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メルヒェン35 梅雨明けの、恋焦がれる季節

 サバトから一ヶ月。

 雨と曇りの多い陰鬱な時期を越えて、灼熱の太陽が照らす季節。

 どんよりとした湿気とジリジリとした熱気。


 ところでアルカディアはちょっと前に電気が通っているらしいけど普及はそんなにしてないみたい。

 部屋にはエアコンみたいな形の箱が備え付けられていて、それがクーラーの役割を担っている。

 魔道具らしいけど、仕組みは良く分からない。


 機械を使う人がその機械のことを理解しているわけではないのと同じく、魔法使いだからといって魔道具に詳しいわけではないのです。 


 そんな時期でもルナちゃんは飽きもせず、私の布団の中に潜り込もうとしてはアヤメに掴まっていた。


「というわけで、新しく出来た理想郷、ヴァルハラに行きたいの! イリスと一緒に!」


 猫のように襟を持ち上げられているルナちゃんは、反省の色もなくそう言ってきた。


 ルナちゃんはサバトの日からこのアパートに住むことになって、毎朝こっちの布団にもぐりこんではアヤメに見つかってつまみ出されている。

 

 今日はちょっとオマケがついたみたいだ。


「んー……」

「イリス、叩き起こされてまだ眠いだろう。大した理由でもなかったし、寝なおしていいぞ。こいつは私が追い払っておくからな」


 そして、アヤメはあれからやたらと優しくなった。

 いつも私を甘やかすまいとしていたのに、今では召使のように世話を焼いてくれる。

 まあ必要最低限の注意や小言は相変わらず言ってくれるけど。


「えー! 行こうよヴァルハラ! 恋愛の理想郷らしいよ! 私と王子様のハネムーンにピッタリだよ!?」

「結婚してないだろうが」


 アヤメは一切の容赦なく、窓から外に放り投げた。

 まあルナちゃん飛べるから大丈夫か。


「とはいえ……いつまでも引き篭もっていたら身体も鈍る。理想も鈍る。少しくらい出かけてもいいな」

「んー、彩花さんのところに遊びに行こうかな。夏の花とか教えてもらおう」

「そうだな。お前も私も夏の花なんて向日葵くらいしか知らない」


 私はアパートを出て、彩花さんの花屋へと向かう。






 外は蒸し器の中みたいな湿気と、オーブントースターみたいな日射で、私にとっては完璧なほどに地獄だった。

 朝だって言うのに、なんて暑さだろう。


「日差しが強いなぁ。蝉もすごい鳴いてる」


 東区は基本的に住宅街。一戸建てもあればアパートもある。庭には自然が多くて、日陰も多い。

 その分、蝉も多い。照りつける日差しの強さを音で表現しているみたいに、ジリジリミンミン。

 道の途中に影があれば、積極的にそこを辿っていく。


 それでも滝のように流れる汗、カラカラに乾く喉。朦朧として霞んでいく意識。

 そしてようやく、色とりどりの花が飾られる花屋さんが見えてきた。


 店からお客さんらしい人が出て来て、後を追うように桃色の髪の乙女が出てきた。


「毎度ありがとうございました。日差しに気をつけてお帰りくださいね」

「そうさせてもらうわ」


 白い黒い外套と魔女のトンガリ帽子を被ったお客さんを見送って、戻ろうと振り返ったときに目が合った。


「あれ、イリスさん……だ、大丈夫ですか?」

「あ、遊びに来ました」

「それはいいんですけど、石畳の上のミミズみたいに死にそうですよ。さあ、早く入ってください。お水持ってきますから」

「ありがとうございますです……」


 向日葵に囲まれた出入り口を抜けて、涼しい店内に案内される。

 中は本当に鮮やかな、色とりどりの花々が並んでいた。

 大きさも鉢植えから大型の観葉植物みたいなのまで様々で、本当に花屋さんなんだ。


 白い椅子に座るように促されて、テーブルの上に出されたコップに水が注がれる。

 枯れて死にそうだからか、花の彩りに魅了されたからか、ただの水さえきらきらと輝いて見える。


 命を育み、永らえる源である水。

 花にとっても人にとっても、必要不可欠だ。


 ということで遠慮なく、一気に水を飲み干した。


「ぷはぁ! はあ、生き返った!」

「それは何よりです。今度はちゃんと水分を持ち歩いてくださいね。まあお花とお水しかないところですが、ゆっくりしていってください」

「ありがとう彩花さん」


 店内には、特に客は見当たらなかった。

 花の蜜を吸いに来た蝶々と、妖精の類がひらひらと戯れてるくらい。

 あまり繁盛しているってわけでもないみたいだ。


 彩花さんは、カウンターの方で花を観察していた。


「その花はなんていうんですか?」

「これはいわゆる青い薔薇です。まだ試作段階なんですけどね」


 青い薔薇。というよりは紫色に見える。

 広い意味では青と呼ぶのかもしれないけど、イマイチ想像する青い薔薇とはちょっと異なる。


「青い薔薇は自然界には存在しないので、遺伝子組み換えとかで創るんです。これを私は魔法で創ろうと思って」

「それって、ホムンクルス的な?」

「花魔法で、花を創ろうと思ったんです」


 ホムンクルスは錬金術系だっけ。

 花魔法は確か、花に込められた意味、花言葉を具現化する魔法。

 その花魔法で、花を創る?


「青い花の中から、青い薔薇に近い意味を集めて、それをまた花にしてみようとしているんですけど……色が薄いというか、紫っぽくなってしまうんです。花屋的には許容範囲なんですけど」

「青い花……って、なにがありましたっけ」

「サバトの時にお見せしたプローディア。身近なものにアジサイ、リンドウ。イルカのデルフィニウム。結婚式にブルースター……」


 ああ、そういえば。あれも青かった。

 でも薔薇と言ったら赤だ。赤を青にするなんて、本当に出来るのかな。


「薔薇の花言葉は?」

「愛、美。熱烈な恋。あなたを愛しています、ロマンス……」

「うーん……じゃあ青い花の中で、愛や恋のメッセージがある花?」

「ブルースターは幸福な愛、プローディアは淡い恋、守護。これくらいなら掛け合わせてもいいんですけど、まだ色が薄く、不可能と呼ばれた青薔薇には程遠い」

「じゃあ、もっと多くの青い花が必要なんですね?」


 かと思いきや、彩花さんは溜息を零す。


「それがそうでもなくて……例えばアジサイは移り気の意味を持ちます。すると薔薇の意味とはズレて、青くはなっても薔薇にはならない。色と意味、両方を揃えてあげないといけないんです」

「なるほど……ところで、青い薔薇の花言葉は?」

「それが……不可能なんです」

「ふ、不可能?」

「そう、不可能」


 不可能……花言葉が不可能じゃ、不可能なのでは……。


「だから薔薇の花言葉に近い花言葉を持つ青色の花をこうして掛け合わせているんですけど、上手くいかないんです」

「青い薔薇、不可能……不可能を可能にするって、すごいメルヒェンの香りがするね、アヤメ」

「魔法らしいといえば、らしいことだが」

「むぅ、次は何を掛け合わせて見ましょうか……あ、ブルーレースフラワー。これは意味も色も最適かもですね」


 この世界では様々な理想があって、理想の叶え方もそれぞれ違う。

 料理漫画でもバトルするものとしないものがある。

 誰よりも美味しい料理を作れる料理人になりたいのか、大切な人の為に美味しい料理を作れるようになりたいのか、人を喜ばせたくて美味しいご飯を作りたいのか。


 ナンバーワンかとか、オンリーワンかとか。

 細かい違いだけれど、確かに別物の理想だ。


「ちなみにそのブルーなんとかってどういう意味があるんですか?」

「無言の愛、優雅な振る舞い。薔薇の印象にもよくマッチしていると思うんです」

「愛、恋……そういえば、新しい理想郷が出来たって聞いたんですけど」


 彩花さんは花の観察を中断して、大きく伸びをする。


「ああ、そういえばそうでした」

「確か、恋愛に関する理想郷だって」

「また先を越されてしまったみたいですね……そうだ。イリスさん、何か外せない予定が入っていたりしますか?」

「いえ、特には。基本的にその、暇人なので」


 ぱあっ、と表情が明るくなって、浮き足立つ子供のように立ち上がる。


「なら、一緒に見学しに行きませんか?」

「見学?」

「イリスさんもメルヒェンワールドって理想郷をいつか築く。なら、出来たてほやほやの理想郷は、きっといい参考になると思います。」

 

 なるほど、確かに。

 この世界ではいくつもの理想郷があるし、これからも増えたり減ったりする。

 私がメルヒェンワールドを創ったら、たぶんそれも理想郷にカウントされる。


 なら、理想郷を作った人は私の先輩……と呼べなくもない。

 とりあえず先人に倣うっていうのもいいかもしれない。


「あら、二人ともあそこに行くの?」

「えっ、今の声……」


 振り返ると、大きな観葉植物の上で大きく欠伸をする妖精がいた。

 確かサバトにいた。名前は……。


「なら、暖かくしていかないと。あそこは雪山に囲まれた、とても寒いところだから」

「寒い……夏でも?」

「夜はやっぱり冷えるもの」


 そう、ラストフェアリー・ロストファンタズム。

 オーロラのように揺蕩う色の羽。稲穂のような金色の髪。

 草木の新緑、森の深緑を込めたような翡翠の瞳。


 風と共に自由を謳って、葉の上で眠りにつく。

 子供みたいに無邪気、日の光に照らされた、秘境の泉の皆もみたいに、キラキラと輝く幻想の住人。

 そして、親しき隣人に置き去りにされた、ひとりぼっちの幻想。


「初めまして、メルヒェンの子。そこに私の居場所はあるかしら?」


 愛らしく微笑んで、目の前にまで近づいてくる。


「は、初めまして。えと……か、可愛いですね」

「ありがとうメルヒェンの子。私のことは好きに呼んでね。ファイリーでもいいし、あなたが別の名前をつけてくれるのでもいい」

「それってどういう……?」

「私は1にして全の幻想だから、名前なんて千個せんこ万個まんこあって然りなのよ」

「なるほど……じゃあ、ファンタズマでどうですか?」


 ファンタズマ。その意味は亡霊。

 最後ファイナル妖精フェアリー、失われた幻想は亡霊にも似ている。ような気がする。


「へぇ、キミはそう名付けるんだ」

「お、お気にさわりましたか……?」

「ううん、シャレが効いてていいんじゃないかな」


 見る者によって変化するその幻想の姿。何者にも囚われず、しかし何者かに依存しなければならない幻。

 幽霊の正体が枯れ尾花か否かは、信じるか信じないかの違いでしかない。


「くすっ、人間から見れば死んでいるも同然だからね。言い得て妙って言ったっけ?」

「ファンタズマちゃんはまたそういうこと言って……妖幻秘境、築けたなら、きっと招待してくださいね?」

「あはは、それはどうかしらね。そっちに遊びに行くことはあるかもしれないけど」

「それって、どんなところなんですか?」


 想い描く、自分の理想郷。

 現実から逃げ延び生き延び、自分の理想が形づくる、心の故郷、その理想像に興味が湧いた。


「簡単よ。自然豊かで、美しくて、俗世の一つもなくて。そして人間が存在することを許さない場所」

「あっ……な、なるほど」

「だったんだけど、今ではちょっと変わってるわ。貴方達みたいな人間なら、特別に招待してあげないこともない」


 それは、彩花さんと出会ったからだろうか。

 彩花さんはファンタズマちゃんを倒すのではなく、和解で決着をつけた。

 その結果だというのなら、彩花さんの理想は、きっと私よりもすごいものだ。


「秘境なら、花も魔法も必要だものね」


 はじめて見たときの、狂乱のような笑いは影もなく。

 妖精らしい無邪気な笑みを、彩花さんに向けていた。


 キリがいいから、私は一つの質問をすることにした。


「ところであの、神無月さんがどうなったのか、知ってたりしませんか?」

「神無月……イリスさんとの試合に訪れなかった人ですね。巫女の」


 あれから、いろいろな人に神無月さんの行方を聞いて回っているけれど、一向に情報が集まらなかった。

 真樹さんも悠魔さんも知らない。ピーター君も知らなかった。ロックさんとレオさんもだ。

 サバトの関係者も行方を知らないという。


「知っていたら、教えて欲しいんです」

「どうして?」

「え?」

「どうして気にするの? 赤の他人でしょう? 一度理想をぶつけあったとかならともかく」


 どうして、と言われても、なんとなく気になったとしか言い様がなかった。

 ただそれだけのはずなのに、無視できないほどに興味が湧いていた。


「分かりません。でも……なんだか、気になるんです」

「なら、きっとまたどこかで会えるでしょう。ここはそういう世界だから。生憎と私も詳しいことは知らないの」

「そう、ですか……」

「ただ、花見月を求めて無何有郷むかうきょうに行ったって噂を聞いたわ」

「むかう……? むかうのさとに、むかう……」


 はっ!? 無意識のうちになんて親父ギャグを。


「無何有の郷はここから西にある山脈を越えて、ユートピア平原から北方にある山林にあるよ。あなたたちが行こうとしているヴァルハラは、山脈より手前、アルカディア平原の北方にある雪山……とはいえ、今は夏だから雪も残ってないだろうけど、山は夏でも冷えるから」


 なるほど。じゃああらかじめ、アルカディアで防寒着を一式揃えておかないと。

 いや、妄想で作ってもいいんだけど、ボキャブラリーが貧相な私に防寒着のデザインはできない。


「えっと、それじゃあ彩花さん。何時出発しましょうか。私はいつでも大丈夫ですけど」

「そうですね……防寒着は明日、買いに行きましょう。出発は三日後でどうですか?」


 こうして、私はルナちゃんの誘いどおりにヴァルハラ観光することになった。


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