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メルヒェン9 絆の宝石

 理想は手放さない。

 だけど希望は完全に閉ざされた……。


「うそつきっ!」


 自分が責められているのだと思って、驚きのあまり体が飛び跳ねた。

 ふと振り向くと、今にも泣き出しそうなアリスが顔を真っ赤にさせて、涙声で叫んでいた。


「お姉ちゃんの嘘吐き! ばかっ、いじわるっ!」

「な、何を突然……」


 唐突な子供っぽい罵倒の連発に、さすがの無明さんも毒気を抜かれたみたいだ。

 それにしても、一体なにが……?

 と、とりあえず、少し様子を見よう。アヤメもそんな感じの表情をしている。


「弱虫! いくじなし! 毛虫!」

「毛虫って……」

「そうやって、何もかも諦めて……また私を置いて行っちゃうの?」


 無明さんの表情が曇り始める。

 さっきまでの、悲しいまでの諦観に満ちた微笑が、今では罪を責めたてられている罪人のしかめっ面だ。


「そこまで言うなら、私はもうお姉ちゃんの言うことなんて聞かない。私は私の意思で、お姉ちゃんをこの世界に繋ぎ止める!」

「アリス……ごめんなさい、アリス……」

「謝ったってもう遅いわ。お姉ちゃんは一人で勝手に諦めて、一人で勝手に終わろうとしてるけど、そんなの許さない。そんなことなら、最初からあんな言葉を口にしなければ良かったのに!」


 それは誓いの言葉。遠き日の約束、幼い頃の夢と希望。

 無明眠り子とアリス・メアリアス。

 姉と妹が交わしたそれは、確か、そう。


「貴方は私の獏なんだから、勝手に居なくならないでっ!」

「っ……!」


 無明眠り子の本当の理想。

 それは、妹を悪夢から守る獏になることだ。


「アリス、あなた……」

「お姉ちゃんは世界や周囲の人たちに絶望して、失望して、たくさん辛かったんだと思う。私だって、お姉ちゃんについていけなくて、足手まといにしかならない自分が憎いもの!」

「そんな、違うわ。貴方は私と違って良い子じゃない。そんなことを言ってはいけないわ」

「まだ気付かないのか、お前は」


 アヤメは、あまり興味なさげだったけど、だからこそいい加減終わらせたいという態度を前面に出しながら口を挟む。


「アリスはお前のせいで、お前と同じように世界に絶望し、人々に失望したんだろうが。お前が言う良い子で優秀だったアリスを殺したのは、お前なんだよ。無明眠り子」

「なっ、そんな屁理屈を!」


 あまりに容赦が無さすぎる指摘だった。

 アヤメは言葉の刃ですら必殺の一撃で仕留めに来るのか。


「事実だろうが、お前さえ居ればそうはならなかっただろうに」


 怯んだ相手に容赦なく、アヤメは事実という名の鋭い刃で切り刻んでいく。


「お前は自分の行いで、自分の理想よりも大切なものを守れなかったんだ。こいつがお前の自由すら奪おうとする執着が、その証拠だ」

「私が、アリスを?」

「そもそも、お前はアリスにとって恩人だろうが。恩返しする隙もなく、一人で勝手に嫉妬して、勝手に落ち込んで、引き篭もって、怖がって、挙句落ちるところまで落ちたんだ」


 私にもその気持ちは分かるけど。

 たぶん人はそういうのを甘えと呼んで見放すし、もしかしたら見つけてすらもらえない。


 孤独で不安でやりきれない。

 ざわつく心にうずく体。それでも無力だから何をすれば良いのか分からなくて、途方もなく立ち尽くす。

 世界で自分だけ一人ぼっち。出来るのは、迎えを待つことだけだ。


「何が一人ぼっちだ。迎えを待たずして見切りをつけたから、こじれたんだろうが。こいつはお前を救おうと必死に戦っていたのに」

「う、あっ、アリス? ああ、そんな、私は、私はなんてことを……」


 かつてないほどに無明さんは動揺していた。

 自分が大切にしていたものを、自分で壊してしまったことへの罪悪感だ。

 ついには跪いて、怯えるようにうずくまってしまった。


「ごめんなさい……ごめんなさいアリスっ……! 私、知らなくて、でも、だって……」

「あっ……」


 アリスちゃんが私の横を通り過ぎて、無明のところへ歩いていく。

 引きとめようと咄嗟に口が開いたけど、なんとなく、大丈夫だと思って口を噤んだ。


 きっと大丈夫だ。あの二人なら、きっと。


「あ、アリス……ごめんなさい、ごめんなさい! 私が、私が貴方を滅茶苦茶に……」

「お姉ちゃん、謝るときは相手の目を見るんだよ」


 恐る恐る、顔を上げる。見下ろしているアリスの瞳に浮かぶ色は……。

「ひっ……」


 あっ、今のちょっと可愛い。

 目に涙を溜めて怯えた少女の仕草に、取り返しのつかないときめきを感じつつある。


「お願い、許して……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 かつて頼りにしていた姉が、許しを懇願する姿を、アリスちゃんは跪いて、抱き締めた。


「……えっ?」

「お姉ちゃん……やっと戻ってきてくれた」


 理想とは別にあるアリスちゃんの思い。

 離れ離れになった姉と、もう一度一緒に居たいという恋しさ。


 長く辛い前世からこの理想の世界に転生して、長い長い時間の果てに、ようやくその願いは叶った。


「アリス、どうして……」

「お姉ちゃんは本当に頭が悪かったんだね。パパやママが言ってたとおりだ」

「な、なによ。そんなこと今更言われなくても分かってるわ」

「あはは!」


 嬉しそうな笑い声だ。

 今が戦闘中だとは思えないほど、親しげに会話している。


「ねえ、どうして私を拒絶したの? もしかしたら、お姉ちゃんの力になれたかもしれないのに」

「だって……姉が妹の力を借りるなんて、格好悪いでしょ? あなたにがっかりされたくなかったのよ」

「私を置いて出て行ったことの方ががっかりだったけどね」

「……ごめんなさい」


 なんかいいな。こういう会話。

 親しい人と交わす、何気ないやりとり。

 気を張らず、偽らず、深く考え込んだり、悩むようなこともない、自然体でいられる時間。

 それが憧れの姉と守るべき妹なら、きっとそれはこの上なく幸福なひと時にちがいない。


「出て行くって相談くらいしてくれれば、私だって何か出来たかもしれないのに」

「……私も一つ聞いてもいい? どうしてアリスは私のことを肯定してくれるの?」


 無明の問いかけに、アリスちゃんは大きな溜息を一つ。

 まるでアヤメが私にするみたいな、心底呆れた態度を前面に押し出して。


「そんなの決まってるわ! 私はお姉ちゃんのことが大好きだから。それだけよ?」

「私は、貴方を置き去りにしたわ」

「仕方ないよ。私もお姉ちゃんを助けられなかった。それはおあいこ。でも、まだ私が助けられたぶんのお返しがまだ出来てないもん」


 それはアリスちゃんがまだ病弱だった頃の思い出。

 勉強どころか運動も、何も出来ないアリスちゃんに、楽しくて幸福な時間をくれた。


「お姉ちゃんは、私の世話ばっかりで大変だったかもしれないけど、私は……」

「そんなことない! 私だって、楽しかったわ。そのときにはもう夢物語は卒業してたけど、だからこそ懐かしい気分になれた」

「お姉ちゃん……!」


 アリスちゃんと無明さんは、今までの孤独と失われた時間を埋めるように抱き合う。

 弾ける笑顔、じゃれる猫のように触れ合う少女の身体。


 見ているだけで口元が緩んでしまう幸せな光景が、私の前に拡がっている。


「一件落着、かな?」

「だな。世界の崩壊は終わった。無明も心中する気すら失せたようだ」


 笑いあう二人からは、バッドエンドの雰囲気は全く感じられない。

 しばらくは他愛もない可愛いやりとりを、傍から眺めていることにしよう。




 そして、ようやく二人は本題に戻った。


「お姉ちゃん、まだ眠りたい?」

「……そうね。私にとって、やっぱり睡眠ねむりは人生の相棒みたいなものだったもの。そう簡単に手放さないわ」


 おっと、これは雲行きが怪しい? もう一度極大回復魔法使ったほうがいい?


「でもまあ、もしかしたらこれは夢なのかもしれないし」

「えっ?」

「ほら、永眠したからって夢を見ないとは限らないかもしれないでしょう?」

「ってことは……お姉ちゃん!」


 無明さんの大きな胸に、アリスちゃんは顔を埋めて甘える。

 愛おしそうに妹を見つめる無明さんは、ふとこちらを見る。


「ごめんなさいね、待たせてしまって」

「あっ、いえ、お気になさらず。私も眼福だったので」


 女の子の絡みは尊い。

 違うんですよ。別に性的な目で見ているわけではなく、子猫のじゃれあいを眺めているような。

 決して変態さんではないです。というかメルヒェンに18禁は持ち込み禁止。


「まあ、色々あったけど、私はもう死んでることにするわ。だからこれは夢。永遠の睡眠ねむりのなかで、ようやく遠き日の幻想に夢の中で手が届いた。そういう感じの夢」

「夢の中でも眠るんですか?」


 夢の中で寝るみたいな、マトリョーシカみたいなのを思い出した。

 無明さんはくすくすと笑う。


「手痛い指摘ね。私はこれからこの子の獏として、彼女の理想を守るわ。基本寝てるけど」

「そうしてもらえると、私も嬉しいです。ところで私の理想の話なんですけど」

「それね……ちょっとややこしくなっちゃってるけど、最終的にはアリスの意思次第だから、アリス?」

「うん、お姉ちゃん」


 無明さんにべったりくっ付いているアリスは惜しそうな様子も見せず離れる。

 惜しむ必要なんて無いからだろう。これから先、いくらでも甘えられるのだから。


「イリスさん、私たちを見捨てないでくれて、本当にありがとうございました」

「いえ、そんな。私がやりたくてやったことですから……」

「私とお姉ちゃん、そして、この世界では命と同義である理想を救っていただいた恩返しに、ぜひ私たちに協力させてください」


 なんてしっかりした良い子なんだこの子は。

 こんな良い子が仲間になってくれるなら、私も勇気を出した甲斐がある。


「これからよろしくね、アリスちゃん!」

「こちらこそ、イリスさん」


 本当にしっかりしてる。

 こんな子に協力をせがまれたら、そんなのコロっといっちゃうに決まってるよね。


「イリス、そろそろ戻らないか?」

「あっ、うん。そうだね」


 おっと、私のアヤメが嫉妬ジェラシーを感じてしまったようだ。

 でも、まだちょっとやることが残ってる。


「私の世界はいつでも行き来できるようにしておきますね」

「この世界には名前はないの?」

「名前ですか……普通に夢の国としか」

「そうなんだ。もっとオシャレな名前があるといいんだけど……ちょっと待っててね。仲間の証を創るから」


 私はアリスの理想を思い出す。

 青い空、緑の草原、土色の大地。

 キラキラ輝く不思議な魔法、滾るようなジャバウォック、紅白黒のトランプ。

 色とりどりの世界は、まるで天に幕をおろすオーロラ。あるいは空に架かる七色のよう。

 

 夢の国、それはアリスの理想そのものだ。

 それに相応しい証を。私と彼女の繋がりの証を。


「その彩色の煌きを絆の形に、輝ける夢を秘めた証を……妄想顕現デリュージョン!」


 練り上げた妄想を、突き出した手の平の上に映し出す。

 願いの形、祈りの光を照らし出す。

 数多の色の、光の粒が現れ、それは寄り集まって一つになる。


 そして出来上がったのは、手の平サイズの大きな宝石。

 色とりどりを散りばめられた、静かで華やかな石。


「わぁ、きれい……」

「これは私の理想の形の一つ。そして、アリスちゃんの理想を象った宝石。夢のオパール(ボルダー)」


 ふぅ、我ながら良い仕事をした気分。とても綺麗な宝石になった。

 譲渡するのに抵抗が出てくる前に、アリスへと差し出す。 


「それを、私に?」

「これは貴方が私のメルヒェンであることの証。夢を現実へと変えた貴方にぴったりの宝石だと思う。どうぞ受け取って?」

「わっ、おも……」


 ずっしりとした感触が離れ、私はすかさずもう一つの宝石を無明さんに差し出す。


「で、こっちが夢のオパール(ウォーター)ね」

「私にもくれるの? 随分と太っ腹なのね」

「無明さんのおかげでアリスちゃんに会えたから。これはそのお礼」


 ボルダーと同じ極彩色を散りばめたような宝石。

 でもその表面はまるで水面のようで、ボルダーより柔らかな印象がある。


「石の意味は目覚め、愛、それと肯定。妹への愛で、目覚めることが出来た無明さんの理想をイメージしました。一応安眠効果もあります」

「ありがとう、大切にす……おもっ!?」


 手の平サイズの石は結構重い。

 でもそれがまた想いの強さを思わせる。


「それじゃあ私はそろそろ行くね。そういえば何も食べてないんだった」

「いつでも遊びに来てください」

「私は寝てるだろうけど、妹とは仲良くしてあげて。苛めたら酷い夢を見せるわ」



 そして私の長くて短い夢での戦いは終わった。

 とんでもない悪夢に巻き込まれたけど、結果的には理想の第一歩となる吉夢になってよかった。




 ふと瞼を開けると、何より先にアヤメの顔が目に入った。


「大丈夫かイリス。体に異常はないか?」

「そんなすぐに聞かれても、よいしょっと」


 意外と目覚めは悪くない。

 頭もぼーっとしてないし、どこも痛くないし、手足もちゃんと動く。

 変な体勢だったから痺れてるとかない。


「でもすごくだるい。つかれた」

「まあ、あれだけ魔法を使えばな」

「夢の中のことなのに」

「夢の中だが、夢ではないということだろう」


 夢の中出の出来事が、夢じゃない。

 きっとそうなんだ。二人のことをはしっかりと覚えている。

 あの二人とは、ちゃんと理想の絆で繋がっているのが分かる。だってそれが私の理想だから。


 あれこれ思い返していると、腹の虫が鳴き出した。と思うと、同時にこんこんと扉が叩かれる。


「イリスさん……お夕飯ご一緒しませんか……」


 酷く落ち込んだ声が、まるで死霊の呻き声のように響いてきた。

 かすかに鼻を啜る音も聞こえる。


「お願いです、今日は私の驕りですから付き合ってください……」

「それは、別に構いませんけど……」


 声は間違いなく椿さんのものだ。

 あの様子だと、きっとお見合いはダメだったんだなぁ……よし。


「はいはいちょっと待っててくださーい」


 こうなったら、私の理想への第一歩を語り聞かせて、勇気付けてあげるしかない。

 私は急いで身支度を始めた。

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