メルヒェン18 空蒼月下ノ絶対★少女
あの瞬間から、私は永い眠りについた。
空想庭園、夜闇に身を投げて、夜空に手を伸ばして、届かなかったあの瞬間から。
この世界に落ちて、夢を忘れて充実した生活をしていた記憶が自分の中にある私。
悔しかった。どうしても許せなくて、私は私を憎んでいた。
この世界に辿り着いた私は、一体どっちなんだろう。
夢を求めたあの頃の私だろうか。それとも、現を活きたその頃の私だろうか。
どっちでもいい。どっちにしろ、私は夢に届かなかったし、夢に背いた。私は嘘吐きだ。
こんな私は理想を叶えるべきじゃない。
いや、いっそ悶え苦しみ、のた打ち回れば良い。
私なんて、無限の地獄を味わって、狂ってしまえばいいんだって思った。
でも、ただで狂ってなんかやらない。
私は苦しむべきだ。でもそれは現実だから。
私が憎むべき現実は、私以外にもあるんだから、全員地獄に引きずり込んで、道連れにしてやる。
そんな狂想の日々、苦痛と辛苦に、一筋の光を差し込んでくれたのが、イリスだ。
他者を圧倒する絶対的な力は無いのに、ひたすらに夢見がちな乙女で、理想を諦めていない。
あの子は私と比べて、普通だった。
ただ普通すぎてるから、狂ってるような気もする。
私と似た、私と違う夢を見る少女。
イリスは私の王子様になってくれた。私を迎えに来てくれた。そして目覚めのキスも。
そう、イリスは私の夢を叶えてくれたんだ。理想の恩人だ。
「なら、次は私の番だよね」
ふと夜空を見上げると、月が綺麗だった。
周りはアマゾネスの怒声やエルフの詠唱、機械の駆動音が響いているのに、夜空はこんなにも静かだ。
そうだなぁ、今度はイリスと夜空のデートとかしたいな。
綺麗な星空を眺めながら、甘い、蕩けるようなキスをして、それから、それから……それからは王子様にリードしてもらおう。
「皆、ご苦労様。もう下がっていいよ」
「お前……」
「死にたいなら別に下がらなくてもいいよ?」
そりゃ、散々殺されかけたんだもん。良い顔はされないよね。
分かってるよそんなの。でもここで巻き添え出しちゃったらイリスが悲しむし。
「いい顔するようになったな。期待してるぞ!」
「っ!?」
アマゾネスの言葉に、耳を疑った。
ああ、そうか。理想人って、そういう感じなんだ。
びっくりするくらいスムーズに、アマゾネスもエルフも退散していった。
残されたのは、私一人。後ろの方ではイリスが心配そうな目でこっちを見てる。
ニコっとスマイルサービスしてから、私は前を向く。
二足歩行のデカブツや、さっきまで亡者みたいに狂わされてた人形がこっちを見ている。
「狂った博士の楽しい玩具。壊れても終れない、狂しい玩具……ああ、それならちょうどいいわ」
不死身の化け物は夜によく似合ってる。狂想の私がそうだったように。
「さあ、一緒に踊ってあげるわ。私は空想を追い続け、虹色を描き、夜空を彩る……<空想月下・絶対★少女>」
ひらり、ふわりとステップを踏む。
私の理想と空想、その力の片鱗を見せてあげる。
その瞳は蒼月のように冷たくて、でも綺麗な青。
髪は流れ星を束ねたみたいに輝いていて、ふわりと夜空を明るく照らすの。
「行くわ、万条の閃光を束ねて、青白く落ちるは月光……<ムーンライト」
ちょうど真上に来た青白い月が、激しく瞬く。
幾つもの星たちが細い光を月へと放ち、すべてが収束する。
「サティスファクション>ッ!」
それは絶大な極光となって降り注ぐ。
私を満たす月明かりは、私にとっての希望の光。つまりイリス。
虹色の夢を束ねる、私の自慢の王子様。
そんなあなただからこそ、私はあなたの仲間になるわ。だから私の空想になって?
「これが、私の愛の力よ! <愛想表現・アイリスブラストっ!>」
青白い光のなかで、更に多彩な光の柱を落す。
月明かりの中にいる全てを、跡形もなく、塵の一つも残さないつもりで。
地面が抉れて、破片が更に砕け散っていく。
「アイ、ラブ、イリス! あはっ、あははっ! アハハハハハッ!!」
私の素敵な王子様。私に空の光と、夢の色をくれた大切な人。
愛さないわけ無いじゃない。愛したくなるに決まってるじゃない!
ここまで来たらとことん愛しちゃうんだから。いいところ見せちゃうんだから。
見て、もっと私を見て。空想にもっと釘付けになって!
「もうっ、最ッ高よねっ!」
それは、滅茶苦茶と言う言葉がよく似合う光景だった。
焼け野原とほとんど同じ範囲に降り注ぐ青白い光。
敵はジリジリと何かを削られて、身動きすら取れない状況で跪いているのに、ルナちゃんだけは宙に浮かんで満ち足りた様子で哄笑をあげて。
次の瞬間、虹が青白い月光の中でなお眩い、虹色の極光が雨のように降り注いだ。
まるで虹が極太のレーザーを一斉掃射したみたいな状態、地面が抉れて、ついでに私の名前を高々と叫ばれて、思いっきり求愛されてる。
なんであの子は私にそこまで入れ込んでるの?
虹色の雨は止んで、一点に集まった月光もパチンと弾けて、光の粒になって夜闇の中へ散り散りに消えていく。
そしてふわりと降りてくる、ルナちゃんの安らかな表情。
私は少女が降り立つ場所へと、迎えるために歩く。
ルナ・ロマンシアが迎えたハッピーエンドをお祝いしに行く。
「あっ、見ててくれた? ねぇ見ててくれた!?」
「うん、ちゃんと見てたよ。綺麗なハッピーエンドだったね」
「えへへ、そっか。王子様がそう言ってくれるなら。でも、まだちょっと物足りないかも」
「大丈夫だよ、もうルナちゃんは自由なんだから。これからもっとたくさんのハッピーが待ってるよ」
「そっかぁ……でも、今はちょっと……」
そっと降り立ったルナちゃんは、ふらりとよろけて、私は咄嗟に受け止める。
「ねむい……かも……」
「そうだね。ちょっと疲れちゃったね」
健やかに、安らかに、眠りは少女の夢を育む。
より強く、より煌びやかな光を放つ素敵な星の夢。
月下の夜、一人の少女は次の夢を見始める。
今はただ、次の歩みのために癒されて欲しい。
<ムーンライト・スリーピングフォレスト(眠れる森の月明かり)>
深く、優しく、安らかな眠りを。ルナちゃんには、今日からはぐっすり眠って欲しい。
惰眠は気持ちがいいから、アリスちゃんと一緒にだらだら寝転がりたいな。
さて、と。
「イリス」
「寝かせたのは良いけど、私じゃ宿屋まで運べなかった……」
「なるほど……仕方ないな」
どうしよう、このままルナちゃんの小さい体を堪能出来るのは嬉しいんだけど。
それだとルナちゃん寝苦しいだろうし。
「貸せイリス、私が運ぼう」
「う、うん」
ルナを引き渡すと、アヤメは軽々と少女の体を背負った。
「ちょっとあんた!」
夜の空から声が降り注ぐ。
ふわりと目の前に降り立ったのは千早さんだった。
「すごいじゃない! まさか本当に勝っちゃうなんて」
「えへへ……でも、ルナちゃんが本気になったら、私じゃとても……」
不死身の機械人形を完全に消し去ってしまったあの眩い力。流星みたいな極光の雨。
あんなのされたひとたまりも無い。全然勝てるイメージが湧かないよ。
「それじゃあ、野次馬に見つかる前に帰りましょ。騒がしいのは好きじゃないでしょ?」
「えっ、いいんですか?」
「何言ってんの、もう仲間なんだから余所余所しくするんじゃないの。ほら、手!」
そっぽを向きながら、年上の天狗はこちらに手を伸ばす。
「うん、千早。ありがとね!」
「と、当然でしょ! 仲間なんだからっ!」
千早は私とアヤメの手を取って、夜空へと舞い上がる。
「さすがに、三人はちょっと重いわね……」
「おーい、イリスー?」
「やば……飛ばすわよ、振り落とされないようにしっかり掴まっときなさい!」
森の奥から、灯と共に声が響く。
千早は黒い翼で強く空気を掴んで、夜の空を飛翔する。
「あっ! アイツ抜け駆けしてんぞ!」
「先を越されましたか……イリスー! 後で祝杯を上げるので、イリスもぜひ参加してくださいねー!」
小さくなる声と松明の灯。
夜の星はそれでも綺麗で、まるで底無しの海みたいだった。
キラキラと散りばめられた星。
白く輝く星、ゆらゆらと様々な色に変化する星、夜の頂で蒼い光を注ぐ丸の星。
「あっ、そうだ。ルナの石を決めなきゃ」
そう思った次の瞬間には、ルナちゃんに送る石は決まってしまった。
狂想……現実から責め立てられて、気が狂いそうなほどの辛苦を飲まされても挫けなかった強靭な心。
狂人と化しても、なお手放さなかった不屈の想い。
その瞳、紅の底に眠る黄金、その強さは金剛のように……。
「おっ、重いっ……!」
「が、頑張って! お願いだから落さないで!」
私は千早へ必死に魔法をかけて、なんとか宿屋まで送ってもらった。
明日になったら、彼女に私の宝石を渡そう。
私とルナの絆の証。アリスのボルダーオパール、眠り子のウォーターオパール、そしてルナの……。
夜の闇がにわかに薄れて、静かな明るみが大地を照らす頃、私は目を醒ました。
ふと隣を見やると、私を救ってくれた素敵な王子様がすやすやと寝息を立てていた。
繋いでくれている手を、彼女が起きないようにそっと引き抜くと、自分の手に何かが握られているのに気付いた。
暗くてよく見えない。
ちょうど夜明けだし、外に出てみようか。
無重力みたいにふわりとベッドから浮かんで、窓へと浮遊する。
上に押し上げる。外の冷たい空気が頬を撫でて、少し外に出るのが億劫になった。
それでもこの手にある物がなんなのか知りたい気持ちの方が強くて、思い切って外に出る。
屋根の上に腰を下ろして、改めて右手の中にある大きくて重いものに目を向ける。
「……宝石?」
それは深い夜闇にぽっかりと浮かぶ蒼月のような色の、艶やかな楕円形の石だった。
吸い込まれそうなほど深い蒼は静かな水底みたいで、蒼白い輝きは心の奥の闇さえ照らし払ってくれるみたいで。
心地よいはずなのに、なぜか涙が溢れてとまらない。
「ブルームーンストーン。イリスからの贈り物だ。泣き虫ロマンシア」
「……泣いてなんか無いもん」
背後から聞こえたのは、あの意地悪な黒い奴の声だ。
「なによ、何か用なの?」
「その石はイリスが魔法で創った石だ。お前との友情の証とも言っていた。自分が寝てしまったときに、親友のお前によろしく伝えて欲しいと」
「そう……ねぇ、あの子。イリスはどうして狂わなかったの?」
イリスは私の過去を見たって言ってた。
実は、私もイリスの過去が見えていた。
それはほとんど私と同じものを抱いていたけど、私とはまったく違う生き方で夢を信じていた。
「私は現実が憎くて憎くてたまらなかった。だから狂ったように噛み付いた。でも、イリスは違うよね」
「それは……私が勝手に話していいことじゃない」
「それは、そうね。ごめん」
イリスは私と同じ。私が空想で、イリスは妄想。
似たようなものを、同じくらい強く信じていた。
でもイリスは現実を押し付けられても、反抗しなかった。それが私には不思議でならない。
「アイツはお前のことを羨ましいと言っていた」
「……どういうこと?」
「臆病な自分にはない強さ。羨ましくて、輝かしくて、誇らしいと。現実にいながら、ロマンに生きたお前を尊敬してしまうと」
そっか。イリスにはそういう風に見えるんだ。
あんな悲劇を、英雄譚みたいに思ってくれるんだ。
「なんか、どうして負けたのか分かったよ。私はそこまで夢見がちじゃないもん」
「アイツは無自覚に貪欲だからな。それより、お前はこれからどうする」
「どうするって……どうしよっかな」
博士は私を廃棄したし、行くアテもない。
王子様に救ってもらったし、これから何をすればいいのかも、ちょっと思いつかない。
「わかんない。ゆっくり考えたいな」
「そうか。それならイリスは喜ぶだろう」
「んっ?」
「私にとってお前は仇だ。私から誘うわけにはいかないが。少なくともその宝石を受け取るならば、アイツを悲しませるようなことは許さない」
「……ああ、恋敵ね」
「殺すぞ」
あはは、背中にすごい殺気が突き刺さってくるよ。
でもまあ、歓迎してくれるっていうなら、甘えちゃおうかな。
「考えてみたら、せっかく念願の王子様と出会えたんだから、もっとイチャイチャしなくちゃだよねー?」
私の挑発に、黒いのは答えなかった。
むしろ口より先に手が出そうって感じだ。
「それにしても、本当に綺麗だね」
「当然だ。お前に渡す宝石を何にするか、一晩中悩んでいたんだからな。数少ない、この世界で三人目のメル友への贈り物だ」
「メル友?」
「メルヒェン友達」
私の王子様、ネーミングセンスがちょっとあれかもしれない。私も人のことは言えないかもだけど。
それにしても、相手に合わせてデザインも変えるなんて、丹精凝らしすぎでしょ。愛が深すぎる。
「えへぇ……」
ヤバイ、顔がにやける。幸せすぎて心ごと融解けちゃう。
いわばエンゲージリング的なあれだよね。しかもブルームーンストーンってチョイスも好き。
でも不思議。私のことをあんなに恐れていた時もあったのに。
「くれるとしたら、やたら硬いダイヤモンドとか、真っ赤なルビーが来そうな気がするのに」
「さてな。レインボーとはかなり迷っていたようだが……それは本人に聞けばいい」
「あれ? どっか行くの?」
「私は寝る。後はイリスの直接聞け」
黒いのは身軽に飛び跳ねて窓から戻っていっちゃった。
そっかぁ、親友の証かぁ。
ブルームーンストーン。蒼月の贈り物……。
ああ、もう幸せすぎて死にそう。
でも、せっかくイリスに救ってもらったこの命、そんなあっけなく無くすわけにもいかないから。
そうだ、お返しをしよう。これがイリスにとっての私への憧れだっていうなら、私は私の想いを形にしよう。
「やっぱり同じ石がいいかな……私にとって、イリスは……」
孤独な月に寄り添ってくれる、宵から明けまで導いてくれる明星。
月に負けない強い輝きで、私に夢の光を注いでくれる。
そう、それは決して曇らない。深い夜に瞬く星の光。
「……あれ? なんか、暖かい?」
ふと見ると、胸の辺りから青白い光が瞬いていた。
暖かい光に手を当てると、丸い何かの感触がして、思わず手にとって見てみる。
「これって、宝石?」
紺色の夜と、強かな星の輝きを押し込めたような青い石。
キラキラと輝く星みたいな、白の模様が一つだけあった。
私は宝石のことはちょっと分からないけど、イリスなら分かるのかな。
「それにしても、すごいきれい……イリスにあげたら喜ぶかも!」
気付けば、夜もすっかり逃げ去った。
今は空の中で一番強い星が燦々と世界を照らし出す。
「ああ、きっと喜んでくれるわ。楽しみね。本当に楽しみ!」
私を救ってくれた素敵な王子様。そんなイリスから貰った最高の宝石、親友の証にお返しを。
私にとって、本当の意味で最初の朝に相応しい。素敵に無敵な贈り物をあなたに。
「ありがとう、イリス……ふふ、これからよろしくね」
宿屋に着いた時は気絶しそうなほど眠くて、ほとんど気絶に近く眠りに落ちたけど、夢の中では未だに興奮が冷めやらなかった。
「……ってことがあってね、もうすごい大変だったの。でもメル友になれたし、ルナちゃんに会えて本当に良かった」
「なるほど……ってことは、私とイリスさんが出会えたのも、そのルナちゃんのおかげなんですね」
「そうだね。世の中どこで繋がってるか分からないなぁ。ところで眠り子さんは?」
「お姉ちゃんはまた眠ってます。三食より睡眠が好きなので……」
夢の世界でもなかったら、確かにダメ人間扱いされそう。
「まあ私も寝るの好きだから分かるよ。よくアヤメにたたき起こされる」
私が苦笑しながら言うと、アリスちゃんはくすくすと笑ってくれた。
ルナちゃんとも、きっとこうやって楽しくお喋りできるに違いない。
今度はルナちゃんも一緒に、夢の中で三人でお茶会をしよう。
眠り子さんは……たぶん寝てるだろうなぁ。
「あっ、アヤメさんが呼んでるみたいですよ」
「そっか。じゃあ私はそろそろお暇するね」
「はい、また来てくださいね。今度はルナちゃんも一緒に」
「うん。ルナちゃんも一緒にね。おやすみ、アリスちゃん」
私は静かに目を閉じる。
静かに一つ、穏やかに深呼吸をすると、意識はまどろみの水底に沈んでいく。
怒りも悲しみも、すべてが解けて蕩けだす。
新しい朝を迎えるために、穏やかな眠りはこびり付いた負の感情を泥のように剥がして落す。
そして悪夢は、素敵な獏のお腹に収まる。
「また派手に酷使したわね、イリス。お人好しも程ほどにしないと擦り切れてしまうわよ?」
「えへへ、すいません、つい……」
「別に良いわよ。食べ応えがあるってことで納得するから。まぁ、せいぜい懸命に夢を見続けなさい。私みたいに不貞寝してたらあっという間に置いてかれるから。目を離さないようにね」
「分かりました、眠り子さん」
真っ暗なノンレム睡眠の海底を抜けて、私はいよいよ目を醒ます。