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雨の日

作者: 髙橋祐貴遠

…雨は嫌いだ。



細く糸のように降りしきる雨を見上げて、彼は小さくため息をついた。

傘は持っている。今日、この時間から雨が降るであろうことは知っていたからだ。

しかし、だからと言って、この憂鬱さ加減が減るわけでは全くない。

雨が降ったから憂鬱なんて、いったいどこの乙女だ、とばかげた考えが思い浮かぶ。


ほんの僅かに張り出した屋根の先を、まるで絹糸で遮断するかのように絶え間なく雨が降り続いていた。

遮断された世界の内側で、白くけぶった外界に出るのをわずかに躊躇したが、彼は躊躇した自分にあきれて首を振った。


傘はあるのだ。

しかも、大人ひとりなら十分濡れずに済むくらいの立派な傘が。


彼は外界に歩を進める。

白く灰色にけぶった世界に、黒い傘が咲いた。


なぜ雨が嫌いかと問われれば、それこそばかばかしい話をすることになる。

一言で済む話だ。傘が無かったのだ。

その一言で、最初から最後まで説明がついてしまう。

雨が降る。傘がない。結論はどうなるか…そんなものは火を見るより明らかだ。


体に叩きつけられる水滴も、足運びに合わせて跳ね上がる泥も、けぶる視界も、指先から熱が失われていく感覚も、全部鮮明に覚えている。

あのころは、たったそれだけでも嫌いなものができるほど幼かったのだ。


そういう時に、もし、頼れる人間がいたら、もっと状況は違っていたのかもしれない。

それとも、もし、他人の物を素知らぬ顔で奪うだけの傲慢さがあれば、彼は雨を嫌いにならなかっただろう。



あれ以来、雨は嫌いだ。



思考が元の位置に帰着して、ふと彼は足を止めた。

世の中には雨を楽しめる人間もいるそうだが、少なくとも彼にとっては到底理解し得ない存在だ。

白くけぶる景色を見渡す。唯一、黒い雨傘に丸く切り取られた内側には、外界で降り注ぐ雨糸は入ってこない。



それは、ほとんど視界のきかない景色をにらんだ刹那だった。



不意に側面から鈍い衝撃が遅い、彼の思考は一瞬景色から外れた。

はねた泥水が顔にかかり、濡れた足元の冷たさから地面に尻もちをついたとわかった。とっさについた掌が衝撃に対して鈍い痛みを発している。

瞬く間に全身を細い雨に打たれたが、濡れることを回避するよりも状況を理解しようとする意識がとっさに顔をあげさせた。


視界の先で、茫然と見開いた目がかちあう。


全身ぐしょぬれという、突き飛ばされた彼よりもひどい状態で座り込んでいたのは、まだ年端もゆかない子供だった。

手放した黒い傘は、両者の間に音もなく転がっていた。


空気が止まったかと思うほどの沈黙が刹那場を満たした。

その中で、先に状況を理解したのは彼のほうだった。


詰めていた息を吐きだすと、おもむろに彼は立ち上がり濡れた手をはたいた。

動こうともしない少年を尻目に傘を拾い上げ、持っていた荷物が無事であることを確認し、中から念のために持ち歩いていたタオルを取り出した。


そこまでたって、やっと我に返った少年が立ち上がり、慌てて頭を下げる。

傘もなく、手荷物もほとんどない少年ができる最大の謝罪がこれなのだろう。

泥にまみれた服装と、毛先や僅かに見える顔を雨粒が伝った。

少年の頬を流れていたのは、雨なのか何なのか。


彼は、深くため息をつくと、下がりっぱなしの頭にタオルを落とした。

目を丸くして顔をあげた少年の手に、開いたままの傘の柄を握らせる。

冷たくかじかんだ手に、しっかりと握らせれば、とり落とすことはないだろう。


なにがなんだか理解が追い付いていない少年をおいて、彼は雨の中を駆けだした。

無性に笑いたくなったのは、一体何故だったか。



雨は嫌いだ。


唇の端に僅かに笑みを浮かべながら、彼はつぶやいた。

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