メルヒェン3 はじめてのおともだち
軽くバトル回
たぶん私は、前世ですらこんなに必死になって走ったことは無いと思う。
そんなことはどうでもいい。人を、誰か呼ばなきゃ、山城さんを助けられる人を、強い人を。
肺が痛い、足が痛い、息が思うように出来ない。もっと急がないといけないのに、体は言うことを聞いてくれない。
「ひっ、がっ……」
ちがう。
私だ。私が無力なんだ。
なにも出来ず、何もしなかった私は、ただ無力なんだ。
「イリス、大丈夫か」
違う、そんな事を考えている場合じゃない! もっと、もっと……
「イリス? なぜ止まる」
「……違う、違うの」
足に力が入らなくて、その場に崩れ落ちる。
見上げれば、私を見下ろすアヤメ。
理想の私。私が憧れた、私の姿。
「こんなの、私じゃない」
「イリス……」
「こんなことのために、私は生まれ変わったわけじゃない!」
アヤメの服を掴んで叫ぶのは、どれもこれもが取るに足らない言い訳のようで。
何も出来ない自分が、あの頃と同じくらいに無力で、惨めで、哀れで、見苦しくて……安堵してしまった自分が嫌いで。
「私が望んだ私は、こんなんじゃないの。ねぇアヤメ、私どうしたら……」
「甘えるな」
ぴしゃりと叩きつけるように言われ、体が強張り、涙が溢れそうになる。
どうして助けてくれないの。
だって、しょうがないでしょう。私は弱いから、何も出来ないから……
それでいいって言ってよ。弱い私を、いつもみたいに赦してよ。
「この世界に転生し、この世界で戦い、この世界で叶える。それを選んだのは他ならぬお前自身だ。誰のせいにも出来ない」
分かってる。そんなこと言われなくても分かってる。
でもあんなの私に何とかできるわけないよ。まだこの世界に来たばかりだし、戦う力だって無い。
しょうがない、仕方ない。自分にはまだ早い。
「同じだな、あの頃と」
胸を深く抉るその言葉、心を締め上げる、その瞳。
でも、その嘲笑にも似た言葉は、私から恐怖を拭い取った。
それを言うのは赦さない。それを友人である貴方に言わせたくない。
私が信じたんだ。この理想は正しいって。
私が決めたんだ。この理想のために生きるって。
「馬鹿みたい、本当に」
「……私は、上手く殺せたか?」
「うん、ありがとう。もう大丈夫だよアヤメ」
溢れそうな涙を腕で拭って立ち上がる。
「行こう、アヤメ。貴方となら、きっと戦える気がする」
「世話の焼ける友人だな」
自然と笑みが零れる。今はもう、何も怖くない。
怯えを殺し、恐れを殺して、私は来た道を走って戻る。
もうとっくに限界を迎えているこの体に鞭を打って、私は椿さんのところへと戻ってきた。
暗がりのなかで街灯に照らされる一人の女性は三人の影に囲まれて、それでもなんとか持ちこたえていた。
「椿さん、後ろ!」
「イリ……っ!?」
椿さんは避け切れずに首を掴まれて持ち上げられる。
男の腕は大して太くもないのに、椿さんの体を軽々と扱っていた。
「椿さんを放して!」
椿さんを持ち上げる男に向かって、手を叩きつけ、拳をぶつける。
必死でやっているのに、まるで岩の様な頑丈さの体を相手に怯ませることも出来ない。
「この、このっ!」
「くひひ……可愛いおじょうちゃんだねぇ」
「イリスっ、どうして……!」
見下ろす男の視線が、私の体をいやらしく舐るように這っている。
その視線が私の体のどこに向けられているのかが分かる。まるで直に触れられているかのような、強烈な嫌悪感が走って、総毛立つ。
何よりも怖ろしいのは、気持ち悪いと感じているのに、どこかそれに物足りなさを感じてしまっていることだ。
それでも、私はそんな自分の弱さも殺す。
「私は、もう前みたいな臆病者じゃない! アヤメと一緒にメルヒェンを、理想を叶えるんだから!」
理想の自分に、空想の友人に恥じない行いをしなければ。もう部屋の隅で震えているような弱い私じゃない。私は、誰かを見殺しにするような私を殺すんだ。
「健気だなぁ。その健気さのご褒美に、これからたくさん可愛がってあげるからね。ぶひぃ!」
豚男の太い指が、強引に私の服を引き裂く。
すると影のような男は一瞬のうちに豚よりも怠惰な贅肉を纏う姿へと変貌していた。
「ぐふ、ぐふふ!」
この世界は理想が全てだと、誰もが言っていた。
その人の姿さえ、理想に準じたものだと。
なら、これほど見る者に不快感を与える豚男の理想がなんなのか、考えたくないのに想像してしまう。
「は、離してよ!」
そんな弱気さえも殺して、私は力の限り抗い続ける。
その腕が突然動かなくなった。
「ぐふっ、君の健気さに心を打たれちゃったよ。ご褒美に……君から可愛がってあげよう」
私の手はジトジトとした気持ち悪い感触に包まれていた。
脂ぎった豚男の手が、がっしりと私の手を握っていたのだ。
「は、離してっ!」
「おい、こっちはお前達で下準備しておけ」
投げ飛ばされる山城さんを二人の男が受け止める。
「あんな年増、化粧を落とせばゴミ以下だ。それに比べてこっちはピッチピチの美少女。ぐふふ!」
「っ……」
拒絶の言葉を口にしようとした瞬間、明らかに恐怖とは別種の何かが私の唇を塞いだ。
金縛りや麻痺ではない。もっと物理的に押さえつけられているような。
でも目には見えないし、異質で未体験の現象であるそれを、私は言い表すことが出来ない。
恐怖に声を上げることさえ許されない恐怖。
発散されない感情は、胸の奥で湧き続け、体全身に満ちて、とっくに破裂してもおかしくないほどに膨れ上がる。
「ああ、いいよその目。素晴らしい。その目が見たかった。正義感か使命感か、綺麗な君の顔が恐怖一色に染まり、涙をだらだらと垂れ流しながら見開くその目が見たかった!」
「……っ!」
「イリス!」
遠くから椿さんの声が聞こえる。
逃げておけばよかった……とは思っていない。不思議なことに。
私は前世の頃とは違う。それが分かっただけでも、甲斐はあったんだと思う。
でも、それでも、恐怖に塗れた今でさえも、私の中には殺意が渦巻いていた。
この男が穢そうとしているのは私だ。
私の体を、理想の私を、私の理想を、私の現実を、妄想を、空想と夢想を。
私のメルヒェンを穢そうとするこの男に、私は殺意を抱いた。
私の大事な理想を、こんな薄汚い男の汗一滴、汁の一滴でさえ穢させたくない。
殺す、殺す、殺してやる。絶対に。
こいつは殺す、必ず殺す。絶対にブチ殺す。
嗜虐の悦楽なんかメルヒェンには似合わないから、メルヒェンに似つかわしくない物を即座に殺傷し、排除する。
そう、私の理想の邪魔をする者は、速やかに殺し尽くす。
意思が、想いが、私の中にある何かを目覚めさせた。
「その望みのままに、我が友よ」
聞きなれた声が、夜闇にこだました。
「……えっ?」
私の心の声が誰かに伝わった? 封じられていた声が戻った?
そんな驚きは些細なことだった。
目の前に居るはずのない人の、その背に比べれば。
それはまさに、私が想い描いた夢物語のように綺麗で、美しくて、私の都合に良すぎるほどの……
「おま、えは……ごぼっ」
掠れた男の声は、喉から溢れる血によって遮られる。
その喉に突き刺さる漆黒のナイフ。音を立てて崩れる男を見下ろすのは、夜に紛れそうな黒衣に身を包んだ、私の友人。
「うそ……ほんとう、に?」
呟くと、友人は気付いてこちらを見る。
そしていつもの頼もしい姿で、凛々しい顔をほころばせる。
今起こっていることがありえないことだと、私自身が一番よく分かっているはずなのに。
「怪我はないか? イリス」
「アヤメ……あやめぇっ!」
気が付けば、私の体はアヤメに抱きついていた。
震える私を、アヤメは優しく、でも不安を圧殺するように力強く、抱き締めてくれた。
「アヤメ、本当にアヤメなんだよね!?」
「ああ、本当に私だ。自分でも信じられないが、これがお前の力ということになるのか?」
「知らないよ、分かんないよ! でも、本物だ。本物のアヤメだ!」
アヤメは溜息一つ、私の体を抱きとめてくれた。
そう、アヤメは強い。
私と同じくらいの少女なのに、男を軽く倒してしまうほどに強くて、いつでも冷静で言う事は容赦がなくて、でも本当は私に凄く優しくて、こうして私の甘えを抱きとめてくれる。
私の理想の親友。空想の友達。
「感動の対面は後にしろ。今はお前の友達を助けなければならない」
「えっ……あっ!」
私は山城さんの方を見る。
しかし山城さんは二人の男をちょうど気絶させたところだった。
「ご心配なく、こちらはもう終わりです」
「椿さん!」
私とアヤメは椿さんの元へと駆け寄る。
「だ、大丈夫なんですか?」
「それはこっちの台詞です。どうして戻ってきたんですか? 人を呼んでくるようにと言ったでしょう」
「……それは、その」
子供を叱るような口調に、私は俯いてしまう。
椿さんを確実に助けるためには、きっと誰かを呼んだほうがよかったのかもしれない。
私は私の目的のために、一か八かの賭けをしてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「……いいえ。ありがとうございます、助かりました」
「っ!」
感謝、された。
誰かを救って、感謝された。
そんなこと、前世ではありえなかった。
「そして、おめでとうございます。恐らく、それが貴女の理想の力なのでしょう」
「理想の、力……これが」
アヤメの方を見ると、その顔が不機嫌に曇る。
「これ呼ばわりはやめろ」
「あっ、ごめん」
自分が想像していないのに、アヤメは私と会話している。
何がどうなっているのか分からないけど、それでもアヤメが私を助けてくれたことがとにかく嬉しかった。
「えへへ。ねぇ、アヤメ」
「なんだ?」
「これからよろしくね!」
「……ああ」
アヤメの表情は妄想していたよりも豊かで、柔らかい。
「そういえばイリスさん。椿と呼んでくれる様になりましたね」
「えっ? あっ!」
椿さんはくすくすと笑う。私もなんだかおかしくて、笑った。
今までの緊張が嘘のようで、椿さんを身近に感じるようになった。
「私も、これからよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ!」
「残念な奴だが、私からもよろしく頼む」
アヤメの毒舌がちょっときつ過ぎるような……。
などと思っていると、街灯ではない、遥か眩い光が私達を照らした。
かと思えば、続けて激しい怒声を浴びせられる。
「全員動くな!」
片手にライトを持って勧告するのは、黒い髪を後ろで二股の尾みたいにした、ちょっと年上そうな女の人だ。
すかさずアヤメが私を護るように前に出て、ナイフを構える。
「つ、椿さん!?」
「やっと来ましたか……イリス、彼女は敵ではありません。この人たちを連行しに来たパーヴァートですよ」
ぱーぶぁ?
聞きなれない単語に、思わず首を傾げてしまう。
「まあ、詳しいことは後で。私は当事者として報告しますから、少し待っていてください」
「あ、はい」
椿さんがパーヴァートの人に説明すると、その人は素早い動きで倒れている三人を巧みな技術で捕縛した。
そして椿さんと何か会話している。
あんなことがあった後なのに、すごいなぁ椿さんは。
「それでは、こちらはこちらの話をするか」
「こちらの話?」
「私とお前の力のことだ」
すっかり忘れてた。
というか、今日だけで色々と起きすぎて理解が追いつかない。
そう思うと、ふと緊張の糸が切れて、石畳に尻餅をついてしまった。
「お、おい。しっかりしないか」
「ごめん……でも本当にどうしてアヤメが出てきたんだろう。妄想と違って触れるし、暖かいよ」
「こ、こら!」
手を握ると、アヤメは裏返った声を上げて、慌てて身を引いた。
「きゅ、急に手を握るな。びっくりするだろ……」
「え? ああ、うん、ごめんね」
うわ、アヤメ可愛い。
アヤメのこういうところ本当に好き。自分で作った設定だけど。
アヤメは咳払いをして、真剣な表情に戻った。
「さて、お前の理想がどういうものなのか、これで大体予想がついたな」
「えっ、本当に?」
私の友人は頭がいいなぁ、頼りにさせてもらおう。
なんて思っているのを見透かされているのか、アヤメはいつもの溜息を零した
「……メルヒェンというのは、お前が想い描いている世界の概念そのものだ」
「世界? 概念? ご、ごめん。もうちょっと分かりやすく」
「なら、お前が前世でやっていた行いを振り返ってみろ。どうやって私を生み出した?」
あんまり昔のことは思い出したくないんだけど……。
確かアヤメを生み出したのは凄く小さい時。
あの人から虐待を受けていた私は、自分の頭の中に逃げ込んでいた。
頭の中からあの人を追い出すために妄想していくうちに、頭の中であの人を殺してくれる存在を欲していた。
それは私の感情を体現したような影のような黒さで、圧倒的な強さで頭の中のあの人を殺してくれる。
求めたのは、私の味方をしてくれる、私を守ってくれる頼れる友達。
でもそれは、それだけではどこか空虚しくて、軽薄っぺらくて、雲を掴むような遠さを実感してしまう。
そこで私が妄想したのは、友達の物語だった。
彼女が一体どういう性格と容姿で、どんな経歴の人間なのか、ということだ。
そうして生まれたのが、アヤメというイマジナリーフレンドだった。
「アヤメはメルヒェンの世界の住人で、私を救うために私の妄想の中に住み始めた」
「という設定によって、私はお前の中に存在することが出来るようになった」
「せ、設定って言われるとかなり複雑な気分……」
設定という言葉が使われるたびに、私の妄想から作りものであることを強調されているような気分になる。
いや、実際作りものなんだけど。
妄想に生きる私にとって、妄想への信頼と現実味はとても大切なのであんまり意地悪なことを言わないでほしい。
「仕組みの説明には仕方のないことだ」
アヤメは容赦なく説明を続けた。
「私はお前の守護者として、また殺戮者として生を受けた。そしてお前の友人として過ごし、お前と妄想の中で物語を紡いだ」
私は妄想の中でアヤメと一緒にメルヒェンの世界を冒険した。
アヤメの刃とイリスの魔法、名コンビの二人はメルヒェンの世界で活躍し、現実の私を救うために戦い続けるという物語。
「そう、それだ。お前は妄想によって存在を創ることができる。そして妄想が存在を得るために必要なのが、心身と物語、そしてお前の意思だ」
「私の、意志……」
私があの時に抱いた意思は殺意。
アヤメが担う役割と同じ、殺傷と殺戮の意志。
「お前の強い意思が、理想の力を発現させるトリガーになっている、というのが私の推察だ」
「な、なるほど……」
「とにかく、この世界の誰もが言うとおり、理想を叶えようとする気持ちが大切なのだろう。それが力を生む。私だけでなく、他の妄想、私以外のイマジナリーフレンドを顕現するにはどうすればいいのか、もしくは新たに妄想の存在を創るなら、どういう設定にするか、日頃から考えておいた方がいい」
分かったような気がするけど、たぶん全部は分かっていない気もする。
とりあえず、すべては私の妄想と意思次第、ということでいいんだよね?
それなら大丈夫。もう私はあの頃の弱虫な私じゃない。それにアヤメもいるから一人じゃないし、現実の友達も作れた。
「アヤメ。私、頑張るね」
「ああ、一緒に頑張ろう。私だって早くお前と一緒にメルヒェンの世界に住みたいんだからな」
それはきっと幸福な時間だ。
青い空には常に虹の橋架かり、草花と虫と動物達が伸び伸びと暮らす。
偉大なる魔法使いと武芸者がペアを組んで、技術を競い合う世界。
悪い魔法使いがたくさんの魔物を生み出して、それを狩ることで生計を立てる人々。
凍て付く雪原や煮え滾る火山、奥深い密林や焼け付くような砂漠を冒険し、時に魔物の巣窟に足を踏み入れ、ついには悪い魔法使いを倒し、私とアヤメは人々から称えられ、夢の世界を治める。
そしていずれはメルヒェンの世界とは別の異世界への冒険へと繰り出す。
そう、そんなメルヒェンな妄想が私の武器になるというなら、いくらでも妄想しよう。
最初から、私に出来るのは妄想だけなのだから。
取調べが終わって、私たちは再び夜道を歩く。
「たった二日の間に理想の力に目覚めるなんて、とても優秀ですよ」
「えへへ、そうですかぁ?」
「イリス、調子に乗るな。こういうのは上を見ればいくらでも存在する」
浮かれる私に鋭く指摘するアヤメ。
しかしそれは意地悪ではなく、彼女の本心で、本気で私のことを心配してくれているからだって知っている。
アヤメは私の殺意だけど、確かに私とは別の存在で、友人なんだ。
「確かにアヤメさんの言うとおりでしょう。ですが、幸先が良いのは確かですから、これからどんどん経験を積んでいってください」
「そういえば椿さんってあんなに強かったんですね。もしかして私がいなくてもなんとかなったとか……」
椿さんはハリウッド映画みたいなアクションで、男二人を圧倒していた。
豚男は変な能力を使うらしいけど、二人は戦闘が出来るタイプの人達ではなかったみたい。
「こういう世界ですから、一応私も戦う技術は持っています。でも貴方が倒した男はちょっと特殊だったので、私の力ではまず無理でした」
そういえば、よく思い出せばそんな感じだった気がする。
後の二人は軽く倒していたけど、最初の一人にかなり苦戦しているように見えた。
「さっき言ってたパーヴァートっていうのですか?」
「ええ。最近そういう名の異能力者が増えてきました。私も職場の回覧板で見ただけで、詳しいことは分かりませんが」
パーヴァート。確か意味は……変質者?
「変態ですね」
「へっ!?」
「いえ、パーヴァートの意味です」
「あっ……」
は、恥ずかしいっ……。
違うんです。ちょっと男性より女性の方が気になるだけで、変態というほど特殊なわけでは。
「パーヴァートは性癖を根源、性欲を原動力としてこの世の法理と事象に直接干渉し、森羅万象を操る力を持っています。魔法と酷似していますが系統などの分類は無く、魔力は必要としません」
「ほ、ホウリ、ジショウ、シンラバンショウ……」
聞き慣れない単語の連続に、脳内での情報処理が追いついていない。
もうダメだ。今日だけで新しいことを頭に入れすぎている。
「彼らの持つ力は、理想の力にも対抗しうる奇妙な力です。ユートピアの人体改造でも、あのような力は再現が出来ないらしいのですが……」
「えと、えと……?」
「まあ、平たく言えば妄想で現実に干渉する力ですね。これほど直接的な力だと、理想の力でも抗うのが精一杯です。特に私の理想は戦闘向きではないので」
きっと、逃げるだけなら余裕だったはずだ。
それでも私を遠くに逃がすために、時間を稼ぐために交戦した。
私なんかのために……。
「それほどの相手ならば、私がアレを倒せたのは不意打ちだったからだな」
「うぅ、んん……」
自分の実力だと思いたいけど、アヤメの感覚は私も共有している。
そう、確かにあれは不意打ちだったし、殺すために洗練されたからこそだ。
鮮やかな技巧と鍛えられた膂力を見せ付ける闘争とは違う、純粋にただ相手の急所をえぐる、純粋に殺傷のための一撃。
殺意を叶える為だけの妄想。深い暗がりの想い。
死想のアヤメ。私の妄想の一つ。
それは純粋な強さとは言いづらい。人によっては卑怯と揶揄するだろう。
「相手を倒したイリスの実力もまた本物だ。自信を持て、イリス」
「アヤメ……」
「そうですね。この世界では理想の強い者が勝ちます。勝利した貴女の理想は、本物でしょう」
苦手なはずの暗い夜道は、しかし心強い二人の友達のおかげで輝いて見える。
友達と実際に会話するのがこんなにも楽しかったなんて。
「取調べに来た人もその、ぱーヴぁーと? なんですよね。若い人みたいでしたけど」
「彼女は最近設立されたパーヴァート協会の二代目会長、確か二つ名は<黒の夜風>」
黒の夜風って、かっこよすぎでは。
アヤメが心の中で「イメージカラーがダブっているな……」と深刻そうに言っているのがちょっと面白い。
「彼女は最近増え始めたパーヴァートを取り締まるために設立された機関、らしいです。実際、その活躍でアルカディア、ユートピアの両方で重い性犯罪が減っています」
「へぇ……同じ妄想で戦う人なら、もしかしたら友達になれるかもしれませんね」
「それは……どうでしょう。イリスさんは変態趣味を持っているんですか?
へ、変態趣味!? そ、そっか。パーヴァートって変態だもんね。
変態じゃないと意味ないよね。
「わ、私は……無い、無いです! そんな趣味無いです!」
「イリスはムッツリだからな」
「変な嘘言わないで!」
メルヘンに変態は必要ありません。
でも妄想を武器にしているのは、自分だけじゃないってことが分かったのは、収穫だったのかもしれない。
それからは何も物騒なことは起きず、無事アパートに到着。
シャワーを浴びて、ほとんど気絶したように眠った。
起きたのは、正午くらいだった。