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メルヒェン15 王子様との約束

 あるところに、ひとりの少女がいました。

 少女はおとぎ話がだいすきで、外でもあそぶげんきな子でした。




 小さな頃、私は王子様と約束した。ずっと夢を見続ける約束を。

 この世界に生きる全ての人間が主人公で、私もまたその一人なら、夢のある物語シナリオを歩みたい。

 そうしたら、きっといつか王子様が、素敵な夜に迎えに来てくれるって。


 私は一国のお嬢様。キラキラな服と、幸せに包まれたお姫様……なのは、おとぎ話のなかだけのこと。

 お父様とお母様は仲が悪かった。それはきっと、私のせいだったんだと思う。


 お父様は、私のことを溺愛してた。

 でもきっと、それは娘としてじゃなかった。

 お父様は私の体をべたべた触ってきたし、私が嫌がっても一緒にお風呂に入ったりしてた。


 お母様は、私のことを憎悪すらしてた気がする。

 いろいろな習い事は厳しくて、叩かれることも多かった。

 愛の言葉なんてかけられたこともない。


 きっと私は不和の子なんだと思った。


 でも料理は美味しいし、メイドの人たちは優しくしてくれるから、耐えられた。

 私は耐え続けた。お父様の猥褻にも、お母様の暴力にも負けないように。

 いつかきっと、不幸な私を迎えに来てくれると信じてた。


 結局、王子様は来なかった。

 代わりに来たのは国民の人たちだ。


 お父様とお母様は処刑されて、私は教会に孤児として引き取られた。

 私の不幸はまだ続く。教会の人たちは私のことを良く思っていなかった。


 同じくらいの子供たちに苛められて、大人の人に言っても聞いてもらえなかった。

 苛めはエスカレートしていった。

 たくさんの痛いこと、汚いこと、気持ち悪いこと。たくさん、たくさん、たくさん……。

 私に突き刺さる現実はいつだって痛い。


 でも私は諦めなかった、王子様を待ち続けた。


 私がもう少女じゃなくなって、大人になっても、私は夢を手放さなかった。

 きっと不幸な私を迎えに来てくれる王子様がいるって、願って、祈って、信じて……今も待ち続けているの。



 私が夢を見ている間、現実は容赦なく私のことを傷つけた。

 現実は私の夢を否定した。安らかに夢を見られるのは、星が浮かぶ夜の空にだけ。

 朝や昼は嫌い。見たく無い物が見えてしまうから、現実が照らし出されてしまうから。


 夕暮れは好き、現実が幻みたいに塗り潰されていくから。

 人の灯は嫌い。私が灯を見ると、現実の灯も私を見ているみたいだったから。


 でも、でもね。その途中で気付いちゃったの。

 私が夢見た王子様は、現実には居ないんだって。本当は現実が真実で、私の夢は存在しないんだって。

 じゃあ諦める? そんなこと、出来るわけない。


 ならせめて守らなきゃ。私の夢がもしかしたら現実になるかもしれない希望を。

 守るためには強くならなきゃ。もうこれ以上、誰にも穢されないように。私の夢を誰にも侵されないように、強くなって、現実を否定し続ける力を。

 そう、私にとって現実は敵なの。


 だから、私のもう一つの理想は、私の夢を傷つける現実を壊すこと。


 私の夢を穢すものは、全て壊れてしまえばいい。

 もう一つの夢を叶えるために、私は博士の誘いに乗ったの。


 私の身勝手な夢を、身勝手な現実を押し付けて壊そうとするアイツラを、一人残らず壊しつくして、私は夢を実現させる。






 言葉を失うってことを、初めて実感した。

 金色の少女は狂った笑みで私を見ていた。


 幸福な夢を見たかった。夢のような人生を歩みたかった。

 子供の頃に誰もが憧れる、ささやかな夢。彼女は最後まで手放さなかった。

 厳しい現実を突きつけられても、決して屈することなく。


「さぁ、私には分からないよ。私の記憶には、幸せだったことなんて無いもの。私の笑いは、いつも絶望から生まれたものだもの」


 苦痛に心と体を蝕まれて、ルナはとっくの昔に気が触れていた。

 誰がそうしたのか、なんて。簡単なことだ。


 人間。人の心を蝕むのは、たいてい人間だ。


「全部、全部殺すの。現実も、現実を押し付けてくる人間も。理想を押し付ける人間も。全部ね」


 何も言えなかった。否定したくても、私にはその術がない。

 ルナちゃん自身が味わった絶望を、私の言葉で晴らすことなんて出来ないんだから。

 でも助けたい。彼女は私に助けを求めていたのを覚えている。


「あははっ! この地上から全てがなくなって、全てが野原になったら、きっとそれが私の理想。このクソみたいな現実が、もっとも私の夢に近づくわ!」

「ああ、もうっ……」


 焼け野原、私は見下ろす彼女を睨む。


「どうして泣いてるの? あなたも私が狂ってるって同情するの?」

「狂ってなんかないよ! あなたはそうさせられただけでしょっ!?」

「アハッ! じゃあ救ってよ王子様。私を殺してみせてよ。私をもう休ませてよ。楽にしてよ。私を救ってくれるっていうなら」


 耳を劈くように笑う姿は無邪気な子供みたいで、願いを訴える様はすべてを諦めた人みたいだ。


「もういたいのはイヤ、うるさいのはイヤ、きたないのもイヤなの。私をあいしてよ、王子様」

「なんで……なんで、なんでっ! わかんない! わかんないよ!」

「分かったらダメだよ、分かったらあなたも狂っちゃう。あなたは正気だから、私を殺して良いの」

「そんなのわかんないよ! 知らないよ! 私は、私は……うぁあああああっっ!!」


 胸が苦しい、頭がぐちゃぐちゃする。

 腸には溶かされた銅を流し込まれたように辛くもどかしい。


 彼女が狂うのも当然だ。

 夢を見ることも許されなくて、現実を押し付けられて、痛くて、辛くて、苦しくて。

 それでも、夢に……夢想に逃避することさえ責められて。


 現実を押し付けられて、夢を奪われて、力のなさから逃げられなくて。


「そりゃ憎むよ、恨めしいよ、妬ましいに決まってるよ……殺さなきゃ」


 そうだ、彼女の理想は、きっと叶わない。

 確かにルナちゃんは強い。敵陣のど真ん中なのに物怖じしないし、エルフもアマゾネスも天狗だって敵じゃないし。

 でも、強いのはルナちゃんだけじゃない。安全無欠の勇者とか、アルカディアの王様とか、かっこいい中二病の人もいる。

 きっとルナちゃんは、どこかで誰かに倒されるんだ。

 誰かの理想とぶつかって、その辛さと苦しみの果てに抱いた憎悪の理想も挫かれて、夢半ばで散っていくんだ。


「それなら、それならいっそ、私が代わりに……」


 私が代わりに背負えば良い。

 ルナちゃんの気持ちは分かる。放っておけない、見過ごしたりなんか出来ない。その理想をつなげるならば、私が引き受けたい。

 だって可哀想にも程がある。


「私は、私には……」


 理想ではなく、現実を押し付ける者たちへの殺意。

 彼女の殺意を受け継ごう、受け継ぎたい、受け継がなきゃ……。

 そうだ、殺そう。殺し尽そう。彼女の代わりに、私は。


「イリスッ!」

「っ!?」


 跳ねた体が、不意に引っ張られる。

 小さな私を強引に引き寄せて、温かな懐へと抱き寄せてくれるのは、私の黒い友達だった。


「あっ……アヤメ?」

「目を醒ませイリス。それはただの悪い夢だ」


 懐かしい匂いとか、そういうのはない。

 でも温かくて、胸も無いのに柔らかで、強張った私の体がほぐれていく。

 頭や胸を、腹を渦巻いていた憤怒が、体中を巡っていた熱が、逃げていく。


「悪夢に囚われるな、イリス」

「でも、でもアヤメ、放っておいたら……」

「惑わされるな。その殺意はお前のものじゃない」


 惑わされてる? 私が、ルナちゃんに?


「私はお前の殺意だ。私はお前の殺意を引き受けて敵を殺す。だが、お前がルナの殺意を引き受ける必要は無いし、私もお前以外の殺意を受け入れるつもりはない」

「そんなこと言われたって、じゃあ、どうすれば……」

「それを私に聞いてくれるな。私はお前の殺意だ。殺すしか能の無い女だぞ。ハッピーエンドを考えるのはお前の得意分野だろう?」


 そんなこと言われたって、あんなのもうとっくにバッドエンド迎えた後みたいなものじゃない……。

 私の心を察したのか、抱き締める腕に力がこもった。


「妄想して、夢を見る。それがお前に出来る唯一のことだ。私はそんなお前を勝手に信じる。親友だからな」

「アヤメ……」


 アヤメは両腕を下ろして、私の背後へ、ルナと向き合う。


「時間は稼ぐ。とにかくお前は考えろ。どうしたいか、どうすればいいかはお前が決めろ。私がヤツを殺してしまう前にな」

「……分かった」

「もう、待ちくたびれちゃった。もういいの?」


 アヤメはルナちゃんの方へ歩いて行く。

 きっとこのまま戦えば、どちらかが死ぬんだ。

 アヤメは私が殺させないけど、じゃあルナちゃんは?


 考えなきゃ、ルナちゃんが救われる方法、ハッピーエンドへのシナリオを。

 どうすれば、どうすればいいの……?





 突然、眩い光がルナちゃんを囲うように照らす。


「ぐっ……!」

「へっ!?」

「回収成功、これより帰還する」


 気が付くと、私は空を飛んでいた。

 隣にアヤメもいる。殺意ではないから即座に反応できなかったんだ。

 ばさばさと翼が羽ばたく音がして、宵闇の空に飛翔する。


「な、ちょ、誰ですか、なんですか、どういうことですか!?」

「暴れないでください。我々は救援です。貴方がたを回収した後、総攻撃を開始します」

「総攻撃……って、ちょっと、待っ……」


 ふと見ると、ルナちゃんがこちらに手を伸ばしながら飛び上がって来ている。

 思わず私も手を伸ばしたけど、次の瞬間、ルナちゃんの体に何本もの矢が突き刺さった。


「ルナちゃんッ!」

「がっ……はぶっ!?」


 突き刺さった矢が破裂するような音を立てて、ルナちゃんの体は深い傷を負って落ちていく。

 私に向かって手を伸ばしながら落ちて、地面に叩きつけられても……。


「お、下ろして下さい! 下ろして!」


 私の声を、この天狗は完全に無視してる。

 否応もなく、私はルナちゃんから引離された。





 星が瞬く夜の空を飛行する。

 これが、こんな時でなかったら、天狗さんと楽しくお喋りしたりとかしたに違いない。


 でも今の私はむしろ苛立ちを抑えるので精一杯だ。

 いきなり連れ去って、ルナちゃんにも奇襲をかけて、いくらなんでもひどすぎる。

 ここは理想を叶える世界じゃないの? どうして一人の少女を酔って鷹って嬲るの。


「邪魔をされてお怒りなのはごもっともです。ですが、あのままではあなたの命も危うかった」

「そんなの、分からないじゃないですか。私とアヤメなら、なんとかなったかもしれない」

「……ユートピアの有名な博士のことはご存知ですか」

「ドク、ですか?」

「ええ。彼女から、あなたに会いたいと。強引にでもいいからつれて来いと」


 そういえば、風車さんが言ってた気がする。

 でもなんで私を? っていうかなんで私のこと知ってるの?


 あーもう、やっぱり集団で行動するのはいやだ。面倒くさくて邪魔くさい。


 そうこうしているうちに、私は拠点に戻ってきた。

 あれほど時間と労力をかけて移動したのに、こうも簡単に戻れてしまうのもすごく癪だ。


「こちらです」


 案内されたのは、設営されたテントの中。

 アルカディアでは見たことが無い。

 というか現代的な照明器具がそこかしこに並んで拠点を照らしていた。


 テントの中は暗くて、複数のディスプレイからの光だけが照明になってる。

 一際大きい中央のディスプレイの前に座っているのが、きっとドクだ。


「あ、あの……」

「やぁ、待ってたよ。理想人イリス。天空の園と、桃源の郷を繋ぎ、限り無き夢幻の橋を架ける理想を持つ者」


 照明が徐々に部屋を明るくして、真白な光がドクの白衣を照らす。

 椅子をくるりと回転させて、こちらを向いた片眼鏡の博士。


「初めまして、私がドクだ。彼女を創り、そして彼女に力を与え、そして彼女を君と会わせた、まあ黒幕だね。くけかか!」


 そのタガの外れた笑い声は、鈍い私でも分かるくらいに狂気に満ちていて、その瞳はいやらしく、ねぶるように私を見ていた。

 とにかく、この人はヤバイ人だ。あまり関わっちゃいけないタイプ。

 さっさと用事を済ませて離れたいけど……ルナちゃんと関係がある人だ、きちんと話を聞いておかないといけない。


「い、イリスです……あの、ルナちゃん創ったって」

「ほーう! なるほど、ソレがデータにあった黒騎士かぁ!」

「ひっ!?」


 び、びっくりした。思わずアヤメに抱きついてしまった。

 急に大声を出すのはよくない。


「空想の友人、妄想の具現、イマジナリーフレンド、デリュージョントゥルース。クケカカ! これはまた開発が捗るなぁ。想像力がドバドバ溢れる溢れる……」

「あ、あの! 教えてください! ルナちゃんのことを」

「っと、そうだった。うん、デイドリーマーと心を通わせようとする物好きな君との会話記録は見させてもらったよ。とても興味深いデータになった」

「お前の悪趣味の話はどうでもいい。何のために私たちを連れてきた」

「まーまー! そう慌てないで、まずはルナ・ロマンシアという少女の話から始めよう。君も聞きたかっただろう、王子様?」


 この人ぜったい性格も悪い人だ。

 私の魔法じゃ頭と性格の悪さは治せないので、私は諦めてドクの話を聞くことにした。


「ではまずどこから話そうか……そうだなぁ、まずは彼女の本当の過去から教えてあげよう」


 もう既に私の頭の回転が止まりつつあるのをよそに、ドクはまるでぺらぺらと愉快な話をするように喋り始めた。





 彼女がイリスに話した過去は、ぶっちゃければすべて嘘だ。

 でも彼女のことを責めないで上げてほしい。確かに彼女の口から出た言葉は、私たちにとっては虚偽で虚飾で虚言なわけだけど、彼女にとっては現実よりも価値ある真実なのだから。


 この真相を理解するには、まず現実の彼女の話をする必要があるね。

 えっと確か資料がこのフォルダに……あったあった。


 まず、彼女が現実に生まれたのは城じゃないし、もっといえば王国ですらない。

 ごく普通の家庭の一人娘として、彼女は現世に生を受けた。

 彼女の生活環境はあまりよくなかった。そこは彼女の言葉の通り、夫婦仲が悪くて、父親はドの付く変態で、母親はそれに嫉妬する暴力ババアだった。


 そんな肥溜めみたいな環境で、少女の心の支えはなんだったか?

 それは君もご存知の、王子様との約束だ。

 だがこれは妄想だ。彼女の心の中ででっち上げられた出来事ってわけだ。

 ほら、シンデレラとかそういう絵空事えほんがあるだろう? おそらくそれに憧れたんだろう。不幸な自分が大逆転して幸福になる展開をね。


 では彼女は王子様と何の約束をしたのか?

 ところで、人生という物語の主人公は本人って考え方を聞いたことがあるかな? そもそも物語というのは一人の人物に焦点を当て、主人公という軸にして物語を紡いでいく。


 じゃあ、彼女の悲惨な人生の主人公は誰か? もちろん彼女自身に他ならない。

 なら彼女の人生におけるあのクソみたいな環境はどうやって変えればいい?

 年端もいかない少女が、控え目に言ってアレな両親をもった無力な少女が出来ることなんて、たかが知れてる……と思ったら、彼女はとんでもない発想をした。


 自分で自分が主人公の物語を創作つくれば、自分の人生は変わるのではないか? ってね。


 そして彼女は自分が主人公の物語を創りはじめた。その出だしが王子様との約束だ。

 内容は、「夢を信じ続けること。最後まで決して諦めずに夢を信じ続ければ、千夜の果てに少女を攫い、逃避行する」だそうだ。もはやこれが現実からの逃避そのものだと気づいてはいないみたいだがね。


 彼女はそうやって現実と戦うのではなく、現実から逃避し続けることによって生き永らえてきた。

 草食動物が肉食動物から逃げ続けるようにね。



 だが、ある時事件が起こった。

 母親が少女の大切に創っていた物語を燃やしたんだ。

 恐らく、彼女が後戻りできない狂い方をし始めたのはここだろうね。彼女はまったく容赦なく、その母親を殺した。

 それはもう、既往を覗いたこっちの眠気が吹き飛ぶような、痛快かつスプラッタでサイコホラーな甚振り方だったよ。

 その晩、父親も殺した。こっちは比較すると割とあっさりだったね。とりあえず自分を穢し続けた股座を執拗に傷つけていたけど。


 さて、そんなことをすれば少女がどうなるか。もちろん警察沙汰だ。

 彼女は無事施設に送られた。だがそこでも他人との関係を断ち切ることは出来ない。

 彼女は自分の夢や趣味を隠すことをしなかった。彼女は彼女の自由な意思を持って、夢を描き、自分の物語を作り続けていた。


 そんな彼女がまたトラブルを起こすのは分かりきっていたことだ。

 施設で問題児だった少年さえも、彼女の前ではコンクリートの地面に沈んだ。そのキッカケを施設の人間が少女に問うと、彼女はなんて答えたと思う?


 彼女は言った。「現実を見ろ、と言われた」ってね。


 彼女の人生はどう見ても悲劇的だ。彼女はソレを自覚していた。

 そんな自分から夢を取り上げ、現実を押し付けようとする人間たちは、さぞ凶悪な外敵に見えたことだろう。


 子供の頃の夢なんて、大抵の人間はいずれ手放すか、現実的な目標に挿げ替えられるはずだ。

 それを彼女は拒絶した。あらゆる手段をもって、自分の夢を維持しようとした。それは君にも覚えがあるんじゃないかな? いや、この世界に来れる人間というのは<そういうもの>だからね。


 だが、ああいうタイプの夢想を抱いている人間が実力行使で夢を維持するのは珍しい。

 夢想を抱く人間というのは現実において無力だ。だから心の奥に秘めたり、逃げたりするものだが、彼女はまったく違った。

 彼女は融通のきかない映画監督か、プライドをもった硬派作家のように、頑なに自分の夢を信じた。人生というシナリオを貫き通そうとしたんだね。


 彼女は異常者として隔離された。

 真白な部屋の中でも、彼女は物語を創り続けた。

 しかし誰もこない部屋、何も起こらない部屋の中で、延々と妄想を築き上げるのも難しい。

 そのとき彼女は気付き始めていた。幸も不幸も舞い降りないこの場所こそ、夢も希望も無い現実の世界だということを。


 でも彼女は必死になって妄想を続けた、空想を描き、夢を見続けた。

 膨らんでいく不安と辛苦。膨らませ続けなければならない空嘘からうそと幸福。


 彼女の心は壊れていった。順調に、順調にね。


 やがて彼女が狂乱に落ちた頃、彼女は大きな賭けをした。


 命懸けの賭けを思いついた彼女は、まず喉を掻き毟った。

 自分を傷つけられる物すらない部屋では、自分の爪だけがもっとも切れる刃だった。

 時に頭をぶつけて視界を真っ赤にしながら、ようやく監視員が気付いて、邪魔者が対応に向かって、扉が開かれた。


 その瞬間、彼女は脱兎の如く抜け出して、ある場所へと向かった。

 追ってくる人々は、魔王の手下のように怖ろしく感じたことだろう。


 彼女が辿り着いたのは屋上だ。病棟の屋上。空では夕焼けと宵闇が交じり合い、鬩ぎ合っている。

 彼女にとってそれは、現実の中でもっとも美しい景色に見えたそうだ。


 少女は微笑んだ。

 現実の声も遠ざかり、彼女は決死の覚悟をもって、確信の笑みで舞台から飛び降りた。

 刹那、彼女は最期の最期に悲痛な叫びを放ちながら命を落とした。

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