名探偵 二
どうも。皆さんのお陰で今日も生きながらえている人格破綻者、林崎エセでございます。
今回はアクセスいただいてありがとうございます。
投稿生活も一週間。楽しくてたまりません。私にしては筆も乗っております。
ずっとこんな気分で書き続けていたいものです。
それでは、今回もお付き合いください。
「ぐわあああ! 俺は死んだ!」
そう叫んだ根本の巨体は椅子ごと倒れ、床が軋む音を響かせた。下の階の連中がどんな反応を示すのか気になるところである。
紫色の長い舌を突き出し、裏返ったような目を見開いて、足の指先をびくびくと痙攣させている根本は、ミステリ研究会よりもいっそスプラッタ研究会に必要な人材かもしれなかった。高山さんが窓の外に目を逸らす。
向こうの校舎では八坂さんがホットケーキを焼いているらしい。たぶん無理だろうけれど、万が一うまくできたらこっちに持って来てもらえる手配になっている。彼女は十回に十回の割合で焦がすので、当然、期待はしていないけれど。
できない人に因数分解はできないし、ルービックキューブを完成させることはできない。ビデオの録画予約ができない人がいれば、原稿用紙一枚の文章を満足に書けない人もいる。世の中にホットケーキが焼けない人が存在してもおかしくはない。
まあそれはともかく
「根本に水を持って来たのは?」
「オレだよオレ。オレオレ」
本田が自分を指差して軽薄な声で言う。
「でもそうするように頼んだのはおまえだよな、西条」
「ああ。けれど、もちろん、根本を殺す為に人を使ったんじゃないよ。事件を進展させたかっただけだ」
根本は未だにしつこく床で痙攣している。「うう! うごお!」背の方に体を曲げ、腹の方に体を曲げ、跳ね回る姿は水揚げされたエビのような趣だ。「がは! がああ!」さっさと死なないかなぁ。
「げぼへ! 西条! 俺を毒殺したのはおまえだな! 冷蔵庫の氷を勧めただろう! あれって塩水でできてんだよなぁ!」
「何を言うんだ? 氷ならぼくのコップにも入っている」
「おまえの氷には全部切込みが入ってんだよ! 選別は簡単だ」
親類の処分品であるという小型の冷蔵庫を本田が持ち込んだ時、ぼくはこのトリックを思い付いていた。氷に毒を仕込むトリック。毒殺ごっこの戦略の幅はこの冷蔵庫のお陰でもっと広がっていくのだろう。嬉しいことだ。
「それじゃあ西条が犯人だと思う奴手を上げてー! はいっ」
「はい」「はい」「はぁい!」と四人の手が挙がった。ぼくは「正解」肩を竦め、負けを認めてやる。
「まあ、こんなトリックじゃあ見抜かれて当然か。さすが名探偵志望、根本弘くん」
揶揄するように言ってやると、根本は鼻を鳴らした。まんざらでもない調子である。彼の性格を現す単語は『素直』だ。もっとも、自分の気持ちにのみそうであるのだから彼と言う人間は厄介なのだが。
根本を伴って以前までのゲームの続きを実施したところ、探偵役としての彼はものの見事に本田から自白を取り出してくれた。『本田。運動部の連中がここの水を飲んだ時、死にそうになったって文句を言っている。謝りに言った方が良さそうだぜ』『本当かよ? ……なら仕方が無いな』『嘘だよーん』といった具合である。
名探偵志望は伊達じゃない。何というか、事件を解き明かすことへの熱意と容赦のなさが半端じゃないのだ。そりゃあもう反則ぎりぎりの手段を連発してくる。綺麗な論理なんて無い、犯人を突き止められればそれで良いというスタンスの持ち主だ。
今回だってそうである。氷に毒が仕込まれていると分かって、こいつはそれを回避しようとせずに飲み込みやがった。そして気が緩んでいるぼくのコップを見やり、氷に切り込みが入っていることを確認する。自らの命を犠牲にした勝利。なんだそりゃ。
まあこれまでの毒殺ごっこで、ぼくらはそんなこと何度だってやって来たけれど。最初の参加でそれをする根本の神経は凄まじい。
「いやあ。根本は頭良いなぁ。成績だってすごいんだろう?」
本田が感心して言った。
「ああ。平均点がなんと十五点なんだ。すげーだろう」
それはすごい。
「へえ。でもオレ三十点はあるぜ」
「何と! すげえ秀才だな」
……本田と言い、根本と言い、使えばそれなりに良い頭を持っているんだけれどぁ。
「あたし六十一点。全校生徒百七十人中八十三番よ、すごいでしょう」
高山さんが胸を張った。内の模試はかなり厳しいし、それだけの点がとれればまあまあ優秀と言える。
ぼくらの中学には勉強とことんできる者が妙に多くいるし(というかそういう趣向の私立だし)、八十点以上を稼ぐ奴らが上位ナンバーを件並み埋めてしまっているので、上の半数に入るのはなかなか容易なこではない。一ケタ台ともなると全国順位が何十何位とかいう化け物ばかりだ。もっとも、最近起こった事件が成績トップと五位と六位を退場させたので、少しばかり学校全体の質が下がったのだが。
「西条はどうなんだ?」
と根本。つい頬が綻ぶ。良くぞ訊いてくれました。
「あー。あー。訊かない方が良いって。今度の毒殺ごっこで塩の代わりに本物の毒を持ち込むくらいの覚悟じゃないと、こいつの成績は訊かない方が良い」
本田が手を振るってそんなことを言う。
「何だよ。訊きたい!」
良いだろう教えてやる。ぼくは嫌な笑みを浮かべたまま答える。
「学年順位二十一番さ」
この間の中間テストの記録である。模擬試験ともなるともう少し下がるのだが、ここは見得の良い方を話しておこう。
「ほお。すごいな」
根本は素直に驚嘆する。なかなか気分が良いことだ。人よりも上位にいるという快感は、どんな人間でも求めるものである。それが、家でやることのない時間を勉強して過ごす理由なのだ。
別に学問に熱心という訳ではない。ただの惰性である。しかしこの成績は凄くないかい? ぼくってばハイスペックだろう? 何て言った日には、ごっこ遊びではなく本当の殺人が始まりかねない。
次に、根本の首が自然に宵子ちゃんの方を向く。机に向かって読書しながら、片手で折り紙をカッターナイフで切り刻んでいる。痩せた二の腕に切り傷が見えたのでそれについて尋ねると、『痒かったから切った』と答えた彼女である。
「おまえ、勉強は好きか?」
「嫌いです」
宵子ちゃんは端的に答える。一度教えてあげたことがあるのだが、ずっと上の空でろくずっぽ鉛筆を持とうとしない。まあ、嫌いなことは苦手のままで良いだろうとぼくは思うのだが。
その時、ノックの音がした。
「できたわ、ホットケーキ」
八坂さんが細い吊り目を殊更に吊り上げて、綺麗な笑みを浮かべてやって来た。手にはまっ黄色の円盤がいくつか載った皿。ホットケーキが完成したら味見させてくれと言ってはいたが、実現するとは思わなかったな。
「ありがとう。八坂さん」
ちなみに、彼女はぼくよりずっと成績が良い。それは、能力だけの問題ではなく、主に彼女が努力家であることに由来するのだろう。料理が苦手だからと料理部に入って夏休みにまでお菓子作りに勤しむくらいである。
「焦がさずに作るのに、四日がかりよ」
是非とも祝ってあげたいところだが、この黄色だけのホットケーキは生焼けもはなはだしい仕上がりだ。ナイフを入れればまだ固まっていない粉や卵があふれ出すだろうことが予想できる。端的に言うと、食えたものじゃない。
そうそう、八坂さんは高山さんの本気の一大トリックにも力を貸してくれたんだっけね? 根本が入部して来た当日の、進入部員へのサプライズとしての撲殺ごっこで……
「なあ。おまえらバカなのか?」
いやーそれほどでも。とでも言いたげに顔を歪めて笑う高山さんと本田の背後、宵子ちゃんだけは根本の顔を睨み付けていたんだっけね。良くもあんな最醜兵器を凝視できるもんだなと、ぼくは感嘆した。
八坂さんをして変態の巣窟とまで言わしめた我らミステリ研究会。如何わしいその部活動の拠点には、頭から血を流して倒れる少女の姿が。その手には高山隆盛の『二月二十九日未明』というミステリ小説。これはダイイングメッセージではないかと推察される。
少女としては、『二月二十九日未明』だけで犯人を特定してもらえる心積もりだったのだから、容疑者はある程度限定されると考えられる。まあ、だからってミステリ研究会の人間だと決めてかかる根拠は無いのだけれど。
「あーあー。こんなに盛大にケチャップぶちまけちゃってどうやって掃除すんだよ」
根本が少女に近寄って言った。バレるまで一瞬だった。というか騙されてくれなかったというのが正しいかもしれない。臭いだけはごまかせないからな。
「それにしてもリアルな人形だな。いっそ気味悪いぜ」
そりゃ、失敗作とは言え神代先生の一品だからね。彼は業界じゃちょっとした有名人らしく、雑誌やテレビでも活躍している大御所らしい。本人の自己申告によると。
「ね。言ったでしょう、すぐに分かっちゃうって」
窓の外から、八坂さんの声がした。向かいの校舎の窓を開放し、体を乗り出している。その背後には、持ち運び可能な小型IHクッキングヒーターが全力でホットケーキを黒焦げにしていた。さっきからずっとこっちの状況を伺っているらしい。材料が無駄になるのはまだ良いが、その内火事でも起こらないものか。
「だいたい血液の代わりにケチャップなんて、発想がステレオタイプなのよ」
ケチャップは料理部から借りたものらしい。
「しょうがないでしょう? まさか宵子ちゃんの言うように、カッターナイフで本物の血を採取する訳にもいかないし……」
高山さんが言う。まあそりゃそうだ。
宵子ちゃんはカッターナイフを使えばあらゆる問題が解決するものだと考えている節があるからな。あれに助けられた試しでもあるのだろうか?
「しかし根本。せっかくここまで状況を作ったんだ。名探偵志望の進入部員であれば、犯人を当てて見せてくれよ。部員の名前ならさっき紹介したろ?」
「そうなのか?」
と本田。
「ああ。安心しろ。事実に基づいて、君のことは女子の体温が残る椅子に頬を擦り付ける趣味のある世界で一番のナイスガイだと説明してあるから」
「根本。それはこいつのことだ」
本田はぼくを指さして言った。
「……そんな説明は受けていないけれどな。まあ、ちょっと考えさせてくれよ」
根本は言って、その辺の机にかけた。眉間に皺を寄せて、顔を更に醜くさせている。
部員の名前ならさっき紹介しておいたところだし、メッセージから推理できなくはないだろう。この問題を思いついたのは我がミステリ研究部が誇る優秀な部員であるところの高山さんだが、名探偵を名乗るのであればそんな難敵でも打倒してくれなくっちゃな。
なんて。……しかしこの事件は不可解だな。高山隆盛という作者名からは高山さんを連想するし、タイトルからはぼく、西条未明を連想する。……いや、本だから本田というのも考えられるぞ。どうやって絞り込んで行くべきなんだ?
「犯人は……。遠藤宵子。一年生の遠藤宵子だな」
根本は言った。
「どうして?」
まるで関係ないじゃないか。
「考えてもみろ。ここ頭を殴られて、それから死ぬまでにダイイングメッセージを残す時間があったのなら、部屋の外に出て助けを求めるか、血液でも何でも使って犯人の名前を床に書けば良いじゃないか。わざわざあんな高いところの本を手に取る暇がありゃあな」
「正解」
本田が笑う。
「よって、あのダイイングメッセージは犯人が仕掛けたフェイクだと考えられる」
なるほど。そりゃ確かに。
筆跡のことを考えれば、被害者の血で床にメッセージを残す訳にも行かないのだろう。
「と、なると。メッセージが示す人物は皆シロだ。わざわざ自分の名前を残していく犯人はいない。そこから言うと、犯人は遠藤に限られるんだよ。ミステリ研究会のメンバーで言えばな」
「良く分かるわね」
と、高山さん。いつもは人を仰天させる彼女も、根本にはしてやられたらしい。
「別に。そんなに難しい問題じゃあない」
侮辱とも謙遜とも取れる発言である。
「……それにしても、おまえらいつもこんなことしてんのか?」
そう言う根本に続いて
「こいつら、バカだから」
向かいの窓から八坂さん。
まあそうなのだけれど。
「ぐわあああ! ぼくは死んだ!」
ホットケーキに毒が入っていた。
つーか砂糖と塩を間違えるなんてなんちゅーステレオタイプだ。さすがマイハニー、痺れるぜ。
翌日の朝。
二度三度死にながらも八坂さんのホットケーキを完食して(あの笑顔は裏切れないぜ)、どういう訳か胃の調子まで悪くなり(途中で出現した緑色の粉末はなんぞ?)、紆余曲折あった末に何とか体調を持ち直して学校へ向かった。
例え夏休み中であろうと我がミステリ研究会は熱意ある活動を続けている。勉学の義務やそれぞれの事情を抱える我々が、如何なる理由で一日の大半を消費してまで部活動を行うのかと言えば、なぜならば、暇だからである。
『バカだからでしょう?』
八坂さんの声が聞こえた気がした。
「おっす、西条!」
駅の前を通った時、本田がぼくに声をかけて来た。朝の遅い高山さんはこの次の次あたりの汽車で来るのだろう。
最近気付いたことだが、汽車が通っているのは今時ぼくらの地域くらいのものらしい。どこもかしこも電車なんてハイクテなものが走り回っているようで、『汽車! 何それ全盛期の遺物? 西条君の住んでるとこって何なのぉ?』この間、そのことで都会の友人にバカにされてしまった。
「やあ本田。最近どうだい?」
「東の森のドラゴン退治して材料が揃い、エクスカリバーが手に入った」
「そうか」
「西条。おまえはゲームとかしねえの? 暇つぶしにはなるぜ?」
この坊主頭。身形の割にはインドアな趣味の持ち主なのだ。運動神経だって我が部で最も悲惨だ。八坂さんとどっこいどっこい。
「時間潰しの為だけに買うにはコストがかかり過ぎるんだよ。ていうか、『ゲームなんてパチンコや飲酒と大差ない劣悪な娯楽だ』だなんてこと言ってたのは誰だっけ?」
「劣悪だからおもしろいんじゃねーの?」
「中毒になるなよ。一生部屋に引き篭もってゲームばかりしている訳にもいかないんだから」
「おまえに説教されたかねーな」
生意気なことを言いやがる。まあ、本田はこれでしっかり者だから、大丈夫だろうけれどね。
『髪の毛なんてあっても邪魔なだけだよ』だなんて周囲の大反対『バカなことはやめろぉお! せっかくの中性的美男子(笑)が台無しだぞぉ!』を押し切って頭を丸めたこと言い、こいつの考え方は分かるようで良く分からない。あらゆることに一家言あるようでいて、すぐにそれを撤回するいい加減な野郎、なんて言い切ってしまえるものかどうか。まあそうだとしても、一つの格言に拘って停滞するよりは、まだ良いのかもしれないが。
「ところで西条? 宵子ちゃんのお母さんを近くの派出所で見たんだが、どういうことだか知っているか?」
「他人の家の事情に詮索かけるなよ……」
どうせ財布でも落としたに違いない。
「オレさ。あの一家ってなんか怪しいと思うんだよ。この間上がらせてもらった時、奥から変な臭いしたじゃねーか」
「ホットケーキ焼くのに失敗したんじゃないかな?」
あのおばさんは料理上手だから、そんなことはないと思うけれどね。それにしては宵子ちゃんの体は痩せすぎているが。
「違う違う。なんかゴミ置き場みてーな」
「知らないよそんなの」
「知らないって何だよ! おまえ、言うにことかいて宵子ちゃんを……」
本田が凄んでまくし立てた。心の底から憤慨していらっしゃる。趣味や能力はともかく、ハートだけは見た目どおりの体育会系なんだよなぁ。
「彼女について、ぼくらが知るべきことがあるなら、宵子ちゃんが直接相談して来るだろう? それくらいの信頼は得ているつもりだぜ、ぼかぁ」
我ながら白々しいと思う。でも
「……そうだな」
頭の軽い本田を一応納得させるのには十分だったらしい。
見慣れた校門をくぐり、まず向かうのは職員室。鍵は毎日、朝取りに来て下校する時に返さなくてはならないのだ。いくらぼくがほぼ全ての職員に気に入られている生粋の優等生だと言っても、部室の鍵の管理まで任せてくれる訳ではない。というか、仕事を終えて家に帰る時点で全ての鍵が揃っていないと気分が悪いのだろう。
「せんせー。鍵、貰います」
ぞんざいな言い方をしながら壁にかけられた鍵の一本をかっぱらう。慣れたものである。
「西条、ミステリ研の鍵ならさっき遠藤が取りに来たぞ?」
「はい?」
そんな訳があるかい。だって、部室の鍵ならここにあるもの。
「一度、返しに来たんでしょうかね?」
「……? そんなことはなかったぞ」
教師は書類に噛り付きながら、ぞんざいな口調で言った。
「どういうこっちゃね?」
と、本田が首をかしげる。「さあ?」まあどうせ見間違いか何かだろうと思う。でもなければ辻褄が合わないものね。
件の宵子ちゃんはと言えば、体育館の側の冷水機で出くわした。薄汚れた制服を水だらけにしながら、飢餓の子供ように水を飲んでいた。まあ夏だし、燃費の早すぎる彼女は喉も乾くのだろう。
「先輩。おはようございます」
「おはよう」
一応と言うか鍵のことを尋ねてみる。すると「教室の鍵を借りてたんです。忘れ物があって」ということらしい。その割には手ぶらに見えたので「何を忘れたんだ?」と訊いたところ、カッターナイフをポケットから差し出して来た。
まあ宵子ちゃんのことだから、始終黙りっぱなしで鍵を取って出て来たに違いない。
「ところで先輩。今日は根本先輩は来ないそうです」
「どうしてまた?」
進入部員の癖に活動を怠けやがって。まあ別に良いのだが。最高責任者であるはずの部長さえ、ここのところは家に篭もりきりでネットゲームに興じているところなのだ。うちの部ではサボタージュは罪ではない。
「まったく、しめちゃろか」
と、本田が笑いながらそんなことを言った。表情の中に含まれるものの全てを分析してみるに、その中には寂しさが少しばかり含まれている。本田と根本は、なかなか気があっていたからな。
「ええ。何でも、女の子の友達とデートするそうです」
「……! んなあにいぃぃ?」
ぼくと本田は二人同時にそう叫んだ。怪しからん! あの野郎醜男の癖に女の子とデートだってぇ? それで部活をサボったのか? そうなのか?
「あんにゃろ、覚えてろよ。次の部活の時フルボッコにしてやる……」
「やめろ本田。俺達じゃ二人掛かりでも根本に適わん! ここは……あいつの鞄の中に他の女の写真を選り取りみどり、大量にねじ込んでやるんだ! それもぞっとするようなコメント付きで! ふふふ、これなら誤解を生むことはできないまでも、確実に彼女との関係をある程度気まずいものにすることが可能……」
「どうやって用意するんだ? その写真は?」
「秘密のルートが存在するのだよ本田くん。次のデートは地獄だぜい……」
根本の野郎。一人だけ良い思いしようったって、そうはいかねえぞ……。
「西条先輩も、本田先輩も、女の人に好かれようと思えばできると思いますよ。二人ともなかなか魅力的ですし……」
と、嬉しいこと言ってくれる宵子ちゃんだけれど、本田は
「ふん。好かれようと思って好かれたら、そのまま一生涯好かれようとする努力を続けなくちゃいけなくなるじゃねーか。疲れるわ! 何も楽しくねーし! オレはありのままのオレを愛してくれる女が良いの!」
と突っぱねた。……そういう考えだからダメなんじゃないのかい?
「……一生涯、ですか。そうですよね。本田先輩みたいなのがお父さんだったら、子供は幸せだと思います」
などと、宵子ちゃんには思うところがあるらしい。
「でもさ、本田。中学生の頃の恋愛が、一生涯引き攣るようなものなのかい? ほとんど遊びみたいなものじゃないか? 同じような需要のある異性を適当に捕まえて、少女漫画を教科書にして適当に茶番をやって、それから適当にセックスして、適当な言葉で別れを切り出して、後の憂いなし、これからはお友達として仲良くね、ていう」
「先輩。最悪です」
「そこまで言うか!」
宵子ちゃん、珍しく辛辣だな。
「でもまあ。おまえの言ってることも、ある程度正しいんだろうな。そんな風に成立したつがいが別れる前に、なんかの弾みで子供を持っちゃったら悲劇だ。なまじ子供っていう繋がりがあるだけ、中途半端に愛が深まってよ。半端な結婚、半端な夫婦関係が半端に続いて、半端な子育てが行われる。そんな風に、どこにでもありそうなことがどこででも起こってるんだろうね」
「中学生が偉そうに何言ってんだよ。この童貞」
「おまえもな。変態」
本田と肩をど突き合いながら階段を進み、部室のある三階に辿り着いた。
くだらない対話。くだらない日常。
どの時間軸のぼくに見せたところで、この時間は幸福だったと言って貰えるのだろう。
あの頃は楽しかった、という反応があるのだ。
そうだ。
いつかは、この幸福は過去のものになるのだ。
一生涯、この幸福が続くなんて
あり得る訳が無いではないか。
そういうものだろう?
ぼくが、自分の名前に対する認識を変えるように、
世界のあり方は変わって行く。
存在するというのは、変わり行くというリスクを負って初めて成立することなのだ。
「おっしゃー。今日も部活始めるぜい」
本田が異性の良い声を出し、ぼくが開錠する。珍しく宵子ちゃんが出張って、扉を開放した。
風が吹いて来た。夏の、涼しげな清風だった。
「なんだよこれ」
周囲の空気を捻じ曲げ、錆びの中へと飲み込んでゆくような、甘苦く冷たい香りがする。その臭いの正体は一目瞭然だった。
部室の中央の床に、張り付くように存在した赤黒い物体は、解体された犬の死骸であった。
やれやれ。
まあ、ぼくはいつもこんなもんだろう?
人間の死体がなかっただけ、良かったと思うべきなのさ。
読了ありがとうございます。
話のティストが大きく変わりましたが、ご堪能いただけているでしょうか?
下手な者が一人称で小説を書いていると、描写が偏ったり不十分だったりしがちなものです。文章の間抜けな点を発見しましたら、どうか指摘していただければ幸いです。
それでは、これからもお付き合いください。