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吹き飛ばしてしまってから

 ハンス・アーベルはフェヒナー家に一ヶ月に一度のペースで訪れている。

 理由は、ハンスがたまたまフェヒナー家へ訪れたとき出会った図書室の司書である青年、レズリーと仲が良くなったことからだ。

 ハンスと彼は話がよく合い、いつの間にか友と呼べる存在にまでなっていた。

 彼は貴族ということもあって、そんな存在ができたのは初めてだった。

 やがてハンスは彼と話すためにフェヒナー夫妻に許可をもらって一ヶ月に一度、通うようになる。

 しかし彼はフェヒナー家の人間から好まれておらず、毎回皮肉を浴びせられるために長居したくはなかった。

 だから毎回一日だけフェヒナー家の屋敷に泊まって朝一に発つことにしている。

 本来ならばハンスの屋敷からフェヒナー家の屋敷まで行く時間は半日程度のため、嫌な思いをしたくないならば日帰りでいけばよいのだが、そうすると移動している間に夜になってしまうのだ。

 町を少しでも離れればこの世界に存在するモンスターが襲ってくることがある。

 モンスターが乗り物に襲ってくることはほとんどないし、群れに遭遇する確率もゼロに等しい。たとえ襲われたとしても、ハンスと援護の兵とで倒せる。

 だが、モンスターは夜に狂暴化するものが多く、昼に移動するときに比べて危険が高まる。

 それでも、恐らく倒せないことはないとは思うがなるべく大きなリスクは避けたい。

 ハンスが一日だけフェヒナー家の屋敷に泊まる理由はそこにあった。


 そんなある日、フェヒナー家に訪れるといきなりフェヒナー夫妻の子であるローベルト・フェヒナー様から剣と魔法の試合をするよう言われ、ハンスはしぶしぶ試合を受け入れた。

 ハンスはローベルトより身分が低い。故にローベルトの命令に従わなくてはならなかった。

 とはいっても、自分も剣と魔法に腕の立つ者に教わりはじめて半年しか経っていないため、基本くらいしかできない。

 そう思いながら受けた試合。彼の実力は驚くものだった。

 上手かったわけではない、ひどすぎたのだ。ローベルトはただ闇雲に剣を振るだけだった。

 かといって身分上、ローベルトに勝ってしまうと後々面倒なことになるのが目に見えているため、ハンスは手を抜いてわざと負ける。

 するとローベルトは自分に自信を持ったのか、今度は彼を罵りだした。

 これには慣れっこだったが、少々屈辱的であった。

 フェヒナー家の三人は共に行動をすることがあれば、必ずアーベル家と自分たちを比べてそれを彼に聞かせる。

 初めこそ友と話すためだと思って堪えてはいたが、それでもハンスは徐々に疲れていった。


 結局、ハンスは今回の滞在でしばらくフェヒナー家に通うのをやめることを決める。

 「しばらくはこれないかもしれない」とハンスがレズリーに告げると彼は苦笑して「そうした方がいいかもなぁ」と言った。

 そしてその日の昼、事件が起こる。

 ハンスはもはや恒例となったローベルトとの試合をいつも通り行っていた。

 ローベルトは怪我すらさせられないような水魔法を飛ばして、ハンスがそれを避けることもなく受けると鼻で笑う。

 いつも通りの展開だ。


「お前は魔法が使えないのか? やはり汚い下級貴族などでは何もできないのか」

「……私の実力のなさは、身分には関係はありません」

「本当にそうか? 例えばお前の両親などはどうなのだ? いつも父さんと母さんにぺこぺこと頭を下げているだけではないか。身分が低いからこそそうやって生きていくしかできないのだろう?」


 いつもなら、毎回聞くようなこんな嫌味もハンスは聞き流せただろう。

 しかしハンスは馬鹿にされ続けることにストレスを溜め続けてきた。

 そして……


「――両親を馬鹿にするな!!」


 ついに耐え切れなくなった彼は風魔法をローベルトに向かって放ってしまったのだ。

 ローベルトの体は魔法によって数メートル後ろへと吹き飛ぶ。

 やがてゴッという鈍い音がしてローベルトが地面に落ちた。

 だが彼は起き上がってこない。 

 それを見て自分が何をやってしまったのか気づいてハンスの頭は真っ白になった。



*****



 ハンスはローベルトの父、ドミニクが怒るよりも先に頭に床を擦り付けて謝罪する。

 不幸中の幸いというべきか、ドミニクは確かに怒ってはいたが、それよりもかわいい息子が意識不明となってしまったショックで倒れてしまった妻、カテリーナの様子を見に行かなくてはなり、彼の処分を後回しにして医務室を後にした。

 ハンスは自然と医務室で待機することとなる。

 彼はローベルトが目を覚ますまでの間に、必死に言い訳を考えた。

 せめて、親には迷惑をかけたくなかったというのが彼の本音。

 しかし、結局良い言い訳は思いつかないままローベルトは目を覚ます。

 なすすべなくハンスは彼に正直に謝ろうと腹をくくった。

 ハンスがローベルトの顔を覗き込むと、彼は少しの間ぼんやりと天井を見ていた。


「ローベルト様!!」

「……はっ!!」


 短い声を漏らしてローベルトが急に起き上がったため、ハンスは慌てて彼から離れる。

 彼はそんなハンスのことなど気にした様子もなく、いきなり自分の胸をさわってため息を吐いた。

 ――どうしたのだろうか。

 少しして、ローベルトがポツリとつぶやく。


「いや、そもそも俺は死んだんじゃあ……」


 その言葉を聞いて、ハンスは自分の体の体温が奪われていくような感覚になった。

 さすがに死ぬというほどの威力は出していないが、それほどの恐怖を彼に味あわせたのかもしれない。


「も、申し訳ございません! いくら試合とはいえ、ローベルト様にお怪我をさせるなどっ……」

「お、おいっ……。俺は大した事ない。頭を上げてくれ。えっと……」


 そこで、ローベルトの言葉が止まる。

 ――名前を忘れたのか……?

 もしかしたら頭を打ったせいで一時的な記憶障害が起こっているのかもしれない。

 静寂が部屋を支配して、ハンスは顔を上げるにあげられない状況に困惑する。

 ハンスがそのまま頭を上げないでいると、代わりに頭上でガチャガチャという音がした。

 不思議に思って少し頭を上げると、ローベルトがベルトを外して乱暴にズボンを下ろそうとしている。

 唐突しぎるその行動に一瞬どうすればいいのか戸惑うがまずは混乱していると思われるローベルトを止めなくてはならないと思って彼の名前を呼んだ。


「ローベルト様!?」


 しかし、彼がやめる様子はない。


「おやめください、ローベルト様!!」

「これだけは確認しなくてはっ……」


 再び叫んでやめさせようとするが、そんなわけのわからない返事が返ってくる。

 ――一体何を確認しなければならないというのだ。

 そんな騒ぎに気付いたメイドは、何事かとノックをするのも忘れて中へ入ってくる。

 ハンスはローベルトとメイドの間に入ってやることもできずに二人を交互に見た。

 しばしの沈黙の後、ズボンを下ろしきった彼と、メイドの絶叫が部屋の中に響きわたった。

 その絶叫が聞こえたのか、医務室の近くに自室があるカテリーナの部屋にいたと思われるドミニクも慌てて入ってくる。

 ドミニクのほうはその状況に驚いて言葉すら出ず、口をパクパクとさせていた。

 ――ローベルト様は頭を打っておかしくなってしまったのだろうか。

 ハンスはこの後自分が、自分の家族がどうなってしまうのかと怯えることしかできなかった。

 結果、ハンスはそのあとドミニクにたっぷりと怒られたのだが、本人の様子がおかしい状況ではは処分云々以前の話なので、この件については事態が落ち着いてから家に連絡するという形で客用の部屋へと帰された。



*****



「そりゃあ、傑作だなぁ」


 図書室の友人、、レズリーに相談すると彼は人の気も知らずに腹を抱えて笑いだす。


「笑い事じゃないよ……」

「いや、あのプライド高きローベルト様が人前でズボンを下ろすなんてさ」

「僕の心配はしてくれないのか……」


 レズリーの心から面白がっている様子にがっかりしていると、なおも笑顔を浮かべながらレズリーが謝罪した。


「いや、悪い悪い。でも上手くいけば処分なしかもよ?」

「君の前向きな考えが羨ましいよ……」


 明らかに悪いなどと思っていない様子だが、それでもそんなレズリーの態度に呆れながらも笑みがこぼれる。

 彼と話していると少し気持ちが楽になった気がした。


 レズリーはそのあともハンスを元気づけようと他愛もない話を彼に聞かせてくれ、レズリーと別れて自分の使っている部屋へと戻るころには夜中となっていた。

 冬の部屋の中は、暖炉の火が消えていて少々寒い。

 ハンスは魔法で火をつけるとソファに座ってこれからどうしたものかと考える。

 五分くらいそうしてしていると、部屋の戸がノックされた。

 時刻はすでに日付が変わった後。

 ――こんな夜中に誰だろうか。

 不思議に思いながら返事をすると、「ローベルトだ」と返ってくる。

 ハンスはギョッとしてソファから立ち上がった。

 ローベルトが部屋に訪れたことなど、一度もない。

 庭で剣の素振りをしているときに話しかけられることならばあるが、そんな時の話の内容も「試合をしろ」くらいだ。

 この時間にわざわざ来るということは、今日の件についてに決まっている。

 ローベルトが落ち着いて、処分について決まったのだろう。

 ハンスは恐る恐る戸を開けた。

 少し見下ろしたところにローベルトの顔がある。

 それを見てすぐにハンスは頭を下げた。


「ろ、ローベルト様! 昼間のことは誠に申し訳ありませんでした!」


 しかし、当の本人はポカンと口を開けてから何度も首を横に振る。


「いや、こちらこそすまなかった。あれは避けられなかったのは俺の実力がないからだったんだ。それよりも、昼間の俺の言動を許してはもらえないだろうか」

「は……?」


 思わず声が漏れてしまった。

 ローベルトに謝れるなんて全く予想していなかったし、今まで一度も謝られたことなんかない。

 故に予想外な展開に虚を突かれたのだ。


「い、いえ。ローベルト様の責任では……」

「すまなかった」


 否定しようとすると、言い終わる前に頭を下げられる。

 ――これは本当にローベルト様なのだろうか。

 なんだか、ローベルトに頭を下げられるのは変な気持ちになり何とか頭を上げてもらおうと考える。

 その時、戸の外から冷たい空気が入ってきた。

 ハンスは戸の前から移動してローベルトを部屋の中へ招き入れる。


「あ、頭をお上げください。……もしよかったら部屋へお入りませんか? 今の時期、そのような薄着で廊下に居ては風邪をひいてしまいます」

「すまない、そうさせてもらう」


 頭をえげてもらうために部屋の中に移動してもらったのだが、ローベルトを部屋へ招き入れてソファに座ることを勧めると、逆に座るよう言われてしまった。

 本当にどうしてしまったのだろう。

 実際にこのような状況となったのは今回が初めてだが、こういう時は堂々と座るものだと思っていた。

 ――それに、短時間に二度も謝られることになるとは……。

 いつもなら自分がしてしまった失態もすべてハンスへ擦り付けてくる人間がそんなことをするなんておかしいとしか言いようがない。

 もし、本当に頭を打ってしまったことでローベルトがおかしくなってしまったのだとすれば、それはなんだか申し訳なかった。

 ハンスがローベルトの様子をうかがっていると、重々しく彼は口を開く。


「ハンス、俺に魔法と剣を一から教えてはくれないか?」

「剣と魔法を……ですか?」


 再びの予想していなかったローベルトからの頼みに聞き返してしまう。


「ああ。今日の試合で俺はお前が手を抜いていることに気づいたんだ。そして、自分の実力のなさを思い知らされた……。だから、俺よりも実力のあるお前に教えてもらいたいんだ」


 ローベルトの顔は真剣そのものだった。

 何度も頭を下げるローベルトに戸惑いながら一度ローベルトを落ち着かせようとする。


「ローベルト様、貴方のような方が私に頭を下げるなど……」

「俺も、強くなりたいんだ。そこに、身分など関係はないはずだ。頼む!!」


 しかし彼は本当に必死の様子でハンスにさらに頭を深く下げた。

 この状況を他の人間に見られたらすぐに噂になろことだろう。

 何とかして頭をあげさせたかった。

 おそらくローベルトはハンスが頷くまで頭を上げてはくれないだろう。

 ハンス自身剣や魔法を習っている身で教えられることは限られているし、ローベルトとはあんまりかかわりたくはないのが本音だ。

 しかし、昼間の出来事もある。


「……わかりました」


 仕方ない、と自分に言い聞かせてからハンスはローベルトが諦めてくれるよう話す努力をしてみた。


「しかし、そもそもあまり、ローベルト様とお会いする機会がないのではないでしょうか?」


 こういえば諦めてくれるかもという期待があったのだが、ローベルトは「そうか……」と言って黙ったかと思うと、一つの提案をしてきた。


「……ハンスのもとに俺が滞在する、というのはどうだろうか?」

「え……」


 ハンスはすぐに反応ができなかった。

 さっきから予想ができないことばかり起こっていてどう反応すればいいのかわからない。

 ハンスが動揺しているのを感じたのか、ローベルトが苦笑いを浮かべた。


「いや、俺の屋敷にハンスは長居したくはないだろうと思って……」

「め、滅相もございません!」


 考えを言い当てられてしまってハンスは身を固める。


「それに、俺もたまには屋敷の外に出てみたいんだ」


 外ならいつでも出られるじゃないか、とは言えるはずもない。

 フェヒナー家に寝泊まりするのか、自分の家にローベルトを招き入れるか……。

 ハンスの立たされている状況と身分からローベルトの提示したその二択で選択するしか道はなさそうだ。


「……そういうことでしたら。私が帰った後、両親の許可を得てみます」


 この屋敷に居続けるよりは、自分の屋敷での方が落ち着けるだろうと思ってハンスは了承する。

 ……家族には申し訳なかったが、ローベルトを吹き飛ばしてしまったこともあるためにうなずくしかない。


「すまない。ありがとう」

「い、いえ……」


 ローベルトに頭を下げられたり、謝られたり、礼を言われたりと今日は驚くことばかりだな、と思いながら部屋を立ち去るローベルトの後ろをついていく。

 その原因が自分ならば、やはり申し訳ないが。


「また詳しいことは手紙を送らせていただきます」

「ああ。夜遅くにすまなかったな」


 部屋を出ていくローベルト様を見送ってからハンスは部屋の戸を閉める。

 ローベルトが去った後もハンスはなかなか寝付けなかった。

 半分は、家族への申し訳ないと思う気持ち。

 もう半分は、ローベルトの言動への違和感で。



*****



 次の日、半日かけて馬車で自分の屋敷へと戻ると真っ先にルトガーのもとへと向かった。

 そして、自分が魔法でローベルトを吹き飛ばしてしまったこととローベルトがアーベル家の屋敷でハンスに剣と魔法を教えてほしいと頭を下げてきたことを伝えると、ルトガーは顔を真っ赤にして怒りだす。


「あれほどフェヒナー家の屋敷へ訪れるときには気を付けるよう言っておいたというのに、お前というやつはっ……」

「……すみません」


 ハンスはきちんと父親の顔が見れなかった。

 ハンスがうなだれているとルトガーは途中で叱りつけるのをやめて、ため息を吐く。


「……しかしだな。お前が少し抜けているのは知っていたが、このような失敗は珍しいな。何かあったのか?」

「いえ、気を抜いてしまって……」


 まさか、家族を侮辱され怒ってしまったなどとは言えなかった。

 それを聞いたルトガーはやれやれと肩をすくめる。


「しかし、断るわけにもいかないな。……とにかく、あまりローベルト様が気にしていらっしゃらなかったのは、救いだな」

「はい……」

「では、三日後にお前の方から迎えに行くように。手紙は書きあがったら執事に渡してくれ」

「はい」


 ハンスは話を終えると、すぐに手紙を書いて執事へ渡した。

 そして三日後の朝にフェヒナー家へ着くよう、二日目の夜中のうちに屋敷を出発する。

 夜に外へ出ることは初めてで緊張はしたが、何事もなく明け方にはフェヒナー家の屋敷へ着くことができた。



*****



 フェヒナー家に到着するとすぐにローベルトが現れる。用意をして待ち構えていたようだった。

 ハンスが挨拶をすると挨拶を返され、自分の耳を疑った。

 さらに馬車が小さくて申し訳ないというとローベルトは別に気にした様子もなく、逆に褒めてくる。


「そうか? 俺は無駄に広いものより、いいと思うが」


 この場面はいつもだったら文句を言われている場面だった。

 ――やはり、僕が魔法を使ってしまった日に頭を打たれたのが原因なのだろうか。

 そんな不安を抱えずにはいられなかった。

 馬車を走らせてから少し時間が経つとローベルトが心做しか、元気がなさそうなこと気付く。


「どうかされましたか?」

「いや……屋敷に居づらくて」


 今まで自分の家の事ばかりを自慢していた少年とは思えない発言にハンスはローベルトをまじまじと見てしまった。

 ――本当に何があったのだ。

 ここまで様子が変わってしまうと、幻覚魔法を使って誰かがハンスにローベルトの姿を見せているような気すらしてくる。


「ご両親と喧嘩をなされたわけでは……ないのですよね?」


 そうなると両親とでも喧嘩をしたのだろうかと思ったのだが、ローベルトを見送りに来ていたフェヒナー夫妻の姿を思い出してそれはないな、と思い返した。

 ハンスが原因を考えているとさらにローベルトはらしくないことを口にする。


「ああ。……でもやっぱ、俺は嫌われ者だなぁ、って実感するっていうかさ……」


 ――これは、異常だ。

 なんだか天変地異でも起こってしまいそうなくらいに様子がおかしい。

 ハンスは自分がやってしまったことの重さに頭を抱えた。

 あの、鈍すぎるローベルトが周りの目を気にしている。

 やはり数日前のあれは相当重症だったのだ。


「でも、ご両親は……」


 ここで黙るのはよくないと思ってハンスは口を開く。


「両親だけ、だろ?」


 しかしハンスが言い終わる前に、ローベルトに口を挟まれてしまった。


「それは……」


 何も言えなくなってハンスはは口ごもってしまう。

 今の彼には嘘もお世辞も通用しなさそうだった。

 ローベルトの表情はとても悲しげに見える。

 笑っているけれど、今にも泣きそうな顔だ。

 ローベルトのその表情に初めてハンスは彼が周りの人間と変わらない一面を見た気がする。

 静寂がハンスとローベルトの周りを支配した。


「……せめて、友達って呼べる存在を作れるようにしなければ……」


 少しして、ボソッと聞こえるかどうかというほどまで小さい声でローベルトが呟いた気がした。

 その言葉を聞いてローベルトは自分と分かり合える存在を探しているのだと感じる。

 そう考えれば、彼の今までの言動も仕方ないものに……はさすがに思えなかったが、自分にも似たような時期があったため、少し共感はできた。

 ローベルトに昔の自分を少し重ねてしまったからだろうか、自分ももう少しローベルトに対する考えを改めてみようかと思えてくる。

 ハンスは重くなってしまった周りの空気を変えるためにも自分の屋敷の周囲の話をしてみた。

 彼は途中で眠ってしまったのだが、その寝顔が思った以上に幼く見えてしまって少しおかしくなった。

 もしかしたら、彼は少し……というか結構、正直になれないだけなのかもしれない。

 ――そしてそれを直そうとしているだけなのだとしたら、自分はどうするべきなのだろうか。

 そんなことを考えて馬車に揺られること半日。

 最近寝不足だったのだろうか。ローベルトは目的地に着くまで、一度も目を覚まさなかった。



*****



 二人がアーベル家の屋敷へ着いてルトガーがローベルト様に挨拶を交わした後、ローベルトが部屋へ案内されたのを見送る。

 二人の姿が屋敷の建物の中へ消えていくと不満げにハンスの妹であるクラウディアが彼へと近づいてきた。


「お兄様」

「ディア。どうしたの?」

「その……何故ローベルト様を屋敷へ招いてしまわれたのですか?」


 クラウディアは特にローベルトと面識があったわけではないと思うが、目を釣り上げて相当不機嫌そうである。


「それは、僕が……」

「それはお聞きになりました。しかし、どうせ向こうから挑発でもされたのでしょう?」


 クラウディアはまるでハンスの行動をすべてお見通しとでも言わんかのように言い当ててしまった。


「図星ですか、お兄様」

「うっ……」

「相変わらずそそっかしいというか何というか……。とにかく早く追い返してしまってください!」

「こら、ディア。そんな大声を出して、聞こえてしまったらどうするの?」


 ハンスとクラウディアの母、カミラが叫びだした妹を静かに叱る。


「お母様……だって……」


 クラウディアの気持ちはよく分かるのだが、ローベルトの素顔を見てしまったかのような気になっているからだろうか。

 ハンスは今の妹の意見に共感はできなかった。

 カミラはため息を吐いて妹に説教をし始める。


「貴女はすぐ思っていることが態度に出るのだから、せめて本人の近くでは控えなさい」

「お兄様はいいのですか」


 ――何故そこで僕の名前を出すのか。

 言い返したくなったが、口喧嘩は妹の方が強くて負けが決まっているのでハンスは口をはさむのをやめた。


「ハンスは貴女ほどではないわ。……少しくらいハンスを見習って、苦手な方とも接せられるようにしなさい」

「ローベルト様は苦手ではなく、嫌いなのです」


 カミラはクラウディアの言葉にこれ以上言っても無駄だろうと肩をすくめ、黙ってしまう。

 しかし、今のカミラの発言でハンスは一つ案を思いついた。

 そしてクラウディアの肩を優しくつかむ。


「――ディア、ローベルト様との友好関係を築いてくれないか?」

「……はい?」

「どうも、ローベルト様は頭を強く打ってしまったらしく、様子がおかしいんだ。しばらく彼の様子を見てやってくれ」

「何で私なのですか!? お兄様がなさればいいではありませんか!!」

「こういう役割は、同い年のディアが適任だと思うんだ」


 抵抗するクラウディアに半ば押し付けるよう説得をした。

 ハンスがクラウディアに持ち掛けた頼みを聞いて、カミラが目を輝かせる。


「まぁ! それはディアにも良い経験になるわね!」

「お母様までっ……」


 クラウディアはローベルトと同じく八歳。

 そして、必死に抵抗していたクラウディアだったが、母上の一言であっさりと頷いてしまった。


「ディア、しばらくおやつの量は見逃しましょう」

「やってみせます、お母様」


 カミラはクラウディアにおやつの制限をしている。

 というのは、クラウディアが相当な甘党であるからだ。

 一度、屋敷のお菓子がすべてクラウディア一人によって底を尽きた事件は屋敷の中で有名になっている。

 クラウディアはどうやら、甘いものならいくらでも入ってしまうという特別な胃袋を持っている様だった。

 そして、クラウディアの体重も大幅に増え、貴族としてそれはいけないと必死に運動をして体重を戻したとか。

 それから、カミラははディアにおやつの制限をかけていた。

 ハンスはもともと甘いものは苦手な方で、そういったことはないのだが彼にはブート・ジョロキア禁止令がでてしまっている。

 彼はクラウディアとは対照的に辛党で、ブート・ジョロキアという辛すぎるで有名な唐辛子を好む。

 一度、小遣いをすべて屋敷の近くに売っているブート・ジョロキアや他の唐辛子に使い果たしてしまい、屋敷の周囲の店は一時的に唐辛子がなくなるという事件を起こしている。

 本人は辛いものならばいくらでも食べられる舌を持っており、買いだめた日には使用人やらに笑顔で配って回ったという。

 その結果、ブート・ジョロキアをもらった使用人らはあまりの辛さに失神してしまったり体調不良を訴えたりして使用人の約半数が働けなくなるという事件を起こしてしまった。

 恐ろしいのは、本人に「自分がやってしまった」という自覚がなく、「食中毒」という認識を持っていることである。

 このようなことが起こらないようにルトガーがハンスにブート・ジョロキア禁止令を出した。

 そんな唐辛子事件とクラウディアのお菓子事件は『アーベル家四大事件』のうちの二つとなっている。

 そういうわけで、究極な甘党であるクラウディアにとっては、お菓子の量増加とは何よりもうれしいことだろう。

 そして一度「やる」というと、最後までやりきる性格のために投げ出す心配はない。

 何故自分がここまでローベルトのことを気にかけているのか、ハンス自身もよく分からないのだが、孤独という寂しさを彼もも知っているため、放っておけなかったのだ。

 と、この疑問を簡単に片づける。

 クラウディアは早速自分のおやつのためにローベルト様の部屋へと向かっていった。

 ……しかし、何故クラウディアがあそこまでローベルトを嫌がるのか、その理由が噂だけではないように思えてハンスには少し首をひねる。

 しかしその考えはすぐに頭の隅へ押し込んだ。

 ――今のところ、様子見かな。

 雰囲気の変わったローベルトの様子を見ることをハンスは心に決めた。

ちょっとした知識。ブート・ジョロキアを食べて救急車送りになった人もいるらしいです。


まさか1万文字になっているとは思わなかった。

ここは少ししたら第二次修正の予定。あと、もしかしたらカットする場面が出てくるかもしれません。

何話かに区切ることは決めています。


一人称から三人称にしたので、セリフ以外のところで不自然に「ローベルト様」「父上」「母上」「ディア」「僕」などがありましたら教えていただけると嬉しいです。

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