sect:4
翌日のことだった。
「怪異」の遭遇情報がSNSに投稿された。投稿者の名前は「himiko」。宮田さんのことだ。
僕らが現場に向かっている時のことだった。
「怪異」の正体はわからず、ただ「怪異」が原因としか思えない状況だそうだ。
詳細はわからず、ただ町はずれの廃工場に何かが起こっている。とのことだった。
そこに、彼女たちはいた。
僕が廃工場のドアを開けると、中は薄暗く、まだ日はそれなりにあるというのに、天窓からはほとんど光は入ってきていなかった。
「オカルト研究部のみなさん、こんにちは!先日はご迷惑をおかけしました!」
無邪気な笑顔で僕らに話しかける宮田さん。その横ではニコリと笑って会釈をする佐々木がいた。
「やぁ、宮田さん。こんなところで奇遇だね。」
「本当に奇遇だとお思いですか?」
「君達は…、一体…。」
宮田さんの顔から笑みが消える。
「大体勘付かれてしまっているみたいですね?」
僕はうなずいて返す。
「いあいあはすたあさん、こんなハンドルネームを使うと言う事は旧支配者はご存知ですね?」
「ラヴ・クラフト」
僕はある作家の名前を挙げる。
「さすがです。彼は自らの感じた恐怖を小説につづっています。彼は生涯「怪異」におびえ続けていました。極めて変質的なまでに」
宮田さんが言い終わると、佐々木さんが口を開く。
「そして私たちが生まれました。彼の恐怖が、私たち『旧支配者』という『怪異』を生み出して世界の因果に押し込んでしまったのです。」
怪奇小説作家が生んでしまった強大な「怪異」、というところか…。彼の作品は多岐にわたって二次創作され、全世界で読まれてきたものだ。納得はできる。
「ええ、その通りです。ご納得いただけたようで。」
彼女たちは僕の考えを読んだかのように同時にそう言った。
「それで?その旧支配者さん達が俺たちに何のようだ?」
少しの沈黙のち宮田さんが口を開いた。
「率直に申し上げます。あなた方オカルト研究部が目障りです。」
「あなた方は、最近積極的に『怪異』を排除していますね?とっても迷惑なんですよ。」
「最近、『怪異』はが顕現してくることが多いけど、あなたたちの仕業なの?」
再度沈黙。
「はい、そうです。」
「…。どのような目的で?」
みゆきさんがさらに踏み込む。
「侵略の一環。とでも言っておきます。」
「侵略。そりゃあどういう意味だい?」
「人間の皆さんには、我々「怪異」に世界を明け渡しいただきたいのです。そのための侵略。従わないと、死人がでるレベルではすみませんよ?」
世界を明け渡すっていったい…。
「我々の侵略はすでに始まっています」
僕らの回答を待たずに彼女は答える。
「そういえば、厳密には桜庭さんの質問にお答えしていませんでしたね。あなた方に対する用事ですが、死んでいただきたいと思っています。」
気が付けば彼女の笑顔は、仮面のような無機質なものとなっていた。気のせいなのか、どこからか腐臭のようなものが漂ってきている気がする。その上で僕に殺意が突き刺さる。僕はこの殺意を知っていた。僕の腹の底から恐怖心がこみ上げる。
「校舎でのあの殺気、宮田さんのものだったのか。」
「ちょっとした、雰囲気つくりですよ。あの場で死んでいただくのが理想だったのですが、ちょっと素人となめてかかりすぎましたね。」
彼女はそう冗談めかして答える。その表情は一切崩れない。
「オカルトSNS、大変興味深かったです。『怪異』の情報を不特定多数から集め、あなた方が排除に向かう。我々にとっては非常に危険な存在です。私たちが力を与えて顕現させた『怪異』をあなた方がつぶしてしまうのですから。私も監視の目的でSNSに参加させていただきました。そしてあなた方が興味を持ちそうなネタを用意して誘い出した。」
宮田さんに引き継いで、佐々木さんが言葉を続ける。
「何も『怪異』を排除するノウハウを持っているのはあなた方だけではありません。あなた方は運が悪かったのです。私たちに目を付けられてしまったから。」
「それにしても。私達の自作自演によくもまぁ見事に引っかかってくれましたね。」
口調は冗談めかしたままで宮田さんが言う。
自作自演。どういうことだろう。
「おいおい!訳わかんないこと言っているけどな、運が悪かった、で殺されてたまるかってんだよ!」
「運が悪い。いや、でもいずれあなた方は死ぬ運命にあったと思いますよ。高坂みゆきの強烈な『怪異』への対抗能力。我々にとって非常に脅威ですから。いずれは確実に目を付けていました。」
「ええ、私が行動不能になるくらいですから。」
「トイレでのことだね?」
「ええ。思った以上に深手を負ってしまいました。ほらこの通り、この腕はどうしても修復でなくて。」
そういうと彼女は左手で、上着を引き裂いてみせ、右半身を露出させた。彼女の右腕にはあるべき腕が付いていなかった。
「もしかして…。君が、『赤いちゃんちゃんこ』?」
「自作自演と言ったでしょう。そろそろお話も飽きてきました…。冥土の土産、と言うやつでしょうか。最後に一つだけ質問にお答えいたします。」
彼女達は、はたから見ると冷静そうに見えるが決してそんなことはなかった。
全身が凍り付きそうなほど、冷たい、悍ましい程の殺意を僕らに向けていた。幸人もその殺意を感じ取っているのだろうか、顔中から汗が噴き出ていて、手も若干震えているように見えた。武道を嗜んでいる分、僕よりも強烈に殺意を受け取っているのだろう。
叫びだしたいような恐怖を飲み込んで質問をぶつける。
「…君たちは、…何者だい?」
「…。あなた方を排除せんとする。『怪異』です。今度こそ、お話は終わりです。」
女は言い終わるとはじけ飛ぶように僕らの方へ突っ込んできた。
指先に目をやると、いつの間にか手は赤黒く変色していて、長い爪が生えており、僕らを切り裂こうとしていた。
「みゆきさん!下がって!」
僕は咄嗟に前に出て彼女をかばう。僕が銃を抜こうとしている横を、幸人がすり抜ける。
木刀を握りこんだ彼は、とびかかってくる宮田さんの胴を薙いだ。切っ先の先端が彼女の脇腹をかすり、そこから煙が立ち上げる。
もんどりうって転んだ彼女の顔面に向けて引き金を引く。見た目がほとんど人間なので、顔面に銃口を向けるのは気が引ける。
弾丸は変形した彼女の腕に受け止められ、彼女が一瞬熱そうに顔をしかめた。
どうやら「怪異」用の装備は彼女にも有効らしい。
彼女は、ばねがはじけるように飛び起きると、僕に向かって突っ込んで来た。
僕は彼女に向かって数発発砲すると、転がるように回避して彼女の突進をかわす。
ふと綾野の方へ視線を送ると、佐々木さんが彼女に向かって、とびかかっていくのが見えた。
佐々木さんの拳での打撃をナイフでさばいて応戦する綾野。
拳が銀のナイフにかするたびに、少なからずダメージを与えられているのだろうか、熱した鉄を冷水にくべているような音がしていた。
「よそみをしている場合ですか?」
反応の遅れた僕は、再度跳ね起きて切りかかってきた彼女の攻撃をよけきれない。
直撃を免れたものの、僕の太腿からは赤い液体が流れ出していて、僕に鈍痛を与えていた。
もう少し反応が遅れていれば足を切断されていたかも知れない。
腕を振り切って、攻撃のモーションの止まった一瞬の隙をつき、幸人が懐に入り込み、袈裟、逆袈裟と斬撃を与えた。
直後再び胴を薙いで、背後に切り返したのち、後頭部に向けてさらにもう一撃を叩きこんだ。
熱そうに全身を掻き回すようにもがいている彼女の顔面に向かって再び発砲する。
ある程度落ち着いて狙えたのもあった弾丸の半数以上は顔面に命中する。
当たった箇所から、煙を立てながら顔の肉が崩れていく。
すさまじい形相で僕をにらみつけた彼女は。背後にいる幸人を爪で薙ぎ払うと。三度僕に向かって切りかかってくる。
僕は応戦しようと、銃を構え引き金を引く。
弾丸は彼女の全身に命中し、その箇所からは煙が立ち上る。しかし、かばう様子もなく僕に向かってきた。僕はさらに発砲を続け、直後あるミスを犯した。
ガチャンという音を立てて勢いよくスライドが後退し、そのまま停止した。残った片手の銃も更に一発発砲すると、スライドが後退し、固定された。
弾切れだ。
銃は撃ちつづければいずれ弾は切れる。至極当たり前のことだが、戦いに夢中になっていた僕の脳内からはその事実が欠如していた。
どうすればいい?替えのマガジンは上着のポケットのなかだ。それとも転がって回避するか?
僕の世界はスローモーションがかかったようになりパニック状態の脳内はぐるぐると回転している。
勢いでスライドの後退しきった銃の引き金を引く。当然だが弾は出る訳はなく、カチリという頼りない軽い音が僕を現実へと引き戻した。
腹部から血を流した幸人がこっちに駆けてくるのが見えた、きっと間に合わない。
スローモーションが解けると、すでに彼女は僕の鼻先まできていて――。
僕の脳内に肉が引き裂かれる嫌な音が響いた。身体に本来あるべきでない物質は僕の腹部をむしばんで無遠慮に侵入してくる。そして、背中から先端が顔をだした。
僕は宮田さんと顔を合わせる。僕の腹部に爪をさした宮田さんの崩れかけた顔は笑っているように見えた
突っ込んできた幸人はそんな宮田さんの後頭部を木刀で切り伏せた。
骨が砕ける鈍い音がして彼女は膝をつく。片手は僕の腹部に刺さったままだ。
痛みで視界に靄がかかり始める中、僕は左手に持った銃を捨て、震える手で右手のリリースボタンを押した。ボタンがおされるとからのマガジンが地に落ち左手で新しいマガジンを押し込んだ。
スライドストップを解除すると初弾が送り込まれ、僕は引き金を引いた。
朦朧とした意識で行った射撃の狙いはそれほど正確ではなく、彼女の全身をまんべんなく貫いた。彼女の体からは嫌な臭いのする煙が立ち上がる。
「お待たせいたしました!」
みゆきさんの声が聞こえる。靄がかかっていてよくは見えなかったけど、手には何か切れ端のようなものを両手に持っているのが見えた。
みゆきさんは 右手に持った切れ端を、依然綾野とぶつかり合っている佐々木さんに向けて投げつける。
切れはしが肩口に命中すると、断末魔のような叫びをあげながら、命中した箇所に手を当ててもがき始める。その個所からはあやはり激しく煙が上がっていて、肉体はその部分から溶解し焼けただれ始めていた。やけどの部分は拡大し続け彼女の半身まで侵食していた。
「対『怪異』用の念を込めた札を作らせていただきました。あなた方に効くか不安でしたが…効果はあるみたいですね。限界まで念を込めたので時間がかかってしまいました。ごめんなさい。」
そういうと、もう片手に持った札を宮田さんにも投げつける。
僕の腹部に爪を刺した状態でかわし切れることもなく、背中のど真ん中に命中する。
一瞬目を見開く宮田さん。
歯を食いしばりながら僕を睨みつけて言う。
「引き分けにしませんか?」
「どういう意味だ?」
すでに声が出せない僕に代わって幸人が言う。
「恥ずかしいことに我々はこのとおり深手を負ってしまいました。とどめをさされてしまう可能性もあるでしょう。ですが、このまま内臓を抉り出せばこの方を道連れに殺してしまうことができます。」
「脅している…と?」
「むしろ命乞いと言ってもいいでしょう。今我々は封じられるわけはいかないのです。あなた方も、その銃を持ったかたに死なれては困るでしょう。拒否する。というのなら…。」
僕の腹部に更に爪が押し込まれる。薄れゆく意識に、追撃のように激痛が与えられ、僕の意識はもぎ取られる。
「この通り道づれに…。」
そして僕は意識を失った、
僕が目覚めたのは病院のベッドの上だった。
あとで幸人から聞いた話によると、結局引き分けにすることになったとのことだ。
宮田さんが僕のお腹から爪を引き抜くと、這うように佐々木さんのところまで向かって、捨て台詞を残し二人は虚空へと消えていったらしい。
「恐れなさい。さすれば私たちは再びあなた方の前に。」と。
その後は、救急車を要請して、さまざまなところに事情を説明してと僕が意識不明の間、いろいろと厄介なことになっていたとのことだ。
僕らが経験した、そこんじょそこらの「怪異」とは全くの別格である旧支配者との邂逅というぶっちぎりの非日常経験。
僕らに義務付けられた部誌の絶好のネタとして活躍していた。
ラヴ・クラフトによれば「旧支配」とは地上を支配する機会を虎視眈々とうかがっているという。書籍に記されている通りの「怪異」だとしたら、彼はとんでもない化け物を生み出してしまったことになる。
彼女の言っていた「侵略はすでに始まっている」という言葉。僕の頭には妙に引っかかっていた。そして彼女たちの残して言ったという捨て台詞だ。僕はこの通り殺されかけたのだ、できれば彼女達とは二度と会いたくなかった。だが。
宮田さんたちは今もどこかで生きているはずだ。
これからとんでもないことが起こってしまう。かもしれない。
おっかないことになったなぁ。
さて、僕は塩味の足りない病院食を食べながら、PCのキーボードをたたいていた。
部誌の提出期限は僕が大怪我をしたことで温情がもらえて、わずかだけど提出期限を延ばしてもらった。今まさに書き終わろうとしているところだ。
「まぁいいさ。どんな「怪異」でもお相手するのが僕達オカルト研究部だ。僕たちが相手になってやろうじゃないか。」
できれば彼女達以外で、という言葉を飲み込んで最後の一文を入力すると、ファイル名に、「活動記録」と打ち込んで、保存、をクリックした。