メルヒェン49 白銀の猟犬
スイーツは別腹ということで、満腹にもかかわらずケーキとアイスを堪能する。
「飼い主同士が仲良くなったところで、私たちも仲良くしておきましょうか」
「そう思うなら、その殺気を収めて欲しい」
「そちらこそ、さっきから向けてる敵意をしまってもらいたいのですが」
傭兵のアイスさんが口火を切って、アヤメとの会話が始まった。
かなり、剣呑なスタートだ。
「改めまして、アイス・バイエルン。しがない傭兵ですが、今は商人の護衛をしています。いわゆる用心棒です」
「傭兵なら戦場で戦えばいいだろう。戦争屋がどうして商人の護衛なんか」
「そんなことですか。商人の護衛をすることで私に利益があるからに決まっています。傭兵だからといって、傭兵でしかないわけではないので」
言葉自体は丁寧なはずなのに、その話し方には明らかに棘がある。
いったいなにが彼女をそこまで刺々しくさせるんだろう。
「さっきからアヤメ、アイスさんの殺気を気にしてるけど殺意とは違うの?」
「ああ、殺意は殺す意欲。つまり意思だ。殺気は殺す気、つまり気配だ」
「……ん?」
「私はお前の意思に呼応して、この身に湧き出る殺意を込めて殺傷力を引き上げられる。それはお前にとって害のある敵を殺したいという私の強い意思があってこそ」
つまり、意思なんだね。
でも殺す気というのは気配だという。
「何かを殺すということに対して、少なからずためらいがあるのが人情というやつだが、恐らくこの傭兵にはそれが無い」
「つまり……?」
「殺す気満々なんだよ、この少女は。誰であれなんであれ、一切の容赦なく無差別に、全ての生き物を殺されることが当然だと、自然の摂理だと」
「そんなことは至極当然でしょう。誰もが何かの命を殺めて生きているのなら、誰もが殺される権利と義務を負っている」
「それにしても引き金が軽すぎる。試験と称して躊躇いなく雇用主に発砲する気楽さ、そして当然のように遊び気分で殺気を向ける気軽さは、正直信用ならない」
「なら、どうする?」
なるほど、アヤメが言いたかったのはこれだ。
アヤメの殺意は、私を大事に思っているから、私に害する者に殺意を向ける。
大切な何かの為に、ただ殺そうと思う。それがアヤメの言う殺意。
アイスさんはその気になればすぐ殺せるんだ。
ゲームのように、狩猟のように、気分で殺すことに躊躇いが無い。
怒気も、狂気も、鬼気も要らず。活気良く、喜々として殺すだろう。
殺気とはつまり気分のことだ。意思がなくとも理由があれば容易く殺す気でいる。
アヤメの言う殺気が強いとは、そういうことらしい。
「それは仕方がない。傭兵なんてものは、程度の差はあれどそういうものですし。すぐ頭に血が上って殺す乱血気、任務のためなら仲間も皆殺しにする冷血、金のためなら一般市民にも容赦ない残忍、殺し合いが楽しみの異常者、その他諸々人間の形をしたゴミクズ相手にする日常を送ってたら、誰だってこうなる」
アイスさんは可愛い女の子なのにも関わらず、何度も死線を潜ってきた傭兵さん。
見た目は私と同じか、少し小さいくらいなのに、すごいなぁ。
「それに、せっかくの戦争だ。貴重な死逢わせを楽しまないとな……ですから」
「死逢わせ……」
「やはりだ。お前自身が既に、お前の口から出たゴミクズだ」
「だとしたら、どうする?」
愛らしい少女の口元は、犬狼のように白い歯を剥き出しにして見せていた。
アヤメの中の感情が、私にも流れ込んで感じ取れる。
警戒と困惑。
アテにできない飼い主と、信用ならない狂犬。
アヤメが口を開きかけたのを狙ったかのように、アイスさんが沈黙を破った。
「分かりました、なら勝負です。私が勝ったら、私のやることに口出しはしないこと。貴方が勝ったら、私が白兎に雇われている間は絶対に貴方達を害さないと誓います」
「それをどう信用しろと」
「強い者の言うことを聞くのが傭兵でも変わらない世の理ですよ。私の理想にかけても構いません。元々貴方達に迷惑をかけるつもりはないんですけどね?」
「アヤメ、何もそこまでしなくても……」
「いいんじゃない? やらせてあげましょうよ、王子様」
うあっ、ルナちゃんそんな軽く言っちゃうの?
アヤメとアイスさんが戦うことに何の意味もない。
「私は死なないから何されようとへっちゃらだし、イリスのことは絶対に守るわ。でもアヤメの万が一っていう心配も分からなくないし、ここで白黒はっきりさせたほうが、後腐れないと思うよ?」
一瞬、アイスさんがルナちゃんの方を見た。
ルナちゃんが戦いを推奨したのがそんなに驚きだったのだろうか。
「飼い主の許可が得られないんじゃ戦うわけにも行かないですね。私は最初からそのつもりはないですけど」
その笑みはなんとなくからかっているように見える。
邪悪だけどイタズラっぽい笑みで、本気ではないような気がする。
でもアヤメはもう引き下がる気はないみたいだ。
「イリス」
「……分かった、アヤメがそこまで言うなら。でも変な無茶はしないでね?」
「分かってる。すまない、イリス」
「決まりですね、外に行きましょう」
お会計を済ませて、私たちは外に出た。
浜辺に沿う公園には灯が並んでいて、明るさも申し分ない。
こんな時間に出歩く人間は少ないし、人目もない。
ちょっとした決闘にはピッタリ、なのかな?
灯の下で、アヤメとアイスさんが対峙する。
「とりあえず寸止めまでにしときましょう。こんな1セントにもならないことで傷作っても損するだけですから」
「私は構わない」
アヤメはオニキスのナイフを握る。
対してアイスさんは銃ではなく、同じ刃物を選択した。
「手加減のつもりか」
「いえ、弾薬が勿体無いので」
それはつまり、銃を使わなくてもアヤメを倒せると思っているってことだ。
胸が少しざわつく。
アヤメが負けるはずがないという確信が僅かに揺らぐ感覚と、アヤメという友人を侮られているちょっとした悔しさ。
そして、アヤメは私以上に熱くなっていた。
「じゃあ、始めましょうか」
少女が扱うにはあまりに大きなサバイバルナイフを手に、彼女は言った。
言い切る前に、アヤメはもう飛び出していた。
狙うは喉笛、唯一点。
気付けぬ瞬きに一刺し、気付く者さえ殺意で捉え、気圧し殺す。
それが私の、私のアヤメの対人闘法。
この場をもって、最短最速の一撃をもって、引導を渡す。
血飛沫が彼岸花のように噴き出す筈のその一手、生じたのは火花だった。
「なにを、驚いてんだ?」
「お、まえ……ッ!?」
「そっちから殺意を教えてくれたんだ。防げないわけがねえ」
あ、アイスさんの口調が変わって……瞳もまるでルビーみたいに真紅に変わってる!?
不思議に思っていると、ルナちゃんが私の前に立った。
「黒子の言うことも、あながち馬鹿にならないというわけね」
「る、ルナちゃん?」
「たぶん、アイツは私と似たタイプみたい。私よりは薄いけど……」
「似たタイプってことは……」
あのドクの手がかかってるということだ。
きっとアイスさんも凄惨な実験の犠牲に……。
アヤメは重なる刃を引いて跳び退る。
「お前の殺意は真っ直ぐで速い。だがそのせいでライン取りが単調すぎる。それが活かせるのは乱戦が常の戦場、殺気も察せない素人相手くらいだ」
「くッ……」
「そして、そういう奴は大概攻め手のバリエーションが少ねぇ。理想の力に頼りきりの馬鹿に良くあることだ」
なんて容赦のない攻撃……じゃなくて口撃だろう。
アヤメが戦う時は基本的に私の魔法で色々向上させてるから、単調な攻撃でも威力や速度をごり押せる。
言われた言葉を否定するように、アヤメは再び攻める。
心臓を狙った一刺しは、アイスさんが半歩下がるだけでかわされた。
アヤメが下がろうとした時には、目の前にはアイスさんのコンバットナイフ。
鏡面の刃が灯の光を反射する。
「お前達の噂はこっちにも届いてる。おおかたご主人様の魔法で猪みたいに突っ込んできたんだろう」
「……その通りだ」
膝から力を抜いて体を落す。
より前傾姿勢、低高度からの踏み込み。
いっそ腹部を派手にかっ割いて……
振り払う手の出始めを抑えられ、くるりと首に回され固められた。
え、なんでそうなったの?
「あれは体術ですよ。理想ではなく、純粋にあの子が護身術として身につけたのでしょうねぇ」
「護身術っていうレベルじゃなかった気がするけど……」
前世の動画か何かで見た、合気道みたいな感じだった。
「この世界、理想は数多ある。ご主人様の魔法が封じられたら、お前はどうする?」
「それは……」
「戦争ジャンキーの俺にさえ勝てねえのに、戦争が始まったら命が幾つあっても足りねえな……と私の知人なら言うでしょう」
唐突にアイスさんの口調と瞳の色が戻った。
なんだったんだろうあれは。
アイスさんがアヤメを放して、その背中を蹴飛ばして間合いを開けた。
私のアヤメが、あんなに簡単にあしらわれるなんて……。
「ぐっ……」
「つまり、理想の力を過信し、現状の自分に胡坐をかいているとこうなる、ということです。殺意だの殺気だのはそこまで重要ではありません。本当に大切なのは多彩な戦術と柔軟な対応」
殺意と殺傷の一点突破で、これまでなんとかしてきた。
でも、この世界にはあんなタイプの人もいるんだ。
理想で理想の力を高めるのではない。
理想のために技を磨く人。
強い想いではなく、想いの強さを研鑽にかける人。
理想の力とは異なるアプローチで、強くなる人。
いや、もしかしたら彼女にとって、それが理想の在り方なのかもしれない。
「力量は見れました。私はもうやめても構いませんが、あなたは?」
アヤメは答えない。違う、応えられない。
悔しいけれど、思考が敗北を悟ってしまっている。
私はそれがやるせなくて……。
「せっかくですから、あなたが満足するまで付き合いますよ」
「……そうかい」
心は挫けていた。負けを認めてしまっていた。
惨敗は明らかで、これ以上はただの無茶で徒労だ。
なのに、私の思考に反して、アヤメはナイフを構えた。
「なら遠慮なく」
「へぇ……意外です。あなたは割と賢明そうに見えたんですけど」
「それでも、私はアイツの理想だ。この期待は、裏切れない」
アヤメ、私の為に立ったんだ。
私の理想として、らしくあろうとしてくれている。
私の為に、殺意を向けてくれている。
「悪いが、一矢くらいは報いさせてもらう」
「そいつぁ楽しみだ。……ですね」
アヤメと感覚を共有していると、殺意とか殺気とかの細かい違いもちょっとずつ分かってくる。
目には見えないけど、脳内でイメージできる。
心臓を押される様な、心にチクチクと刺さる感覚。
「すぅ……」
遠い間合いだ。
初手よりは近いけれど、あの対応力の壁を前にしては。
でもアヤメは、アヤメにしかない力がある。
だってアヤメは私より賢いし、運動神経もいい。技も鋭い。
「ッ!」
アヤメが踏み出した。
黒い風、奔る影。
一直線に向かって。
「意地のごり押しも嫌いじゃないですけどね」
「こッ!」
あと数歩というところで、いきなりアヤメが急停止した。
同時に、アヤメは手に持っていたナイフを投げた。
「チッ! ……マジか」
消えた。
アヤメが本気を出すと、消える。
強い殺意を持つからこそ、それを向けられた者はその一瞬の空白でアヤメを見失う。
投げナイフがここでその後押しをしたんだ。
「どこに……」
足跡もなく、視界から消えるとすれば、それはもう一つしかない。
「跳んだかッ…!」
アイスさんが咄嗟に防いだのは、また投擲ナイフだった。アヤメはその後に落ちて来た。
アイスさんの手首を掴みながら着地し、引き寄せると共に逆手で握ったナイフを喉元に滑り込ませた。
「……ああ、これは」
「ッ……くはぁ、はぁ、はぁ」
たった一瞬。その瞬間に繰り広げられた進攻。
自分の動き、相手の動き、読んで出し抜き、臨機応変に合わせる。
一つでも失敗したら致命傷。その緊張感。
ここに来てアヤメはそれを乗り越え、一手勝った。
「ああ、お見事です。その感覚を忘れないことです」
「お前は……」
「私もそうやって教えてもらったんです。殺し合いの旨味を」
かなり物騒な単語が出てきた。
アヤメはすっと体を引いて、こちらへと戻ってくる。
「それで、結果は?」
「お前のことは分かった。私は私のやるべきことをするだけだ」
「アヤメ!」
急いでアヤメの元へ駆け寄った。
最後の最後に勝てたんだから、たくさん褒めてあげよう。
「アヤ……メ?」
「すまないイリス、せめて一度くらい完勝したかったが……」
アヤメは開口一番に悔しげにそう言った。
「な、なんで? 最後のはちゃんと勝ってたよ?」
「いや、あれは相打ちだった。私の視点で記憶を振り返ってみれば分かる」
「う、うん……あー、あっ!」
本当だ……アヤメが掴んだアイスさんの右手、それはいい。
でも左手には拳銃があった。
それは間違いなくアヤメを狙っていた。
「私はアレに銃を抜かせるくらいの実力しかないということだ……本当にごめん」
「ふーん……」
あえて、私はアヤメを励まさないことにした。
だってアヤメ、とんでもない思い違いをしてるんだもん。
「アヤメ、私は今怒ってるよ。なんでか分かる?」
「当然だ。お前の理想である私が手も脚も出ないなんて……」
「違うでしょ。ずる無しでちゃんと答えられたら許してあげる」
「めずらしー、王子様もこんなに怒ることあるんだ」
「ふむ……」
分からない、というふうにアヤメは首を傾げる。
そうか、理想の私である私の親友にこんな欠点があるとは。
「はぁ……もう。ねえアヤメ、貴女は私の親友でしょ? ずっと、最初の妄想のときからずっと二人でやってきたじゃない」
「っ!」
「なんでもかんでも一人で背負い込まなくていいのに」
「それは……サバトでお前を一人で戦わせておいて、私が一人では戦えないだなんて……」
まーた……またそんなどうでもいいことで。
そんなの当然なんだ。だってアヤメは私の妄想から生まれたんだから。
私にとっての理想の自分。
それは人よりちょっと動けて、手際が良くて、頭の回転が速いくらいだ。
完璧鳥人じゃない。私よりちょっと上位互換なだけなんだ。
強いて言えば、殺意次第で殺傷力が増すくらい。
でも今回は寸止めだし、仲間を殺していいわけもない。
「とにかく! アヤメは私と二人で一組なんだから、ちょっと縛りプレイに失敗したくらいで落ち込まないで!」
「あ、ああ……」
こんなに強気な私は珍しいと、自分でもそう思う。
それはきっと私も悔しいからだ。
だから次はきっと、ちゃんと二人で戦って、ちゃんと勝つんだ。