メルヒェン36 天空疾駆する魔動船
早朝、まだお日様が顔を半分も出してない頃。
梅雨前の突き刺すような冷気は、爽やかな涼風に姿を変えていた。
起きるのにそれほど苦労はしなかった。
「おはよう、私の王子様!」
「おはようルナちゃん」
相変わらずアヤメに捕獲されているルナちゃんと一緒に荷物を確認して、静かにアパートを出る。
そして待ち合わせの馬車駅に向かう。
真昼の灼熱が嘘みたいに涼しい。
旅立ちにはぴったりな、爽やかな朝だ。
馬車駅にはもう彩花さんが来ていた。
ベンチに座って、分厚い本を熱心に読んでいる。
「おはようございます、彩花さん」
「あ、おはようございます。いい天気ですね。絶好のお出かけ日和」
「それにしても早いんですね。私は昨日早めに寝たのでなんとかこの時間に起きれたんですけど」
「お花屋さんですから」
お花屋さんは大変だなぁ。私にはきっと出来ない。
いや、花が好きだから早起きが出来るのかもしれない。
それくらいの頑張りを発揮できるほどの好きがある。それはとっても素敵なことで、幸せなことだ。
「花屋さんのほうは大丈夫なんですか?」
「はい。お友達のドライアドとアルラウネに頼みましたから。接客は出来ませんが、花の管理は大丈夫でしょう」
「……そのまま仕事してれば良かっ、いたたた!」
小さな声で毒づくルナちゃんの頬をアヤメが抓る
「友達たくさんいるんですね。私ももっと頑張って交流しないと」
「そうですね。こんなに恵まれた世界ですし、もっとたくさんの素敵な者と触れ合って損はないでしょう」
バスみたいな大きさの馬車が到着して、私たち四人は乗り込む。
こんなに朝早いのに、意外と人が乗っている。
住宅街だった景色は、しばらくして平原に出る。
緑色の平原はそこまで広くなくて、アルカディアの外壁の内側に収まっている。
そして平原の東方には、船があった。
「あれが、魔動船……本当にあったんだ」
「正確には魔動式飛空船艇。色々種類がある飛空艇ですが、最近は専らクリスタルです」
「クリスタル……宝石?」
「超高濃度の魔石らしいですよ。非常に希少で、森の奥にある秘境に生えていたり、地中深くに埋まっていたりするみたいですよ。不思議ですね」
クリスタル……宝石を扱う私としては、とても興味が湧いてくる。
それは何色なんだろう。もしかしたら見つけられる場所によって色が違うかもしれない。
森の奥では深緑の、土の中では黄金か、それとも鉱物のように色とりどりに個性を放つのか。
そして私たちは船艇が並ぶ地帯で馬車を降りた。
しっかりとした空港の建物が平原にポンと置かれていて、そこで搭乗手続きを行う。
行ける場所は西方の理想郷ユートピア、海上に浮かぶ理想郷ネオアトランティス、そして北山の向こうヴァルハラ。
今回はヴァルハラ行きの船に乗る。
出発まではまだ時間があるみたいだから、それまで四人で探検することにした。
船内は旅客機のようで、たくさんの座席がずらりと並んでいて、円の形の窓がたくさんあった。
外観は本当に海賊船とかみたいな木造で、内装とのギャップも相まって違和感がすごい。
甲板から伸びる柱の尖端には浮上用、船体の下部と後部に推進のためのプロペラがある。
「うわぁ、メルへ……ファンタジーだなぁ」
「すっごーい! えっ、本当にこれ飛ぶの? 見た目完全に船なんだけど!? ユートピアと全然違う!」
ルナちゃんが私より大興奮して、元気に走り、跳び回っている。
私もあそこまで表には出さないけど、内心ではかなりうきうきしてる。
なんていうか、ロマンだよね。飛空挺。
でも、それとは別にこの船からは妙な魔法っぽいものが感じ取れるのが気になった。
それに、船体のところどころに深い傷があったりする。
「彩花さん、なんか傷が多くないですか? 魔法で船体が強化されているのは分かるんですけど」
だからこそ、こんなに傷が多いのが妙に思えた。
「飛空挺は戦争でも使われていましたからね。そのときの名残ですよ」
「戦争、ですか」
「異なる理想郷同士が争ったり、他者を巻き込む強大で大規模な理想に抗ったり、天災に立ち向かったりするために使っていたのを流用しているらしいですよ。戦時になったらまた戦艦として使うんでしょうね」
「へぇ、歴戦の船なんですね」
それにしても戦争か。もしこの先、戦争が起きたら私も参加しないといけないのかな。
前までなら、攻撃手段がないって言い訳で戦いから逃れることが出来た。
でも今の私は石魔法が使える。
戦闘に向いているとは言えないまでも、私の回復や強化の魔法がどんなものかは知れ渡ってる。
私は、戦争に参加しないといけないんだろうか。
「彩花さんは」
「はい?」
「戦争のとき、どうしてたんですか?」
薄まった月が浮かぶ青空の下、私はなんとなく聞いてみた。
彩花さんは戦争に参加したのだろうか。それとも逃げたのだろうか。
戦争で負けた相手はどうなるのだろうか。戦わずして逃げたらどうなるのだろうか。
否応なしに死んでしまうのか。非国民として蔑まれるのか。
「特には何も」
「えっ、何も?」
「はい。世間がどうあれ、私の理想は変わりませんし、力も変質しませんし。お花屋さんで花に水をやりながら、妖精と戯れながら、日々をつつがなく過ごしてました。自由参加ですし」
「そ、そうなんですか? 私はてっきり……」
「関係ないんですよ。何がどうあっても。したくもないことを無理にやっても意味はない。そして出来ることだって限られる」
それもそうだ。
私たちは理想人。理想に死んで、理想に生きる人間だ。
なら、すべきことは決まっている。
「自分の理想を貫くこと。自分の理想を護ること。それ以外に必要なことはないんです」
「そう、ですね。はい」
ふと、船のプロペラが回転し始めた。
そして出発のアナウンスが響く。
巨大な船がゆっくりと空へ浮かび上がったかと思えば、あっという間に天高く。
アルカディアを遥か下に置き去りに、船は青空の海を駆けて北上する。
「私、空を飛ぶ乗り物って実は乗ったこと無いんですよね……」
「うっは! 本当に飛んでる!? 船なのに! 船なのに空飛ぶとか!」
「ルナちゃんそろそろ落ち着こう?」
ゆったり流れる景色は、平原から山へと変わっていく。
道が無いとはいえ、距離的にはそんなに遠くはないのかもしれない。
なんて思っていると機内食が食べれるとアナウンスで聞いたので、食べることにした。
味は、まあまあだった。
いやいや、この世界に来てからは打ち上げだのお祝いだので贅沢なものを食べ過ぎて、舌が肥えちゃったのかも。
とはいえ不味くはなかった。無難な味だ。
でも初めての機内食はただの美味しさとはまた違った、特別な旨味があった。
「そろそろ甲板に出てみませんか? きっと涼しいですよ」
「あ、はい。ルナちゃんはどうする?」
「王子様と一緒ならどこまででも!」
ルナちゃんはブレないなぁ。
私たちは座席を離れて階段を上り、甲板に続く扉を開ける。
日の光が目に突き刺さるのと一緒に、清涼な風が身体をすり抜けた。
「うっ、まぶし! ……あっ、涼しい」
見上げれば、無間に拡がるは澄み渡る青空。
見渡せば、連なるは険しい山々。
雄大な自然の上を、空飛ぶ船が走る。すごいファンタジーな絵になってる。
「自然が豊かだなぁ」
「もしかしたら、まだ私も知らない花がたくさんあるかもしれませんね。旅でもしてみましょうか」
「ここを徒歩……私には無理だ……」
道どころか高低差の激しい山々を歩くなんて登山だ。インドアな私にはまず無理。
なんて思っていると、船の下から何かが姿を現した。
「わっ!? な、なんですかこの子!?」
それは、夢の世界で見かけたのと似ていて、体の色は灰色。夢で見たときのよりも流線型でスマートなフォルムで、顔も怖いというよりは凛々しくてかっこいい。どうやら腕が無いみたいだ。
そして、背中のところに誰か乗ってる。二人乗ってる。
「あれは竜騎士です。基本的に騎手と魔法使いがペアを組んでますね。戦争で空戦したり、こうして船の護衛をしてたりしますね」
「へぇ……」
手綱を引いているのは前に乗っている黒髪の男の人。
その後ろで男の人にしがみついているのは、白いローブを纏った水色の髪の乙女。
そういえばサバトにはあーいうタイプの魔法使いはいなかった気がする。
強いて言えばロック君が近かったような。
「やっほー!」
ルナちゃんの声に気付いたのか、水色の髪の魔法使いが微笑んでこっちに手を振ってくれた。
私も一応、返してみる。
「まあ、ここ最近は物騒なことも少ないですから、あんまり心配要らないと思うんですけどね。あ、見えてきましたよ」
船が進む方向、山と山の隙間の向こうに、建物みたいなものがチラッと見えた。
「あれが、ヴァルハラ……」
アルカディアは、城と市街が分厚い壁に囲まれた国だった。
ユートピアは三層の壁で区切られた円形の国らしい。
じゃあ、ヴァルハラはいったいどんな形の理想郷なんだろう。
広くて大きい、雪のように白い城のような四角形。
四隅と、中央に一つずつ赤い塔が建ち、柔らかい黄色の屋根にほぼ全体が覆われている。
所々に吹き抜けの場所があったり、透明な屋根があったり、入り組んだ迷路のような橋があったり。
アルカディアみたいなお城はなくて、まるで全体が大きな館みたいだ。
いや、外観は意外と頑強そうだから砦にも見えなくもない。城塞?
まるで城の中に街を作ったような、城と街が一体化しているみたいだった。
「どうも、観光ですか?」
「えっ!? あ、は、はい!」
いきなり声をかけられて驚いてしまった。さっきの竜騎士の二人が船に寄せてきていた。
すると、後ろに乗っていた水色の綺麗な髪の人は、軽やかに船に飛び移った。
「っと、ととっ? とぉっ……!?」
「あ、危ない!」
身軽そうだった水色の乙女は、呆気なく躓いてバランスを崩しかけていた。
危ないっ! と思うと同時に、アヤメが即座に姿を現してその身体に駆け寄って支える。
「ど、どうもすみません。あはは……」
「いいえ」
アヤメはすぐに消えてしまった。
それに驚くかと思いきや、水色の人は特にそんな様子も見せずにこっちに向き直った。
浮かべる笑みは、まるで柔らかな日差しを受けてきらきらと輝く湖畔みたいな印象だった。
「初めまして、旅の方々。私はセレナ・アクエリアス。タイプはウォーロック、スタイルは水の精霊使いです」
本当に魔法使いだった。
竜騎士。騎手と魔法使いのペア。アルカディアでは貴重な空戦要員。
つまり、この世界で戦争を体験した人、ということになる。
「初めまして、私はイリス。私も一応魔法使いです。タイプとかスタイルとかはよくわからないですけど……」
「花園彩花と申します。アルカディアの東でお花屋さんをしています」
「東区ですか? それはそれは……懐かしいですね。私も前はそこに住んでいたんですよ。今では、あの人の故郷で暮らしています」
その視線は飛竜に乗っている騎手に向けられている。
これはもしかして……。
「二人はカップルなのね?」
「うわ、ルナちゃん!?」
ストレートすぎるルナちゃんの問いにも、セレナさんは動揺一つしなかった。
「はい、竜人さんとは戦争のときに知り合って、それから色んなところを旅して回っています。今日は護衛の任務ついでに、新しく出来たヴァルハラを観光しようってことになって」
「なるほどー。それで、その竜人とはどこまで……」
「ストップ! ルナちゃんストーップ!」
「えーっ! もっとイチャコララブリンチョイエロリンな話聞きたいんだけど!」
ルナちゃんは恋愛に目が無い。引っ越してきて間もないころは、よく恋バナをさせられそうになった。
とはいえ、私に恋愛経験はないから話したくても話せないんだけど。
男の人は怖いし、女の人も別の意味で怖い。
恋愛なんて、妄想の中でだってしたことない。メルヒェンに恋はしてるけど、強いて言えば……。
ほんの少し、ちらりと彼女の影を思い出した。
いや、それよりも、聞きたいのは……。
「あの、教えて欲しいんです」
「はい、いいですよ。私に教えられることなら」
「セレナさんが見てきた理想を。この世界で起きた物語を、色々!」
戦う力は手に入れた。
でも、理想はあっても目的は無くて、だから知りたい。
たくさんの綺麗な物語。メルヘンチックなストーリーに憧れたい。
「教えて、くれますか?
「分かりました。でも、私もそこまで細かくは知らないので……」
「大丈夫です! お願いします!」
そして、色々な物語を聞いた。
空と自由を求め、相棒の飛竜を駆る青年がいた。
卵から育てた飛竜で、憧れの空を飛ぶ。
誰よりも速く、誰よりも巧みに、誰にも縛られない自由さを手にする。
自然を愛し、清らかな水精を慈しんだ少女がいた。
純粋なる想いは純水に等しく、清廉なる心には精霊が呼応する。
身を任せれば、低きに流れるだけの水に奇跡を、友情に神秘を宿らせる。
妄想と共に生きてきた少年がいた。
地の果てに夢幻、虹色の架空。妄りに乱れ、想い込める法理。
妄想顕現。追い求めた世界を創り上げ、創世を成し遂げる。
主人公になりたい、勇者でありたいと夢見た青年がいた。
誰かと誰かを紡ぎ合わせ、中心となって輝く。
紡がれた絆を輝かせ、率いれば、万難万障を防ぐ安全無欠。
この世で生まれ、傭兵の父に憧れる娘がいた。
戦場の恐ろしさを知り、恐怖を捻じ伏せる力を習い、屍を踏み越えて。
可憐だった少女は血と硝煙のドレスを纏い、鬼才の戦姫となる。
どこかで聞いたような理想。初めて聞いた理想。
「素敵……とっても、メルヘンチックで!」
「気に入ってもらえてよかったです。そろそろ到着みたいですね。名残惜しいですが、私はそろそろ行きます」
「あっ……はい」
残念だ。もっとたくさん話を聞きたかったのに。
セレナさんは船から身を乗り出し……。
「それじゃあお互い、素敵な理想が叶いますように。そして、良い旅を」
「え……うぇっ!?」
飛び降りた!? いや、いやいやそれはない!
と思って慌てて淵に駆け寄って見下ろすと、そこには飛竜が待機していた。
セレナさんは憎らしいほど穏やかな笑みを浮かべながらこっちに手を振っている。
「えぇ……」
飛竜は身を翻して、広い空を優雅に飛んでいく。
「イリス、はやくはやく!」
「イリスさん、私たちも行きましょう」
「あ、はい」
新しい理想郷。
きっとここには、セレナさんも知らない理想がある。
見たい、会いたい、触れ合いたい。
夏とは思えないほど風は涼しいのに、私の心と体は震えるほどに火照っていた。