8話:その♀、うごきだす。
それから数日間、ぼくたちは至極穏やかな日々を過ごしていた。
あの日、屋上への階段で話してから、三條さんはぼくとアリスの様子をチラチラと見てくるようになった。
彼女なりに何か思うところもあるんだろうけど、変わったといえばそのくらい。今も基本的にはじっと窓を見つめている。
「じゃあこの問題を、そうだな……、雨宮。前に出て解いてみてくれ」
アリスも継続して学園に通っている。ちょうど今、ひな子先生の指示で前に問題を解きにいくところだ。
アリスは頭も良い。あの問題くらいは造作もないだろう。
……あれ?
そういえば、今日はどこか、教室の景色に違和感がある。
もっと言えば、黒板あたりが何かいつもと違う気が……。
「先生」
「ん? なんだ?」
「差し出がましいですが、今回は"マイ・チョーク"の使用をお許しいただけないでしょうか」
「マイチョーク……? まぁ良いが……それ、いつも持ち歩いてるのか?」
「ええ、嗜みとしまして」
教壇付近で、アリスはなにやら先生と話している。
プライベートのアドリブだとショートするけど、こと仕事や勉学のこととなるとそつなくこなすんだよなぁ。
まもなく、アリスは黒板へ。……って、なんだあの長いチョークは。
50cmはあるぞ……?
そしてその先端は、黒板を傷つけんばかりに鋭く尖っている。
「およ? 雨宮? その尖った物体はチョークなのか?」
「はい、解答を書く前に準備を要しますので」
そう言って、アリスはおもむろに黒板の端にその尖ったチョークを振りかぶり……。
――ブスリ。
「アッ――――――――――――――――――――!!」
刺した。
同時に、黒板から何かが剥がれ落ち、うめき声をあげながらバタバタとのたうち回っていた。
あの黒板と同色の物体……。
間違いない…………影井くんだ。
まさか黒板に擬態しているとは。さっきまでの違和感は彼が原因だったのか。
いやはや、今日の擬態は完璧すぎて全然気がつかなかった。
「影井……お前そんなところにいたのか……」
「ひーほっ、ひーほ……っ!」
影井くんはどうやら尻をヤラれたらしい。悶絶する彼をひな子先生はジト目で見下ろしている。
あの調子だと、先生も気づいてなかったらしい。
それにいち早く気づき、しかも『不審者には最大級の警戒を』の精神を貫いたアリスはやはりさすがと言うべきか。
アリスの能力を改めて思い知ったと同時に、影井くんのしばらくのトイレ事情を思うと涙してしまう……そんな木漏れ日降る午前の授業風景だった。
そんな穏やかな(?)日々を過ごしているうち、その日は訪れた。
♂ ♂ ♂
昼休み。
食堂で昼食を摂っていたぼくとアリス。その際、ぼくが手洗いにたった時だった。
用を済ませ、ハンカチーフで手を拭いながらトイレを出る。
ちょうどその時、見慣れた姿を発見した。
「三條さん……」
三條さんが、キョロキョロと辺りを見渡しながら階段を上がっていくところだった。
……屋上へと続くあの階段だ。
ぼくは迷うことなく後を追うことにした。
ぼくとアリスがよく落ち合っていた場所を通りすぎ、そのまま屋上の方へと向かう三條さん。
でも、ぼくたちはなんとなく、三條さんが近いうちにここを通ることを予感していたのだ。
この通りは、普段なら用務員や警備の人くらいしか入らない場所。言い換えれば、学園生が通ることなどまずない。
あの日、三條さんはここでぼくたちに『たまたま近くを通った』と、そう言った。
でもここは、わざわざでないと近づくことなどまずありえないところ……。
つまり、三條さんは何かしらの"用"があって、あの日もここに来ていたということになる。
この先で、三條さんは一体何をしているのか……それはわからない。
でももしかすると、彼女はぼくたちの思う以上に厄介なことを抱えているのかもしれない。
そんな嫌な予感があった。
「アリスにも連絡しておくか……」
スマホのメッセージアプリでアリスに経緯を伝える。
そうこうするうち、やがて三條さんは屋上へ続く扉へ辿りついた。
おずおずとした様子でドアノブを握り、体当たりでもするように重そうな扉を押し開く。
「お~、三條ちゃんじゃ~ん。今日もちゃんと来てエライじゃ~ん」
「ほんとほんと~」
(な……なんだ……?)
空の蒼が一面に広がる屋上。
そこには三條さん、その他に二人の人間がいた。