メルヒェン43 ネイキッドハネムーン
「ふんふんふーん♪」
「あー……」
るんるんと服を脱ぎ、柔肌を隠しながら見せ付けるルナちゃん。
アヤメとは異なる魔性の青い色香はあまりにも芳しく……でも、今の私は本当に残念なことにそれどころじゃない。
「って、どしたの王子様。早く脱いで一緒にあったまろ?」
「いや……考えてみたら、温泉って知らない人とかいっぱいいるし、やっぱりホテルに帰ってから……」
「いまさらなに言ってるの。ほら、はーやーくーっ!」
「むーりむりむりむりむ……うわ力強っ!」
私より小さいのに私より強い力で引き込もうとしてくる。
まあ、元々肉体派じゃないからね私は……。最終的に観念して病院に連れられる犬みたいになって、浴場に足を踏み入れる。
「なんだ、誰もいないじゃない。ほらイリス」
「あっ、ほんとだ……貸切?」
誰もいない浴場は湯気がもうもうと立ち込めていて、そのせいか空気も暖かい。
汚れ一つないごつごつした黒い石の床の先では、ざらざらの石の浴槽からお湯がざぶざぶと溢れている。
お湯の溢れる音だけが響く空間は、なんだか癒される。
「じゃあ洗いっこしよ!」
「洗いっこかぁ」
いきなり攻めてくるなぁ。
ついこの前アヤメと一緒に入ったばかりだ。その前にもルナちゃんと入ったけど、そのときはすぐ気絶しちゃったし。
今回は、大丈夫だと思う。
「じゃあ、とりあえず背中を……」
私は椅子に座ってとりあえずシャワーを浴びて準備をしていると、ルナちゃんはすっと懐に入り込んできた。
「よいしょっと」
「えっ」
私の膝の上に、ルナちゃんが座る。
太腿に感じるお尻の感触。ほとんど密着したような距離、シャワーのお湯がすべりをよくして、妙な刺激がもどかしく響く。
「にひひ、興奮する?」
「あわ、あわわ……」
「じゃあ、このまま洗っちゃうね」
「こ、このまま!?」
「もう体にソープ塗ってあるから大丈夫」
「だ、大丈夫じゃな、んっ~~!!」
小さな体が私の体を滑って転がる。
ちょっとくすぐったいけど、柔らかくてぬるぬるすべすべが気持ちよくて、体温のぬくもりが心地いい。
アヤメと似たようなことをしたばかりだから、少し耐性がついたかもしれない。今のところまだ平常心だ。
私も回した手でルナちゃんの背中を洗う。
「はっ、はっ、どう王子様、きもちいい?」
「うん。ルナちゃんはどう?」
「私も、きもち、よ……」
なんか力がちょっと強まってきたような。
「ふっ、くっ、んっ……んっ!」
「あ、あの、ルナちゃん? ちょっと洗い方が激しくなってきてる気が……」
「も、もうちょっと、もうちょっとだから……」
耳元に響くルナちゃんの声がやたらと艶めいて聞こえるのは気のせいだろうか。
「くっ、る……! イリスっ……」
なんとなく、悶えているみたいなルナちゃんが可愛らしく思えて、回した腕に力をこめた。
そしたらルナちゃんもぎゅう、っと脚や腕で締め付けてきて、小さく体が跳ねた。
「んーっ……!」
身体洗うのに気合が入りすぎてる……ということにしておこう。
頑張りすぎて疲れてしまったのか、ルナちゃんはくたり、と体を預けてきた。
ルナちゃんを膝に乗せたまま、シャワーで泡を流す。
「ほら、ルナちゃん。お風呂入らないと冷えちゃうよ」
「う、うん……」
なんか急に静かになった。というか、しおらしい?
とりあえず、私の力じゃルナちゃんを運ぶことは出来ないから、体を支えながら歩いてもらう。
なんとか辿り着いて、程よく暖かい湯船に浸かる。
「ふぅ、いいお湯だねぇ……」
「うん……」
ルナちゃんはせっかく広い温泉なのに、私にくっついて放れようとしない。
縁に寄りかかる私の体に縋りつくようにして、俯いている。
明らかに顔を背けている感じだ。
「んっと……大丈夫?」
「へーきだよ。うん、へーき」
という割にはいつもみたいな勢いがない。
プールの時のノリなら、すぐに私の体の感触を堪能しようとしてきたはずだ。
それとも洗いっこで満足しちゃったんだろうか。
ふと、小さな手が触れたので、なんとなく握ってみる。
ちょっと逃げようとしたけど、一瞬だけだった。
「ごめんなさい……」
「えっ、なんのこと?」
「王子様……イリスずるい」
よく分からないけど、その通りだから少し苦笑した。
「そうだね、私はずるい。わがままで、欲張りで、ずるいかもね」
だからアリスちゃんも眠り子さんも助けられたし、ルナちゃんも死なせずにすんだ。
なんだかんだ、私はありのままにわがままを貫いている。
「でも、それに甘えてる私は……もっとずるい」
「そうかな。甘えたいなら甘えればいいと思うけど」
「イリスはなんていうか……甘いよね。自分にも他人にも」
「厳しくする理由が無いもん」
「まあ、そのお人好しに助けられたし、そこが素敵なのだけど」
えへへ、べた褒めされちゃってる。私には勿体無いなぁ。
「じゃあ、もう少し甘えてもいい?」
「少しといわず、いくらでも」
ルナちゃんの手が、私の手をきゅっと握る。
「私ね、イリスと魔窟の森で別れてから、たくさん頑張ったんだよ」
小さな口から語られるのは、私と再会するための日々だ。
私が送った月の石と朱色の石を抱き締めながら、怖れられながらも少しずつ、ルナちゃんなりに歩み寄っていった。
「最初は忌避の目で見られるだけだった。当然よ、最初から災厄みたいだったものね」
好戦的で挑発的なルナちゃんがまず関われた相手は、アマゾネス。
未だ幼くとも強い女であるならば、ルールを定め、それに則り動けるならば、そのときこそ互いに接し合えるきっかけとなるだろう。
そう提案したのはジャックス・ジャッカル。私が助け、助けられたアマゾネスの一人だった。
「イリスの友達は私と仲良くなろうと一生懸命だった。でも、やっぱり私を憎んだり、蔑んだりするアマゾネスばかりだった。一方的に不利な決闘をさせられたり、夜道に襲われたりは毎日あった」
圧倒的な力を持つルナちゃんを恐怖することはあまりなくて、むしろ憎悪を侮蔑の篭もった行いが多かったみたいだ。
アマゾネスは腕っ節でどうにかしようとする人たちみたいだから、敵討ちを望んだ人たちがたくさんいたんだろう。
「私は別に死なないけど、やっぱり攻撃されたら痛いし、反撃して相手を傷つけたらイリスと会えなくなっちゃうから、ずっと我慢した。痛くて悔しくて、八つ裂きにしてやりたいって気持ちも、必死に押さえ込んだ」
心が痛い。でも、ルナちゃんの負った痛みをここで共有しなきゃ、それは友達じゃない。
ルナちゃんはアマゾネスに与えた痛みを、アマゾネスの想いを受け止めることで償ったんだ。
その日々は、きっと私が思うより辛い日々だ。
「エルフは、誰も私に関わらないようにしてた。私が勇気を出して声をかけても、返事はなかった。視線も合わせてくれないし、私からあからさまに距離を取ってた」
森を歩けば、必ずエルフに出会う。それくらい森とエルフは親密だ。
そして森のものは大体エルフのものといっても過言じゃない。
「買い物が出来なかった、宿屋にも泊まれなかった。見えない壁があるみたいに、私が見えないみたいに、誰も私を認めてくれなかった」
嫌なものと関わりたくない、危ないものに近づきたくない。
それはごく自然で、当たり前の感情だ。私だってそう思うことがある。
ルナちゃんは、そう思われるようなことをたくさんしてしまった。
それが一人の博士の実験に利用されただけだったとしても……。
「天狗は私を怒らせようと嫌がらせをしてきた。鳥の糞を落とされたり、眠るときに窓に突風をたたきつけてきたり、野犬や鴉に襲わせたり、玄関の前を汚されたり……」
相手が抵抗しないなら何をしてもいい。何かをしなければならない。
受けた屈辱、傷つけられた誇りを晴らすため……じゃない。
きっとそれは許せないことの表れだ。
「叩かれたり切られたりされてるわけじゃないのに、痛くてたまらないの。すごく寂しくて、惨めで、訳が分からないけど、怖くて」
向けられた矛先で傷つけられたことを、許したくても許せない。
かといって、抵抗しない少女の体を甚振っても傷つけても、それが何の意味もないことだって分かっている。
留まらない心の不快感を発散するしかない。受けた痛みを、そうやって伝えるしかない。
「人はね、そんな私に同情してくれてるみたいで、優しかった。食べ物もくれたし、励ましてもらったりした。でも、違うの。あれは……」
「それは、たぶん……」
それはきっと媚びだ。
恐ろしいものに逆らわない、気に触れない。
怯えながら接して、怖れながら関わる。
そこに一切の信用や信頼なんてなくて、心を許すなんてとんでもない。
「一人ぼっちで、頑張ったよ。みんなの役に立とうとして、頑張ったよ」
「……うん」
ルナちゃんの声が震えていて、私は知らないうちに握る手を強めていた。
「最後はね、ちゃんと、わかってもらえたよ。ジャックスさんも、レナさんも風車さんも私を庇ってくれて、私はみんなを手伝って、助けて、償おうとした……したんだよ。だから……」
ああ、なんてことだろう。
私はルナちゃんになんて酷いことをしてしまったんだろう。
彼女は私の約束をきちんとやり遂げたんだ。
そしてあの時、私を助けてくれたっていうのに、私は……。
「うぅ、うぅっ……!」
「っ……!」
振り返る彼女の顔は、目を逸らしたくなるほどに悲しかった。
喉から漏れるか細い嗚咽は、鼓膜に縋りつくようだった。
向けられた私への想いは、痛いくらいに伝わった。
「……頑張ったんだね、ルナちゃん」
「う、うぁああ……!」
言うべき言葉はたくさんあったけど、私は彼女の努力を褒めることを選んだ。
「痛い思いをして、辛い思いをして、大変だったよね。私のためにこんなにしてくれたのに、私は……」
「ああっ、あぁあああぁっ!!」
ルナちゃんの頬を軽く撫でると、飛沫を上げて私の体に縋りつく。
せきを切ったように、飲み込んできたあらゆる嗚咽と慟哭を吐き出すように。
「いりすのばかぁあああ!! ど、どうじではやくぎづかないのよぉ!!」
「ごめんねルナちゃん、ありがとう……ありがとうっ……!」
胸の内で泣いて縋るルナちゃんを、私は精一杯抱き締めてでしか応えられなかった。
前世の時とは違う戦いをルナちゃんは乗り越えた。
王子様を信じて立ち塞がる敵に噛み付くのではなくて、ただ必死に与えたぶんの理不尽を受難として受け容れ続ける。
それを、彼女はきちんと果たしたんだ。それなのに私は何をしてたんだろう。
私の為に罪を償った友達の話を聞かず、身も案じることさえせずに、ただ試練を乗り越えたことを郷って、安堵しただけだ。
相変わらず自由奔放で、何者にも囚われず、強きで勝気で、夢見がちな少女のルナちゃんであることを、さも当然のことのように。
心がなさ過ぎる。私はいつからこんなになってしまったんだろう。
心の中で何度も何度も謝りながら、今はただルナちゃんを受け容れることしか出来なかった。
結局のところ、ルナちゃんはちゃんと償った。
大体ちゃんと謝ったし、アマゾネスは強い女を認めざるを得ない。
エルフは臆病だけど、優しい性格だ。出来て無視くらいだから、時間が経てば少しずつ打ち解けられたはずだし、実際そうなった。
それに天狗はプライドが高くて、ああいうのは放っておけない。実力行使もじかんのもんだいだったはずだ。
基本的にみんないい人だから、必ずちゃんとルナちゃんを許してくれる。そうじゃなきゃ、私が許さなかった。それをあの三人は分かってくれてた。
だから、きっとあの三人もかなり苦労したんだろうなぁ。
「うぅ、のぼせた……」
「もう、頼りない王子様なんだから。大丈夫? アイス一緒に食べる?」
ふらふらした足取りをルナちゃんに支えてもらいながら、一階のショッピングモールに上がった。
今はベンチに座って休憩中だ。
ルナちゃんはミルクのアイスクリームをこちらに向けてくれたので、一口貰う。
「でも、本当にごめんね。ルナちゃんの顔見ただけで安心しちゃって、何があったのか気にもしないで……」
「もういいの。ちゃんと話せたし、ちゃんと聞いてくれたから。デートもしてくれてるし」
「うぅ……」
「でもね、一つだけわがままを聞いて欲しいの」
「わがまま?」
そう言って、ルナちゃんは立ち上がって、アイスを持ってない左手をこっちに差し出してきた。
「これからも私の王子様でいてください。どうか、ずっと一緒にいてください」
「あっ……」
それは紺碧の海が、青い空からの光を受けてキラキラ輝いているような笑顔だ。
思わず見惚れてしまうほどに。あんな理不尽を受けたようには見えなくて。
でも、でもそれは……
「ごめんね、ルナちゃん。私はもう王子様になれない」
「うん。やっぱり、そうなるよね」
あれ、割とあっさり。
悲しい顔を見る覚悟で言ったのに。
「えっ、あの、いいの?」
「当たり前でしょ? ここで頷かれたら私の理想、終わっちゃうし」
「それってどういう……」
「私の王子様はね、私をあの地獄から救い出してくれたあなた。私みたいなのを助けてくれるような人が、私を助けるくらいで満足したらおかしいでしょ?」
あ、ああ、そういう……。
そっかぁ、私のことそんなに分かってくれてるのかぁ。
「きっとこれからも、イリスはメルヒェンを探し回るし、見かけたバッドエンドを放っておけない。私があの頃想い描いてたのより、ずっと素敵な王子様だから、だから私も、前よりずっと素敵な私になる」
「る、ルナちゃん……」
「だからね、待っててほしいの。私があなたを王子様に出来るようになるまで、待ってて欲しい」
ずるい、ずるすぎる。
そんなの放っておけるわけない。だってこれは、つまりそういうことだ。
私のことを、本当によく分かってる。私の妄想でもないのに。
「ルナちゃんって、本当にすごいよね」
「ふふん、当たり前でしょ。なんてったって、私は王子様のお嫁さんになる女なんだから!」
違う。ルナちゃんは私なんかと釣りあわない。
意志が強くて、狡賢くて、可愛くて、素敵な理想を持っているルナちゃんとは……きっと釣りあってないと思う。
でも、それでもルナちゃんが求めてくれるなら、私は応えよう。
「わかったよルナちゃん。私は待ってるから、これからもよろしくね」
「うん!!」
そして私たちのハネムーン……じゃなくて、旅行は終わった。
彩花さんとルナちゃんと一緒に、アルカディア行きへの船に乗る。
木造の板を靴底が鳴らす。
少しして、船は動き出す。
「いっぱい楽しんだねぇ」
「うん、また来ましょうね王子様。結婚記念日とかに」
「まだ結婚してないだろうが」
私は遠ざかっていくヒルデさんの理想郷を目に焼き付けたくて、船の後ろまで走る。
息を切らしながらも、なんとか間に合った。
かと思えば、見覚えのある誰かがこちらに手を振っていた。
「イリスさーん!」
「あっ! ヒルデさん!」
「今回は本当にありがとうございました。またいつでも遊びに来てくださいねぇー」
「は、はーい! いつかまた、ぜったい行きますぅ!」
ヒルデさんに向かって、私も手を振り返す。
遠ざかっていくヴァルハラ。
雪のような白い壁、高くそびえる赤い塔、柔らかい黄色や透明の屋根に覆われて、いくつかの吹き抜けがある表層。
その下には、数百もの扉があって、別の空間へと続いている。
その空間も含めて、すべてがヴァルハラ。恋愛を守護する一人の理想人の築いた大きな館……。
「どうですか? ヒントになりそうですか?」
「あ、彩花さん。はい、まだちょっとちゃんとイメージできないけど、少しずつ……創っていこうと思います」
「私も勉強になりました。やるべきことも、見つけられました」
彩花さんも、ルナちゃんも、理想のためになにをすればいいのかを見つけられたみたいだ。
私は……とりあえずは、ヒルデさんに頼まれたことをしてみようかな。
そうすれば、また素敵なメルヘンチックな理想と出会えるかもしれない。
何事にも屈しない愛想恋慕。愛の力、愛が起こす奇跡もまた、メルヘンチック。
その証であるパパラチアサファイアを胸に、私は次のメルヒェンを探しに……。
小さくなっていくヴァルハラを眺めながら、私は前世で知り合った一人の男性を思い出していた。
ネットで知り合った人間嫌いの彼は、一人のイマジナリーワイフ……妄想嫁を愛していた。
あの人ももしかしたら、この場所に導かれたのだろうか。
それとも、現実の中で抱く妄想で満足して、幸せな最後迎えられただろうか。
今の私に、それを確かめることは出来ない。ただふと思い出しただけだ。
その後、私たちが乗る船は激しい衝撃に襲われた。