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黎明と踊る  作者: 野良丸
独章
8/23

3


 アーシェは身体中にじんましんがでて、一週間、仕事を休んだ。ゴミ屋敷の客が出禁になったからか、さほどダメージは引きずっていないようだった。

 同じ頃、彼が店に来たときに、お姫様の護衛に選ばれたことを聞いた。出発は二ヶ月後になるらしい。往復で五日か六日の道程。その間は当然ながらここには来られない。ショック過ぎて顔に出ていたのだろう。店長に「たった一週間弱じゃねえか」と言われた。「じゃあ店長も同じ期間だけ禁煙しようよ」と言ったら黙ったけど。

 出発前日に彼は来た。いつもと同じ時間に来て、日付が変わっても一緒にいた。こんなことは初めてで、嬉しい反面、どこか不安でたまらなかった。

「危ない任務じゃないんだよね?」

 隣で彼が薄く笑う。

「ここで頷いたら、僕は護衛失格だね」

「茶化さないで。本当に心配してるの。無事に帰って来て」

「無事に、って?」

「怪我しないでってこと」

「約束するよ」

 口からでまかせでもよかった。きっと彼も、そんな私の考えを分かっていた。

 部屋を出る前に、チップをくれた。いつもよりも大きな金額。お礼と笑顔、それから不安と引き換えに受け取った。彼が帰ってから、そのことを店長に伝えたら、わざとらしいくらいに普段通りな反応が返ってきた。

 出発当日に、彼を見送りに行った。大通りを連なって進む車。彼より先に、お姫様に目がいった。車のカーテンを開けて、笑顔を見せていた。たまに手を振っている。その向かい側の席に、いつだか彼と一緒に歩いていた女の人が座っていた。給仕の服を着ていた。そっか。同僚だったんだ。

 それからすぐに彼を見つけた。目があったけど、すぐに人の壁で見えなくなってしまった。

 彼が店に顔を出したのは、結局、一週間も後だった。向こうの国でお姫様を狙ったテロリストと一戦交えたという噂だけが先に帰ってきていたから、それからは気が気でなかった。兵士や給仕の数人が殺されたというから、尚更。

 だから、待機部屋で彼の声を聞いたときは、飛び上がるほどに嬉しかった。ドアの前で待機して、店長が私の名前を呼びきる前に部屋を出た。

 彼は無事だった。怪我をしている様子はない。五体満足。それだけで十分なはずだった。

 でも、なんだろう。何かが欠けている。彼の顔を見て、そう思った。

「久しぶり」

 優しい声。違う。なにが?

 笑みを浮かべる。彼の前で作り笑いをしたのは、初めてかもしれない。会ったら抱き付いてしまうだろうと思っていたほどの高揚感は煙草の煙みたいに霧散した。

「久しぶりだね」

 彼は、客として来たわけではないらしかった。

「君に話したいことがある。少し外で話せないかな」

 確認のため店長を見る。

「話すのは構わねえが、外で長話されて風邪を引かれるのは困る。ここか、いつもの部屋で話せ」

「ならここで。店長にも聞いてほしいし」

 そう言ってから、彼は話し始めた。

「僕は、首都を出ていくことになった。元上司が、田舎に住むところと仕事を用意してくれたから、そこで暮らすんだ」

 驚いた。まるでショックを受けていない自分に。現実を飲み込めていないとかそういうことじゃあない。

 ただ、気付いてしまったんだ。

 今の彼は、もう二度と、前のように、私を抱いてはくれないということに。

 理由は分からない。根拠なんてない。でも、間違いなく。

 そのあと、私は彼に、田舎で一緒に暮らさないかと誘われた。残りの借金も、全部払ってくれると言った。

 断った。彼は驚く様子もなく、そっか、と言うと、店を出ていった。もう会うことはないんだろう。そう思った。

「いい誘いだったじゃねえか」

「自分の借金くらい、自分で返すよ」

「お前の親の借金だろ」

「まあね」笑ってから、訊く。

「私の親がどうしてるか、店長、知ってる?」

「ああ」

「どうしてる?」

「死んだ。紹介された仕事がキツかったんだろうな。逃げ出して、捕まって、制裁がいきすぎて、死んだ」

「そっか」

 なんとなく予想していた。いつからか、借金がなかなか減らないような気がしていたから。このタイミングで聞こうと思ったのは、今なら、なんの感傷も無いと思ったからだった。でも、その事実は、少しだけ、胸を軋ませた。

「今なら追い付けるんじゃねえか?」

 そう言われたとき、不意に思い出した。お姫様の顔。雑誌かなにかで見た、プロフィール。歳は私と一緒。身長もほとんど一緒だった。

 店長は真実を知っているのだろう。でも、確認するつもりはなかった。私は、十分に、納得できた。きっと彼のこともきれいに忘れられる。

「いかない。きっと、その方が、いいんだと思う」

 店長はなにも言わないまま、新聞をとって、広げて読み始めた。

 振り返ってドアを見た。誰かが来る気配はない。

 踵を返す。

 ノブを掴んで、待機部屋のドアを開いた。



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