メルヒェン30 潰えた理想は誰のせい?
選手用の通用口を抜けて、ばったりと出くわした二人。
「あっ、真樹さん。ほら、イリスっすよ」
「あなたがイリスね? 随分面白い勝ち方し……」
「ごめんなさい!」
私は耐えられずに走り出す。
ついさっき見たような気がする魔女とすれ違う。
でも、今はそれどころじゃない。きっとあの人たちも私を……。
「ちょっとあなた、ちょっと聞きたいことが……」
「すみません!」
物騒な刀を持った巫女とすれ違う。
きっとあの人も私の戦い方に文句を言いに来たんだ。
いや、でもあの人の勝ち方も……私ほどひどくはない!
「アッ、ヒドイヒト! ザンコクナヒト! ワタシトイッショ? ニンゲンキライ?」
「許してくださいー!」
やっぱり責められる!
あんなひどい勝ち方をして、妖精さんにも愛想を付かされて、私はもう誰かと仲良くする資格なんてないんだ……!
「イリス落ち着け! お前は何も責められるようなことはしていない!」
アヤメはそう思ってくれるかもしれないけど、皆はそうじゃないかもしれないでしょ!?
私は、ただたくさんの素敵なものを集めて、素敵な人たちと仲良くできる世界を創ろうと、メルヒェンで通じ合える場所を創りたいって思っただけ……そう想っただけなのに。
これじゃ嫌われちゃう。
こんな酷いこと、アリスちゃんや眠り子さんを追い詰めた人たちと同じだ。
ルナちゃんに現実を押し付けた人たちと、これじゃ同じことだよ。
自分の理想のために、人の理想をあんなに貶めてしまうなんて思わなかった。
私のせいだ。私が理想なんて抱いたから。
「はっ、はっ……」
息が苦しい。慣れない全力疾走で呼吸が辛くて、締め付けられるような罪悪感。
もっと遠くへ逃げたいのに、足はもう力が入らないし、膝が笑ってる。
自分が今、どこを走っているのかも分からないくらい視界が朦朧としてる。
ああ、このまま。このまま死ねたらきっと……。
「……あ、れ?」
不意に、柔らかい感触に包まれた。
なんだろう。すごく落ち着く匂いがする。安心する香りがする。
どこかで嗅いだ記憶がある。確か、そう……。
「大丈夫ですか? イリスさん」
「はっ、ここは……花園さん、どうして……」
「コロシアムの入り口ですよ。舞台から急に走りだしていってしまったので、心配になって追いかけてきました」
「花園さん……う、うぅっ!」
分からない。分からないよ。
心の底から落ち着いているのに、とても気分が楽になったのに。
勝手に涙が溢れてとまらない。身体が震えて、泣き出したい衝動が抑えられない。
「ず、ずびばせ、わだじぃ……うわぁあん!」
「いいですよ、ええ……怖かったでしょう、辛かったでしょう。吐き出していいんですよ」
「ごめ、ごめんなさい! ごめんなさいぃ!」
「大丈夫ですよ、大丈夫。大丈夫ですからね」
どうか、どうか弱い今の私を許して欲しい。
痛いのも、辛いのも我慢できる。
理想のためなら、私が傷付くくらいなんともない。
でも、私が誰かを傷つけてしまうのは、とっても怖い。
私の犠牲になっていく人がいるなんて、考えたくない。
ひとしきり泣いて、泣き止んだイリスさんを連れて宿屋を取った。
北区のホテルは休憩だけでも値が張るけれど、傷心の友達を助けるためには些細な出費だ。
イリスさんは泣き疲れて、広いベッドでぐっすりと眠っている。
いや、それもあるけど、彼女はずっと戦っていたに違いない。
「お疲れ様でした、イリスさん」
ベッドの縁に座って、綺麗な茶色い髪の頭を撫でる。
見た感じ、戦いが得意というわけではなさそうだったし、戦うことが好きという風にも見えなかった。
この子は、ずっと自分が戦うことへの緊張と恐怖にずっと晒されていた。
試合が始まる前から、彼女はずっと戦い続けていた。
「そして、あなたが一緒だったから、彼女はここまで戦ってこれたんでしょうね。黒い人?」
イリスさんの近くに居ると、必ずうっすらとした気配を感じ取ることが出来た。
それは私と彼女だけのこのホテルの一室でさえも。
問いかけると、黒い影は姿を現してくれた。
背が高くて、髪も服も黒くて、腰のナイフと立ち姿から戦う力のある人なのだと分かる。
「……なぜ分かった」
「菖蒲の匂いがしたものですから」
「あなたが本来、イリスさんと一緒に戦っていたという人なんですね。なのに、どうして?」
アヤメさんはイリスさんに触れようとして、躊躇って手を引いた。
「私は間違えたみたいだ。ごめん、イリス……お前の優しさを、一番良く知っているはずの私が」
「今まで戦ってきたんですよね。誰かの理想を押しのけたりはしなかったんですか?」
「この子は……イリスはハッピーエンド以外を認めない頑固な子だ。その人が幸せになってほしいと一度思ったら是が非でもめでたしを目指す。破滅の理想を説得したくらいしか……」
なるほど、イリスさんは理想に優劣をつけたくないタイプ。だから相手の理想を挫くことに対して、過剰に反応してしまう。
そして、抱いている理想もきっとそういうものだった。
確か、メルヒェンワールドを創りたいって言っていた。
それはきっと争いの無い、素敵な世界に違いない。
自然に散りばめられた彩のように、青空と白雲、緑の大地。灰色の岩石や赤く滾る溶岩。
それぞれがそれぞれの彩色を放ち続けられる。
そこに優劣や勝敗なんて野暮なものはなくて、交流を楽しんで、人の夢を慈しむ。
「とっても優しい子なんですね」
「そうだ。そんな子を私は無理矢理戦わせた。親友失格だ……」
「そうでもないと思いますよ。親友だからそんなに悔やんでいるのでしょう? 友達のために自省が出来るなら、きっと大切な親友に相応しいと、私は思いますよ」
「……礼を言うのが遅れてすまなかった。イリスを助けてくれてありがとう」
「いえいえ、友達が困っていたら、助けるのが普通ですから。そういえば、まだ自己紹介してませんでしたね」
傍らに置いてあるバスケットには、色々なお花が入っている。
ちょうどぴったりのお花を取り出して渡す。
紫色の花、細身の剣みたいな葉。
友達想いのアヤメに、希望と友情の花を贈る。
「初めまして、私は花園彩花。東区で花屋さんを営んでいます。このアヤメはお近づきの印に」
「どうも。私はアヤメ。イリスの殺意を司る、イリスのイマジナリーフレンドだ」
「いまじなりー、ふれんど?」
「……空想の友人という意味だ。私はイリスに作られた、空想の存在、妄想の産物だ」
「妄想……その、失礼ですが、他にお友達とかは?」
なんとなく、私と似たような雰囲気を感じ取って、あの時に声をかけることが出来た。
基本的に接客でしか人と関われなかった私が、唯一親近感を覚えた子。
「軽い付き合いが出来る友人は何人か居たが、親友となると……この世界では通じ合える友人が出来た」
「そ、その、その中に私は入っているでしょうか?」
「もちろん」
「っ! それは、嬉しいですね。なにせ私も、友達と言えばお花くらいで……」
「なんだか知らないが、あんたも大変苦労してるようだな」
メルヒェンの理想……もしかしたらこの巡り合わせも、イリスちゃんの理想の力がもたらしたものなのかもしれない。
なんというか、とことん争いに向かない子なんだなぁ。
深い、深い夢の中。
誰もここまでは追ってこれない。
そしてこの暗闇、とっても落ち着く……。
ふと、声が反響する。
「げ、元気出してください、イリスさん」
「ちょっとアリス、夢の湿度が高すぎて寝つきが悪いのだけれど、何か知らない? ……って、何してるのあなたは」
「うっ、うぅっ……見て分からないんですか」
「いや……カタツムリのモノマネ?」
夢の世界だからこそ、荒唐無稽な自由がきく。
カタツムリのような貝殻を創って、カタツムリのように身を隠すことくらいは簡単に出来る。
私は城主。鉄壁の城塞である貝殻に潜み、紫陽花の森に身を隠す雨露のお姫様……。
「ちょっと、湿気が多くて寝心地が悪いの。どうにかならない?」
「お姉ちゃんはちょっとあっち行ってて!」
「あ、アリス。いつから反抗期に……ふ、ふぇ、ふぇえええん!!」
「あーもうお姉ちゃんまで泣いてどうするの!」
なんかてんやわんやだ。
でもどうか許してくださいアリスちゃん。私はしばらく不貞寝をします。起こさないでください。
「それは、私は別にいいんです。夢の住人が増えてくれれば私も退屈しないで済みます。お姉ちゃんはいっつも寝てるから。私の夢だけじゃそろそろ飽きてきちゃって……でも、今のイリスさんは変です!」
アリスちゃんの声が貝殻の中で反響している。
貝殻の中は割と快適。
ふかふかのお布団、睡眠を適温に保つエアコン。
小さな冷蔵庫は見た目によらず異次元大容量で、夢の中だから歯磨きしなくても虫歯にならない。
そんな安心な場所だから、そろそろ夢の中でさえ寝てしまいそう……。
「せっかく勝ったのに急に逃げ出しちゃうし、いったいどうしちゃったんですか? 戦ってるときのイリスさん、とってもかっこよかったのに」
「……え、ちょっと待って。見て、たの? というか私見られてたの?」
「えっ、はい。夢の中からでも現実の世界は見れますよ。イリスさんが戦うって聞いて、せっかくだから夢の中から応援してたんですよ」
「ひ、ひぃっ!」
な、なんということ……まさか見られていただなんて。
だ、ダメだ。私の安息の地がここ以外に……そうだ、もう妄想に逃げよう。私の、私本来の世界にいければ……。
「あの、どうしてそんなに怯えているんですか? よかったら聞かせてください」
「そんなの聞くまでもないわ、愛しい妹」
「お姉ちゃん、分かるの?」
「もちろん。この子はね、自分が勝ってしまったことに恐れを抱いているの」
じわりと、心の奥底を見透かされたような気がした。
隔てているはずの心の壁が、まるで無いかのようにするりとすり抜けられたような、心もとない感覚。
「んー……よくわかんないです」
「可愛いアリス。この世界はね、誰かが勝つということは、誰かが負けるということなの。誰かが負けるということは、その人は悲しい思いをするの。自分が勝ったということは、自分が誰かに悲しい思いをさせたということになるの」
「あっ、あーっ、なるほど……そっか、そういえば、そうですね」
「そして何より辛いのは、自分が誰かに悲しい思いをさせたのだから、自分が良い思いをするべきじゃないという行き過ぎた労わりなのよ」
心の中をすらすらと読み解かれていく。
そうだ。私は誰かを負かしてしまった。嫌な思いをさせてしまった。
だから私は幸せになってはいけない。私はあの瞬間、悪者になってしまったから。
悪者は退治されなければいけない。古の妖怪、遥かな魔王、酷い悪党は討たれなきゃいけない。
人を傷つけた私は、もう悪者だ。
人の理想を踏み躙った私は、きっと地獄に落ちてしまう。いや、落ちるべきなんだ。
「ねえイリス。あなたが望む在り方をする方法を教えてあげましょうか? 道端の石ころになればいいのよ」
「お、お姉ちゃん?」
「石ころほどちっぽけになれば、誰もあなたに気を留めないわ。自分の抱く理想も妄想も全部捨てて、物言わぬ、想い抱かぬ小石になればいい。素敵だと想わない?」
それは……それは私も考えたことがある。
むかし、友達とゲームをしてたら私のほうが上手くて、調子に乗っちゃったことがある。
そしたら友達は悔しくて泣き出して、私は悲しい気持ちになった。
ゲームだから勝ち負けは絶対につく。でも勝ったら相手が嫌な思いをして、自分も悲しくなる。
でも負けるのは嫌なので、じゃあ私はどうしたらいいんだろうって。
私が取るに足らない石ころだったら、私のせいで嫌な思いをする人なんていない。
でも石ころは何も想わない、何も考えない。
友達もいないし、笑わないし、泣かないし、お話も出来ない。
それがずーっと続くって考えると、死ぬほど怖かった。
というか、死んでるのと同じだと想った。
「やだ! 石ころこわい! 石ころやだ!」
「でしょうね。私も同じことを想ったわ。なんで私たちが石ころにならないといけないのよ……じゃあどうする?」
「……ここで引き篭もってる」
自分で答えて、自分で無理だと悟った。
じゃあ理想はどうするのか。アヤメはきっと待っている。
親友を一人ぼっちにして引き篭もっているなんて、それこそ悪いことだ。
「イリス、その優しさが私やアリスを救ってくれたことは感謝しているわ。でも、だからこそ、他の理想を押し退けてでも進まなければならない。あなたにはその責任がある」
責任なんて、どうして私にそんなものが……。
「だってそうでしょう。あなたに救われた者が二番目に望むのは、きっとあなたの理想が叶うことなのだから。そうよねアリス?」
「は、はい! 私もイリスさんの理想が叶ってほしいと思います! だって、大切な友達ですから!」
私の理想が叶うことが、望まれている?
こんな私が、こんな酷い私が理想を叶えていい?
「そうよ。あなたがどれだけ自分を責めようと、あなたが救ってきた者は嘘をつかない。このウォーターオパールに誓ってもいい」
「私の理想を、皆が……」
「それにね、この世界で負ける事なんて、むしろ良いことなのよ。挫かれても、潰えさえしなければね」
この世界、理想のない人は存在できない。
理想を失った人は、力と共に存在を失って、本当の意味で死んでしまう。
「負けることが悔しいなら、もっと力を求める。己を高め、技を研ぎ澄ますために、負けん気が心を炙るはず。それは停滞の果てに薄れて消える理想よりは遥かに、むしろ恵みと読んでも良いほどなのよ」
心が熱を取り戻して、理想が再び輝きを放つ。
それなら、敗北でさえ理想を次に進めるための糧になると。
「ああ、そんな。そういうことだったんだ。この世界は……」
「もう気付いた? なら、もうまどろみの時間は終わりよ。日は昇り、目覚めの時が訪れる」
かたつむりの貝殻は、ぱきりぱきりと音をひび割れる。
びゅうびゅうと吹く風が、湿った紫陽花の花びらを舞い上がらせる。
「怖れずに行きなさいイリス。あなたの理想が望むなら、交わるものすべてを救えるはずよ」
「うん……うん!」
貝殻は爆ぜるように砕け散った。夢の世界の夜が明けて、燃える朝焼けが見える。
清清しい朝。希望に満ちた日の光。私を不安にさせるものは、もう何もない。
気が付くと、私は目覚めていた。
朝焼けの景色は気が付けば天井に変わっていて、隣を見れば椅子に座ったまま眠っている花園さんがいた。
「目覚めたか、イリス」
「アヤメ」
柔らかなベッドは、いつもなら絶対に私を離さない。
けれども今は、羽のように軽い体で身を起こせた。
見ると、アヤメは見たこと無いくらい……叱られるのがわかっている犬のような表情だった。
「その、ごめん。イリス、お前のことを知ったかぶって、間違って……」
「ううん。ありがとうアヤメ。アヤメのおかげで、私は分かったよ」
「……イリス、どうして」
今日のアヤメはすぐに表情が変わって面白い。
えへへ、私もなんだか楽しくなってきた。
ベッドから下りて、アヤメの立っている窓際に向かう。
「この世界では、勝つことは酷いことじゃない。負けることも悪いことじゃないんだって」
「……ああ、そうだな。まったく良い友達を出会えたものだ」
窓を開くと、夢で見たのと同じ朝焼けが見えた。
夜の紺、紫の名残、白んでいく向こうには、きっと輝くお日様。
そして、頬を撫でる少し冷たい風。
「昨日まであんなに憂鬱だったのに、今は待ち遠しいくらい楽しみだよ」
「そうだな。私はそういうのを伝えたかったんだが……」
「アヤメはコミュ障だからね」
「むっ、お前だって……いや、今回は全面的に私が悪かった……です」
「もう、可愛いなぁアヤメは!」
ああ、楽しくてしょうがない。
私を応援してくれる優しい盟友と、私と一緒に戦ってくれる心強い親友。
私は今、とっても幸せなんだって実感を堪能していた。