メルヒェン5 夢見る少女の夢想な理想
それは、ふたりのしょうじょのはなし。
それは、私とあの子の話。
かなしくて、くるしくて、悲痛の末の悲願。
せつなくて、つらくて、切実がゆえの切望。
前世の世界で、私には双子の妹がいた。
あの子は私より体が弱くて、よく体調を崩しては寝込んでいた。
比べて私は元気いっぱいで、外で遊んではよく傷を作って帰って、お母さんに叱られたものね。
「おねえちゃんはすごいね。わたしもおねえちゃんといっしょにおそとであそびたいよ」
「きっと遊べるわ。だって貴女は私の妹なんだもの。さあ、今日もご本を読んであげるわ」
あの子は御伽噺が大好きだった。
私も昔は読んでいたけれど、すぐに外で遊ぶことを覚えてしまったから、内容もうろ覚え。
あの子はというと、体は動かせない代わりに、様々な物語の本を読むようになった。
もっぱら御伽噺、夢物語が好きで、とうとう自分で物語を作ってしまうほどだった。
「お姉ちゃん、これ読んでこれ!」
「また本を書いたの? あまり難しい漢字は読めないわよ」
「大丈夫だよ。ふりがなつけたもん」
運動はできるけど勉強は出来なかった私は、逆に妹から勉強を教わるような駄目な姉だった。
次第に学校の成績も妹に抜かれて……その辺りからだっただろうか。
「お姉ちゃん、一緒に学校行こうよ! ドアを開けてよ!」
「煩いわね。一人で行きなさいよ」
その頃は、あの子もそこそこ体力がついていて、私がいなくても大概のことはなんとかなっていた。
私は、それがなんとなく気に食わなくて、あの子を避けるようになっていた。
パパもママもあの子のことをよく褒めていたような気がするし、私はちょっと失敗するだけで怒られていた気がする。
それがすごく癪に障って、学校もいかなくなって、日々を音ながら過ごしていたわ。
どうせ私は勉強なんか出来ないし、体の弱かった妹も今は元気で、私がおもりをする必要はなくなった。
私はきっと優秀だけど体の弱い妹を守るための存在。ただそれだけの役割だ。
私は別にそれでいい。
ただ、もう嫌な事は考えたくないから、とにかく眠っていたい。
妹に嫉妬している自分も、親のうるさい小言も、眠っていれば忘れられるから……
ただ、夢を見るということがなかった。
人は眠ると夢を見ることがある。
楽しい夢、悲しい夢、怖い夢、優しい夢……
ふと私はあの子が言っていた生き物のことを思い出した。
「何その、動物?」
「これはね、バクっていうの。わたしのあくむをたべてくれるの!」
「さすがは我が妹、物知りね……悪夢を見るの?」
あの子はよく悪夢を見ていた。
寝込んでいる時は確かに苦しそうだったし、何度も一緒に寝て欲しいとせがまれたことがあった気がする。
そう、あれは悪夢を恐れていたのね。
なら、と私はあの子に言ったのだ。
「それなら、私が貴方を悪夢から守ってあげるわ」
今となっては黒歴史みたいなもので、とても恥ずかしいけど。
「私が貴方のバクになるわ」
いや、我ながら酷い台詞だと思う。
でも、さすがに一日中寝転がっている人間を養うのも、両親はそろそろ限界だったみたい。
私は間も無く追い出された。
別に私がいなくても、親はあの子が居れば幸せそうだった。
私も両親に対して思うところはなかった。
親は私に愛想を尽かしていたし、私も親に愛想を良くする気力なんて残っていなかった。
ただ、妹の泣き叫ぶ姿が目に焼きついて、私を呼ぶ声が耳に染み付いて……あの子だけが私の傷になったのかもしれない。
そこから先は、記憶がおぼろげだ。
自分がどうやって死んだのかも覚えてない、気がついたらここに居た。
真白で、何もない部屋。夢の世界なのに、何の彩もない私だけの場所。
夢の世界から、現実の理想世界を、人々の理想の行く末を眺めていたわ。
そこに広がっていたのは、あの子が夢見ていたのとそっくりな、御伽噺みたいな世界だった。
神を打倒せんと目論む理想の人王。神を超越せんと企む理想の博士。そしてそれぞれの理想郷。
魔物が跋扈し、幻獣が飛翔する。
世界を征服し、男を服従させる社会を目指す褐色の女戦士たち。
森の秩序と平和を守り続ける、白色の妖精魔人たち。
誇り高き名を広めんとする、黒翼の鳥人武者たち。
そして彼らを束ねた、心優しい無欠の勇者。
この世界で起きた戦争も、喜劇も悲劇も、たくさんの奇跡を私は見てきた。
何もないこの場所だけど、私にとっては安眠するには最適な場所だし、退屈もしない場所だった。
あるとき、それを壊そうとしている獣が居ることに気付いた。
詳しいことは分からないし、正体も判然としない。
分かることは、その獣がこの世界を台無しにしようとしていること。
そして、それに気付いているのは、この世界で私だけだということ。
それを自覚した時、私はようやく自分の理想がなんなのか理解したわ。
私の理想、それは……
アリスちゃんの過去が思った以上に深刻で、用意されたお茶もお茶菓子も喉を通らなかった。
えっ、なに? ここに居る人ってみんなそんな重い設定抱えてるの?
「私の理想は、あの子をこの場所に誘うこと。まだ方法は決まっていないけれど、私は必ずあの子をこの世界に招待するわ」
「わぁっ……!」
でも、確かに悲しい物語だけど、それでも最後にこうして希望が残った。
それはとても愛しくて、素晴らしくて……すごくメルヘンチックだ。
「とっても、素敵だと思います!」
「……ありがとう。そう言ってもらえるだけで救われるわ」
アリスちゃんの言うとおりだ。
ここは素敵な世界で、この場所では素敵な物語が紡がれている。
アリスちゃん自身がそうであるように……。
そして、それは同時に私の理想にも繋がってくる。
「さあ、次は貴方が理想を語ってくれるのよね?」
「あっ、はい……あはは、緊張しますね。私にはそこまでな過去は持ち合わせていないんですけど」
アリスちゃんの過去は凄かったけど、今の私には余計な不安はなかった。
こんなにも素敵な話を聞かされて、素敵な理想を語ってもらえた。
それなら私も理想を語ろう。語りたいと思った。
「でもきっと、この理想への気持ちは本物ですから!」
それは一人の少女の話。
少女の瞳に映るのは、キラキラきらめく御伽の話。
彩色の<絵>を<お空>に描く<事>。
夢見る少女の物語、夢現を彷徨う少女の御伽噺。
きっかけは、そんなに人と変わらないと思う。
絵本やテレビの画面の中で、くるくる踊る人と人、そして動物と草木。
言葉を話すリスや、トラ。
悪いことを企む魔女や鬼。
それをこらしめる正義の味方。
キラキラきらめく魔法の軌跡、クルクル回る人と人。
私はそれに憧れた。アリスちゃんの妹ときっと同じ、なんの変哲もなく、夢を見るように、夢に憧れていた。
私にわからなかったのは、それを捨て去ってしまうこと。
最初は同じ趣味の人が、私の周りにもたくさんいた。
あの物語がおもしろい、あのキャラクターが可愛らしい、あの王子様みたいな人と結婚したい。あの魔法を使ってみたい。
でもなぜか、皆がそれに飽きてしまう。
少女の夢はゴミ箱に、乙女の夢もぽいってされる。
埃が煙い古本屋の奥で、誰にも思い出してもらえない夢たちが、とてもかわいそうだった。
そんなのもったいない! 捨てるくらいなら私にちょうだい?
貰って夢をポケットに入れると、私の夢とあわさって、ほくほくと温かさを取り戻した。
それがとてもたのしくて、私は夢をかき集めた。
キラキラすてきなものがたり、私といっしょに遊びましょう!
そんなこんなで、私は自分の夢の世界を、メルヒェンを創り始めた。
メルヒェン。それは御伽噺、夢物語、キラキラすてきな魔法の世界。
深い紺色の、きらめく星空。どこまでも遠い青い空。
木の葉の隙間から差し込むお日様の光、くるくる踊る妖精。
心をくすぐる怪しい魔女、いじわるだけどえらい女王様。
強くて逞しい騎士様や、凛々しくて優しい王子様。
羨望はやがて渇望に、欲望はやがて野望に変わった。
この世界には魔法も無い、動物も喋らない。
きっといつか、すてきな出会いが待っている。
夢を創り続ける私を、きっと迎えに来てくれる。
そう信じて、私はずっと待ち続けた。
五年、十年、十五年、二十年……。
語り合う友達も居なくなって、どんな夢を見ていたのかも分からなくなって……
心がぼろぼろに擦り切れて、息が出来るのに苦しくて、抱き締めていた物が分からなくなって。
重くて、辛くて、腕から落としてしまいそうで、足が前に出せなくなって。
私の姿をした死神が私の耳元で囁く。
「もう離してしまいなさい。あなたは十分頑張ったわ」
「分かったでしょう? その夢は叶わない。夢を見続けた貴方の姿は、これからどんどん醜くなるわ」
「楽になりましょうよ」
イヤだ。ぜったいにイヤだ。
私はこの夢は手放さない。
どれだけ苦しくても、私の夢を、私が手放すわけには行かない。
それがどれだけ滑稽でも、それがどれだけ現実離れしていても。
現実逃避と嘲られても、気持ち悪いと蔑まれても、親しい人に疎まれても、呆れられても……
ぜったいにぜったいにぜったいに、このメルヒェンは手放さない!
「そう、なら仕方ないわね」
「えっ……あぁ」
ふわり、流れる景色、風の音。
私は何から逃げていたんだろう、もう妄想と現実の違いも分からなくなってた。
でも、この浮遊感は、少しだけ……気持ちよかった。
それが、前世での私の最後の記憶。
あの妙な空間で謎の声から説明を受けたと思ったら、いつの間にかこのアルカディアの広場に居た。
人や人じゃない人たちに色々聞いて、役所になんとか辿り着いて、アパートを借りて……
そして、ここにいる。
「私の理想は、<私の夢の世界>、メルヒェンを創ること。それで、他の色んなメルヒェンと繋がることです!」
「他のメルヒェンと繋がる。夢の世界……なるほど」
心の中にある理想を全部言い切った。
ああ、すごいこれ。すごく、すっきりする。そして燃え上がる。
自分の目指して居るものがなんなのか、改めてきちんと形に出来ること。
それが心に火を灯して、想像力が気球のように膨らんでいく。
この理想は絶対に手放さないという覚悟、剣の柄を握りなおすように。
「それは、不思議な理想ね」
「えっ、不思議、ですか?」
「ええ。だってここは己の理想のために他の理想を退ける世界。でもその理想は、他の理想が成就しなければ、果たされないのだもの」
はっ、と気付く。そういえばそうだ。
他の人が理想を叶える。つまり、メルヒェンを実現させないと、私は他のメルヒェンと繋がれない。
「自分次第の理想は数多くあるけれど、他の理想も巻き添えにする理想なんて初めて見たわ」
「ということは、私はこの世界初の理想人……ああ、なんて奇跡、素敵な奇跡!」
「ええ、素敵な夢ね。その理想が叶うことを、私も願っているわ。そのためにも、夢の獣を倒さないとね」
夢の獣はドラゴンだという。どの世界でも、それは強いはずだ。
それでも、私の理想は絶対に負けたりしない。
私一人なら不安だけど、アヤメが一緒ならきっと勝てる。
「そうと決まったら、今夜またここで会いましょう。貴方の親友と一緒に眠ってくれれば、こちらで拾うから」
「わかりました。それじゃあまたここで。ふぁ……っ?」
次の瞬間、強烈な眠気で体が崩れ落ちる。
なるほど、きっと夢の世界で眠ることで、現実の世界へと戻るのだ。
そのとき、ふと気になった。
夢の獣にも理想はあるのだろうか、と。
アリスちゃんに問うことも、思案することも叶わずに、意識は睡魔に引きずり込まれた。
目がパチリと覚めると、天井よりも先にアヤメの顔が飛び込んできた。
アヤメの性別は女性だけど、一見すると美男子にも見えるので、そういうことされると、その、困る。
「お、おはよう」
「……もう昼だ馬鹿。それで、何があった?」
「うんと、ちょっと夢の世界に行ってた」
「……まあいい、話を聞く時間はたっぷりある。昼食を取りながらゆっくり、順序立てて話せ」
私はアヤメと一緒に、ちょっと前に椿さんに連れて行ってもらった猫カフェに到着するまで、どうやって説明したものかと頭を捻らせていた。
私とアヤメは並んで座り、メニューとにらめっこをすること三十分。
オムライスを注文して、ようやく分かりやすく話せるような気がしてきた。
「えっとねアヤメ、私は……」
「いや、もう大体分かった」
「えっ?」
「私がイリスの妄想である以上、お前が私に伝えたいと思って考えたことが勝手に流れ込んできた」
えっ、それじゃあ私が今まで苦労して考えていたのは……。
「別に無駄ではないけど、無駄ともいえるな」
「えー、なんか損した気分なんだけど……」
「ふふっ、まあ気にするな」
ふとアヤメは雰囲気を切り替える。
その表情から読み取れるのは、警戒だ。
「さて、イリスの体験したことは大体分かった……が、あまり気乗りはしないな」
「えっ、どうして……」
「そのアリスとやらがどうにも信用ならないからだ。得体が知れないし、そもそもそいつがお前に手を出さないとも限らない」
それは確かに、ないとは言い切れない。
私だって、そこまで信頼しているわけじゃない。
でも……気になる。あの人のことが、アリスちゃんのことがどうしても気になる。
「確かに知識は興味深い、理想抱く相手に好奇心も湧くだろう。だが、お前の理想を危険に晒すことにもなる。それでも構わないのか?」
「大丈夫だよ。だって、アヤメがいるんだから」
「イリス……」
私にはアヤメがいる。
アヤメと一緒なら、この理想は絶対にくじけない。
理想がくじけなければ、私たちの理想は終わらない。
きっと戦いは辛くて、苦しくて、怖いんだろうけど。
それでも私は、この理想のために戦うって決めた。
「私はもう決めたよ、アヤメ。だからお願い。力を貸して」
「……まったく、私の妄想主ながらよくも」
深く息を吐いた後、アヤメは肯定の笑みを浮かべてくれた。
「お前の覚悟はよく分かった。ならば私のやることは変わらない。全力でお前と共に戦うまでだ」
「ほんとっ!? ありがとうアヤメ!」
喜びのあまり、私はアヤメに抱きついた。
細身だけど女の子らしくふわふわで、ところどころうっすらと筋肉が乗っている。
菖蒲の香りが鼻腔をくすぐる。
頬を真っ赤にするアヤメが可愛くて仕方ない。
「ちょ、こら、くっつくな! 人前だぞ!」
「人前じゃなかったらいいの?」
「この……調子に乗るな!」
この反応もまたたまらない。
なんていうか、殺意の権化のくせに、からかい甲斐があるんだよね。
「えへっ、ごめんごめん」
「まったく……イリス、一つ約束してほしい」
「約束?」
「もしアリスがお前に危害を加えるようなことがあれば、私は即座にアリスを殺す。それを絶対に止めるな」
アリスちゃんが私を殺す……そんなことはないと思いたい。
でも、アヤメの心配するのも当然だ。
今日知り合ったばかりの人をそう簡単に信じるのは、きっと良い人ではなく都合の良い人なんだ。
相手にとって自分が都合の悪い存在になる。
ただそれだけで罪悪感に苛まれるという人を、いつだか前世で見た気がする。
あの人はどうしているだろう、空想のお嫁さんとは仲良く出来ているのだろうか。
名前は確か……あれ、思い出せないや。
でも凄く憧れていた気がする。ネット越しで聞いた話だけれど、イマジナリーフレンドというものに理解がある人だったから。
お別れも言えなかったな、元気かな。
あの人も、もしかしたらこの世界に来ているかも……
「お前はすぐに思考が脱線するな」
「分かったよ。もしもの時は、アヤメを止めるようなことはしないよ」
アヤメは私の心の親友。
私のことを心配して戦ってくれているんだ。
なら、私はそれに全力で応えるだけ。それが私のすべきことだから。
昼食を終えて、ゆったりとした午後の一時を、カフェで猫と戯れながら過ごす。
日が落ちて、夜が世界を覆い、夢の世界が訪れるまでの、わずかな休息を堪能した。
そして夜、私とアヤメは布団の中で一緒に眠る。