メルヒェン1 理想はメルヘンチックに
私には理想がある……絶対に叶えたい理想が。
だから手を伸ばした。
臆病な私が最後の最期に出来た、たった一つの現実への抵抗だった。
それがたとえ死の間際に見た幻影だったとしても。それでも構わず私は手を伸ばした。
こんな現実でも、せめて理想に手を伸ばす自分だけは貶めたくなかったから。
最後だけ、諦めなかったよ。最期まで、諦められなかったよ。
私には、これくらいしか出来なかったよ。
こじんまりとした部屋の窓から見えるのは、深くて青い空と流れる白い雲。
西洋風の街並が続くこのアルカディアという理想国に転生し、私は理想を叶えるチャンスを手に入れた。
世界の名は理想郷:ネクストワールド。そしてここは数ある理想国の一つ、アルカディア。
理想の肉体を得て、理想準拠の力を得た人たちが、理想を遂げるために日々を生きる世界。
私はこの世界で、前世で叶えられなかった理想を遂げる資格と、機会を得たらしい。
それにしてもファンタジーな風景に、私の心は期待に満ち溢れていた。
確かに理想も大事だけれど、今の私は目の前に広がる、不思議が輝く世界に釘付けだ。
「ここから、私の理想を叶える物語が始まるんだ!」
いきなり見知らぬ街の広場に放り出された時は途方に暮れたけど、なんとか国から支給されるこのアパートに辿り着くことが出来て、はや一日……。
ああ、今からどんな出会いが待っているのか。
大きな期待にほんのりと不安が振りかけられる、甘いスイーツのような……。
でも大丈夫。一人なら怯えてしまうところだったけど、私には親友がいる。
「……って、あれ? アヤメー? どこ行ったのアヤメー!」
「私はどこにも行かないぞ、イリス」
ふと隣を見る。そこには黒衣に身を包んだ、見慣れた親友の姿。
肩に触れるくらいのさらさらした黒髪。私の胸をときめかせる、凛々しい切れ長の瞳。
私より頭一つ分高いこの娘はアヤメ。私の唯一の親友だ。
「あっ、アヤメ! これからどうしようか。っていうかどうすればいいんだろう?」
「唐突だな……そうだな、まずは住民に挨拶だろう。集合住宅だからな、近所の付き合いは大事だろう」
「挨拶……挨拶かぁ」
挨拶、それは人とのコミュニケーションの第一歩。とっても重要で大切なこと……なのだけど、私は極度の人見知りだった。
踊る心は簡単に挫けて、私の足は途端に重たい。
私の表情が苦々しいものに変わるのを、アヤメは苦笑しながら見ている。
「転生してもそこは変わらないか。だがせっかくの新たな人生、頑張ってみたらどうだ?」
「うーん……」
「まあなにをするにも、身だしなみはきちんと整えてからだが」
そう言ってアヤメは私の茶色の髪を、櫛で梳かしてくれる。
「挨拶かぁ……」
自分でもビックリするくらいの、心底嫌そうな声が出てきた。
気が進まない。
人と会話するのは、苦手だ。怒らせたらどうしようって緊張するし、年上に敬語とか使うの、面倒くさいし。
いや、挨拶とかいらないのでは?
理想叶えるだけなんだから、別に他人とコミュニケーション取る必要ないんじゃないかな?
「まずは家具を揃えよう!」
「ベッドもテーブルもあるだろうに」
「うぅ……で、でもクローゼットが無いよ!」
「そんなに服も持ってないだろう……イリス」
アヤメは軽いため息のあと、私の手を優しく握って、頬に手を添えた。
まっすぐな瞳は、いつ見ても私の憧れ。アヤメみたいになりたいって、何度も思った。今も思っている。
アヤメは、私にとっての理想でもある。
「せっかくこんなところまで来て、まだ逃げるのか?」
「うくっ……」
私にとっての理想である彼女は、私の唯一の親友なのにもかかわらず、時々厳しいことを言う。
ううん、でもだからこそ、私は彼女が誇らしい。
自分に都合がいいだけの妄想じゃないという証明だ。
それはそれとして、アヤメの言うとおりだ。
今まで現実から、脅威から逃れるための逃げに徹した人生だったし、たまには……いや、この世界ではちゃんとしよう。ちゃんと。
「少なくとも、私が見込んだお前なら、そう苦戦するようなことでもないと思うが」
「んあーっ! もう分かった! 分かりましたっ!」
「それでこそ」
気が進まない自分の心を、大きな声で奮い立たせて、立ち上がる。
アヤメの意地の悪い微笑を励ましに、まずはお隣さんに挨拶しに行こう。
「居ない……誰もいないよここ!」
アヤメは私の歓喜の声に苦笑しながら、次の部屋を指し示す。
ここまで四つの部屋を訪ねて、一度も中から返事が来たことはなかった。
「ここが最後の部屋……管理人の部屋だな」
二階にも、一階にも住人は居なかった。
そして最後の部屋。表札には<管理人:山城 椿>と書かれている。
名前の感じだと、たぶん女性だと思うけど……
恐る恐る扉を叩いて、声が震えないように気をつける。
「す、すいませーん。お引越しのご挨拶に来ましたー」
さすがに管理人が居ないということはないと思うけど。
でも居ない方が私は助かる……なんというジレンマ。
そして残念、少し間があったものの、扉の向こうから声が聞こえてしまった。
「はい、少しお待ちください」
扉を開けて顔を出したのは、大人の綺麗なお姉さん。
綺麗なブラウンの髪を後ろで束ねて、色気のあるうなじがチラリと見える。
同性なのにキュンとくるくらい、山城さんは綺麗だった。
「貴方は確か……菖蒲さん?」
「……あっ、あの、今日からその、ここの二階で住むことになった、い、菖蒲です!」
「ああ、そうでした。すっかり忘れ……私はこのアパートの管理人を任されている山城椿です。よろしくお願いしますね」
「こ、こちらこそ!」
山城さん。なんだか素敵な人だなぁ。
私もいつかはこんな美人な女性になれたらいいなぁ。
「立ち話もなんですから、中でお茶でもどうですか?」
「えっ!? あぁっ、いやその……いいんですか?」
「ちょっと前から住人が全員出払ってしまって、退屈していたところなんです。イリスさんの都合がよければ」
「ぜ、是非! 頂きます!」
あまりの急展開に、正直頭がついていってない。
勢いで誘いを受けちゃったけど……し、失礼が無いようにできるかな……。
椿さんの玄関で靴を脱ぎながら、アヤメはニヤニヤとこちらを見ていた。
「なんだ、ちゃんとコミュニケーションできるじゃないか。偉い偉い」
「もう、馬鹿にしないでよ。私は苦手なだけで出来ないわけじゃないって」
「それで『しない』を選択し続けた結果、孤立することになったわけだ」
「あ、アヤメのいじわる……」
椿さんの部屋は、女性の一人暮らしとは思えないほどに清潔で、塵一つなかった。
廊下の右側には扉が二つ、一番奥に一つ、左に一つ。一番奥の扉は半開きになっていて、見ていると椿さんが顔を出した。
「こっちです、イリスさん」
「あっ、はい」
靴をきちんと揃えて、一番奥の部屋へと、待たせないように早歩きで向かう。
そこはやや広めのリビングルーム。
ハーブの良い香りが鼻腔を通り、肩の緊張までほぐしてくれそうな気さえする。
お洒落なカーペットと白いテーブルに椅子。見れば、椿さんがテーブルにお茶と茶菓子を置いたところだった。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ど、どうも……」
き、緊張する。凄く良い人そうに見えるけど、やっぱりすごくやりにくいよ。
とりあえずお茶を置かれた席に座って、一口味わう……。
「って、なにこれおいしい」
「お口にあったようでなによりです」
「っ!?」
は、恥ずかしい……でも山城さんは本当に綺麗だ。
本人もそうだけど、まずシンクに食器が積まれてないし、洗濯物が散乱してない。ゴミ袋も貯まってない。
こんなお嫁さんがいたら、きっと人生とても幸せだ。
「聞くべきことは聞いておかないとな。イリス」
そういえばそうだった。
勇気を出して、私はもう一口飲んでから話す。
「あ、あの、や、山城さん」
「そう硬くならないで。この世界では理想を叶えるか否かが全て。変に遠慮なんてしなくてもいいんですよ」
じゃあ椿さん、と呼びなおせるほど、私の心は強くなかった。
私は前世からこうやって、どうしようもなく臆病な生き方しか出来ない。
どうやら生まれ変わったと言っても、自分であることに変わりは無いみたいだ。
「あ、あはは……あの、山城さんも理想を持っているんですよね?」
「ええ。この世界に存在しているほぼ全ての存在は理想を自分の理想を抱いている。私の理想は……」
あれ? 椿さん、なんだか暗い顔をしているような。
「はぁ……」
すごい溜息だ。きっとすごく難航しているんだろう。
「あ、あの……」
「私の理想は、素敵な彼氏と素敵な結婚をして素敵な結婚生活……でした」
「だった?」
過去形だ。もしかして、理想を諦めちゃったのかな。
こんなに綺麗な人でも、理想を叶えられないなんて……。
「ああ、いえ、諦めたわけじゃないんです。今でもその理想はそのまま、なんですけど……いえ、ごめんなさい。来たばっかりの貴方にこんな話をするべきではありませんね。ところで、貴方の理想は?」
この世界では名刺交換のような気軽さで理想を語らうのが常識らしい。
ふと、心の内から湧きだす夢が、少し溢れ出した。
「私の理想は、メルヒェン!」
「める、へん?」
「私の妄想世界、メルヒェンワールドを築くことです! そして、異世界とも繋がって、たくさんの素敵な空想と繋がる事です!」
そう、それが私の理想。私が夢見た妄想世界をこの手で築き上げ、あらゆる世界に知らしめ、共に分かち合ったり、比べあったりする。
そんな素敵な、夢のようなことが出来る世界を築きたい!
それが私の、ただ一つの理想だ。
私は改めて、この世界のことを椿さんから聞くことにした。
自分の理想を叶えたいなら、まずはこの世界のことをよく知っておく必要がある。って、アヤメが言ってた。
「まず、ここは理想を叶えたいと思う力が全て、つまり意思がそのままあらゆる力になりうる世界」
「それって本当なんですか? いまいちイメージ出来ないんですが……」
私が前世で命を落とした後、この世界で目覚める前に不思議な空間に居たことを薄っすらと覚えている。
何もない真っ暗な場所で、私は自分の姿さえ認識できなかった。五感の一つも感じ取れないあの空間で、一人の男性の声が平坦な声で、でもどこか楽しげにこの世界のことを説明してくれた。
その中で、まず一番最初に言われたのがこれだった。
「ええ。例を挙げましょう。この世界で一番有名なのは、<安全無欠の勇者>」
「あ、安全無欠? 完全ではなく?」
「彼はこの世界でかつて起こった理想戦争で、一人も仲間を失わなかった。彼が参加した戦線では味方に一人も戦死者を出すことがなかったため、いつしかそう呼ばれ、彼もそう名乗るようになりました」
安全無欠。聞けば聞くほど気の抜けるような印象だけど。
でもこの世界で一番有名ってことは、この世界で最も強い理想なのかな。
「あとは、<神魔を降す闇黒の徒>。彼らは中二病と邪気眼という能力を持っています。これも彼らの理想がそれを望んでいたからです」
「中二病? どっかで聞いたことがあるような……」
確かものすごい誇大妄想か何かだった気がする。
同じ妄想の人同士、仲良くなれるかな?
「そのような実力者でなくとも、理想を諦めることさえしなければ、この世界で死ぬことはありません」
「え? ってことは、ここの住人は不老不死なんですか?」
「平たく言えばそうなりますね。理想の種類にもよるでしょうが。私も結婚する前に年寄りになるのは嫌ですし」
それもそうだ。私も理想を叶える前にしわくちゃのおばあちゃんになりたくないし、そんなのメルヘンの欠片もない。
ネバーランドは子供だけであるべきです。
「理想の種類によっては不老不死になれるんですね」
「人外にもなれますよ。鬼になって無双したいと思えば鬼に、無敵のスライムになりたいと思ったらスライムに。理想郷ユートピアには人工知能に生まれ変わった理想人もいるようです」
「す、すごい……ん? ユートピアって。理想郷はここだけじゃないんですね」
アルカディアとユートピア、どちらも理想郷の名前だってことは私でも知ってる。
でも話ではよくこの世界が理想郷と呼ばれたり、ここアルカディアが理想郷と呼ばれたりする。
なんだかちょっとややこしい。
「理想を叶えられる場所と言う意味では、この世界もこの国も理想郷と呼べます。細かく呼び分けるなら、この世界は理想世界ネクストワールド。ここは理想国アルカディア。ここから遥か西方にある近未来の都市国家が理想国ユートピアです」
「へぇ」
「他にも理想郷はあるようですが……それは別に今覚える必要はないでしょう」
一番気になるのは空に浮かんでいる島のことだけど、今はいっか。
正直、この一回で全部の内容を覚えられないと思う。
「しっかりしないか、イリス」
「えへへ……でもやっぱり私には覚えきれないよ」
「あの、誰と会話しているんですか……?」
しまった……つい気が緩んで。
アヤメとの会話を声に出してしまった。すごい怪訝な顔で椿さんがこっちを見ている。
どうしよう、誤魔化す? それとも正直に話そうか……。
「別に隠す必要もないだろう。聞いた感じだと似たような奴も居そうだ」
「でもやっぱり引かれそうだし……」
ひそひそと話していたのに聞こえてしまったらしく、椿さんはくすっと笑った。
「ここで、多少変わった趣向の理想人が居たところで引く人間は居ませんよ。むしろそこは堂々としているくらいでないと、ここでは生き残れません」
「そ、それじゃあ……」
私は緊張で体中が汗ばんでいくのを感じながら、ぐるぐるになった思考のままアヤメを紹介することにした。
「アヤメは、私だけの友達なんです」
「友達? 貴方一人に見えますが」
アヤメは私以外の人間には見えない。
まあそれは当然だ。なにせアヤメは現実に居る存在じゃないから。
「その、妄想で創った友人で……イマジナリーフレンドって言って」
「妄想……ですか」
あれ? なんだか、思ったより引かれない。というか椿さん、笑って……
嘲笑われてる!?
「うぅ……そうですよね、おかしいですよね。<空想の友人>なんて……」
「あっ、違うんです。嘲笑ではなくて、またかなり個性的な理想が入ってきたなと思って。大丈夫、貴方次第ですが、その理想はきっと叶います」
真摯な瞳と真剣な声音で椿さんは私を励ましてくれた。
こんな美人な人に真剣に励まされたら、イヤでも元気になってしまう。
「ですが、理想を叶える為にはその弱気は足枷となるでしょうね」
「えっ?」
「自分がおかしい、自分が間違っているという自己否定、あるいはそれに類する疑念は理想の強固さを揺るがせてしまいます。自分を強く持つことを心がけた方が良いでしょう」
「は、はい!」
やっぱり椿さんは良い人だ。私なんかを励ましてくれるんだから。
どうして椿さんは理想を叶えられないんだろう。
「イリスさんは、これから何をするんですか?」
「あー……どうすればいいんでしょう」
理想を叶えるといっても、具体的に何をすればいいのか考えると、何も思いつかないことに気付いた。
妄想といっても、今の私にはアヤメ以外になにもない。
「最初は誰もがそういうものです。イリスさんには、自分の理想を見定める期間が必要だと思います。この国で理想を実現しようとしている人々を見て回ると良いでしょう、観光ついでに」
「観光……そうですね。とりあえず色々見て回ろうと思います」
というわけで、私はこのアルカディアを観光することにしました。
椿さんが案内をしてくれるみたいだったけど、さすがに遠慮した。
なんというか、慣れてない会話でもうちょっと疲れてしまったので、少し一人になりたかった。
そして今、私はアルカディアの街並みの真っ只中です。
「す、すごい……」
ファンタジー風の城と町ド直球な風景。
石ブロックで整地された道と、道を行く通行人は全員が理想人。
種族は人間だけじゃなく、鎧を着込んで二足歩行する蜥蜴や、おっさんのような顔つきで物騒なものを腰に帯びている小柄なおっさん。やたら体のでかい角の映えたおっさんに、上半身は女性で下半身は触手の蛸のお姉さん。
「この世界……すごくメルヒェン!」
耳の尖がった緑色の服を着込んだ綺麗なお姉さんはきっとエルフだろうし、さっきから私の周囲を飛んで珍しそうに観察してくる小さい女の子はきっと妖精さんだ。
空を見上げれば鴉のような翼を生やした天狗が高速で頭上を通過したり、それを追う様にして逞しい体付きをした褐色の女性が建物の上を跳んで移動している。
「な、なんてファンタジーなんだろうかと!」
「落ち着けイリス。せっかくの妖精が散ってしまったじゃないか」
「あっ、ごめん……」
なんだこのファンタジー世界は! これ以上無いくらいに私好みだ。私の理想は既に叶ったのでは?
「いや、でもこれは私の世界ではないしなぁ」
「ここはアルカディアの南部。言うなれば商業区といったところらしいな」
「ねぇ、あなた」
ふと声をかけられ、振り返るとそこには見るからに怪しい人が立っていた。
「あなた……この世界の新入りさん?」
「うぁ、そ、そうですが……」
見るからに怪しい黒衣の女性。紫色の長髪、アメジストのように綺麗な瞳。
片手には竹箒、頭にはとんがり帽子、ってこれ魔女じゃん。
「うわ魔女だっ!」
「ふふ、初めまして。私は魔女の魔耶。良かったらこれをどうぞ」
魔女。奇々怪々な老女かと思いきや、まさかの魅惑の美女だった。
同性なのにも関わらず、その色香に少し惹かれそうになったが、何か差し出されたのでもしかして絵を売りつけられるのではと警戒する。
「ど、どうも」
絵……ではないみたい。冊子?
じゃあ宗教勧誘かな。なんとかの商人? スパゲッティの怪物?
「いや、商人ではなく証人だろう。あと魔女が宗教ってことはどっちかというと邪教系では。というか早く受け取ってやれ」
「えーなになに……安全無欠の勇者録その1……」
安全無欠。つい最近聞いたことのあるような名前のような気がする。
あ、そうだ。この世界で一番有名な人だ。
「あ、あの! って、あれ?」
「魔女ならもう天狗っぽい奴と一緒に跳んでいったぞ。箒に跨ってな」
居ない……いつの間にか消えていた。すごく魔女っぽかった。
「いや魔女だ。にしても、絶好の参考書を手に入れたな」
なるほど、これは立派な指標の一つ。
私が抱えるこの理想を、どういう形で目指し、どういう風に築き上げ、どう在るべきなのか。
この本から学べるかもしれない。
本はあとで読むとして、今はこの世界をきちんと見たい。
色んな種族が対等に立って、色々なことをしている。
アルラウネが八百屋をやっていたり、サハギンが魚屋をやっていたり、ミノタウロスが牛肉を売っていたり、人間が人肉を売っていたりして……人肉!?
「め、めるへーん……」
「へぇ、すごいな」
商店街では様々な食材が売っていた。そして人肉も売っていた。
これは贖罪が必要なのではと私は危惧していますよ。
「イリス、ちょっと食べてみ……」
「駄目だよ」
私はアヤメの言葉を押しつぶすように強く言った。
驚いた表情をさせてしまっているが、駄目だ。
「いや、イリス。またとない機会……」
「絶対駄目だよ」
「……ちょっとだけ」
「そんなのメルヘンじゃないよ」
私はアヤメの手を取って引っ張る。
馬車のバスに乗り込んで、南部から西部へと移動する。
ユートピアへと続く線路の駅があって、アルカディアの西洋風の外観とは少し趣が変わってきている。
ユートピアは近未来的な理想郷らしいけれど、この辺りはどちらかというと都会的な感じだ。
大きなモニターとかあるし、あとやたらと駅前広場が広い。
ただ、今は立ち入り禁止になっている。昨日のお祭が白熱しすぎて、激しいバトルが行われたのだそうだ。
どうやらこの世界では駅前広場に大きなクレーターが出来たりするバトルが日常茶飯事らしい。
「なんだか不安になってきた……私はただメルヘンチックな世界を築こうと思ってるだけで、バトル系はちょっと」
「どんな国であれ世界であれ、外敵の存在というのはあるものだ。戦う力を身につけないとな」
「うぅ、痛いのは嫌だよ」
「私もだ」
馬車を降りると、地面が石ブロックからアスファルトやコンクリートになっていた。
まるで都会のよう……でも駅周辺であるここから少し離れれば、すぐにしょんぼりとした民家が並んだり、治安の悪そうな西部風の建物が並ぶ。
まるで田舎が駅の近くだけ都会っぽくした場所といった感じだ。
「うぐっ……」
「おい、大丈夫か?」
「うん、ちょっとびっくりしただけ」
異世界に来て、前世で過ごしたような場所を目にするとは思わなかったから、少しびっくりしてしまった。
前世にあまり良い記憶はない。そもそもこれといった記憶が無いのだ。
だっていつも空想だけを見てきたから。
「ねぇアヤメ、ここって現実なのかな、空想なのかな」
「さてな。だが前よりはお前と深く繋がることが出来た。それは事実だ。そしてお前が憧れたメルヘンに手を伸ばす機会を得た。あとはそれを確実にしていくだけだ」
「……出来るかな」
前世では見ることの出来なかった夢のような景色を前にしてさえ、私の体は臆病風に阻まれて進むことさえ出来ない。
あんなにも憧れたのに、あんなにも羨んだのに、足が進まない。心はワクワクよりもビクビクのほうが強い。
「やっぱり……やっぱり私なんかじゃ」
でも、その先が言えない。怖いけど、諦めたくない。だけど私には何も……。
いつの間にか震えていた自分の手に、暖かいものが触れる。
「私を見ろ、イリス」
「アヤメ……?」
「ほら、これを見ろ」
アヤメは私に、繋いだ手を見せる。
「今まで、私はお前の妄想でしかなかった。触れることさえ叶わなかった。でも今は触れる。お前は妄想の存在である私に触れることが出来る。体温もある」
「ほんとだ、暖かい……」
「もう一人に怯える必要はない」
そうだ。これからは一人じゃない。隣にアヤメが居てくれる。
誰からも見えないけど、私だけに見える彼女。
そうだ、一人じゃない。あの頃みたいに味方が一人も居ないわけじゃない。アヤメがいるんだ。
「ほら、観光を続けるぞ。私達の理想を叶える為に」
「う、うん!」
手を引くアヤメと引かれる私。二人で理想を叶えよう。
まだ叶え方もあやふやで定まらないけど、きっと大丈夫だ。きっと。