メルヒェン46 妖に誘われ導かれ
九尾の大妖怪が船を乗っ取ったのと同時刻、アルカディアもまた脅威に晒されていた。
虚空から、路地裏の影から、湧き出す幻想の魑魅魍魎が理想郷を満たす。
百の目を持つ亜人、人を何人も飲み込む大蛇、巣を張り巡らし絡め取る蜘蛛、枯れ枝のような身体で万力のごとき老婆、口の裂けた女、鬼より遥かに大きな男……。
多種多様な形と力を前に、アルカディアの住人は怯むことなく対応した。
引き起こされる呪詛や怪異はエルフの魔法によって退けた。
異様な怪力を持つ怪物はアマゾネスや戦士が食い止めた。
巨大な怪獣は天狗の風と兵士の銃弾、そして勇者の聖剣によって鎮められた。
九尾の狐……狐金が幻影へと還り始める頃には、事態は収束しつつあった。
という話を、お城の玉座の間で今聞かされた。
「とはいえ、船が城に突撃すればさすがにパニックは免れない。死人が出なかったのはイリス、君の功績と言っても過言ではないだろう」
「いやぁ、それほどでも……」
「その上、敵の一人を生け捕りにした上、仲間に加えるなど大貢献だ。こうして情報を得られるのだから」
そういうわけで、私は情報提供の為に皆と一緒にアルカ王のところに来た。
たくさん頑張ったルナちゃんは用意された部屋でぐっすり眠っている。
ケイオスさんとクロウデルさんが私たちに気付いたのはルナちゃんが派手にぶっ放してくれたおかげだったらしい。
ということは、今回のことで一番活躍したのはルナちゃんだ。あとでご褒美をあげなきゃ。
「では狐金、これから尋問を始めるが、気を楽にしてくれ」
「ふむ、拷問部屋などはないのじゃな? もしかしたら偽の情報を掴ませるかもしれんのじゃぞ?」
「心配は無用だ。なにせそこまでの期待していない。ただ宣戦布告くらいはあるのだろうと思ってな」
「あー、そういえばそうじゃった。んじゃ、聞いてもらうか」
あっけらかんとした雰囲気が、急に船の上で放っていた威圧感に変わる。
「お初にお目にかかる、哀れな人間共よ。我々は魑魅魍魎、萌黄色の理想なりし幻想より生まれし芳香なり。そして妾は狐金。金毛九尾の幻影なり」
「幻影……妖怪そのものではないということか」
「影を怖れよ、幻影に慄け。我らが萌黄色の御主の供物となれ」
萌黄色の御主……なんだかあの黒い二人と同じ波長を感じるのは気のせいかな。
狐金の話し方があまりにもそれっぽいから……。
そう思っていると、アルカ王までそれに乗った。
「お前達の目的はなんだ。どこの理想人の使いだ?」
「勘違いするでない理想の王。我等が主はもはや理想の器には納まらぬ……」
瞬間、私は狐金から何か、理想に近い感触が伝わってきた。
狐金との契約のせいか、隠れている理想を微かに感じてしまう。
「御方こそが高きに咲く萌黄の花。恵みの末の幻影を追い、遥かな旅路の終得た果てに。手にした幻想、幻影の花見月なり……そして我らこそ萌黄色の御主、かの芳香にして花弁なり」
「花見月って、どこかで……」
滑り込んでくる、誰かの記憶、なにかの情景。
月明かりの夜、満開の花が咲き誇る木の側、舞い散る花びらに飾られた女の子が見える。
柔らかな萌黄色の髪、夜に紛れてしまいそうな黒のドレス。
愛らしい表情なのに、そのアメジストみたいに綺麗な瞳には生気が無い。
くるりと舞い踊るその姿は綺麗なのに不気味で、不気味なのに綺麗で……私の心に懐かしい記憶を蘇らせた。
「イリス、どうかしたのか」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと今日は魔法を使いすぎて疲れたのかも」
アルカ王の尋問はまだ続くみたいだ。
なんだかどっと疲れが溢れてきた。早く横になりたい。
「その萌黄色の主は今どこに?」
「分からない。妾は気が付けばそこにあった。そして何をすべきかを知っていた。忽然と始まった意識に惑うこともなく、自分でも驚くほどに疑問を抱かず、すべきことをしていた」
「なるほど。それで、具体的に何がしたいんだ。世界制服か?」
「人間を脅かすこと、のはずだ」
目的がふんわりとしすぎていて、何か裏があるんじゃないかと私でも思う。
でも、アルカ王はすんなりと受け容れたらしい。
「なるほど、懐かしいタイプの理想だ。昔を思い出す。最後に一つだけ聞いて尋問は終わりだ」
アルカ王は最後の問いを口にした。
「我々、理想郷の住人と君たち幻想の住人、どちらが勝利するか、率直な意見を聞かせて欲しい」
「それは……分からん」
「そうか、これで尋問は終わりだ。ご苦労だったな」
尋問は意外と早く終わった。
良かった。これでひとまずは、休める。帰ったらとりあえずぐっすり眠りたいな。
「さて、イリス。疲れているところ悪いが、別れる前に一つだけ聞いておきたい」
「は、はぁ」
「私は王として、魑魅魍魎より宣戦布告を受けた。よって、これよりアルカディアは正式に戦争状態に入る」
また戦争か。ユートピアとは戦争ごっこの体だったけど、あれでも下手したら死人が出てたし、今回もきっとそういうことになる。
アルカ王が私に言いたいことはなんとなく察しがついてしまった。
「君が戦争に参加する意思があるか否かを問いたい。もちろん、私は参加してくれることを切に願っているし、そうしてくれると非常に助かる。なにせ理想同士の対決ではなく異質な敵を相手にするのだから、防御や回復が出来る人間は多ければ多いほど良い」
確かに。相手の詳細もつかめない以上、下手には動けない。
いたずらに戦力を消耗させないために、そして積極的に戦争を終わらせるためには、ダメージを補う防御力と回復力、そして相手を問答無用で薙ぎ払う攻撃力が必要だ。
「もちろん、前回と同様で返答は急がない。むしろ今回の戦争は長引きそうだ。終わるまではいつでも歓迎する」
「えっと……」
「そちらの花屋さんはもう答えが決まっているようだ。そちらから伺おう」
アルカ王が目を向けたのは、彩花さん。
「君の大会での活躍は見ていた。あれほど異質な妖精をよく手玉に取った。見事なものだ」
「恐れ入ります。しかし、私は一介の花屋に過ぎません。私の魔法は花のためのもの、私の理想は花のためのものです。血と硝煙の匂いが漂う場所に、私のような者の居場所はありません」
「戦場に咲かせる花もある。それに生存競争という意味では千変の万花も無関係ではない」
「……仰るとおり、花も食べられまいと毒を宿したり、誘われた虫を食べることもあります。しかし、自らの足で歩み、自らの意思で敵を駆逐したりはしません」
なるほど、それもそうだ。
花が毒を持つのは自分の身を守るためだし、食虫植物も敵意があってしてるわけじゃない。
彩花さんの花魔法は、そういうものだったんだ。
だから花を愛する者として、魔法を振るうのは護るために。決して敵を倒すためではない。
「それが私の理想であり、理想の在り方なのです。なのでどうかご容赦を」
「そうか、立派なものだ。ならその通りに」
彩花さんは戦争から下りた。
じゃあ、私はどうしよう。
アルカ王の視線がこちらに戻った。
「どうする? 希望があれば闇黒の徒とチームを組むということも出来る。知り合いのようだし丁度いいかもしれない」
「クロウデルさんと……?」
神魔を降す闇黒の徒。この世界で最も有名な名の一つで、中二病の理想人二人組。
あの二人と一緒なら、確かに心強い。
「やめておいた方がいいよ、イリス」
背後からの声に振り向くと、眠たげなルナちゃんが扉から顔を出していた。
それから自分の家みたいに勝手に入ってきた。
「どうしたのルナちゃん」
「叩き起こされたっていうか……夢の白い方はあなたが戦争に参加するのは反対みたいよ」
「え、そうなんだ……ルナちゃんも?」
「うん。迷うくらいならやめたほうがいい。戦争っていうのは、闘う理由のある人たちが戦う場所。戦う理由がない人は絶対に勝てない」
戦う理由……確かに、私に戦争に参加する理由が無い。
この戦争は理想を競うものじゃない。なら私が戦う必要は、ない?
「後方で救護班として活躍するということも出来るが?」
「後方なら絶対安全ってわけじゃないんでしょ? 子供だからって何にも知らないと思わないことね」
「ふっ、さすがはドクの傑作だ。君は参加してくれないだろうか?」
「生憎、私はイリスとイチャイチャラブラブするので忙しいの。前ならともかく、今は戦争に割く時間も労力もないわ」
「それは残念」
理由、私が戦争に参加する理由はない。
確かに戦争で傷付く人はいる。私の力はその人たちの役に立てる。
でも、それは私が無理をしてやるべきことなのだろうか?
私が治しても、きっと彼らはまた戦場に出ていく。自分の意思で。
私が彼らを治すことで、私に何が残るのだろう。
「私は……」
私は恐る恐る、アルカ王の問いに答えた。
城から帰る道中、戦いの傷跡が残っている街中でも、店は変わらず営業していた。
魔法を使いすぎたためか、眠気より無性に空腹に掻き立てられるまま、私は焼き肉屋さんに入った。
今日はすごく頑張ったし、アルカ王から狐金に対応したことへの報奨金で懐も暖かい。
お店が心配で先に帰っちゃった彩花さんのぶんまで、たくさんお肉を食べよう。
「私! 私特上ミノカルビがいい! あとミノミノ!」
「私はロースとタンでいい」
「ちょ、ちょっといっぺんに言われるとわかんなくなっちゃうから……」
私はいろんな味を楽しみたいから全種類を少しずつ頼む。
ちなみにミノカルビというのはミノタウロスカルビの略です。
網の上で肉が焼ける音だけで唾液がどばどば溢れてくる。
肉が焼ける僅かな間に、辛くて甘いキムチとシンプルな白米で舌と胃袋を馴らす。
肉が焼けたらごく普通の醤油ダレを片面につけて、熱々のうちに口の中に放り込む。
「んー……」
タレの味付けを楽しみながら、ゆっくりと柔らかい肉を噛み締めると、肉自身の旨味が滴る肉汁と共に漏れていく。
噛めば噛むほど旨味が搾り出されて、早く飲み込みたいのに飲み込むのが勿体無いという葛藤を楽しみつつ、次の肉を焼く。
肉を裏返すときにようやく飲み込んで、また白米とキムチで舌をリセット。そしてまた肉を、の繰り返し。
熱で溢れて煌く肉汁に見惚れる暇さえなく、もんぐもんぐと味わい楽しむ。
「うっま、うっま、はふはふ……」
「ルナちゃんは美味しそうに食べるね」
「美味しいんだから当然でしょ!」
「確かに。お肉をこんなに美味しいと思ったのははじめてかも」
基本的に肉よりスイーツ派なので……。
それはともかく、やっぱりどこか胸がざわつく。
「しかし、戦争に参加しないとは言え、安全とは言いがたいな」
「んむ? んぐ……どういうこと? アヤメ」
「戦争に参加しようとしまいと、魑魅魍魎は人間を標的にするだろう。となれば、私たちは応戦しなければならない。自分の身と理想を護るために」
ああ、そうか。戦争に参加しないからって安全っていうわけじゃないんだ。
アルカディアとユートピアの戦争ごっことは違う、本物の戦争。
殺し、殺されることが隣り合わせになるということ。
神出鬼没の魑魅魍魎。どうして不安になるのかなんて、考えるまでもないことだった。
「大丈夫よ。イリスは私が護るもの!」
「意気込みはいいが、九尾相手にギリギリだった。しかも勝利するには至ってない」
「ぐっ、それはそうだけど。でも、だからって何か他に出来ることがあるの?」
「そうだな……敵の本丸さえ分かれば、そこに乗り込んで頭を叩けばそれで終わりだ」
「えぇ……」
アヤメの言うことは確かにそうなのだけど、無茶すぎる。
アヤメの攻撃的すぎる思考回路にはさすがのルナちゃんもドン引きのご様子。
まあ、そういうことは流れに任せればいいと私は思います。
心配してもどうにもならないことは、しないほうが精神衛生的によろしいというのが、私の前世での教訓だ。
お腹一杯、幸せいっぱい。
外はすっかり暗くなってしまったけれど、住宅から漏れる光と街灯が道を明るく照らしてくれる。
あとは家でぐっすり眠れば……ああ、満腹のせいか眠気が……。
「イリス、止まれ」
「ふあ? どうしたの?」
「誰かいる。アパートの前だ」
目を凝らすと、アパートの前で何かが光っているように見える。
ふわふわと、青白い光が……もしかして魑魅魍魎!?
「ひ、人魂? 狐火?」
「狐金はどう見ている?」
「そ、そうだ。カモン狐金! あれはあなたのお仲間ですか?」
「んじゃぁ? いや、違う。似たような匂いはするが、幻想に転じた妾らとは真逆。理想のまま幻想を目指すとは……」
すると、光はふよふよとこちらに近づいてきた。
「イリス、少し下がって魔法の準備を」
「う、うん。気をつけてね」
アヤメは殺気を光に向ける。
でも、アヤメは首を傾げた。
「妙だな、敵意がない」
「ようやく会えたね。宝石の魔法使いさん」
「光が喋った……じゃない。あなたはファンタズマさん!」
「ボクをそう呼ぶキミこそ、確かにイリスだね。久しぶりだね」
夜の闇にも似た紺色の髪、青白い光を纏い、キラキラと光の飛礫を飛散させて浮遊している。
「キミにお願いがあって来たんだ」
「このタイミングでお願い……もう嫌な予感しかしない」
「予感というよりは確信のほうが近いな」
というわけで、私hはとりあえずファンタズマを部屋に入れる。
話は長くなりそうなので、とりあえずお茶を淹れてから話を聞く体勢を整える。
「それで、ファンタズマちゃんは……」
「あのさ、ファンタズマってちょっと可愛く無くない? 略してファンタでいいと思う」
「ファンタ……なるほど、呼びやすい。それでファンタはどうして私なんかのところに?」
紺色の髪に綺麗な星のような瞳。
時間経過で姿が変わるのかな?
「彼女を、神無月 境を助けて欲しいんだ」
「神無月って、確か大会の途中で消えちゃった人だよね。どこにいるか知ってるの?」
「確証は無いけど恐らくは。魑魅魍魎の湧き出す源泉……無何有郷の奥の方にある秘境中の秘境。マヨヒガ」
まよいが。どこかで聞いたことがあるような。
前世でもたまに見かけたり聞いたりする名前だ。
「まよいが……ってなんだっけ? アヤメ」
「あれだろう。数多の妖怪が集うこの世ならざる異界のような場所だ」
「聞いたことあるよ。食べたらそこの住人になっちゃうとか、食器とかを持ち帰ると大金持ちになれるんでしょ?」
「妾そんなところから生まれたんじゃな……」
話によると、無何有というところは大陸のユートピア側。つまりここから西方にある山脈地帯のさらにその先、広がる平原の北にある深い山らしい。
そこはまだあまり知られてない秘境で、仙人がひっそりと暮らす仙境や自分の妄想を形にした桃源郷、中華風の街並みが広がる神仙郷があるとかないとか。
「でもどうして私に? ファンタちゃんは彩花さんのほうが親しいのでは」
「彩花は花のことで忙しい。赤の他人を助けるために花を放っては置けないキミはお人好しそうだから」
「うわ最後にストレートな……うーん」
どうしよう。これってつまり戦争してる相手の本丸に突入するってことだよね。
私が手を出すには、あまりに荷が勝ちすぎているような気がします。
「用件は分かった。だがなぜお前が神無月とかいう奴を助けようとする? そもそも、どうして神無月がそこにいると分かるんだ?」
「それは彼女もまた幻想を抱いて、追い求めてくれる子だから。そして、ボクが彼女にマヨヒガのことを教えたから」
「幻想……」
「それに、ボクも……私自身の理想の為にあの場所に行かないといけない。だから、キミに協力して欲しい。宝石の魔法使い」
幻想。その言葉はとてもメルヘンチックで、正直なところ少し興味がある。
でも、さすがに戦争に首を突っ込んでしまうことになると、命がいくつあっても足りない気もする。
あと根本的にあまり信用できないというのもある。私とファンタちゃんはまだ親しくない……けれど。
「分かった。私でよければ力になるよ」
「本当に!?」
「えっ、イリス!?」
ファンタちゃんの表情がぱあっと明るくなる。
アヤメは予想通りといった風に苦笑しているけど、それに反してルナちゃんは予想外だったらしい。
「ダメよ王子様! 戦争はイリスが思っているほど気楽じゃないんだよ!?」
「うん、分かってる。でもやっぱり気になるし……特に幻想って部分。メルヘンの匂いがする」
それに、妖精さんから幻想へのお誘いを受けて、乗らないなんてありえない。
「メルヒェンに冒険は憑き物、じゃなくて付き物だから……」
「イリスが挑戦的になることの面白さを知ってくれて私は嬉しい」
「アヤメまで……イリスが危ない目にあってもいいの!?」
「それならイリスがお前と接触する前に止めてる」
「あーっ……!」
会心の一撃が炸裂、ルナちゃんは反論の余地無く屈服した。
「お前だってイリスを護ると豪語してただろう。イリスもきっとお前を信頼している。そうだな?」
「う、うん。でも極力傷つけられないように頑張るね?」
「うぐ、なんて純粋でいい子……もう、分かった。愛する王子様の信頼に応えるのも、出来る女ってやつだもんね」
「決まりだな」
「ボクを助けてくれるんだね? ありがとう。これからよろしく」
ふわりと飛ぶファンタちゃんが、その小さな手をこちらに差し出す。
それはまるで、小さな妖精に誘われるような、メルヘンチックな光景だ。
「うん、こちらこそ、よろしくねファンタちゃん!」
こうして私たちは、また危険だけどちょっぴり楽しそうな、メルヘンを求める冒険に出ることになりました。




