前編だくそったれ
葉月。盆休みも最終日となった或る蒸し暑い午前十時。玉砕市駅前商店街。居並ぶ開店前のシナ料理店、仏具屋、理髪店、餅屋、金魚鉢屋・・・…他。アーケードの透明の天蓋からは早くも白銀色に煌めく招かれざる陽光、降り注いで。
なにせ愚痴めいた話から始めるようで申し訳ないのだが、この度の家人の実家への帰省も誠にもってストレスフル、いつものことながら心労と汚辱とに塗れ、この上なく意識の底辺を白濁させるものであった。
どうしてか?
なにも帰省、或いはUターンラッシュの渋滞に疲弊したからではない。
家人と母との仲が異様に悪いからだ。
断っておくが、家人と姑ではなく、家人と、その実母との仲である。これがまぁ犬猿の仲というか、はっきりいってむんぬすごく悪い。悪すぎる。
私が見る限りの事、家人とその母、二人とも、それぞれ一個人としては全く偏った類の人間ではない。母はどこにでもいる初老の上品な夫人であり、家人は三つになる娘を連れた三十代前半のごくごく平凡な主婦。博打に手を染めているだとか、酒に溺れているだとか、ヘロインに依存しているだとか、万引き癖があるだとか、色んなものがくっきりと鮮明に見える成人向けビデオに出演したことが有るだとか、そういった世間一般に有りがちな屈託とは全くのところ縁遠い二人である。にも関わらず、この二人がかちあうや、互いの何がそんなに憎いのか?ほんの些細なきっかけでもって突発的に口論が始まり、茶碗が飛び交い、取っ組み合う。
そうなると家人の父、つまり家人の母の夫、つまり私の義母の夫、つまり私の義父などは勝手知ったるもので、「煙草が切れたので買ってくる」なんて云って実に上手に用事を作っては家から脱走してしまう。となると取り残された私は腐っても親類。それを無視しているわけにもいかず、さりとて義父を追って逃げるわけにもいかず、そうしてやむなくその仲裁に入る、といった按配なのだが、大体からして母娘の因縁めいた争いに血縁上は他人の、ましてや男が割って入るということ自体に相当な無理があるわけで、「お義母さん、まあまあ落ち着いて落ち着いて」「これ瑠璃江や、それはお義母さんに対して言い過ぎと言うものだろう。いやいや、お義母さんの肩を持つだとか、そういうことではなくてだね」「あわわわわ!お義母さん、刃物はまずいっすよ刃物は!」などと私はひとり右往左往するも、右往左往してみたところで争いは一向に止まないどころか更にエスカレート。そして怒りの矛先はとうとう私に向けられるに至り、そもそも貴様の稼ぎが少ないからこんな事になるのだ、この窓際族、宿六、などと理不尽極まりない罵声が容赦なく浴びせられ、しまいに義母は薙刀、家人は刺身包丁などを各々持ち出してきて私を市中追い掛け回す、と、一事が万事こんな具合であって、私は一人、心身共に無用極まりない疲労困憊の極致へと毎度追い込まれるのである。なんでやねん。
とまれ、そういった事情から今朝は昨日までの三日間の帰省にて擦り減った自分自身を慰め、そうして明日から再び始まる勤労の日々に向けて鋭気を養うべく、ならば早速、上等のスコッチウイスキィでも買ってきて大いに呑みましょうと私はぶらり商店街くんだりへと赴いた由であった。尚、この案には家人も大賛成である。酒でも喰らい、あの忌ま忌ましい実母の事などさっさと忘れてしまいたいなどと酷い事を言う。そんな家人を見るに、それほどまでに憎いのならばわざわざ帰省なんてしなければよいのではないか?と私は内心で思うのだったが、これがまた不可解な事に正月、ゴールデンウィーク、盆など連休が近づいてくるにつけ、いつも彼女は喜々として帰省を立案計画、その日を待ち遠しくしているのだから女という生き物はつくづく解らない。
「ん?」
さて、商店街のアーケードはやや騒然。いつもの静かな休日の朝とは一味も二味も異なった様子を見せていた。
見ると大小様々なステージがアーケード内のあちらこちらに点在し、それらをお揃いの黒いティーシャツを纏った多数の苦力風の男達が解体、それに伴って発生するベニヤ板やら鉄パイプやらコンクリート片やら、といった廃材を次々と運搬、あらぬ方面へと運び去っている。しかるに、それら作業の殆どは手仕事であり、ステージを解体するそれに於いてすら、工具らしい工具は殆ど使用されていないようで、なにしろベニヤ板などをベリベリベリと素手でもって引っぺがしなどしているのだ。無論、廃材の運搬も手運びであって効率の悪いこと夥しい。
しかしながら、そういった効率の悪さ以上に私の目を惹いたのは彼ら苦力の出で立ちである。
彼らがその上半身に黒いティーシャツを着用していたのは先に申し上げた通り。そんな事はどうでもいい。じゃあ何が目を惹くのかって?それはニ点あって、まずは一点、その下半身である。というのも、彼らの下半身は皆一様に一糸纏わぬあられもない姿であって、玉袋なんかをぶらぶらさせ、さすがは肉体労働者、ティーシャツの裾が隠しきれない浅黒い尻の下半分などは実に逞しくてぷりぷりとしているのだ。
もう一点は彼らの頭である。
脳味噌が、剥き出し。
と思いきや、よくよく目を凝らして見てみると、それはめっちゃくちゃにリアルな脳の絵が描かれた帽子であった。一体誰がなんのためにこんな帽子を作ったのか?なんのために彼らはそんな帽子を被っているのか?大脳部分に描かれた皺の一本一本といい、脳全体が頭蓋の中で髄液に浮かんでちゃぷちゃぷとたゆたっているような描写といい、やや赤みがかった乳白色の髄液の濁り具合といい、その絵柄は精緻に過ぎ、それが本物の脳でないこと、頭蓋と頭髪がそっくりそのまま「がぱっ」と取り払われ、その代わりに透明のプラスチックなどのカバーが被せられているのでは決してないということは、それなりの注意をして観察しないと分からない程である。そこで通りざま、彼ら一人一人の脳みそを横目にさりげなく観察してみるに、彼らの脳模様は完全には統一されていないようで、右脳が不細工に膨れ上がったものもあれば、大脳自体がまるで萎んでいるかのように小さくなっているのもあった。色彩も正に文字通り十人十色で、薄茶色のもの、妙に黒っぽいもの、妙に白っぽいもの、赤っぽいもの、紫色、緑色、金色、銀色、七色混合……とにかく枚挙に暇がない。おお、灰色の脳味噌の奴もいる。ということは、あいつは名探偵ポアロだ。ほっほっほ。面白。
そんな色とりどりの脳味噌に気を取られて面白がっているうち、私はいつしかアーケードを抜けた。
目指す酒類小売屋「硫黄」はアーケードから出たすぐのところを横に走る片側二車線の大通りを渡った向かい側に在る。因みに、この大通りを渡らずに右へ行けば駅だ。
店の暖簾をくぐると、六畳間ほどの狭い店内には硫黄のような臭気が立ち込めていた。売り物でもないのに店のどこかで温泉卵を茹でているとの専らの噂。そして店奥のレジのところにはヒッピーのようなサイケデリックな衣装の婆あが座ってる。そこで私は早速ながら店に入ってすぐ右隣の埃がかったウィスキー棚へ手を伸ばし、まあ無難なところということで七百二十ミリリットル入り千二百円のバランタインを確保する。ついぞ先ほどまで上等のスコッチウィスキー、などと云っていたのに、我ながらスケールの小さい男である。しかし、これを瑠璃江は飲まない。どういうわけだか瑠璃江は安物の甲類焼酎しか飲まないのだ。それも安ければ安いほど良いらしく、以前、五リットルペットボトル入り千円などという如何にも怪しげな焼酎を自らどこからか仕入れて来、それを一人で一晩で空けてしまった事もある。どんな女だ。それへ試しに私も少し口を付けてみたのだが、目玉の飛び出るような臭さで途端に気分が悪くなってしまい、それ以上飲む気にはとてもならなかったのを覚えている。とまれ、そんな事情もあって私は適当に安くて不味そうな焼酎を次に探す事とした。
「やれやれ、あんたも等身大かぶれかい?」
「は?」
探している最中、婆あが声を掛けてきた。
「昨日まで祭りだったからねえ。毎年、この祭りが終わった後は、み〜んな等身大だとかなんだとかでケチな買い物しかしなくなる。昔はこんなことなかったのに……困ったもんだよ。全く」
「あ、そうか。昨日まで祭りだったんですね」
全く、せっかく人が買い物に来てやっているというのに、上等のスコッチウィスキーを選ばないからと云って、安くて不味そうな焼酎を探してるからと云って、「ケチな買い物」とは随分な言い草だと思ったが、そうだ、昨日までの三日間、私たち家族が帰省している三日間、玉砕市内では例の「等身大ストリート」が開催されていたのだ。
等身大ストリートとは例年、よりによってお盆休みのど真ん中に市が総力を挙げて大々的に催す祭りのようなものであって、この間、市の主要道路はことごとく交通規制。そうして歩行者天国となったストリートのあちこちには仮設ステージ、露店商、催し小屋などが組み上げられ、近県そこかしこより訪れる見物客はのべ一千万人。市内は一時的にとんでもない混雑を見せるのである。
しかし、私は敢えてはっきりと言わせて頂く。
ちっとも面白くない。
一体全体、なにがそんなに面白くて毎年毎年これほど多くの見物客が飽きもせずにやってくるのか?私にしてみればいささか理解に苦しむところなのだが、何しろこの祭り、「等身大」などとわざわざそのタイトルに標榜されている通り、「肩肘張らず、日常のありのままの等身大の自分をさらけ出そう」とでもいうようなコンセプトを持っていて、その基本的姿勢たるや、ありとあらゆる祭りの出し物に於いて徹頭徹尾、貫かれているのだった。
例を挙げるならば、先刻苦力達がアーケード内で解体にあたっていたステージである。これらのステージ上では恐らく昨日までバンド演奏、演劇、ポエトリーリーディング等等の各種表現活動が活発に展開されていたものと目されるが、以前に私が観たその内容ときたら、例えば「平社員、増岡辰二郎の通勤風景」などと銘打たれた芝居では、朝七時半、三十五年ローンで昨年購入したばかりの3LDK七十平米のマンションを出た増岡辰二郎が駅までのおよそ十分間の徒歩を経て駅の売店で経済新聞を購入、快速電車に乗り、地下鉄に乗り換え、再び歩いて雑居ビルの七階の事務所に出勤する、といった余りに日常的に過ぎる一部始終が何のドラマ性もヒネリもなく、ただ延々と平坦に演じられた。
バンドの演奏なんかも凄い。この祭りのステージに登場するバンド連中ときたら殆ど高校生ぐらいの年端もいかぬ若者達ばかりであったのだが、ところが、その荒削りな演奏に乗せて歌われる内容たるや例えば「上見て暮らすな。下見て暮らそう。幸せはあなたの足元に転がっている」という何とも夢のない、味気のない、ある意味で達観したとも取れるメッセージソング、はたまた「地方公務員の採用試験に今年は落第してしまったが、さりとて不況の折、民間企業への就職なども中々おぼつかない今の世であって、なので一年間は就職浪人をし、来年もう一度公務員試験を受けてみて、それで駄目なら叔父のコネでどこか適当な働き口を見つけて貰おうと思っている」などと一体誰がそんな話を聞きたいと思うのか?首を傾げずにはいられないような、若いくせにそんなしみったれた歌ばかりなのである。
更に市役所の1F憩いのコーナーでは写真展なども催された。賢明な読者諸君にはもう既にお察しがついているものと思われるが、その通り、そこに展示された市民有志の写真の被写体なんつったら、はは、行きつけの飲み屋の出し巻きだとか、コンビニでエロ雑誌を立ち読みするおっさんだとか、マンホールの蓋だとか、缶コーヒーだとか、鉄パイプだとか、とにかく下らない。非日常性、芸術性というものがそこからは徹底的に排除され尽くしていたのだ。
考えてもみて欲しい。
平凡な日常、ありのままの日常、等身大の自分。それらは確かに素晴らしい。大切だと思う。
だが、そもそも祭りというのは、そういった日常を敢えて一時的に忘れ、山車を牽いたり、神輿を担いだり、別に美味しくもないたこ焼きとか焼きそばとかを屋台で買って食ったり、風船ヨーヨーをぶら下げたり、金魚を掬ったり、踊ったり、歌ったり、といったある種の「非日常性」につかの間の身を委ねる事、そんなところに醍醐味があるのではなかったか?しかるに、そういった非日常性を徹底的に排除するどころか、あまつさえ日常にも増して日常を、スポーツ新聞のような日常をワザワザこれ見よがしに見せつけるような祭りに足を運んで一体何が面白いというのか?
「確かにねぇ。あんな祭りの何が面白いんでしょう?僕なんか玉砕市に越してきてから六年になりますけど、最初の年に一回だけ観て、あんまり馬鹿馬鹿しかったもんだから、それからは一度も観てないですよ」
依然として焼酎を選びつつ婆あの方へは顔を向けず答えた。返事がない。愛想のない糞婆あだ、と、婆あを見やる。すると婆あはとても悲しそうな表情のまま俯き瞑目し、微動だにしないでいる。仕方ないので五分ほど待つ。動かない。
なんということだろうか。息をしていない。婆あは死んでいた。
右肘のごく軽い切り傷が包帯の中でしくしくと痛む。昨日、義母から薙刀でもって切り付けられた傷。立ち込める硫黄の臭。
私は代金をレジの横に置いて「硫黄」店外へと。この後、誰かがあの店に入ったらば婆あの死体を発見し騒ぎ出すのだろうか?もしも店から出る自分を目撃されていたら、或いはあらぬ疑惑が私に掛けられる?いやいや、知らん知らん。あの婆あの死はどう見ても自然死だ。おのれ、ふざけた婆あだ。わけのわからぬタイミングで死にやがって。俺は私は知らん。糞っ。表は、相変わらずの強烈な日差し。
さて、気を取り直して、あとは再びアーケードを戻り、社宅へ立ち帰って昼酒ならぬ朝酒を呷るばかりであった。のだが、さて、この時、ついでだから駅前のメイン会場へ寄ってみよう、などという気まぐれを何故か起こしてしまった私は後から思い返すに本当に馬鹿である。馬鹿馬鹿馬鹿。わしの馬鹿。そこに数多の不運、そして数奇な運命が待ち受けていようなどとは無論、夢にも思わぬまま。
たどり着いたメイン会場特設ステージの前はアーケードの中にも増して騒然としていた。なにしろ、このステージときたら馬鹿デカい。先程見てきたミニステージなど比べ物にもならず、まるで高原などで行われるロックフェスのそれの如く巨大かつ立派で、等身大祭り如きに使われるのはつくづくもったいないと思う。当然、それを解体せんとする苦力の数も優に百人を超え、人いきれにムッとくる。それにしても彼らの出で立ちはつくづく等身大ではないなあ、と私は呆然と眼前の光景を見やるのであった。
等身大でないといえば、彼らの雇用環境も現代日本に照らし合わせてみれば決して等身大ではないようだ。そもそも冒頭より私が彼らを敢えて「苦力」などと前時代的な呼称で呼んでいたのには理由がある。なにしろ彼らの労働具合といったら傍目にも過酷そのものであって、下半身剥き出し、玉袋ぶらぶら、工具を使わない素手作業、といった諸条件もさることながら、彼らの表情には一様に深い疲労の色が浮かび、恐らくその様子では昨夕から一睡もせずに斯かる苦役に従事させられていたのであろう。更に、このメインステージの解体現場に至っては、馬に乗った男が数人巡回し、些かへたばり気味の苦力を手にした角材のようなもので容赦なくひっぱたいていたのだ。これではいくら頑丈な肉体労働者とてたまったものではない。あまりに非日常的、前近代的な現場模様。等身大のしわ寄せがこんなところに来ているのだろうか?今年の標語なのか?ステージの上手では「揉み出そう!等身大の私!」などと大書された垂れ幕、今にも降ろされようとしていて。
そんな現場をぼんやりと眺める私。バランタインと焼酎の入ったビニールをぶら下げ眺める私。そこへ、やがて馬に乗った男が居高々に一人、近づいてきた。