メルヒェン55 常世不夜城の都
幾重もの塔があるそこは、きっと三国時代を髣髴とさせるものなのだろうと思っていた。
でも、実際のところはまったく別物だった。
いや、それっぽさはある。
木で出来た大門、真っ赤な柱と壁と屋根。道を歩く誰もが青龍刀を持っていて、月から降りてきそうな天女のような人や、チャイナ服を着た可憐な人もいる。
物騒だけど、西部劇では銃を持っている人間が普通だろうし、ここでも青龍刀や武器を持つのが常識であるに違いない。
それはともかくとしても、あの不気味な巨大マンションのような建造物はなんなんだろう。
なんというか、マンションの形をしたショッピングモールのようで、小道もあったりして……。
そう、構造的にはヴァルハラに近いのかもしれない。
にしても看板が大量にごてごてしているし、かと思えば普通に人が住んでいるような気配もある。
とにかく不気味で、でも興味をそそられる異様な雰囲気。
「おじょうちゃん、外から来たのかい?」
「あっ、はい。そうです。アルカディアから」
遠目から眺めていると、背後から気の良さそうなお兄さんに話しかけられた。
「そうかいそうかい。確か牧歌的ながら刺激のある愉快な場所だと聞いているよ。ここに劣らず良いところなのだろうね?」
「そうですね、アルカディアは素敵なところですよ」
「しかしそこはユートピアよりも遠いはずだ。どうしてわざわざこんな辺境の地にこられたのかな?」
「それは人を探していて……すいません、神無月って方をご存知ではありませんか? 巫女の格好をしていて、大きな刀を持っている女の人なんですけど」
「ああ、妖怪退治」
まさかの当たり? どうやら神無月さんのことを知っているみたいだ。
「友達の代わりに探しに来たんです! 場所をご存知でしたら教えてください!」
「すまないが居場所までは知らないんだ。最近チラホラと妖怪みたいなのが出るようになって困っていたんだが、妖怪退治が出来るって巫女が来てくれたって話を聞いたくらいで」
「そうですか……すみません。ありがとうございました」
ダメだった……このまま地道に聞き込みをすべきだろうか。
「ああお待ちなさい。人を探しているようだが、あの常世不夜城に近づいてはいけないよ」
「常世不夜城って、あれのことですか?」
「そう。あそこは仙境にして人々の欲を溜め込む生きた桃源郷。その複雑怪奇さは内部構造にも現れていて、一度入れば必ず出られる保証は無い。十分に気をつけなさい」
「は、はい。ご親切にありがとうございました」
そういうとお兄さんは去っていった。
もしかしたらあの中にいるかもしれないと思ったけど、そんなに危ないところだったんだ……。
さて、どうしよう。本当に地道に足で探すしかないののかな。
ファンタちゃんはもう頼れないし……。
「アヤメ、忘れたか? 私たちには妖精とは別にもう一つ、神無月を探す方法がある」
「え? そんな方法あったかな……」
「あるじゃないか。運命の赤い糸を光ファイバーのごとく繋いで視せる、極彩色の宝石が」
「あっ、レインボーガーネット!」
それはまっすぐに、ひたむきに、想い人同士を繋ぐ光の道を敷くモノ。
「えへへ、そういえば自分で創ったんだった……」
「上手くすれば、すぐに見つけられるはずだ」
「そうだね……よし」
私は胸の内から妄想の光を一つ取り出して、レインボーガーネットを取り出す。
深い大地の色の宝石は、光を浴びれば虹色のきらめきを放つ。
宝石自体の色は地味だけど、放つ光は七色。このギャップがとてもいい。
オパールのような色味の強いモノも、萌えるようなルビーも、凍るようなサファイアも愛おしいほど綺麗だ。
それにたいしてこのレインボーガーネットの彩りは光の反射だけだ。
基本の紅柘榴石……ガーネットはルビーに優るとも劣らない苛烈な赤。光を吸い込むような深みのある濃い赤だ。
紅柘榴の石言葉は真実、友愛、勝利。
離れ離れになった二人の心を繋ぐには、ピッタリの宝石だ。
そして虹柘榴は、赤い光を指し示す。
「……避けて通れないってことか」
宝石の光はゆらめく火のように、あの巨大な常世不夜城方を指し示していた。
「でも、行かなきゃ」
「瞬間移動とか出来ないのか?」
「虹柘榴はしっかりと大地を踏みしめるタイプの力をくれる石だから……」
虹柘榴の導きにしたがって、私たちは得体の知れない巨大な怪物みたいな城へと入っていく。
そこは、とても私たちのような女の子が入っちゃいけない場所だと思った。
一言で表すなら、魔境だ。
都会の路地裏のような小路、人がひとり通るのがやっとの通路。
鼻をつく嫌な匂い、聞こえてくる獣みたいな声。
叫び声、泣き声、怒鳴り声……およそ理想郷とは思えない世界が、内部に広がっている。
「アヤメここ怖い……」
「私もだ。脅威と言う意味ではなく、醜いという意味でな」
これも人の理想が生み出した産物だなんて、とても信じられない。
この理想郷を創った人は、一体どんな理想を……。
「やめておけ、イリス。分かり合えないものというのは、ある」
「……うん」
理想の全てが分かり合えるわけじゃない。
だから理想はぶつかり合って、勝ったり負けたり、残ったり消えたりしている。
この場所は、この理想は私たちとは相容れないもの。それだけのことなんだ。
大丈夫、私は大丈夫だ……。
虹柘榴の光にしたがって、どんどん奥へと入っていく。
すれ違う女の人の視線、影から覗く男の人の視線。
どれもこれもが、敵意や害意に満ちている。
人の心の中が読める能力とかなくて、本当に良かったと思う。
いや、読めなくても意思は感じ取れる。怖い、怖い、怖い……。
「光が強まってないか?」
「近いみたい。たぶん、もうすぐ……」
ぴたりと私たちは立ち止まる。
光の先には、いっそう闇深い小路がある。
「ねえアヤメ、もしかして神無月さん、大変なことになってる?」
「それは考えにくいな。アレの太刀筋は恐らくここでも通用するだろう」
胸がざわめくのを感じながら、私たちは暗がりに足を踏み入れる。
路の奥には扉が一つだけ。
私はとりあえず扉をノックする。
しばらく間を置いて、向こうから声がした。
「誰だ」
「えっと、私イリスって言います! 神無月さんを探していて……」
「イリス……知り合いか?」
「サバト……あー、魔法使い同士が戦う大会で、見かけたくらいで……妖精のファ……妖精さんに頼まれて!」
うぅ、説明が下手すぎる。
でも実際、神無月さんとは会ったことも無い。不信がられても仕方ない……。
「ご用件は?」
「えっと……話をしたいと思って」
「どうぞ」
あれ? 意外と呆気ない。
扉が開いて、中に入る。
すると、小さな受付が目の前に現れた。
透明のガラスの向こうに、鮮やかな赤のチャイナ服を来た女性見える。
胸元に空いたダイヤの穴が、豊満な胸の狭間にある深淵を覗かせている。
その迫力に、私は思わず息を飲んだ。
「ホアンイン! ようこそ安心院へ。ここは空間操作で絶対のプライベート個室を約束する宿屋でございます」
「えっと……すいません、ここに神無月さんはいらっしゃいますか?」
「ええ、いらっしゃいます。こことは別の空間ですが。問い合わせを致しますので、少々お待ちを……」
するとチャイナ服の女性は目を閉じる。
少しすると、こちらを見て営業スマイルを見せた。
「面会室をご用意しますので、そこでお話をしたいそうです。一度ここから退室したあと、五秒後にもう一度入室してください」
「あっ、はい。ありがとうございました」
言われたとおりにすると、同じような部屋に出た。
でもそこに居たのは受付のお姉さんではなくて、巫女服と刀の女の人だった。
「あ、あの、初めまして! 私、イリスって言います」
綺麗な人だった。
何も言わなくても、ただそこに咲く花のように、黙々と光を湛える宝石のように。
漆のような黒髪に、紅白の衣が宿る。
「あの……」
「匂う。あやしの匂いだ」
その瞳に殺気が宿る。
アヤメが私の前に出た。
「だが、妖精に頼まれたというのも嘘ではない様子。お前は何しにきた?」
「最初は、神無月さんが危ないから助けて欲しいって、あの妖精さんに頼まれて」
「妖精……ああ、あの催しの時の」
「でも、その後……花見月さんに会って」
花見月という言葉を出した途端、神無月さんは勢いよく立ち上がった。
その瞳に宿る異様なほどの念を、私は目の当たりにした。
「会ったのか。アレに」
「はい、貴女を連れて来るように」
「案内してくれ、早く」
「その前に、お願いがあるんです。花見月さんと仲直りしてください」
神無月さんの眉がかすかに動く。
それでも私は怯まない。
「花見月さんは、貴方ともう一度仲良くしたい。親友に戻りたいって思ってるんです。どうか……」
「っ……」
神無月さんは何かを言いたそうに口を開いて、そして噤んだ。
椅子に体を預けて、考え込むように目を閉じた。
「……お前は、どこまで知っている」
「お二人が生前親友だったこと。お二人が好きあっていたこと。お二人には似たような幻想を抱いていて、貴方が置き去りにされたこと……それをあなたが許せなくて、刃を向けたこと」
花見月さんから貰った記憶は、これで全部。
神無月さんの心の中は分からないけど、花見月さんの罪悪感は知っている。
「後悔は……してません。結果的にこの世界にこれたわけですから。でも、貴方に罪悪感を抱いているのは本当なんです。謝りたいって、もう一度親友として仲良くしたいって気持ちも……だから」
「分かった」
「花見月さんを赦し……えっ?」
「私は桜を……花見月さんを赦す。だから連れて行ってくれると助かる」
やった、のかな?
うん、確かに赦すって言ってくれた。
神無月さんは、花見月さんを赦すって。
「っ……本当ですか!」
「だから、会わせて欲しい。花見月 桜に」
「ありがとうございました。またご利用くださいませー!」
ガラスの向こうで元気よくお辞儀をする受付さんの豊満な果実がたぷんっ、と揺れる。
大迫力のそれからようやく目を離して、私たちは出発する。
いや、しょうがないよ。男の子だって女の子だって、大きな胸は憧れのはずだから。
「でも、どうしてこんな不気味なところに? ここじゃなくても宿屋はあったような」
「ここは仙境の中でも特に異質。風水の関係で妖気幻影でさえも容易には踏み込めない」
「なるほど……」
「まあ、それより厄介なのが居るけれどね。それで、貴方はどうしてこんなところまで?」
「えっ、それは妖精さんが……」
「あの妖精がそう簡単に人間に頼るとは思えない。どんな交渉をしたの?」
確かに、ファンタちゃんは人間が嫌いだ。あのファンタちゃんが誰かに頼るということ事態が、信じられないかもしれない。
「それに、何の見返りも無くこんなことに首を突っ込んでるわけじゃないんでしょう? あの妖精が見返りなんてものを用意するのも考えにくい……」
「えーっと……」
私は神無月さんにここまでの経緯を話す。
すると、見るからに引いてこちらに疑心の目を向けてきた。
「……正気?」
「あはは……」
私は苦笑して返す。それしかできなかった。
だって、本当にただそれだけの理由でしかなかったから。
「私がそうしたいと思ったから。それ以上の理由は無いです」
「事実は小説よりも奇怪ね」
「そこまで……」
「まあいい。あの城に入れたということは、妖怪が化けてるとかではない。かといって操られている気配もない。本当に自分の意思で、妖精の頼みを聞いて遠路はるばる私を助けに来た……とても信じられる話ではないけれど」
普通ならきっとそれが正しい。でも今回だけはどうか信じて欲しい。
「分かってる。そもそも貴方からは邪気も悪意も感じない」
「邪気ってなんですか?」
「邪な考え、悪を為そうとする意思はオーラ……黒い気を帯びるのよ。貴方にはそれがない」
殺意、殺気、妖気の次は邪気かぁ。色々あるんだなぁ……。
私に感じ取れるのは魔力と、アヤメ越しに殺気くらいだ。
「えっと……改めまして、イリスです。理想は素敵な人たちと、素敵なメルヒェンの世界を創ること」
「メルヒェン……なるほど、そんな理想を持つような人間なら、そのお人よしも納得だ」
「えっと、はい。えへへ」
「名乗られた以上、こちらも名乗りを返すが道理。私は神無月 鏡。理想は……言わなくても分かるでしょう」
私は神無月さんを見て、アリスちゃんと眠り子さんのことを思い出す。
きっとこの二人も、話し合えば、ぶつかり合えば分かるはずだと思う。
だって、お互いを大事に思っているんだから。
「だが、私はまだ貴女を全面的に信用したわけではない。出来る限り、語ってもらう」
「はい、もちろんです!」