メルヒェン50 Dr.ドクの人体改造
白兎さんとアイスさんは私たちと同じホテルに泊まることになった。
そして私達はアイスさんの部屋にお邪魔している。
「私のことを知りたい、ですか」
「はい!」
せっかくだから、アイスさんのことをもっと知ろうと思った。
私のアヤメを圧倒した人の理想、もっと知りたい。
「私はただの傭兵ですよ。偶然一緒になっただけの人間の何を知りたいって?」
「どんな理想を持ってるのかとか、今までどんな物語だったのかとか!」
「貴女はもうちょっと内向的に見えたんですけど。まあ構いませんよ、減るものでもない」
アヤメは部屋にお留守番。
というかあんな激しい戦いの後だ。お疲れだろうからすぐに休ませた。
今はルナちゃんと二人でアイスさんの部屋にお邪魔している。
「でも貴女の思うほど聞いてて気持ちのいい話ではないと思いますけどね」
そう前置きすると、アイスさんは外見に似合わないゴツい瓶から茶色い液体を、氷の入った背の低いコップに注ぐ。
くいっと勢い良く飲んで、注ぎなおした。
「最初に言っておくが、私に前世の記憶はない。覚えているのは、良き娘であらんという理想」
良き娘。それが、アイスさんの理想?
それにしては、随分とまあ不良娘になってしまって……。
「前世の記憶は、恐らくここに渡る途中に不要だと判断したんだろう。誰もが通るあの空間で」
「ああ、あの天からの声みたいなのが聞こえてくる場所ですよね」
あれをちゃんと詳しく知ってる人っているのだろうか。あれ誰なんだろう。
あの人ももしかして理想人なのかな。
「私も理想的な娘であろうと必死だった。傭兵の娘として生まれ、戦闘の技量と戦争の技術を身につけた」
「子供の傭兵……」
「当時は珍しがられたが、今時よくあるタイプだ。で、なんやかんやあって最高の出会いを経て殺し合いの甘美を仕込まれたわけだ」
「そこ一番重要じゃないですかね?」
重要イベントを省いてはいけないと思います。
あっ、もしかして言いたくないのか……なら聞かないで置こうか。
「別に大したことじゃない。私のことを買ってくれた敵側のサディスティックなド変態将軍にケツを追い掛け回されたってだけの話。そのあと先生に出会った」
「先生?」
「この世界では伝説級の一人に数えられる。ユートピアのドクが生み出した最高傑作が一品」
「ドクかぁ……」
「もしかしてそれって、黒狼の銃口のこと?」
と、ルナちゃんが問う。
黒狼の銃口……聞いたこと無い。
ルナちゃんは知ってるみたいだ。
「あの人は過激な性格で、苛烈な人だった。当たり前だ、あの人は死なないんだから」
「聞いたことある。殺しきれぬ死の影、死神の銃弾、黒死……その名と扱える銃は百と八つあるとまで言われる、ユートピア史上最強にして究極の完成形。あのドクが深く大きく溺愛絶賛するっていう、ヤバさの塊みたいなのがちょっと前まで居たって」
そんな大仰に過剰装飾を施したかのような理想人が居たのか……。
ちょっと前まで居た?
「もしかしてその人、死んじゃったの?」
「ううん。この世界からは居なくなったって、ドクは言ってた。ちなみに私が死なないのもその人に使われた技術の転用なんだって」
「そっかぁ、じゃあバッドエンドではなさそうだね。良かった」
実際に会いたいとはちっとも思わない。
でも、どんなに怖い人でも理想を抱いているなら、出来れば叶って欲しいと思う。幸せで居て欲しいと思う。
それにしても、ルナちゃんの不死身のルーツがそんな物騒な人から受け継がれたものだなんて……納得だ。
「こうして噂の狂想姫を前にすると、なるほど確かにあの人に近い匂いがする」
「狂想姫って私のこと?」
「ああ、ドクの傑作が一つだと本人から聞いている。あのイカレ、傑作は尽く自分の手から零してしまう悲しい女らしい。先生もユートピアを一度去っているから」
なるほど。
まあ、あんな人道とか倫理観とかまるで無視するようなマッドサイエンティストの元に居たいと思う人の方が少数派のような気がする。
傑作じゃない成果物は、きっとゴミ箱に投げ入れるように捨てているだけだ。
「あの、アイスさんもドクに何かされたんですか?」
「いや、残念ながら大したことはしてもらえなかった。というか先生がさせてくれなかった」
「朱さんが、ですか」
どうやらヤバイ人とはいえ、ドクほど常識はずれではないみたいだ。
「人体改造は最初のうちはオレツエー無双状態になるけど、すぐマンネリ化するからやめとけって」
「オレツエー……」
「だからやるならツールを揃えてスキルを増やせ、と。まあ多少頑丈にはしてもらったくらいだ」
少しは施術されたらしい。
「それで匂いが薄かったのね」
「私も不死身になりたかったなぁ!」
あんなマッドサイエンティストも、誰かに求められたりするんだ。
ちょっと信じられないけど、こういうこともあるんだね……。
「じゃあ、アイスさんは自分からドクに改造を希望したって事なんですか……」
「私も先生みたいになりたかったからなぁ……それが何か?」
「いえ……ルナちゃんと戦う前に、ドクって人と一度話をして……」
「あー、それでか。まあアレもやっぱり狂人には違いないからな……でも、それは理想の強さゆえだ」
「理想って、ドクの理想ですか?」
そういえば、あの狂った博士が抱いている理想ってなんなんだろう。
「ドクの理想は単純だ。神を超える存在を創り上げること」
「か、神様を超える?」
「ユートピアはでかい実験場みたいなものだ。それに釣られてドクとは別のイカレ博士が流れ着いたりするもんで、日々新しい異能者やら人造生物やら、怪獣奇獣が生み出されてる」
「は、はぁ……」
なんか想像が追いつかない。ユートピアは人外魔境なのかもしれない。
「先生と一緒に色んな戦場を歩いた。というか、あの人自身が戦争の火種みたいなものだった。しょっちゅう喧嘩するし。でも、そう……刺激的で、本当に楽しかった」
父親が抱くであろう理想の娘とは程遠い。
もしかしたら、そっちがアイスさんの本当の理想だったのかもしれないほどに。
「あの人が居なくなった後も戦場を探し続けた。でもその頃には犠牲が出ないシステムが構築された戦争が主流になって、私みたいな血を求めるタイプの人間には地獄より地獄みたいだった」
「なっるほどね。それで今回は久々の本格的な戦争が出来そうで大興奮ってことね」
「そういうことだ……とまあ、こんなところですかね」
なんでこの人はいちいち口調が変わるんだろう。
「なんで貴方はいちいち口調を変えるの?」
「昔はこっちのほうがデフォでしたけど、先生と一緒に居るうちに染まったんですよ。とはいえ私は先生ほど化物じゃないんで、使い分けてます」
器用だなぁ。
でも、そうか。ルナちゃんみたいにえげつない改造手術を受けてないのに、アヤメを倒すくらいに強いなんて。
「アヤメを倒せたのは、やっぱりその先生のおかげですか?」
「まあ、反射速度と動体視力は底上げしてもらってるけど、やっぱり先生がら貰った技術のおかげですね。あの人は不死身な上に扱う銃器も規格外だったけど、それに頼りきりじゃなかった。死ぬほどの痛みにまるで怯まない精神力、相手を殺傷することを楽しむ凶暴性……見習うことは多かった」
そ、そうだよね。戦場で生きる以上、そういうのは必須だよね。
可愛い女の子の外見が勿体無いような気もするけれど、彼女にとってのハッピーがそれなら、それが正しい。
「満足しました?」
「はい、ありがとうございました! あ、えと、じゃあ私のことも……」
「明日は早い。貴女の話なら、うちの雇い主に話してるのを聞いてたので必要ないです」
「あ、そう、ですか……それじゃあ、失礼します」
「はい、お気をつけて」
私は苦笑して、アイスさんに背を向ける。
「殺気については、ごめんなさい。クセで」
「えっ、クセ?」
「常在戦場というか、相手の装備や振る舞いに気を配って、常にどうやって殺すか考えるのが習慣で……」
「脳内シミュレーションって感じなんですね」
「そうでもしないと、戦場では生き残れないので……大目に見ていただけると。敵で無い限り、変なことはしませんから」
アヤメが感じていた殺気、それはシミュレーションだった。
殺したいという意欲ではなくて、殺し合いを期待するあまりの脳内試合だ。一種の職業病みたいなものなんだろう。
「分かりました。アヤメにもそう言って置きます。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」
そして私はアイスさんの部屋を後にした。
アイスさんはたぶん、悪い人じゃない。ただ生きる世界が違うだけだ。
生きる世界が違えば、生き方もまた違ってくる。
それはルナちゃんみたいに無いモノを追い求めて、傷付くことも厭わなかったり、彩花さんみたいに平穏のなかで充実したり。
アリスちゃんや眠り子さんみたいに、互いを大切に思ったり。
それはきっと誰もがそうなんだろう。だから理想は人によって違って、そして輝いて映える。
自分の部屋に辿り着いた。
アヤメを起こさないように静かに部屋に入ろうと思って、やめた。
「ただいまアヤメ」
「おかえりイリス」
分かってた。アヤメはずっと起きてて、私と感覚を共有していた。
だから話は全部筒抜けだ。
ベッドの上でアヤメは窓側の方を向いて横になっている。
「仲良く出来そう?」
「さあな……だが殺気の理由がそういうことなら、そこまで警戒しなくていいか」
良かった。これでなんとかトラブルは回避できそうだ。
やっぱり仲が良いのが一番だね。
「でも、私自身が弱いのも事実だ……」
「アヤメって、一度落ち込むととことん落ちるよね」
そもそもアヤメに小手先の技術なんて求めてないのに。
「いや、やはり私も成長しなければならない気がする」
そう言ってアヤメは起き上がる。
「決めたぞアヤメ、お前ばかりに成長を求める私が間違っていた」
「えっ、なに? 何が始まるんです?」
「大惨事でしょ」
「ど、どうしたのアヤメ、なんかヘンだよ?」
「止めてくれるなイリス。これは当然の報い。私が傲慢すぎただけの話だ」
それから寝るまでアヤメが元に戻ることはなく、明日の朝から己を磨くらしい。
無理をしないように言っておいたけど心配だ。
なんだか大変なことになってきたなと思いながら、私は柔らかいベッドに体を沈め、意識も沈めた。