メルヒェン38 下種外道アンダーアウト
あれ? なんだっけ。私、何をしていたんだっけ。
確か……そうだ。アヤメやルナちゃんと一緒にお風呂に入って、それからのぼせちゃって。
そこから記憶が無い。なんだか頭がぼーっとする。
夜、なのかな。暗くて何も見えない。
「ス……あけ……」
なんか、声が聞こえる。
なんだろう、誰の声だろう。何を言ってるんだろう。
「イリス……イリス! 目を醒ませイリス!」
「ああ、なんだ。アヤメか」
ふと、視界が開けた。
暗かったのは単純に私が瞼を閉じたままだっただけだ。
こちらを覗きこむアヤメの顔が見える。
「お、おはよう? なにかあった?」
「良かった……無事だったか」
「イリスっ! 目を醒ましたの!?」
視界の右にルナちゃんの顔がひょっこり出てきた。
どうしたんだろう、なんだか慌ててるみたいだ。
「どうしたの? なんか慌ててるみたいだけど」
「ああ、いや……なんでもない。ちょっとな」
「さすがに無理があるよ」
私は妙に力の入らない身体をなんとか動かして、上半身を起こす。
豪勢な部屋に備え付けられた、柔らかいベッドの上に私は寝かされていた。
「って、なにこれ」
部屋の中には私と、アヤメとルナちゃん。
そして会話をしている彩花さんと夜風さん。それに見知らない人たちが四人。
四人とも青い甲冑を着込んでいて、デザインの凝った兜をつけている。
背中には白い翼のマークが描かれていて、天使みたいだ。
「気が付きましたか、イリスさん」
「夜風さん、なにがあったんですか? アヤメもルナちゃんも何も話してくれないんですけど」
「……そうですね、隠していても事実は変わりませんし、幸いなことに疵物にはされてはいませんから、率直にお伝えします」
夜風さんの真剣な表情と、アヤメとルナちゃんの複雑そうな俯き加減から不安は募るばかり。
でも、確かに何かが起こったらしい。それが他ならぬ自分のことなら、知らないでいいだなんて思えない。
それが、どれほど辛いことでも
「お願いします」
「では……あなたは、汚されかけました」
「汚され……えと、すいません、もうちょっと具体的に教えてもらえると」
「有り体に言えば、レイプですね」
「はー、レイプ……レイプ?」
はて、どこかで聞いたようなことのある単語のような。
えーっと、つまりあれだよね。男性が女性を強引に乱暴するという、アレだ。
「えっと、つまり、私は乱暴されそうになったわけですか」
「はい。現実ではなく、夢の中でのことですが……記憶にありませんか」
「無いわよ。悪夢は食べちゃったもの」
あれ? 聞いたことがあるけれど、今ここで聞くはずの無い声がする。
それがどうやら他の皆にも聞こえてるみたいだ。
「眠り子さん?」
いつからそこにいたのか、気付けばルナちゃんの隣に眠り子さんが立っていた。
持て余された長さと、それでも漆を塗ったように質の良さそうな黒髪。
不機嫌そうに見えるが、ただ眠たいだけの半目と、一切日にやけてないまっさらで綺麗な肌。
アヤメのような刺々しさとはまた違った、クールというよりはドライな印象を受ける美女。
「イリスさん、この方は?」
「無明眠り子さんです。夢の世界の住人で……」
「妹には刺激が強すると思ったから、男の夢ごと食ったわ。あとあなたの貞操はそこのアサシンがちゃんと護ってくれたから、安心してもいいわよ」
「あっ、はい。ありがとうございます」
なんだかよく分からないけど、眠り子さんが私のことを気遣ってくれたのは理解できた。
「礼なんて求めてないわよ。というか、妹が傷付くからもうちょっと気をつけなさい」
「ご、ごめんなさい……」
「その男のことで伺いたいのですが、こちらで身柄の確保は完了しています。出来れば情報を引き出したいのですが、どうやっても目覚めないのです」
「目覚めないわよ。もう、アレは」
たぶん夜風さんにはちんぷんかんぷんだろうけど、私にはどういう意味かが分かった。
その男の人は、夢と一緒に夢見る自分まで食べられてしまった。
「もう、男の人は目覚めないんですね?」
「その通りよ。見る夢を無くしたのだから、理想を失ったも同然。間も無くこの世界からも消えうせるでしょう」
「消える……」
なんだかかわいそうだ。
きっとその人にも、叶えたい理想があったのに。
「そうでなければ、あなたは今頃理想を叶えることもままならないほどに、悪夢みたいな現実に虫食まれたでしょうね」
「む、虫は苦手ですね」
「……仕方ありません。むしろお手数をおかけしたことをお詫び申し上げます」
「別に。降りかかる火の粉を払った、それだけのこと……ふわぁ」
眠り子さんは口に手を当てて大きく欠伸をする。
「私はもう寝る」
「また寝るんですか……」
「あなたも、あまり妹に心配をかけさせないで」
「す、すいません……」
じっとこちらを見るので、かなり怒っているのかと思ったら、不意に目を閉じる。
「……これからは気をつけるように」
「あっ、はい!」
やっぱり眠り子さんは、妹思いの優しい人だなぁ。
なんて思っている間に彼女は瞼を完全に閉じて、その姿は霞のように掻き消えた。
「確かに、無用心すぎたかな」
サバトに勝ったから、死線を掻い潜ったから、安心だと思っていた……。
でもそれは思い違いだった。
ここは理想を遂げるための世界、そのためなら他の理想を踏み台にすることも正しい場所。
「アヤメもありがとう。やっぱりアヤメは頼りになるね」
「私は別に何も。お前は眠っていたから分からないだろうが、防戦で手一杯だった」
「それじゃあ、あとでゆっくり聞かせてもらうね。今は……」
夜風さんの方を見ると、青い甲冑の人たちとなにか話している。
「何が起こってるのか知らなくちゃ」
私の理想は危ないところだった。
そして眠り子さんに手間を取らせて、アリスちゃんや皆にも心配をかけた。
それを自分にとって、あーよかった。で済ませていいこととは思えない。
もっと知る必要がある。
この世界のこと。この世界で起きること。今ここで起こっていることを。
予定通り、夜風さんと一緒に外食をして、そこで話を聞かせてもらうことになった。
夜風さんは見かけによらず、分厚いステーキ肉をきっちり平らげてフォークを置く。
「さて……本当に関わるつもりですか。巻き込んでしまってこんなことを言うのも難ですが、一般人のあなたが関わる必要は……」
「ここは恋愛の理想郷、ですよね。その理想郷の中で、女性を汚そうとする理想がある……なんとなく、不自然というか、おかしいと思います」
「仰るとおり」
恋愛を台無しにするような理想が混ざれる場所じゃないはずだ。
この理想郷の存在が、理想の大きさ、重さ、強さのはずだから。それに匹敵する理想でなければ。
でも、私を汚そうとした男の人は獏に食べられた。
私が助かったのは偶然だ。でも、私以外の人間はどうなる?
「放っておけないんです。きっとこの理想郷は誰かの幸せを願ったものなんだと思うから、だから」
夜風さんはコップに入った水を飲み干したかと思うと、もう一枚肉を注文した。
「パーヴァート、という言葉を聞いたことはありますか?」
「パーヴァート……確か、私と椿さんが襲われた、理想とは違う力を持つ人たち」
「そうです。性欲、性癖、性的嗜好。それは理想ではないものの、理想に近しい願望として存在する欲求、つまり妄想です」
妄想……パーヴァートは理想ではなく妄想を武器に戦える人たちってこと?
でも、この世界は理想が無いと消えてしまうはずだ。
「どうして理想じゃないのにこの世界に存在しているんですか?」
「このあたりは詳しくはありませんが、理想だったもの、を持っているなら大丈夫だという理屈だそうです」
「理想だったもの、ですか」
「ユートピアでは、理想の力を異能力に変換することが出来ました。パーヴァートは、自ら理想を妄想に変換して戦うもの、なのだそうです。私たちにはその自覚は出来ませんが」
理想の力を異能力に、理想を妄想に変換する。
どちらも元々理想だったもの。どちらも、現実を捻じ曲げる力だ。
「パーヴァートは妄想力を用いて、妄想を具現化、あるいは実体化させます。今回はその力であなたの夢の中に入り込んだのでしょう」
夢の中に入り込んだ……でも肉体は現実の世界に残ってたって話だよね。
なんでだろうと思っていると、いきなり心の中で眠り子さんの声が響く。
「妄想は夢として食べられるけど、現実の肉体は不純物だから吐き出させてもらったわ。魚の骨を残すのと同じ」
「なるほど……って、まだ起きてたんですか」
「もう寝るわよ」
「およそパーヴァートにできないことはありません。理想がすべてのこの世界で理想人の隙を突けるほどに。私たちのように人を害さず、節度を持って行動する者だけなら問題はありませんが……」
前回のこと、今回のこと。節度を持たない一部のパーヴァート……。
「私たちパーヴァート協会は、問題を起こす悪辣なるパーヴァート、<逸れ外道・アンダーアウト>の取り締まり、及びパーヴァートのイメージアップを目的とした組織なのです。そして、私がここにいるのもそのため」
「ここに、その、アンダーアウト? がいるってことですね」
「その通りです。この理想郷で被害が続出しているとの報告を受け、駆けつけたのは良いのですが……あまりに人手が足りない」
人手不足かぁ、大変だなぁ。
私も前世ではバイトとかしたことあるけど、やっぱり現場の人手不足は辛い。
でもパーヴァートとただのバイトを比べるのは無理があるかな。
「イリスさん、本当に力を貸していただけるというのであれば……」
「まさか、私がパーヴァートに……」
「いえ、それはさすがに。望まれるのであれば案内しますが、オススメはしませんね」
「じゃあせめて、何か手伝えることとか無いですか?」
すると、夜風さんは沈鬱そうに顔を伏せる。
「情け無い話なのですが、今のところ有効な対策がないのです。どうすればいいのか、現状は後手に回るほか無く……」
「そうなんですか。うーん……」
理想の世界、理想郷、理想の力と理想人……。
ヴァルハラは理想郷。誰かの理想が形になったもの。
この世界は理想がすべて。確かにパーヴァートは強いのかもしれないけど、対抗は出来る。
となると、この恋愛の理想郷で私がやれることといえば、たぶんひとつ。
「あの、ヴァルハラを創った人に会うっていうのは、無理ですか?」
「うーん……そうですね。協力していただける以上、顔合わせくらいはすべきでしたね。分かりました。明日にでもここの主と面会しましょう」
「は、はい、お願いしますっ。ちなみに、どんな人なんですか?」
「それはもう、ヴァルハラらしく戦乙女といった風貌の女主人ですね」
なるほど、ヴァルハラだしヴァルキリーがいても不思議じゃない。
ああそういえば、あの騎士四人の格好はヴァルキリーっぽかった気もする。
「一つ質問しても?」
デザートのアイスを食べ終えた彩花さん。
「もう安心して寝ても大丈夫なんでしょうか? それともまだ警戒したほうが?」
「出来れば警戒していただいたほうが。理想の力が通用しないわけではないので、自衛は簡単だと思います。逆に理想の力を正面から破るほど力なら、こちらで感知できます」
「なるほど、それなら少しは気が楽ですね」
「すみません、私たちがなんとかするべきことなのに……」
パーヴァートも大変なんだなぁ。
それにしても、どうしてパーヴァートはこんなことを。
あと、どうして恋愛の理想郷とまで呼ばれるこの場所でこんなことに?
食事を終えて、夜風さんと明日の待ち合わせ場所を決めて、私たちは宿屋に戻る。
「じゃあ、聞かせてアヤメ」
「別に、必要ないだろ」
素っ気無くアヤメは顔を背けた。
確かに私たちは記憶を共有できる。
でも、それは今回したくない。
「アヤメの口から聞かせて欲しい。アヤメの記憶を自分のものみたいに扱いたくない」
「……分かった」
私とアヤメはベッドに腰掛ける。
アヤメはこっちを向いてくれない。
しょうがないからこのまま見つめていよう。横顔も凛々しくて素敵だから問題ない。
「まず、なんともいえない不気味な気配が這い酔ってくるのを感じた。殺意ではなく、しかし害意に似ている蒸して、ぬめった雰囲気」
「うん」
「それはお構いなくお前の心に入ってきた。本当ならその時点で殺したかったんだが、目的が気になってな」
なるほど、目的を探るために様子を見たと。
「すると心の中のお前に手を伸ばしたから警告してやった」
「へぇ、なんて?」
「そいつに触れたら殺す」
「直球だぁ」
さて、ここからだ。
「不思議な力を使っていたが、まあお前の心の中だ。倒すのに苦労はしなかった」
「具体的には?」
「まず背後から足の腱を切断して……」
「あっ、もういいです。大体わかった」
あまりグロテスクな話は聞きたくないので、はしょってもらう。
「だが、お前の心の中にどこの誰とも知らん死体を転がすのも気が引けるので、お引取り願おうと思ったんだが……あろうことか夢の方に逃げ込まれた」
「あー、妄想のなかは大丈夫だけど、夢想のなかは入れないよね」
「それでさすがに焦ったんだが……そしたら奴の声が聞こえてきた」
「眠り子さんだね」
眠り子さんは夢の世界ですら滅多に起きないのに、タイミングが良かったのかな。
それとも変な気配を察して妹を護るために?
「とりあえず食っといた、起こすから外で待ってろ、と」
「そのあと私が目を醒ましたんだね」
「ああ……すまない。私の力だけで守りきれなかった」
「何言ってるの? アヤメは私の命を、理想を助けてくれたんだよ? 謝る事なんてないよ!」
確かにアヤメは夢の中に入れないけど、夢の世界の住人は私の中には入れない。
だからアヤメは私をちゃんと護れているんだけど……なんだかアヤメらしくない。
いつものアヤメなら、新しい敵の出現にうきうきわくわく、腕を鳴らすのに……私に不安を吐露するなんて、異常事態だ。
でも、言うべき言葉は変わらない。
「ありがとう、アヤメ。本当に私のことを考えてくれて」
「イリス、私は……私はっ……!」
「あなたは、私の心の友。私の心を理解してくれる。私の心を味方してくれる。心の防人……ちゃんと私を助けてくれたよ。だから、これからもずっと一緒に居て、私の心に寄り添ってね?」
「イリス……ああ、分かった。お前がそれを望むなら、それが私の願いだ」
アヤメは私の方を向いて、小さく微笑んでくれた。
「さて、お前が面倒ごとを背負ってしまったから明日は忙しくなる。さっさと寝てしまおう」
「えぇっ!? 別に私のせいじゃないよ!?」
「いいや、お前のせいだ。わざわざ首突っ込んで、世話の焼ける親友だな、まったく」
「むぅ……じゃあおやすみ、アヤメ」
「ああ、おやすみ」
そして私は、またふかふかのベッドに身を預けて眠りに落ちた。