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メルヒェン56 妖幻刈り取る刀巫女・その1

 少女は夢幻を追っていた。

 それは失われたロマンであり、潰えた虚構であり、果てた怪奇であり、暴かれた秘密であり、散り散りになった幻想であった。


 万理を歩み、山河を越え、森林を潜り抜けて、いずれ辿り着けるはずだと信じていた。

 夢幻を追い続ける少女は、終わりに必ず辿り着けると信じていた。


 妖幻の地、幻影の果て、幻想に彩られたかくり世を探して……。



 大太刀一つ振り回し、軽々捌いて魑魅魍魎。

 鼠牛虎に辰巳に馬。羊に猿鳥犬猪。

 闇に潜むは、自然を象った存在。つまるは現象ならぬ幻象。

 それらは人を惑わし、害を成す。この世ならざる者たち。


 彼らに命はなく、しかし確かにそこにある。

 それらを妖幻怪異と言い、人々は妖怪と呼んでこれを怖れた。

 そして、雑草のごとき彼らを刈り取るが、刀巫女の役目であった。


 大太刀一振り引っさげて、闇夜に巣食うまぼろを断ちて、人の住まう地を守る。

 それが刀巫女、神無月鏡の役目であった。


 そんな中、彼女は出会いを果たしたのだ。




 木々の合間の暗闇から荒い鼻息が聞こえる。

 大男のような高さの猪は、こちらに狙いを定めて今にも突進してきそうなほどに荒ぶっていた。


 そう思った次の瞬間には、尋常ならざる脚力が地面を抉り、私の眼前まで迫った。

 だが、これくらいのことは慣れたものだ。

 刀を横向きに置き、右側に跳ねて直撃を回避すればいい。

 置かれた刃に向かって猪は勝手に突き進み、自ら背と腹に別たれる。


 哀れと思うなかれ、これとて妖幻。命ある者にあらず。闇が映し出した、自然を象る幻なり。


「ふぅ……これで四つ」


 それにしても今日はやたらと妖幻が多く、そして活発に活動している。

 科学が発展した現代社会では、日に一匹か二匹が精々。三匹で多い方だ。

 四匹以上となると、祭事のある期間や日食などの特別な日か。


「でも、多いだけで特別強くは無い……どういうこと?」


 刀が震える。まだ近くに妖幻が残っているのか。


「たす、助けて! だれかぁ!」

「人の声……!?」


 そんな馬鹿な。

 こんな田舎に、こんな夜に、こんな森の奥に、どうして人の声が?

 しかもその悲鳴は女性のものに聞こえた。


 この村の周辺は、夜になると妖幻が現れる。

 それは村の者なら誰でも知っているし、外から来た者にさえきちんと言って伝える。

 外に出てはならないと誰でも知っているはずなのだ。


 しかし、こんな時間に余所者が来るなんて考えにくい……。


「声が近づいてくる……」


 普通に考えればその声こそが妖幻。

 でも、雄叫びでもなく、奇声でもなく、純粋な悲鳴と助けを乞う妖幻など知らない。

 神社にある古文書にも載ってない、新種の妖幻……というのも考えにくいけれど。


 だがどちらにせよ、放っては置けない。

 妖幻は確かにそこにいるのだ。ならば狩るしかない。


 それが私の役目なのだから。


 次の瞬間、草むらから飛び出してきたのは、一人の女の子だった。


「ひぃーっ!? お化けぇーっ!!」

「ッ……!」


 一目見た瞬間に、刀が反応しているのは彼女の背後にいる何かだと分かった。

 咄嗟に彼女の手を掴んで、強引に引っ張る。


「あぁああああっ!!」


 悲鳴を上げながら、倒れこむ少女。

 私は彼女から目を離して、闇の奥から迫り来る妖幻へ向けて刀を構える。


 さて、何が来るか。


 飛び出してきたのは、猿だった。

 甲高い雄叫びを上げながら、両腕を振り上げて飛び掛る。


 大太刀を振るって一閃を三度、左肩から右脇腹、首を狩り落とし、すれ違いざまに胴を断つ。

 四つに別たれた妖幻の体は、夜の闇に還っていった。


「っ……」


 尻餅をついていた少女は、自分の事を驚いた様子で見ている。

 無理も無い。余所者には刺激が強かっただろうから。


「私は刀巫女の神無月。あなたは?」

「わ、私は……、は、花見月。花見月 桜です」


 夜のような紺色の髪の少女は、花見月はなみづき さくらというらしい。

 間違いなく、こっちの人里の者ではない。外の者だ。


「では花見月さん。あなたはどうしてこんなところに? 女の子が一人で出歩くような時間ではないでしょう」

「えっと、私は……旅をしてまして」

「旅? 女の子が、一人で?」


 妖幻よりも怪奇じみているが、彼女から妖幻の反応は無い。

 紛れもなく普通の人間だった。


「キャンプをしようと思ったら突然、黒いのに襲われて……」


 それで必死に逃げてきた、ということか。


 珍しいものの、迷い込む人間はまったくいないというわけではない。

 私と同じくらいの女の子が、こんな夜に山中を歩いているということは今までなかったが。


「とにかく、ここに居ては危険。ひとまず私の神社に来ると良い」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます……!」


 妖幻の気配もない。あの猿が最後だったらしい。

 私は花見月を神社で保護することにした。


 別に余所者に厳しい限界集落ではない。

 恐るべき妖幻は人々の結束を高めた。

 人々を脅かす妖幻、人々を守る刀巫女、その間に挟まる人々。


 その中で、刀巫女として生きてきた私がやることは決まっていた。

 それが私の使命なのだから。






 神社に辿り着くまで、少女は先ほどまで命の危機だったことを感じさせないほどに元気だった。

 より具体的に言うと、妖幻に対して深い興味を示しているようだ。


「つまり、妖幻とは闇に住まう妖怪が、人の心の闇を住処にし始めた結果、その性質を変えた者」

「ってことは、現代には文献とかに載っている妖怪はいないってことですか?」

「そうなる。現代社会に、膨大な量の妖怪が住むスペースはないから」

「そう、ですか……」


 彼女は肩を落として溜息を零した。

 変わった娘だ。どうして妖怪にそこまで興味を持つんだろう。


「神無月さんは、その妖幻を退治してるんですよね? かっこいいですね!」

「かっ……別に、ただの使命だから」


 少し驚いてしまった。

 かっこいい、と言われたのは初めてだった。

 それからは、私のことをたくさんの言葉で褒め始めた。


「そんなに綺麗で美人なのに、そのうえ強くて人の為に戦うなんて、すごいです! 尊敬します!」

「そこまで言われるようなことじゃない。ここに巫女として生まれた者の役目だから……」

「それでも、私は……あの、私と友達になってください!」


 また急な話だ。

 出会って間もないのに、いきなり友達だなんて。

 なんだか面倒な娘を助けてしまった気がする。


 長い石の階段を登って、私たちは神社の境内に辿り着く。


「着いた。ここが私の神社」

「……こ、古風ですね?」

「見た目は廃屋だけど、中身はちゃんとしてるから……」


 花見月が途惑うのも無理は無い。住み続けている自分でも分かるくらいには、この神社はオンボロだ。

 中に入り、居間へと案内する。


「どうぞ、くつろいで」

「ありがとうございます……ふぅ」

「お風呂沸かしてくる。簡単なものしかできないけど、ご飯は居る?」

「で、出来れば……」

「分かった」


 外見はオンボロでも、中身は実のところオール電化だ。

 風呂をスイッチ一つで湧かし、出来合いのものを冷蔵庫から取り出して電子レンジに突っ込む。

 神社の娘に生まれて、巫女として妖幻と戦っているけれど、この時代に生まれて本当に良かったと思う。


「はい、どうぞ」

「わぁ、いい匂い……神無月さんがご自分で?」

「ええ。ここには私以外住んでないから」

「えっと……ありがたく頂きます」


 今、遠慮したんだなと分かる。


 なぜか、人の気持ちには敏感だから、人付き合いは苦手だ。

 相手の怒り、悲しみ、不平不満に、気遣いの一つまで感じ取ってしまう。

 それは戦闘に役立つほどの鋭さではあるけれど、日常生活では過敏すぎて心を磨耗させる。


 しかし、私の微かな憂鬱さは、次の瞬間に掻き消えた。


「っ、美味しい! すごく美味しいです!」


 彼女は目をきらきらと輝かせて、頼んでも居ないのに感想を述べ始めた。

 まっすぐなその瞳を、感想を受けたのは、生まれて初めてだった。


「そ、そう。それは良かった。食事が終わったら湯船に浸かって疲れを落すといい」

「すみません、至れり尽くせりで……何かお返しできるといいんですけど」

「気にしないで。災難を被ったのは貴方なのだから。その代わり、貴方に余力があるときに災難を被った人を見かけたなら、手を差し伸べてあげて。それが人の輪よ」

「う、うーっ……! 巫女さん優しい……!」


 涙まで浮かべるようなことを言った覚えは無いのだが、どうやらよほど心に響いたらしい。

 というよりそれくらいの気分でなければ、こんな田舎でやっていける物ではないのだが。


 夢中になってご飯は平らげた花見月を風呂場へと案内する。


「着替えは……」

「あ、それは大丈夫です。何から何までありがとうございます」

「肩の力を抜かないと、取れる疲れも取れない……友達なんだから」


 照れくさくなって、すぐに脱衣所を後にした。

 なんだろうか、この不思議な感覚は。

 こちらが親切にすると朗らかな笑みを浮かべて、こちらの心までほぐされてしまうような。


 巫女である私は、この集落にとって特別だ。

 だから、誰もが私を敬うべき巫女として扱われてきて、こんな風に人に接されたことはなくて。


 とかく、私にとってあの花見月と言う女の子が、妖幻などよりも未知で魅力的な存在になりつつある気がする。






 ピンク色の寝巻きを着た花見月。

 前髪から滴る水が、赤みの差した頬が艶やかに見える。


 思いのほか大人びた一面を見せていた瞳が、再び真ん円の瞳でと少女らしさを全開にする。

 

「あっ、いいお湯でした!」

「そう、良かった。申し訳ないけどドライヤーはないから……」

「奇遇ですね、私も自然乾燥派なんですよ」


 神無月の髪が乾くまで、お茶を飲んでのんびりと待つ。

 とはいえ、二人で無言だと非常に気まずい。なにか……そうだ。


「そういえば、あなた旅をしていると言ってたけど?」

「ええ、はい……そうですね。私に出来るのは旅の話くらいですね」

「そういうこと。聞かせてもらえると助かる、奇妙な旅人」


 そして、私は信じられない話を聞いた。

 この少女の旅の目的。


 遥か遠くの幻を目指して突き進むは、夢見る乙女の無理無茶無謀。

 この現代社会において、この世ならざる物を信じてそれを求めるなんて。

 そんな目的で旅をするなんて、思いもしない。


 ましてやそれがこうしてひとかけらとはいえ叶ってしまったとなると。


「人と妖怪の交わる場所……ある意味ここがそうとも言えるか」

「ということは、ここが……! 此処が本当に私の求めた幻想の……」

「残念だけど、貴方の求めた人ならざる者との仲良しこよしは無理」

「やっぱり、そう、なんですね……」


 さっき彼女に話したとおり、既にこの世に妖怪はおらず、妖幻という概念に投合された。

 彼女が想い描いている理想の幻想は、きっと大昔にはあったかもしれないだろうけれど。


「でも、もっと素敵な幻想に出会えたので、大丈夫です」

「もっと素敵な幻想?」

「幻想と戦う大太刀使いの巫女さんなんて、それこそ幻想的じゃないですか!」


 瞳を輝かせる花見月は、大仰に私に感動を伝えてくる。

 そんな夢見る少女は、突然真面目な表情でこちらに姿勢を正す。


 その急な様変わりには、さすがに私も慄くしかない。


「神無月さん、お願いがあります」

「な、なに……」

「神無月さんの、身の回りのお世話をさせてください……」

「なっ……」


 訳が分からない。どうしてそうなった。

 いや、一人旅で危なっかしくもここまで来たのだ。

 この地に居座り続けるなら、偶然にも繋がったこの縁を活かす以外に道は無い。


「お願いします、どうか……!」

「うーん……」

「炊事掃除洗濯、なんでもします! ここに居させてください!」

「それは……」


 正直なところ、非常に助かる。

 人付き合いはちょっと苦手だけど、不思議なことに彼女と話すのはあまり苦にならない。

 炊事はともかく、掃除と洗濯は性に合わない。


 それにせっかく出来た友達と、ここでお別れするのは忍びない。


「……大変よ、私のお世話は」

「っ! はいっ! 頑張ります!」


 本音のところを言えば、彼女が向けてくる剥き出し好意が、嬉しかった。


 この地を守る巫女として生まれ、巫女として敬われ続け、延々と戦い続ける人生ならば……ここで出来た友情を留めて置きたいと、願わずには居られなかった。

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