サクラさんは神無月さんの方を見て、優しく頬笑む。


「おかえりなさい、神無月さん」

「……あなたは相変わらずだ。初めてであった時も、こうやって突然だった」

「あはは……さてと、それじゃあ再会のお祝いに、美味しいものでも食べに行きましょう!」

「それは……」


 神無月さんは気まずそうに目を逸らす。

 違う、その視線の先にはもう一人の花見月さんの姿。


 ヤグラさんは、複雑そうな表情で神無月を見返している。

 サクラさんは二人の間を遮るように……神無月さんの前に立ちはだかるように、両手を広げて立った。


「駄目です」

「花見月、何を……」

「あのとき私は逃げてしまったけれど、もう逃げない。私が止めます」


 花見月さんは決して力のある理想人ではない。

 理想を抱く強さと、理想そのものの強さは別だからだ。


 私はメルヒェンワールドとハッピーエンドを求めるあまり、攻撃手段がほぼない。

 白兎さんも逃げ足に特化してる。

 じゃあ花見月さんは……花見月さんは妖幻を引き寄せる体質だったみたいだけど、それはヤグラさんに引き継がれた。


 だから今のサクラさんにはたぶん、何も残ってない気がする。

 それでもあの人は、神無月さんの前に立った。しかも妖幻を庇って。


「なぜ庇う。そいつはあなたの……」

「退きなさいサクラ。無力なあなたに庇われる理由はないわ」

「退かないよ。なぜ庇うかなんて、決まってる。ヤグラが私の理想だったからだよ」


 そもそもどうしてヤグラと言う存在が生まれたのかといえば、彼女のパワースポット巡りもそうだけど、一番大きかったのは命を散らした木がサクラだったことだ。

 綺麗な桜の下には死体が埋まっているという話がそっくりそのまま事実となって、新たな妖幻として生まれた。


 でもそれは彼女達が生きていた世界ではなく、理想の世界でのこと。

 ヤグラさんはサクラさんの心の妖幻だったけど、サクラちゃんの理想はヤグラちゃんが譲り受けた。

 だからサクラさんの中には、何も残っていない……たった一つを除いて。


「私は花見月サクラ。抱く理想は『神無月さんと一緒に幻想の地へと至ること!』」


 花見月さんは声高に名乗りを上げる。

 たとえ戦う力が無くとも、夢と誇りを胸に宿す。素敵で無敵な理想人だ。

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