メルヒェン29 永遠なる秘境、朧げな常夢の島
とうとう、私の番になっちゃった……。
いっそ逃げちゃおうって何度も考えたけど、意地悪なアヤメはそれを許してくれなかった。
そして私は今、これまでの人たちが立っていた場所と同じ場所に立っている。
舞台は観客席から見るよりずっ。
この場所で、いくつもの理想がぶつかりあった。
自分の理想を叶える為に、色々な、本当に色々な人たちがぶつかり合って、つながりあった。
そして私もその一人になる……そう考えると、ああ。
誰もが理想のために身を削り、理想のためには身すら削らずにはいられない。
湧き出る想いは三大欲求よりも強く昂ぶって、艱難辛苦も七転八倒も気付けにちょうどいいくらいに。
そんな人々を相手に、私は私の理想を貫いていかないといけない。
生半可な覚悟で理想は成し遂げられない。
ある人はそうやって悔し涙で床に落として、ある人は異なる理想と通じ合って友になった。
この地、この場所で、私も理想を叶えるというのなら……私だって。
「やぁ、調子はどうだい」
「あっ!? は、はい! 元気です!」
「それは良かった。せっかくの晴れ舞台、不調じゃあ勿体無い」
緑色の迷彩柄のパーカーを来た少年だった。
フードで顔を隠す、私より少し低い背の少年。
せっかく話しかけてくれたんだから、私も何か話さないと。えっと、何か、何か話題……。
そうだ。確かこの舞台に立った人は誰もが自分の理想を語っていた。
「え、っと。私の理想はメルヒェンワールドを創ることで、色んなメルヒェンの人と繋がって、お互いのメルヒェンを交わしあうことで……」
人に理想を説明するのが、思ったより難しい。
自分の言っている事は、ちゃんと私の思いを形に出来てるのか不安だ。
目の前の彼が私の理想を聞いて、どんな反応をするのかが少し怖い。
「メルヒェン……それは素敵だな。君もそういう夢を見れる子か」
「そういう、夢? えと、あなたの理想を聞いてもいいですか?」
「君と似たようものだよ。僕の理想はネバーランド。誰もが大人にならずに済む、子供のままでありたいと願った者たちの理想郷を創ること」
「ネバーランドって、ピーターパン……あっ、そっか」
そういえば、ネバーランドっていうのは子供だけの世界だったっけ。
いや、でもなんか海賊とかいた気がするけど……。
細かいところはともかく、私と同じ御伽噺や夢物語を愛する人なんだろう。
と、いうことは、私たちは友達になれるということ!
「その理想、ネバーランドについてもっと詳しく聞かせてくれませんか?」
「ああ、良いとも! そこには夢や魔法があって、妖精や人魚たちがいる。家の中でずっとゲームをしたり、外でかけっこやボール遊びをしたり、誰もが仲良く、毎日を楽しく過ごせる素敵な場所さ」
「わぁ……じゃあ憂鬱な日曜日の夕方や、陰鬱になる労働はそこにはないんですか?」
「全然ないよ。そんなのは物好きな大人がやればいいのさ」
ああ、なんて素敵な御伽の国。
この世界に来て、はじめて私と通じる理想に出会った気がする。
アリスちゃんは夢の世界でのんびり楽しく暮らすだけだけど、この少年は私と同じ、たくさんの人の夢を見たい、触れたいと思う欲張りさんだ。
「あの、もしお互いに理想が叶ったら、遊びに行ったりしてもいいですか!?」
「君が大人にならないなら、歓迎するよ」
「もちろんです!」
私も大人になるつもりはまったくない。
大人の女性と言うのも憧れないこともないけど、夢を見るなら少女や乙女のほうがいい。
「ああ、楽しみだなぁ。こんなところで素敵な理想に出会えるなんて……」
「あのー、そろそろ始めさせていただいてもよろしいですか、お二人さん?」
「あっ、す、すみません!」
つい理想の交流に熱中してしまった。
とはいえこの世界では素晴らしい理想を抱いているだけじゃダメだ。
その理想を護る為に強くないといけないし、その証明として目の前の理想に勝らないといけない。
想いの強さは理想そのものを護るために。
私はここでその一歩を踏み出す。
「それでは! 本日最後の試合です!」
敗北を感じさせないはつらつな声は、アイドルとしてのプロ根性だろうか。強いなぁ。
「今、最新で最高の活躍を見せる期待のメルヒェン魔法使い、<過剰回復魔>イリス!」
メルヘンチックヒーラー……悪くないかも。というかかっこいいかも。
「夢想と憎悪の狭間に揺れる大人嫌い。<風刃殺陣の魔法戦士>ピーター・ヴォーパル・ラピッドラビット!」
ちょ、名前長すぎない?
でも、なんだか素敵な響きだ。というかネバーランドっていうだけあってピーターだった。
「新人同士恨みっこ無し! レディ、ゴー!」
試合開始の合図。
その瞬間、心が空中に放り出されたような浮遊感に襲われる。
「テンパるなイリス! 作戦通りにやれば問題ない!」
「は、はい!」
私は両手を組んで、祈るように魔法をイメージする。
まずは物理防御を固めよう。
「大切なものを護ってくれる。キラキラ光る宝石箱、ピカピカ輝くおもちゃ箱。そんな私は箱入り娘……ジュエルボックス!」
私の周りを魔法の光がキラキラと纏う。
見た目に変化はないけれど、これで多少の攻撃なら傷つけられなくて済むようになった。
ふと、風の魔力が頬を撫でた。
気が付けば目の前にピーターが迫っていた。
右手に握る大きなサバイバルナイフが、鋭く私の首を舐めた。
「うっ……ふぅ」
「なっ……!?」
何かが喉を撫でる感触、違和感のようなものがあっただけで、痛みもないし出血もしていない。魔法はちゃんと成功しているみたいだ。
慌てて飛び退るピーターを見送って、私は次の魔法に集中する
「穢れ一つない白、侵されることを許さない黒、二つは一つで堅き不可侵の絆。<ディアズプロテクト>」
次は状態異常への防御魔法。
白と黒の光が私の周囲をクルクルと回って消失する。
次は万が一に傷を負ったときに回復できるように。
「命の源、湧き出す生気、精霊の癒しは永久に。<ニンフォース・リジェネ>」
夢の世界にいたときにアヤメに使った、常時回復の魔法。
こっちを先に使っても良かったかもしれないけど、相手の攻撃力が分からないならまずは防御力を上げるべきだってアヤメが。
これでとりあえず物理的には大丈夫。
「失われる命を拾う、定められた運命を覆す、妖精のいたずら。<起死回生のフェアリーテイル>」
即死攻撃を受けたら大変だから、復活魔法を付与しておこう。
よし、これで大丈夫。ひとまずは鉄壁。
「これで、いいんだよね?」
「ああ、上出来だ。これで勝ったも同然だろう」
「えっ、本当に?」
とりあえず、アヤメを信じて勝利のときを待つことにした。
「ど、どうぞ」
「なるほど、防御を固めてひとまずは安心ってところか。でも僕の魔法はそんなに甘くない!」
ピーターは地面を滑る様に、まるでスケートでもしているように滑らかに、スピーディに移動して……楽しそう。
よく見ると、その足元には風が渦巻いていた。
「防御をいくら固めても、攻撃が当たらなければ意味が無い。僕の風車空輪は生半可の魔法じゃ捉えられない。加えて加速の魔法を多重に付与すれば、雷だって追いつけない!」
自信満々で語る魔法に、私は驚かされた。
そうか、そういう戦い方もあるんだ。
確かに素早ければ攻撃は当たりにくい。
見せ付けるように素早く動いて、踊るように飛び跳ねる姿はさながら風の妖精みたいでかっこいい。
私は運動神経が全然鈍いから、たぶん真似は出来ないけど……。
「舞台の上を滑るように移動するのはまるでアイススケートのようだが、身のこなしはローラーブレードのようだ」
「前に戦闘に取り入れたいって言ってた事あったよね」
「ああ。バリエーションの一つとして加えてはあるが、あまり使う機会は無かったが。こんなところで同好の士にお目にかかれるとは」
「今からでも使い魔として参戦してもいいよ」
「ぐぬぬ……しかしイリスの訓練のためだ。ここは大人しくするさ」
くっ、なんとか闘争心に火をつけて引っ張り出そうと思ったのに。
それにしても、本当にこのままでいいのだろうか。
「攻撃はしてこないのか……なら僕の方からいかせてもらうよ!」
しないんじゃなくて、出来ないんだけどなぁ。
なにせ攻撃魔法なんて何一つ持ってないんだから。
と思っているうちに、私はいつの間にか何度も攻撃されていた。
いつの間に、とピーターの姿を探すと、目の前に突然現れて胸にナイフを一突きされた。
「んっ……!」
ちょっとくすぐったいけれど、痛くはない、大丈夫だった。
「か、堅い魔法だな。ただのナイフじゃ通らないか」
ピーターは一先ず距離を取った。
あまり近いと気まずいからそうしてくれると私も助かる。
「な、なかなかやるな……でも僕にはまだ奥の手がある」
「お、奥の手……まさか」
誰も彼もが超規模、超火力の大魔法をぶちまけた今日の試合。
火の粉一つ、水鉄砲一本の攻撃魔法が使えない私にはまったく縁のない大技。
あんなものをぶつけられた日には……きっと痛い。
ピーターは魔力を足元の靴に集中させる。
風の車輪が魔力を受けてものすごい回転音を響かせている。
右足と左足に風が渦巻き、二つの狭間に強烈な暴風が吹き荒れている。
「エターナル、インフィニット、アンリミテッド……無限に回れ、終わりなき輪舞!」
「と、跳んだぁ!?」
高く、高く跳躍する。
天高く跳躍し、両手を広げるその姿はさながら鼠から見たフクロウのよう。
「必殺! スーパーウルトラハイパーミラクル、アルティメットファンタスティック」
次の瞬間に稲妻迸る嵐の跳び蹴りで突っ込まれた。
「きゅぅ……!」
思わず目を閉じても、雷光が瞼を軽くすり抜ける。
鼓膜を破られそうなほどの音と震動が身体の芯から揺さぶってくる。
こ、恐い! こわいこわいこわい!
そして頭に鈍い痛み。
これは、この感覚は……学校の体育の時間、ドッジボールの剛速球が額に直撃したときの衝撃っ!
「うぐっ! ひぅ……」
な、なんて怖ろしい必殺技なの。もうダメだ。
きっと次に目覚めたときには医務室の白い天井が……。
「いいからさっさと状況を確認しろ」
「んぅっ……うえ?」
ちらっと薄目を開けると、医務室でも白い天井でもなく、何も変わらない舞台の上。
いや、変わってる。なんか、ひどい有様になってる。
「うわぁ」
「何を驚いているんだか」
周囲はいつものように砕け瓦礫と化して、隆起した地面が広がっていた。ただし、私の足元を除いて。
目の前には、フードが取れて愕然とした表情が露になっている金髪の美少年。
ああ、せっかくの端整な顔立ちは台無しになっちゃってる。
「ぼ、僕の必殺技を受けて、まだ立っているなんて……そんな馬鹿な!」
「えと、はい。あの……」
「イリス、余計なことは言うな。このまま魔法を維持させていろ」
アヤメのアドバイスに素直に従う。
じっと相手を見ながら、魔法を維持する。
「ぐっ、でもまだ僕は倒されていない! さあ来い! どんな攻撃も避けきってみせる!」
出来ない。私に攻撃手段はない。
だから黙って見ているしかない。
「どうした! 怖気づいたか! それともその防御魔法を解除しないと攻撃できないから、動けないんだな!?」
いつまでこうしていればいいんだろう。
時間が経つにつれて、恐怖と緊張も薄れていった。
だって向こうは全然攻撃してこないし、攻撃されてもあれくらいの痛みなら何とか我慢できる。
それに、そう連発できそうな技でもなかった。
「おい! やる気があるのか君は! 審判、これは試合放棄じゃないのか!?」
「えーっと、手元の情報によりますと、イリスは攻撃魔法を持っていないようです」
会場がざわめいて、ピーターは唖然としている。
というか、これ公開処刑じゃないですか? 私はこのまま辱められるんですか……。
「まあ、このままじゃ試合が進まないので。状況を見て判定し、勝敗を決めたいと思います」
判定によって、私とピーターの勝負が決まる。
これって、もしかして……。
「そういうことだ」
アヤメの答えに、私も唖然としてしまった。
判定を行うのは魔耶さん。
冷静な声が状況を読み解いて響く。
「まず、ピーターは魔法戦士であり、ありったけの攻撃を加えたものの、その防御を突破することは出来なかった」
ピーターは攻撃をした。私は破られなかった。
「一方、イリスは元々アヤメというパートナーと一緒に行動し、戦闘も二人で行っていたという情報があります。過程の話になりますが、もしこの場にアヤメが居れば優勢なのはイリスの方」
「なっ……」
「なので、この拮抗状態でどちらが勝利にふさわしいかと言えば、イリスに軍配が上がります」
「ちょ、ちょっと待て! おかしいでしょそんなの!」
「最後まで聞きなさい」
声を荒げては居ないのに、ぴしゃりと響く声にピーターは口をつぐんだ。
私も恐かったから防御魔法をちょっと強めた。
「ですが、ルールの上では1対1です。もしもの話で決着をつけては居た堪れない。そこで、勝敗の条件を先に魔力が尽きた方、とします」
おっと、これは雲行きが怪しくなってきたのでは?
アヤメさんちょっと、これ大丈夫? 本当に大丈夫!?
「魔力の尽きた魔法使いなんて、魔法使いから見れば赤子同然。なら、先に魔力が尽きた無防備な者こそ敗者と見るのが道理」
「そ、そんな……さっきの大技で、僕の魔力はかなり消費しているんですよ!?」
「でも、そんな一撃を遥かに軽減させた防御魔法を常時展開しているイリスの魔力消費も相当なはず。そうでなければ、何かしらのトリックがあったということ。そしてそれも実力のうちです」
確信した。私はこの試合、勝った。
私の魔力はまだまだ尽きそうにない。
というか、私の魔力はそういう仕組みじゃない。
「さあ、あとはピーター、あなたの攻撃次第です。存分に己の理想をぶつけなさい。この世界はなんであれ強い理想が勝る世界です」
「ぐ、ぐぅっ……」
そして、ピーターは負けを悟ってしまったらしかった。
あんなに悔しそうに葛藤しているのを見てしまうと、なんだかやるせない。
あの人にとっての理想は、きっと大切なもののはずなのに。
私のこんな戦い方のせいで、力不足を大勢の人々にさらしてしまう屈辱を考えると、寒気のあまり冷や汗が溢れてしまう。
「イリス、絶対に緩めるなよ」
「わ、分かってるよ。分かってる……」
でも、私も巻けるわけにはいかない。
私だって、この理想が誰かの理想に劣るなんて思わないし、そんなことにはさせない。
だから、私はこの魔法を、理想を緩めない。
「クソ、クソッ! どうして、なんでこんなことにッ……うわあああああ!!」
泣きそうな顔で、ピーターは叫んだ。
やるせない魔力を風の刃に変えて、悔しさを技に変えて。
風車の靴から放たれるカマイタチが私の体を刻もうと肌に触れても、一筋の跡も付かなかった。
風刃を生やした靴で鋭い蹴りが喉を、顔を、腕を、足を、背を撫でても。
そこには何も残らなくて、全てが徒労なのだと、お互いに分かってしまう。
「くそ、く、そ……ちくしょう、ちく、しょ、ぉ……」
最後の力を振り絞って放った蹴りの最中に、ピーターはバランスを崩した。
私は思わず魔法を解除して、手を伸ばす。
でも、手は届かずに、ピーターは地面に倒れて、それから起き上がらなかった。
私の手首は、私にしか見えないアヤメの手に掴まれていた。
「アヤメ……」
「偉いぞイリス。よくここまで我慢した」
実況は勝利者に私の名を読み上げた。
それでも私は嬉しくなくて、観客も嬉しく無さそうだった。
私は恐くなって、夢中で舞台から奔って逃げた。