メルヒェン37 凍原の地、恋焦れる理想。即ちヴァルハラ
船は中央の赤い塔に着いた。
中は吹き抜けになっていて、螺旋階段を下りていくと入国の受付があった。
「これより入国の審査を行います。簡単な身体検査なので、係員の指示に従ってください」
どうやら検査を受けないと入稿できないみたいだ。
アヤメは、たぶん必要ないよね。
「入国審査……だ、大丈夫かな」
「こういうのは分かっていても緊張しますよね、分かります」
「そう? 私はもう何度も検査されてるから慣れてるわ。ユートピアの実験体は検査が日課みたいなものだからね」
並んでいた列は徐々に進んで、ついに私の番になった。
「はい、次の方」
「あれ?」
どこかで、見たことがあるような気がした。
黒い髪、二又のポニーテールの乙女。
「何か?」
「あの、アルカディアでお会いしませんでしたか? そう、確か……」
どこかで、どこかであった。大分前だけど、夜に。
「私はイリスです。アルカディアの東区に住んでいて」
「アルカディアの東……ああ、思い出しました。山城椿と一緒にいた方ですね」
そうだ、あの夜だ。
椿さんと一緒に猫カフェに行った帰り道、パーヴァートに襲われて、その後に駆けつけてくれた人。
「えっと、黒の夜風さん?」
「どうも、パーヴァート協会の長<黒の夜風>です。よろしく」
夜風さんは握手を求めてきて、私はそれに応えた。
手は傷一つなく綺麗で、とても難しそうな機関の偉い人とは思えないくらいに触り心地が良かった。
「夜風さん、アルカディアの人じゃないんですか? どうしてここに?」
「パーヴァートというのは少し特殊なんです。仕事中なのであまりゆっくりお話は出来ませんが、機会があれば。詳しい話を聞きたいというのであれば今夜、合流しましょう」
「あ、はい。すいません、仕事の邪魔をしてしまって……それじゃあまた後で」
「待ち合わせはこの場所で。日が落ちた頃に来てもらえれば」
自分でも驚くくらいに、大して面識の無い人と後で会う約束をしてしまった。
「あ、もう検査は終わりました。行って貰って構いませんよ」
「えっ、もうですか?」
私と話している間も、夜風さんは忙しなく私の体を隅々まで観察したり、触れたり、周りをぐるぐる回ったりしていた。
でも機械とかは何も使ってなかったし、パーヴァートの能力なのかな。
「じゃあ、夜にまた来ますね」
「ええ、お待ちしています。次の方」
ルナちゃんも彩花さんも無事に検査を終えて通貨できた。
「あの人ちょっと手つきがやらしかった」
「そうですか?」
「そうでもない……と思うけど」
パーヴァートがどういうのかは分からないけど、まあ、携わっているものがものなだけに、そういう印象はなくもない。
あの人も見かけによらずそういう性癖の人なのかもしれない。
そして、私たちは塔の外に出る。円形の庭になっていて、正面に入り口が見える。
入り口の手前にはアーチがあって、<ようこそ恋愛館へ>と書いてある。
あれでヴァルハラって読むんだ……。
アーチを潜って、中に入ると、そこはもう別世界。
「わっ……」
西洋風のオシャレな床や壁、硝子の天井は日差しを良く取り込んで、建物の中に並ぶ店は暖かいオレンジ色の照明に照らされて、通りからの見た目を綺麗に彩っている。
服屋さんやレストラン、骨董品や日用雑貨を扱う店まである。
そして何よりも、人々の賑わいが街の素晴らしさを物語っている。
「綺麗……そういえば、外国にいくなんて初めてかも」
前世の頃は外国語なんて話せるようになる自信が無かったし、そもそも旅行が出来るようなお金は無かった。
「私も旅行は初めてだよ。前世の頃はその前に死んじゃったからね!」
「私はもう慣れたものです」
「じゃあ彩花さん……これからどうしましょう。ここって観光名所とかあるんですか?」
よくよく考えてみれば、理想郷は観光するための場所ではない。
理想のために観光が必要なときもあるだろうし、出来るだろうけれど、雑誌に特集が組まれていたりとかそういうのは、出来たてのこの場所にはない、はず。
「とりあえず、観光案内所とか探してみましょう。あるいはこの理想郷の主さんに直接聞いてみるとか」
案内所はすぐに見つかった。
当日なのにレストランや宿屋の予約をしてもらえた。
それと、観光スポットがあるらしいから色々と教えてもらった。あと地図も貰った。
観光スポットは恋愛関連の理想郷というだけあって、デートスポットみたいなところが多い。
美味しくてオシャレなレストラン、色々なファッションが楽しめるストリート。
映画館、ゲームセンター、水族館はないけど動物園ならある。あとやたらと多い球形が出来るホテル。
そして、数々の恋愛成就スポット。
小高い丘の上にある、恋愛成就の鐘。
告白すると幸福な未来が約束される桜の木。
紅葉の深まる時期に訪れると最愛の相手と再会できる神社。
結婚式をすると永遠の愛が実現する教会。
夕暮れ時に死に別れた相手と再会できるという坂道。
これでもまだほんの一部らしい。
いくらヴァルハラが広いといっても、そんなにごちゃごちゃしてて景観を損なわないのかと思うけれど、どうやらその心配はないみたい。
実はこのヴァルハラ、地下にいくつもの扉があって、それらは別の空間になっているらしい。
つまり、私たちがいるこの長方形の表面は、文字通りヴァルハラという国の表層でしかないというわけ。
それこそすべての階層を繋げれば、異世界一つ分に匹敵するとかしないとか。、
「これは、全部は回りきれないね……」
「むぅ、なら強いスポット順に王子様と巡るまでよ!」
「とりあえず恋愛スポットは明日にして、今日は表層で色々楽しみませんか? 主にショッピングとか」
「グルメとか?」
「えっと、えぇっと……理想とか!」
私はとにかくこの理想郷を作った人に会ってみたい。
今の私は甘いものやオシャレよりも、今はむしろ理想を求めている。
なんだか、ひたすらにメルヒェンを求めていたあの頃みたいだ。
それはまあともかくとして、私たちはヴァルハラを楽しむことにした。
アルカディアよりも綺麗で精巧な街道を歩く。
賑わう広場の露店でクレープを食べて、良さそうな服が飾られていれば立ち寄る。
「ほらほら王子様! この服かわいいよ!」
「あの、これサイズ合ってる? 脇からちらちら見えてる……」
黒、というか紫? のドレス。
なんとなく、男物の大きいシャツを着た少女のようなサイズ比に見える。
脇のところがかなり大きめに開いていて、やわらかそうなぷっくりがお目見えしていらっしゃる。
足のところもスリットが深めだし、ダメですこんなの破廉恥です!
「それがいいんじゃない。王子様がつい見ちゃうようなのがね?」
「で、でもほら、風ひいたら大変だし、他の人にも見られちゃうよ?」
「なら、王子様が……イリスが隠してくれればいいんじゃない?」
「は、はい?」
「ほらほら、はやくはやく」
くっ、これ見よがしにちらちらと。私の視線を釘付けにさせてくる。
あまつさえ……さ、触っていいだなんて、そんなお色気要素、ふ、不健全! メルヘンとして不健全です!
でもすっごくぷにぷにしてそう……ごくり。
「あまり人の友人を誑かしてくれるなよ」
「うっ、出たな真っ黒。私と王子様の大切な時間を邪魔しないで」
「やかましいロリビッチ」
「ろりびっち!?」
色々と危ないルナちゃんの相手はアヤメに任せて、彩花さんの方を見てみよう。
と思ってみれば、彩花さんはちょこんと立っていた。
「って、あれ? 彩花さんは試着とかしなくていいんですか?」
「私、ファッションとかよく分からないんですよね。花が綺麗なら、私が着飾る必要ないと思って」
「なるほど……でも、彩花さんもどうせなら可愛い服とか探してみませんか? 名前に花ってありますし」
「そうですね……こういうのとか?」
彩花さんが手に取ったのは、白地に青い花のワンピース。
柄はそこまで華美じゃないし、露出も多くない。
私もあんまりファッションとか得意じゃないから、どうこう口は出せないけど。
「じゃあ、ちょっと着てみますね」
数分後、試着室から彩花さんが出てきた。
「なっ……」
「えっと、どうでしょう? 似合ってますか?」
どう、と聞かれて、どう答えればいいか……。
なんだろう、彩花さん、結構大きいんですね。
「よ、よろしいんじゃないでしょうか。というか最高かと」
「本当ですか? 良かったぁ……」
生地が薄いのと腰にリボンが巻かれているせいか、体のラインがくっきり出ている。
おお、安堵と同時に胸が上下して……些細な動きだけで揺れているような錯覚が。
いや、もう本当に揺れているのかもしれない。
「でも、それはあんまり着ないほうがいいですね」
「えっ、どうしてですか?」
「その、ちょっと刺激が強すぎるので」
ルナちゃんの努力と工夫を見た後だと悲しくなってくる。
これからはもうちょっと優しくしてあげよう。
でも、あれはあれでいいものだと思う。
ショッピングは中断して小休止。次は喫茶店で甘いものを食べる。
木材とコーヒー、そして甘い香りのする店内。
ゆったりとした時間が過ごせる場所で、多くのカップルが訪れるという評判の店。
「こ、これがミラクルマジカルデラックスワンダフルパフェ……でっかい」
「ウルトラハイパーデンジャラスアイスジェラート……おおきい」
「絶対究極超越最終甘味ケーキ……多い」
ネーミングセンスが小学生の必殺技みたいだ。というか軒並みサイズが大きすぎる。
「でも美味しい! ほら王子様、あーん」
「え、いや、それはちょっと……」
「なんで? 皆やってるよ?」
ふと辺りを見回すと、ルナちゃんの言うとおり皆やっていた。もちろん女性同士でもだ。
というかこの街、恋愛の理想郷と言うだけあって、本当にカップルしか見かけない。
道を歩けば誰もが腕を組むか手を繋ぐか、どちらか一方は荷物持ち。
服屋に入れば誰もが惚気、カフェに入れば誰もがあーん、と相手の口にスイーツを運びあう。
そう、口から砂糖が出そうなほどに甘い空間しかないのだ。この国は。
「ところで今、私のあーんを受け容れるといいものが見れるよ。ほらほら」
「んっ……しょ、しょうがないなぁ。ルナちゃんはもう」
やばい顔がにやける。
むず痒い感覚に必死に耐えながら、身を乗り出してスプーンを差し出すルナちゃんを、雛鳥のように口を開けて待ち構える。
ぱくん。
「どう、美味しいでしょう?」
「んぐんぐ、確かに、これは絶品……んぐっ!?」
金色のスプーンにあった私の視線は、小悪魔的な微笑を浮かべる少女の、その襟の隙間、胸元の奥に持っていかれた。
そのブラックホールみたいな影の奥、目を凝らせば確かに見える、曝け出されてしまっている。
おお神よ、メルヒェンの女神よ。犯罪的ですよこれは。
くすくすと、蠱惑的な含み笑いが耳をくすぐる。
「どうしたの? もうおしまい? それとも、もーっと食べたいの?」
「は、はい、食べたい、です」
「ふふ、しょーがないなー。食いしん坊な王子様ったら」
そして、一旦ルナちゃんは元に戻る。
もう一度スプーンでパフェをすくって、再び身を乗り出して……。
「はい、あーん」
「あ、あーん……」
ぱくん。
「んっ……」
ダメだ。目が離せない。
服屋さんでわざわざ真っ赤なタンクトップを購入したのにはこんな策略があったなんて。
なんて計算高い……って、よくよく考えたらこの子つけてない!?
「イリスさんとルナちゃん、本当に仲良しなんですね」
「ふん、そうよ。あなたなんかよりよっぽど深いところで繋がった仲なんだから」
彩花さんの言葉に、ルナちゃんが鼻を鳴らして返す。
「お花屋さんの出る幕はないわ」
「ちょ、ちょっとルナちゃん、言いすぎだよ」
「まあまあ、独占欲というのは多かれ少なかれ、誰にでもあるものですから」
大人の余裕を前にして、ルナちゃんはぐぬぬっ、と苛立たしげに呻いている。
「それにしても、本当にカップルしかいないね。私たちここにいちゃいけない気すらしてくる……」
「それは考えすぎでしょ。観光の人もちらほら居たよ」
「でも一緒に船に乗ってた人も半分くらいカップルだったし……」
「それに、そこまでいうなら私と王子様でカップルだし、問題ないない!」
カップルではない……ないよ?
「お前の理想を否定する気は無いがな、狂想の月」
「むっ……出たな黒いの」
「だが、私の友人をこれ以上汚さないでくれ。私にとってはかけがえの無い親友なんだ」
「それは私にとっても同じ。大事な大事な王子様」
「ならイタズラに誑かしてくれるな。イリスの理想は全年齢に対応しなければならない。より多くと繋がるために」
し、心外ですよ! 私がそんな淫乱娘になるわけないじゃないですか!
「理想に縛られてどうするの? 自分が変わって、理想が変わることも怖れるの? 面倒くさい」
「まったく……こんなことならあの時イリスを行かせるんじゃなかった」
「それこそイリスの勝手でしょ。どこまで過保護なの」
アヤメとルナちゃんの視線が絡み合う。
いや、その激しさは取っ組み合いの域かも知れない。
「あ、あの、喧嘩は……」
「お前もだ私の親友。お前の優しさは大切な魅力だが、時には律するべきだ」
「理想を望む自分と理想が望む自分、王子様はどっちでいたいの?」
「そんなに難しい話なのですか?」
彩花さんが、するりと会話に入り込む。
私はどうすれば良いか分からなくて、言葉に耳を傾けるしかない。
「それは恋愛のようなものだと思います。恋焦がれた夢を理想と呼び、叶えるために愛を注ぐ。花を育てるのと似てますね」
「あっ、確かに!」
そうだよね。理想に難しい理屈なんて要らない。
ただそうしたい、そうでありたいと願って、祈って、だからこそ愛を注いで、恋を叶えるんだ。
「花は一日では咲きません。土の中に種を植え少しずつ、少しずつ育て上げていく。その積み重ね、育まれる過程を眺めるのも、楽しみの一つだと私は思いますよ」
「お、おお……そうですよね! とてもささやかで、小さくても、輝けるメルヒェンは尊いです!」
つまり、余計なことを考えないで、理想を叶えたいという心のままに、やりたいようにやればいいということ。
自分が変わろうと、理想が変わろうと、理想を叶えたいという気持ちさえあればいい。
きっとそれも、成長に違いないのだから。
とはいえ、やっぱり変わらない永遠にも焦がれる。
それは日々育つ花を眺めるのと同じくらい、目を離してはいけないものなのかもしれない。
「ところで、一旦ホテルに戻りませんか? 荷物も置きたいですし」
「そうですね。そうしましょう!」
彩花さんと一緒に立ち上がって、お会計を済ませにレジに向かう。
ふと、なぜか動かない二人に気付く。
「どうしたのアヤメ、ルナちゃん。まだ食べたいの?」
「いや……なんでもない。行こう」
「そうね……行こっか」
どうしたんだろう。いきなり静かに、というか息が合ってる?
それからは特にトラブルもなくホテルに辿り着いた。
「って、なにこれ城? 城かなこれ、ねえアヤメ」
「ホテルだ」
すごく大きい。窓の高さからして五階くらいまであるし、デザインもどことなく城っぽい。もしくは洋館。
というか、このヴァルハラは洋館型の理想郷で、この表層はその屋上らしい。
洋館の上に洋館がある……ヴァルハラすごすぎる。
そして、部屋もまたお姫様とかが過ごしそうな豪勢な造りだった。
照明はシャンデリア。長くて真白なカーテン。一人で使うには大きすぎるベッド。大きな暖炉まである。
浴室は私の記憶の中にあるやつより2、3倍くらい、いやもっと広いかもしれない。
「こんなの、こんなのって……富豪みたいだね」
「富豪みたいなものだろう。夢の侵略を防ぎ、森での大事を収め、サバトで優勝までして、得られた賞金は莫大に過ぎる。イリス、今の総資産いくらだと思う?」
「えっと……一千万くらい?」
「それくらいあれば北区の高級住宅街に屋敷を構えられるらしい。だが今のお前なら城が建てられる」
「ごめんねアヤメ。そういえばそういうの下手だったね」
アヤメは殺意の権化だから、基本的に口数が少ない。無言で唯殺す殺戮者。
普段から無言なクールキャラで、でも時たま見せる優しい表情と、数少ない言葉の端々から滲み出る気遣いが私の心を鷲掴みながら護ってくれる安心感。
でも、最近は心配性のお姉ちゃんみたいに口数が増え気味だ。
「ねえねえ王子様! いっぱい歩いて疲れたし汗もかいたし……一緒にお風呂、入らない?」
「お、お風呂、一緒ぉ!?」
「そうそう、二人で洗いっこしよう!」
「いやさすがにそれは……ダメでしょ。私の理想の姿はそんな年齢設定じゃないし……」
「そもそもこの世界に18禁の概念は存在しない! ほらさっさと来るの!」
私の貞操が壮絶なピンチを迎えている!?
あとついでに自制心も危ういですねぇ!
「それじゃあ私は読書していますから、ゆっくり暖まってきてください」
「えぇっ!? 一緒についてきてくれないんですか!? わ、私の貞操は誰が護ってくれるんですか!」
「落ち着けイリス、私がいる」
「いや、アヤメもアヤメで……」
いくら親友っていっても、今や非実在であって非実在じゃないし、アヤメはかっこいいから……。
「さすがに四人同時で入ったら窮屈ですから、私は後で大丈夫です。留守番は任せてください」
「ほら、花屋もああ言ってることだし、お風呂にれっつごー!」
「あぁ、ああぁ……」
三人仲良くお風呂だなんて……いよいよもって私の貞操もここまでのようですね。
名残惜しいですが、少しだけ大人な子供に近づこうと思います。