メルヒェン21 自由への渇望
私を抱いた千早が空へと舞い上がって、魔窟の森を北上する。
さすがに何回も体験すれば、空を飛ぶのにも慣れてくる。
いや、私が自分で飛んでるわけじゃないけど。
「あんまり騒がなくなったわね。偉いわ」
「子ども扱いはやめて……ほ、ほしいです」
「ふふ、ごめんごめん。で、どうだった? アマゾネスの住処」
アマゾネスの住処。
刃一つで木々を開拓いて、刃一つで糧を狩る。
木を刈り、馬を駆り、獣を狩り、刃を操る。
アマゾネスは血の気が多くて、色々な武器を面白そうに使いこなして、楽しそうに武技を交える。
その姿は猛獣がじゃれあうようで、物騒だけど平和だった。
「はい、みんな活き活きとしてて、良い所だと思いました。美味しい料理も食べられましたし」
「それは良かったわね。まあ料理をしたのは男でしょうけど」
女尊男卑の社会だけど、時に反発して対等に立つ男性もいる。
家事をしている男性も幸せそうだったし、あそこもやっぱり理想郷の一つなんだなぁ。
「黒騎士がいたら絶対バトルになってたよね、あそこ」
「そ、そうだね。いいところだけど、インドア派な私にはちょっと合わないかな」
「人間は大変でしょうね。動物と違って外と中が隔たれているものね」
「えっと……?」
千早の言うことはちょっと難解だ。
私がコミュ障なのは元からだけど……。
「ほら、鳥は巣を作ればそこが家でしょ? 世界の全てが家みたいなものよ」
「私も羽毛があれば外が怖くなくなりますか?」
「ふふ、どうでしょうね。ルナは?」
ルナちゃんは自分で飛びながら、天狗に牽引してもらっている。
私よりは空で自由が利く子だ、羨ましい。
「私は王子様と一緒ならどこへだって行けるし、どこに居たって平気だよ?」
「そ、そう……まあ、そうでしょうね」
「そういえば、この森ってエルフとアマゾネスと天狗以外にも規模の大きい種族がいるんですね」
「あー、三大勢力だけ取り上げられるけど、居るにはいるのよ、ダークエルフとかケンタウロスとか、河童とか。でも大概は隠れて過ごしてる。アマゾネスが大っぴらに暴れて、天狗が張り合って、エルフが取り締まる。それだけのことよ」
なるほど、エルフは森の守護者として、アマゾネスを放置できないんだ。
天狗もプライドが高いからアマゾネスと張り合ってしまう。
「我が種族ながら安っぽいプライドよ。私もジャックスやレナみたいに、母体からは少し距離を置いてるわ」
「そういうのもあるんですね」
「人間は大変よね。社会から弾かれたらさぞ生き難いでしょう」
「あはは、それはまあ……」
社会から弾かれる、はみ出しものになる。それは致命的で、あまりに惨酷で、私も経験済みだ。
私は出来る限り合わせて生きてきたけど、だからこそ眠り子さんやルナちゃんには憧れる。
あんなにも抗って、あんなにも傷付いて。それでも諦めなかった。
「でもイリスはすごいよね。あんな世界で最期までずーっと想ってきたんだから」
「わ、私は……違うよ。私は弱かっただけだよ。逃げて、避けて、隠れて、こそこそしてただけだよ」
「私はそっちのほうが凄いと思うわ! だって、私には耐えられないもん」
「耐えられない?」
首を傾げると、ルナちゃんは苦笑して俯いた。
「最初は、きっと叶うものだって思えた。でもだんだん不安になっていくの。もしかしたら叶わないんじゃないか、届かないんじゃないか、って」
「不安……」
「不安と焦燥に心をジリジリと炙られて、怖くて苦しくて居ても立ってもいられない。少女の夢を抱きながら、少女でなくなる自分に絶望するの」
話を聞かされて、その感情が伝わってくる。
確かに、それは恐怖だ。逃げ出したいくらいにおぞましい。
でも逃げられない、逃げたくない。その夢を手放したら、自分が怖ろしいものに変わってしまう気がして。
「でも、イリスはその怖さに耐え切った。ずっと心の奥底に秘めて、愛で続けて、人生の時間を全部、それに費やした。人はそういうのを怠惰って馬鹿にするかもしれないけど、私は……」
「ありがとう、ルナちゃん」
そっか。私の生き方をそこまで褒めてくれるんだ。
でも、それは私だけの力じゃない。アヤメっていう友達が居たからだ。
空想の友人、アヤメ。間抜けな私の側に居てくれる、大切な親友のおかげ。
そんなアヤメが誇らしくて、自然と頬が緩んでしまう。
「そろそろレナのところに到着よ。誰かさんはエルフのテリトリー焼いちゃったらしいから、その人は気をつけて歩きなさいよ」
「森なら他にもたくさんあるのに」
「そういう問題じゃない」
ここからでも半円の焼け野原は見える。
その光景は狂想状態のルナちゃんがどれくらい強力なのかを物語っていて、二人がかりとはいえ自分がルナちゃんに勝てたのが奇跡としか思えない。
「うー……イリスー、魔法で森も治せたりしない?」
「えっ、どうだろう。やったこと無いから、なんとも」
出来そう、というか、たぶん出来ることは出来る。
でもそれは……。
「そういう問題じゃないのよ。森の守護者たるエルフが、守護するべき森を焼かれて、そのうえ半殺しにされたなんて、アマゾネスじゃなくてもプライドズタボロでしょ」
「だ、だよね……」
「むぅ、そんなの私に言われても……この世界で生きる以上、勝った負けたはあるものだし……」
まあ、理屈の上ではルナちゃんの言うとおりなんだけど。
千早もそこは分かっているから、何も言い返さない。というか千早も半殺しにされたうちの一人だった。
「で、でも理想を失わない限り死なないって話だし、生き残ったんだし、勝てなかったけど負けなかったって感じじゃないかな?」
「むむぅ……」
「ぐぬぅ……」
ちょっと空気がビリビリしてきた。どうかお鎮まりください。
両者、矛を収めてほしい。本当に。
ちょっと辛い空気の中、私たちはさっきと同じように着地した。
陽光が降り注ぐ、新緑の森。
木々に囲まれたひときわ大きな樹木の根元、リスやウサギや小鳥が戯れる中心。
白い肌と金色の髪の乙女は、無防備で美しい寝顔を見せていた。
動物に好かれるのは、レナの寝顔があまりに人畜無害感に溢れているからかな。
「相変わらず呑気ね。森の守護者とは思えないくらい……それじゃあ、私は行くから。夕方くらいにまた来るわ」
「あっ、はい。ありがとう千早」
ひらりと手を振って、千早は空高く舞い上がる。
さてと、お昼寝しているレナは起きる気配がない。
「どうかしたの? イリス」
「いや、近寄ったら動物逃げちゃいそうで……」
「でもこのままじゃ日が暮れちゃうよ」
「んっ……」
私達の声が届いたのか、レナが動き出した。
眠そうね目をこすると、集っていた動物が少し距離を取る。
「あら……? ああ、お二人とも、もう来られたんですね。ようこそエルフの森へ」
レナはそういうキャラだったんだ、悪くない。
小動物に好かれる雰囲気、おっとりとした性格、猫が常に弄りたがるゆたかなお胸。
なんだか森の精霊さんみたいで、メルヒェンな感じ!
「すいません、お昼の後にこの子達と待っていたらついうとうとしてしまって……なんでそこまで距離を?」
「あ、あの、動物が逃げそうで……」
「なるほど、大丈夫ですよ。お二人とも動物に優しそうですから。ほら」
「えっ?」
レナが私の方を指差すと同時に、上の方から鳥っぽい鳴き声がした。
「えっ、うえっ!? な、なにかいる? なんか、乗って、えぇっ?」
「落ち着いてください。言葉の通じない相手が急に驚くと、動物も驚いてしまいます。体から力を抜いて、深呼吸しましょう」
「は、はい。すぅ……」
「そうそう、その調子です。寝ちゃうくらいのリラックスが、動物と触れ合うコツですよ」
り、りらっくす。りらっくす……寝ちゃうくらいリラックスした結果、寝ちゃったのかな。
「くすっ……」
「そのまま手を伸ばしてみてください。真っ直ぐ前に」
「こ、こうですか」
すると、頭の方から小鳥が人差し指に乗っかった。
翡翠色の綺麗な小鳥。鳥ってこんなに軽いんだ。
「わわっ……すごい、鳥触ったの初めてです!」
「そうなんですか? この辺りの動物は警戒心がないので、一緒に遊びたい時はいつでも来てくださいね」
「はい!」
「イリスずるい! 私も私も……」
それは、ルナちゃんが一歩踏み出した時か、それとも声を発した時か。
指先の上に居た小鳥も、レナの周りにいた動物達も、全員が一斉に逃げ出してしまった。
「触らせ、て……」
「えっと……」
「動物は騒がしいの苦手なので……あと、まだちょっと血の匂いがするからかもしれませんね」
「むぅっ!」
むくれるルナちゃんを見て、思わず笑いがこみ上げる。
レナもくすりと笑った後に、立ち上がって左手で誘う。
「立ち話も難ですし、どうぞ私の家へ。お昼はもう食べましたか? 消化が良くなるお茶を出しましょう」
草木の匂いが爽やかな風に運ばれてくる。
そこに芳しい紅茶の香りが上乗せされて、気分がとても落ち着く。
「いい香りですね」
「ええ、知り合いのはぐれエルフから貰った特製の茶葉なんですよ。とりあえず、ペパーミント系は万能です」
小鳥の囀りと、木々のざわめき、風の駆ける音。
時間がとてもゆっくりに感じられて、たまに小さな妖精がひらりと小鳥と戯れているのが、窓の外に見える。
レナがケンタウロスから仕入れた牛乳で、煮込み式? の紅茶を作ってくれてる。
ルナちゃんはあまりにゆったりすぎてとっくに寝ちゃったみたいだ。
「この紅茶いらないのか? 貰うぞ」
「あっ、ルナちゃんの……」
アヤメが起床したみたいで、いきなり隣に現れて、ルナちゃんの紅茶を飲み干す。
「ふむ、確かに美味い。レナ、私の分も淹れてくれ」
「はーい、ちょっと待っててくださいねぇ」
唐突に現れたのにもかかわらず、レナはまったく動じていない。
これくらい肝が据わってなきゃ、動物は懐かないのかな。
「……あっ、そういえば、どうしてレナはこんなところで暮らしてるんですか?」
「んー、どうしてと言われると、やっぱり戦争を避けるため、でしょうか」
「戦争がイヤって人は多いの?」
この世界は、理想のためなら好き好んで戦う人ばっかりだと思ってたけど。
「世の中には、自然と戯れて、ゆっくりゆったり平穏に暮らしたいという理想を持ってる人もたくさんいますよ。そのための手段がそれぞれ異なるだけで」
戦う人と、隠れる人がいるってことかな。
確かに、私も別に戦いが好きってわけじゃない。
別にメルヒェンなら戦いはあってもなくてもいいって感じなんだよね。
「私はエルフですけど、能力は平均的ですし、理想も戦闘向きじゃないので、こうして隠居生活みたいな形に落ち着いているんですけど。出来るようになったのも最近なんですよ」
「それって、やっぱり安全無欠さんのおかげなんですか?」
「ええ。あの人がいなかったら、きっと私はこの世界には居なかったかもしれません。嫌々参加させられた縄張り争いで……いえ、もしかしたらユートピアに何もかも焼け野原にされていたかも」
安全無欠はユートピアに対抗するために皆で力を合わせようとアルカディア中を駆け回ったらしい。
あらゆる魔物、化物、怪物とさえも縁を繋げて。
そうやって、エルフやアマゾネスの争いは武芸を競い合ったり、アルカディアのコロシアムで開かれる大会に参加したりして、優劣を競い合う形式に落ち着いた。
「あの頃のエルフはメイヴ派とティターナ派に別れていました。メイヴは純粋なエルフと高等なハイエルフ以外は何もかも森の害と見做す過激派で、ティターナは全てのエルフと手を取り合おうとしていましたが、人間とはやはり距離を起きたがっていましたから。」
「なるほど……」
抱いている理想とは別に、自然を慈しむ人、戦乱を求める人、血統に意味を得る人、色々な人がいるんだなぁ。
「エルフの役割は、自然を守護すること。自然の調和を保ち、自然と共和することが役目です。血肉を食べない弱い生き物とともに、慎ましく、健やかに暮らせる環境を維持する。ダークエルフはアマゾネスと似てはいますが、肉食の動物と親和性があります」
「ハイエルフはいるんですか?」
「ハイエルフは基本的に女王メイヴが統治している夢の国に住んでます。アマゾネスと親和性が高いです。主にライバル的な意味で」
エルフだけで三種類もいるのすごい。
ハーフエルフは……人間と相性がいいんだろうなあ、きっと。
「じゃあレナは妖精や小動物と相性がいいんですね」
「イリスとも相性が合うといいんですけど……ふふ、どうでしょうね?」
年上に見えて、きっと遥かに年上なのだろうエルフのお姉さんは、子供のような無邪気さで微笑む。
さて、のどかで豊かな時間もそろそろ終わりが近づいてきた。
「もうすぐ千早が来る時間ですね。良ければティーバッグですけど、もっていってください」
「えっ、いいんですか?」
「ええ。それが切れて、気が向いたらまた遊びに来てくれると嬉しいです」
その微笑に、私は完全に呑まれてしまった。
友達の次のお誘いに、私は心を込めて頷いた。
「はい、また来ます! もう一度ここに」
「そう胃って頂けて嬉しいです……ああ、そういえばイリスは魔法使いでしたよね? 魔法で思念を飛ばして会話できるかもしれません。ちょっとやってみませんか?」
「魔法で、会話ですか?」
あー、そういえば魔法ってそういうこともできたっけ。
でも使ったことは無い。一応はアリスちゃんや眠り子さんと、あの宝石を介して会話することは出来るけど。
あの石は魔法半分、理想半分で作られたものだから、純粋に魔法で会話ってしたことなかった。
「わ、私は回復とかしか出来なくて、不器用なんで、うまくできるかどうか……」
「なるほど……でも、そう難しくは無いですよ。目を閉じて、会話したい人のことを思い浮かべて、心の中で話しかけるだけでいいんです」
「なるほど……ちょっと、やってみます」
ものは試しというし、私もいつまでも尻込みしてばかりの少女ではいたくないし……。
目を閉じて、会話したい人のことを思い浮かべる……。
でもただ普通に話しかけるのも面白くないかな。それじゃあ、もしもしの代わりに何か相応しい語りかけを。
レナ……聞こえますか、レナ。私は今、あなたの心に直接語りかけています……。
「ふふ、ちゃんと聞こえてますよ」
あうっ……
「どうかしました?」
「大方、なれないことをして恥ずかしくなったんだろう」
アヤメには筒抜けだった。
レナがくすくすと笑って、私は余計に恥ずかしくなった。
「人間用の街に来た時に、魔法で語りかけてくれれば、こちらから迎えに行きますね」
「ありがとうございます、です」
「イリスー、時間よー」
外から千早の声がした。
残念だけど、レナとはここでお別れだ。
「最後は千早ですね」
「はい。あっ、ルナちゃん起きて。ルナちゃん?」
「うーん……あー、おはよう王子様」
レナに見送られて、私たちはまた移動する。
日は落ちかけて、空は茜に染まる。
燃えるような夕焼けを背に、私たちは一際大きく高い山へと飛ぶ。
「どうだった? レナのところは」
「いいですね。私はこんな感じなので、落ち着ける場所は好きです」
「お気に召したみたいで何より。最後は私……と言いたいところだけど、私は辞退させてもらうわ」
「えっ……」
辞退って、どうして……。
わ、私が何か嫌われるようなことをしちゃったのかな……。
「私が言うのもなんだけど、天狗はアマゾネス以上に気難しいわ。やたらプライドは高いし、人間なんて見かけたらすぐにタチの悪い絡み方されるわ」
「そう、なんですか」
「だから、今日はこの辺りで……」
いや、ダメだ。ここで引いたらいつもと同じ。
攻めだ。攻めに転じるんだ。
「千早のお家は、ダメですか?」
「私の家!? うーん……別に面白いものなんて無いわよ?」
「大丈夫です。千早には色々してもらったし、もっと千早のことよく知りたいんです!」
渾身の思いを込めて、私は千早を説得する。
すると千早は一つ溜息をついた。
「そこまで言うなら」
「ありがとう千早!」
私の中のかすかな期待。
前世の頃には求めようにも、手に入れる術さえ知らなかった友人。
私の理想とはそこまで関係は無いけれど、一歩踏み出してみたいと、淡い期待が膨れ始めていた。
そして、私たちは千早の住処に辿り着いた。
「……ここよ」
「ここって……あのときの場所だ」
私が千早に一番最初に助けられた時に連れてこられた、滝の後ろに隠された洞窟。
「もしかして、ここが?」
「言ったでしょ、天狗はろくでもない種族よ。自分たちのプライドに背く奴は全員こうやって山送りよ」
「山送り……」
ギリリと奥歯を噛み締める千早。
天狗はプライドが極端に高くて、縄張り意識も仲間意識も強くて、一人に攻撃すると百人に反撃される。
神通力で風を操り、切り刻み、吹き飛ばし、渦を巻く。
妖術と幻術、人を化かして惑わす、自然の権化。
「つまり、仲間はずれにされたってこと?」
「る、ルナちゃん!」
「私から外れたのよ。天狗の威厳とかプライドとか、私にはすこぶるどうでもいいしね。私は私の好きなように生きるだけ」
それで、こんな暗いところで独りで暮らしてきたっていうの?
自分の好きなように生きるために、こんなところで。
「レナやジャックスとは?」
「エルフやアマゾネスと手を取り合ったら、それこそ殺されかねないわ」
「そんな……!」
「もう分かったでしょ? 私にはエルフのような愉しみも、ジャックスのように紹介する相棒もいない」
こんなことを見過ごしていいわけがない。
私は感情のままに千早の手を握った。
「ちょ、イリス?」
「千早、あなたの理想を聞かせてほしい」
「私の理想? それは……自由に生きることよ」
すると千早は私の手を握り返して、ふわりと空に上がる。
木々の隙間を抜けて、夜空の闇に落ちていく。
遅れたルナちゃんがようやく追いつく頃には、私と千早は満天の星空の中にいた。
「この空を自由に飛んで生きることよ。高く高く飛び上がって、誰にも縛られず生きること。煩わしいものを全部置き去りにして、見下ろして笑うこと、私の理想は、自由への渇望よ」
煩わしいものを全部置き去りに、自由に生きる。
ああ、なんて素敵な生き方。
夢見る私にとっては現実の全てが煩わしくて、夢の世界こそが本当の愛と自由の場所で。
だからこそ、その渇望がよく分かる。
「だから、本当にあなたが心配するようなことじゃないわ。いつか私は本物の自由を手に入れて、この空を飛んでみせるわ」
「そこまでよ!」
「わっ、わわっ!?」
背後からルナちゃんが、私の体をぬいぐるみみたいに抱きかかえる。
「る、ルナちゃんどうしたの!?」
「天狗、それ以上そういうことしたら仲間でも許さないから」
私の中のアヤメも、殺気を感知してる。
それは私に向けてではなくて、千早への。
肩越しにルナちゃんの横顔を見ると、涙の溜まった瞳でキッ、と千早を睨みつけていた。
色もやや赤くなっている。怒ってる?
「うぐっ……ルナちゃ、くるじい……」
「イリスは優しい。見かけた不幸は全部許さないお人好しだよ。そういうところに私も助けられたし、大好きだよ。でも私以上にロマンチックなことされたら困る。戦争よ戦争!」
「ぐるじ……た、たすけ……」
めっちゃお腹締まってるんですが、そろそろやばいんですが……。
「……ぷっ、夢見がちな乙女な少女が、いっちょまえに嫉妬だなんて」
「ぶち壊す……っ!」
「ぐえっ」
「アーもう分かったわ。今日はここまでにしといてあげる。あなただってここで問題起こしたら、イリスがただじゃすまないでしょ?」
あっ、なんか意識が朦朧としてきた。
アヤメはなんかすごい笑ってるし、緊張感がなさ過ぎる。
ああ、私の理想はこんなところで終わっちゃうの。
いや、だめだめイリス、この世界では諦めない限り理想は潰えな……。
「ところで、イリスがなんかぐったりしてるみたいなんだけど」
「えっ? ほんとだ。イリス? あれっ!? イリスぅ!?」
ふと目覚めると、私は宿屋のベッドに寝かされていた。っていうかいつも宿屋のベッドの上で目覚めてるな私。
隣を見ると、気まずそうな表情で正座してるルナちゃんがいた。
「あ、あの……」
「ルナちゃん……少しは加減を覚えようね」
「ご、ごめんなさい……だ、だって、イリスが千早ばっかり構うから、その……」
さすがにあれは辛かった。
内臓が全部口から出そうな勢いだった。
「明日で、お別れだし……王子様がいるって分かってても、やっぱり離れ離れは辛いもん」
「そう、だよね……だけどそれも含めて自制出来るようになるために、私たちはここで一旦別れるんだよ。これからは力加減が出来るように頑張ろうね?」
「うん……私、王子様のために頑張るね!」
たぶん、私が絡むようなことじゃなければ、さっきみたいな赤い目になるほど怒ったりはしない、とは思うんだけど、やっぱり不安だ……。
でも私がついてたら意味が無いし、ここは我が子を谷に突き落とす獅子の気持ちでいくしかない。
「もう夜だけど、これからはルナちゃんと二人きりだから……」
「おーいイリス! お別れ会を開こうと思うんだが、どこか食べに行かないかー」
……そ、そういえばまだ何も食べてなかった。
ルナちゃんが愛らしく頬を膨らませているけど、良くしてくれた仲間の誘いを断れるほど、私の肝は据わっていなかった。