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醜い奴ら  作者: 川崎真人
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名探偵 一

 どうも。皆さんにお世話になっております、林崎エセでございます。続編まで見ていただいて本当にありがとうございます。皆さんがいなければ、私の生活はいよいよ救いようのないものになるでしょう。

 もろもろ事情がございまして、語り部を設けさせていただきました。一人称はあまり得手ではないことを、あらかじめ。

 西条未明さいじょうみめいという名前に対する認識は、その時のぼくの趣味嗜好を表している。例えば、未明なんて独自で退廃的な自分の名前が好きで、それだけで特別な人間を気取っていた小学五年生の頃、ぼくは思春期入りたてのこっ恥ずかしい人間だったと言うことだ。

 中学二年生の今は、人間の名前なんて自由度が高いだけの認識番号に過ぎないだなんて捻くれたことを考えている。そんな風に無駄な思考に心を委ねていられるのも、今の内だけなのなのかもしれない。怠惰に部活動なんかをやって、惰性で勉強なんかをして、性質として道化な考えごとをする毎日を、ぼくはもっと大切にするべきなんだろうな。

 そんな独白をしながら、ぼくはコップに注がれた水道水を飲み下した。

 毒が入っていた。

 ぼくは死んだ!

 当然、ぼくは椅子から転がり落ちる。コップは右手に持ったままだが、中身は既に飲み下してしまっているのでなんら問題は無いのである。左手には『人食いの魔女』というデカルトみたいな文章をした推理小説を握っていたが、人差し指をページの間に挟みこむようにしてページ数は確保。床面の安全確認を怠ってしまい、ミステリ研究会の同士、高山遥たかやまはるかさん二年生の足に頭をぶつけてしまった。彼女の腿が丸見え。景色はまさに桃源郷!

 なんてバカな考えをしながらも口先は「ごめんね、高山さん」と謝罪の文章を作り上げる。無口な彼女は手を振ることで、気にしなくて良いという旨をぼくに伝えてくれた。

 「おい。西条が毒殺されたぞ。みんな、持っている水を飲み干せ、毒が入っているかもしれないからな」

 本田学ほんだまなぶ二年生が言った。アホみたいな台詞というか意味の分からない台詞であるが、それに逆らうものはいない。一人だけ水道水では無くミネラルウォーターをコップに注いでいた彼は、それをたちまち空にしてしまう。

 「ずたずた。ずたずた」

 部屋の隅っこの席に座る一年生の遠藤宵子えんどうしょうこちゃんはと言うと、持ち込んだ折り紙をカッターナイフで切り裂く遊びに夢中で、本田の声など右耳から左耳に流しているようであった。こうなった彼女を止めるには刃物を取り上げるしかないが、ごっこ遊びではなく殺人事件が起こってしまいかねないので誰もそんなことはしない。

 「うわー。毒殺されてしまったー」

 ぼくは平易な口調で自らの状態を告げる。毒を盛られた時は死んでしまうのがここのルールなのである。

 「西条くん?」

 高山さんがおずおずという声でぼくに話しかけた。なのでぼくは

 「返事は無い。どうやら死体らしい」

 と、この間みんなでプレイした推理系のアドベンチャーゲームの死体を真似た。高山さんは噴出しそうに笑う。

 「さあ。西条が毒で死んでしまったぞ。犯人はいったい誰なんだぁ?」

 三文芝居で場を盛り上げてくれる本田がいなければ、このゲームは成立たないだろう。

 「誰が西条のコップに毒を盛ったんだぁ?」

 毒というのは塩のことだ。ぼくが飲んだのは毒ではない、ただの食塩水である。本物の毒を使えば本当に死んでしまうし、仮想の毒を使えば仮想の死を迎えることができる。幽霊としてゲームの続きに参加ができるのだ。

ミステリ研究会を発足して間もなかったその頃は、やっていることと言えば何百冊かのミステリ本の詰まった部屋でただくっちゃべっているだけ。ここは一つ建設的な活動を考えようといって話し合った結果、『毒殺ごっこ』を初めとする各種のごっこ遊びがミステリ研究会の主な活動となったのである。

 『毒殺ごっこ』はなかなかゲーム性の高い遊びであるとぼく気に入っていた。だいたいの遊びがそうであるように、そのおもしろさは、プレイヤー自身のゲームを楽しもうとする意思に比例して上昇する。皆が真剣に取り組めばおもしろいし、いい加減にやればつまらないのだ。

まずは『犯人』を決定するところからゲームは始まる。プレイヤーの数だけトランプカードを用意して、格プレイヤーが一枚ずつ引く。ただ一枚だけのジョーカーを引き当てたプレイヤーが犯人役だ。

 裏向きにカードを回収してからいよいよ本番。全てのプレイヤーは、部室に用意された専用のコップで、皆の前で毎日二杯の水を飲まなければならない。十分以上の時間差を設けるのが鉄則だ。また、誰かに出された水は必ず飲むというルールも存在する。もちろん、飲んだ水の情報を偽るのは違反だ。

 犯人はこの水の中に毒……塩を混入し、他のプレイヤーを毒殺する。制限時間は三日。もちろん、犯人は自分のコップに毒を入れてはならない。被害者と加害者はかねることができないルールだ。犯人の設定は、復讐に燃える知能犯なのである。自殺志願ではない。

 毒殺が起こったら、被害者のコップに毒を仕込むことができたのはいったい誰か、という議論が行われる。容疑者となるプレイヤーを一人絞り込んで、それが外れれば犯人の勝ち、当たれば負けだ。

 「それより、本田くんに、宵子ちゃん? コップに毒は?」

 と、高山さん。

 「オレのミネラルウォーターには何も無かった。オレが淹れたんだから当然だな」

 きひひ、と本田は笑う。

 「あたしのにも、何もなかったです」

 いい加減事態に気が付いたらしい宵子ちゃんが言った。折り紙をずたずたにする手が止まり、意識がこちら側に向いている。表情の乏しい彼女だが、誰よりもゲームを楽しんでいることを僕は知っていた。

被害者が出現した途端に自分のコップを確かめるというのは、このゲームのセオリーみたいなものである。被害者が二人いればそれだけ犯人となりうる人間が減り、こちら側が有利になるのだ。とは言っても、複数のコップに仕掛けをするようなトリックもある。

「西条、その水はおまえが注いだんだよな?」

「そうなんだよ、それでぼくが被害者なんだよ」

 『西条君、あれ、お願いして良い?』と高山さんが頼んだので、ぼくはコップを三つ抱えて水道蛇口へと向かった。『あれ』とだけ言えばぼくらは簡単に意思を疎通させることができる。毒殺ごっこなら水だし、刺殺ごっこなら凶器のナイフなのだ。

 ここで怪しいのは、自分では何もせずにぼくに水を用意させた高山さんである。自分で南国のおいしい水を持って来ていた本田には水を用意しなかったが、それは,善良で人殺しなど企てておらず、当然毒殺犯になどなりえないぼくとしては当然の行為だ。人に水を飲ませたがるのは犯人だけ、というのは基礎中の基礎。

 「そりゃ、おかしいな」

 と本田。もっともだ。

 「コップに毒が塗ってあったんじゃないですか?」

 宵子ちゃんが言う。

 「そのトリックはもう通用しないよ」

 ミステリ研究会のメンバーだけあって、皆、古典的な毒殺方法はあらかた網羅している。コップの底に毒を塗るなんて誰だって一度はやった。味が分かるだけの量の食塩をコップの底に塗りこむには各種の工夫が必要だったが、どんなに頭を使おうとも、洗えば落ちるということはなかなか変えられない。

ただ、いつかの、水道蛇口の傍におかれたスポンジに食塩をたっぷり染み込ませるという発想は、なかなかのものだったな。

 基本的に、このゲームのコツは一つの仕掛けに拘らないことだ。犯人は他のプレイヤーのあらゆる注意や迂闊を想定しなければ勝てない。前述の仕掛けにしたって、必ず始動するようなものでは決してないのだ。どんな狙撃も、連発すればいつか成功する。偶然の重なりによって。

 「ちなみに言うと、ぼくは今回、コップを洗わなかった」

 「なんで?」

 高山さんが首を傾げる。その手にはメモ帳、情報をまとめようと言うのか、なかなか気合が入っている。

 「コップを洗うことで始動するトリックなんてざらだろう。だから、コップの臭いを嗅いだ」

 「それは反則だろう? 嗅ぐのも飲むのも一緒だぜ」

 「水を注ぐ前に嗅げば良いと思ったんだ。その時点ではぼくの飲む分じゃないんだから」

 そして毒が入っていたら誰か怪しい奴にそのコップを渡すつもりだった。犯人に毒を飲ませる勝ち方もある。

 「西条先輩は違反をしていないと思います」

 スポンジに食塩を仕込んだ犯人が、この宵子ちゃんである。ちなみに言うと、その結果は彼女の負けだった。スポンジの毒は全てのコップに入ってしまい、当然宵子ちゃん自身もそれを口にした訳だ。

 宵子ちゃんが奇策を弄する場合はたいていこういう落ちがつく。自分の策に溺れ易い策士なのだ。彼女の真骨頂は、気配を消して人のコップに毒を混入する早業にある。『なんでしょう、あれ?』と問い掛けられ、指差された方を見ている隙に毒を盛られるなんてわりとざらだ。

 「まあ、良いだろう。そういう戦法もあるってことだ。……しかし西条、おまえそれでかなり得して来ただろう?」

 「まあね」

 こんな良いタネをばらしてしまうと今後のゲームにさしつかえるのだが、もちろんというか、このゲームで勝つことをより優先させた。このゲームで孤軍奮闘するのは犯人だけで、それ以外が勝手な理由で仲間に嘘や隠し事をしては決してならない。ぼくらの間では、そういうのが美徳になっている。

 「だが、今回その所為で損もした。」

 「……とにかく、どうして西条君のコップに毒が入ったのか? そこから考える訳だ」

 高山さんが人差し指を立てて言う。たまに口を開けば自分の良いように会話を誘導していく彼女は、なかなか油断ならない相手だ。

 「水道場に何か変わったことがあったかしら? 西条君」

 「そうだね。少し変だったのは、蛇口が上を向いていたのが多かったことだな。……今にして見れば、あれは蛇口の中に毒を詰め込んだということなのか」

 これは迂闊だった。蛇口を捻って出た水は、それ自体は安全だという固定観念がぼくの頭の中にできあがっていたのだろう。こういうことに付け込まれるのだ。

 「へえん。そりゃ、犯人は良く考えてんだな」

 きひひ、と本田が笑った。胸を張るようである。

 蛇口に塩を突っ込んでおく、水を余分に出すことで簡単に対策できるトリックである。今度からは気をつけた方が良いだろう。どうして今まで思いつかなかったのか不思議なくらい簡単な仕掛けだ。

 「どうして本田先輩は、南国のおいしい水を持ち歩いているんですか?」

 宵子ちゃんが訊いた。

 「ああ。オレなりの対策だ。自分で用意した水ほど安全なのはないからな」

 「さいですか」

 犯人はおそらく本田だろう。どのコップに毒が盛られているのか分からない状況、水道蛇口からの水は決して飲みたくないはずだ。だからこそのミネラルウォーター。

 「きひひ」

 基本的に、犯人を特定する際には、他の三人が一人の容疑者を示さなければならない。よって、今回のように根拠も無く伏線だけで本田を犯人にしてしまうのはおおよそ不可能だろう。チャンスは一度しかないのに、それをこんな中途半端に使おうとする者は少ない。ぼくだって本田が犯人だと確信した訳ではないのだ。

 「そろそろ時間だぜ」

 六時を回っても、七月の太陽はオレンジ色に輝いている。だが、汽車通学の者のことを考えれば、ここは一先ずお開きにしたほうが良さそうだ。

 

 部活動からの帰り道は基本的に皆で一緒だ。本田と高山さんは二人に汽車で帰るようになっているし、ぼくと宵子ちゃんの家は駅の傍の住宅街にある。

 友達と下校を共にする。小学生の頃以来の習慣である。自分の名前の意味も分からなかった無垢なあの頃。学校にいる内に宿題を済ませてしまい、ゲームのことを喋りながら誰かの家に行って、家庭用ゲーム機の電源を入れて夜まではしゃいだんだっけ? 本当は帰りしなに駄菓子屋によったり、空き地で秘密基地ごっこをしたりしたかったんだけれど、あいにくとぼくの友達にそんな趣味の人はいなかった。まあ、人の為に人の家に行くのか、ゲーム機の為に人の家に行くのか分からなかった現実も、それでもあながち楽しかったのかもしれない。

 「ねえ西条君。何か新しい遊び、考えない?」

 悪巧みを始めるのは、決まっていつも高山さんだ。彼女には人が喜んだり驚いたり困ったり泣きじゃくったりするのを楽しむ嗜好がある。各種のごっこ遊びの犯人役が一番好きなのは、彼女なのだ。とんでもない事件を仕立て上げ、それに人が仰天し、そして思い悩むのをおもしろがる。

 「良いね。そろそろ新しい刺激が欲しかったんだ」

 高山さんの提案を受けて、それに賛同して煽り立てるのが本田の役割だ。彼は珍しいことをしてはしゃげれば何でも良い。

 そして、ぼくの役割は実働にある。考えた遊びに必要な道具をそろえたり、ルールを修正したりする係りだ。部費の管理もぼくが勤めているし、不祥事があった時に頭を下げて回るのもぼく。部長を除けば、メンバーの中で最も精神が卓越しているという驕りに似た自信と傲慢に似た責任が、ぼくにはあった。

 ぼくと本田と高山さんをまるで子供向けのお話に出てくる三バカトリオのようだと八坂さんは言った。愉快で無邪気な三人組ではなく、人殺し小説大好きの悪趣味な三人組だ。もしぼくらのことを小説にしたためればそれはとんだ悪趣味な仕上がりになるだろう。

 ちなみに言うと、宵子ちゃんは三人のバカな先輩に付き従うだけである。それでいて、実行されたごっこ遊びを誰より楽しむのも彼女なのだ。この可愛い後輩がいなければぼくらが今のような強い結束を持つことは、無かったに違いない。

 ミステリ研究会を創立してからの生活は、それはもう今までとは打って変わって充実したものになった。何というか、未来からでも過去からでもなく、現在から現在のぼくを観察して、悪くないと思える。この時間を持続させたいと願える。そんな幸福。

 「先輩。夏休みになってからも、部活はあるんですか?」

 宵子ちゃんがぼくの服を掴んで、そう言った。

 「ぼくはどうせ暇だしね。暇だから、毎日でも部室に行くよ」

 「家にいたら親が勉強しろ勉強しろうるさいから、私も行くわ」

 「オレも。部室に冷蔵庫持ち込んでいつでもコーラが飲める状態にする」

 ぼくら三人が明後日の方を向いて、努めてぞんざいな口調で答えると

 「なら、私も行きます。絶対」

 宵子ちゃんが綺麗に笑窪を作った。

 彼女だけは、他人に好意を示すことを恥じようとしないのだ。孤独主義者を気負った寂しがり屋の、惰性で生きることを美徳とするぼくのような捻くれ者に、彼女はかさぶたを掻き毟るような悦楽を与えてくれる。

 それは、背後に羞恥心を湛えた優越感で

 とても醜く、誰かから侮蔑を受けるべき類の感情なのだと思う。

 「時に西条」

 「何だよ」

 「あれはなんだと思う?」

 見ると、ぼくのご近所さんの家の門の傍、何やら茶黒い物体が鎮座していた。禍々しい臭気を放つそれは、ぼくにひき肉を連想させる。

 つぶれたそれは、多分犬の死骸だ。

 「虐殺された犬だろう?」

 「それは分かるが……」

 つぶやいて、本田は首を捻った。その態度はまるきり判断能力を持たない奴のそれである。まあ、正義感溢れる彼としては、 惨殺された動物をただ見なかったことにするなんてことに抵抗があるのだろう。

 「やー。未明君おひさー」

 犬の死体の向かい家から飛び出したのは、ぼくらミステリ研究会と付き合いのある神代信一郎かじろしんいちろうさん。人形造りが大得意な、少しサイコな人物である。ずっと年上の社会人を狂人呼ばわりするのはあまり感心されないだろうことは自覚しているけれど、その家の庭にひしめく人形の失敗作(あらかた少女のそれら)を見れば誰だってぼくらに釈明の余地くらいは与えてくれようものだ。あまりリアルに作られたそれらがうすら高く積み上げられた様は、まるで冷暗所の如き趣なのである。

 「どーだい。ぼくの人形は役に立っているかい?」

 「そりゃあもう。神代さんの人形じゃないと雰囲気出ませんから」

 ぼくらが行う様々なごっこ遊びの中で、人間の死体という役割が必要になるものは数多ある。殺人系のミステリ小説を象徴するものが何かと言うと、探偵でも犯人でもなく死体であると言うのがぼくらの間での共通認識だ。なので、死体の役割を負う小道具にはかなり拘りたいところ。そこで神代さんに協力いただいたのだ。

 「そーかそりゃー良かった」

 「お礼に、今度失敗作の片付けを手伝いますよ」

 「そりゃー助かるね。ははは」

 最後まで、神代さんは犬の死体に目もくれなかった。このあたりの気丈さが、彼の人に好かれやすい所以なのである。

 

 一学期の終業式は胸躍り高鳴る行事と言えるだろう。受験生は別にしても、夏休みと言うのは学生にとって堕落との蜜月の時間であり、時間を無駄に浪費しているぼくらはいつもよりいっそう輝き出すのだ。

 この一学期には色々とおもしろいことがあった。『何か部活動を作ってみたい』と言い出した部長に付き合わされてミステリ研究会を作ったのがまずそうだし、その部長が煙草を吸って補導されそうになったりもした。それから同級生がプールの中で血を吐いたり抽象的な遺書を残して自殺したり意識不明の重体で学校に来られなくなったり殺されたり殺して精神病院にぶち込まれたりもしたんだったかな。研究会の皆とバカな推察をして笑いあったものである。

 「西条」

 帰り支度というか部室に向かう支度をしていると、色っぽい声がぼくにかけられた。名を呼ばれた犬も顔負けに振り向いたぼくに、高みから冷ややかな視線をくれるのはクラスメイトの八坂詩織やさかしおりさん。

 「進入部員よ。廊下にいるわ」

 基本的に、ミステリ研究会……正しくは、推理小説研究部……への入部希望者はぼくのところに訪ねることになっている。一枚だけ張ってある勧誘のチラシにそう書いてあるのだ。

 「こんな時期に?」

 「ええ。こんな時期に」

 自分には関係ないことだからと意に介さないのはさすが八坂さんといったところだろう。それにしてもこんな時期だ。終業式当日である。文科系の部活であるところのぼくらが夏休みも元気に活動するつもりであることがなぜ分かった。

 「まったく哀れな人ね。知っていたらあんな変態の巣窟に行く訳がないわ。飛んで火に入る夏の虫よ。塵になってから後悔するでしょうね」

 そんなことを言う彼女が、ぼくは結構、いいやかなり好きだった。むろん性的な意味で……そういう言い方で語弊があるなら、ぼくは異性として彼女が好きなのだ。背の高い女性だから好きだとか、美人だから好きだとか、ぼくがマゾだからだとかそういうのではなくして。

 「まあ良いや。ありがとう」

 紳士的に礼を言い、ぼくは廊下に出た。教室とくらべればすっと涼しいこの空間。開放感に包まれるいつもの時間だ。

 「……おう。おまえが西条だな」

 なんとも男前な声に、ぼくは振り向く。かなり長身だ。ぼくや八坂さんよりも高い。百八十近いのではなかろうか。半袖から聳えるたくましい両腕は美しい筋肉を湛えている。端的にいうとすごい強そうな奴だ。

 硬そうな胸板ばかり見ていても仕方が無いので、ぼくは十五センチ程の高みにある顔に視線をやる。なんじゃこの顔は! 見たことあるぞ! 三組の根本弘じゃねえか! なんという醜さなんだ! ひええ!

 いけないいけない。これはぼくにあるまじき取り乱し方だ。心の中で目の前の相手の顔を揶揄するなんて失礼極まる行いではないか。反省しよう。

 「……入部届けだ」

 根本君はくしゃくしゃになった用紙をぼくに突きつけた。ああどうも、と言ってそれを受け取る。『二年三組十九番根本弘。入部動機、名探偵になりたいから』

 こいつはユニークだ!

 ぼくらのミステリ研究会に相応しい男!

 「分かった、それじゃあ部室に案内するよ。……とその前に、ちょっと教室に置きっぱなしのものがあるのに気が付いたから、取りに行かせてくれ」

 「……ああ」

 根本君は男前な声を出す。顔以外はクールでダディなのだ。顔以外は!

 教室に帰ったぼくはすぐに携帯電話を取り出した。我が校ではこれの持ち込みは禁止されていない。まあ禁止しても持ってくる奴はいるし、そうなれば規則を守らせることもできない中学ということになってしまうからな。正しい判断である。

 「何やってるの?」

 支度に手間取っていた八坂さんが声をかけて来た。

 「サプライズの準備さ」

 ぼくは『進入部員が向かう。早急にプランを実行せよ』と格好付けた文面のメールを本田に送った。

 「おまたせ」

 廊下に出て根本君の顔を拝む。やっぱすげえ顔だな! 高山さんあたりなら声をあげてしまうかもしれない。

 「何を忘れていたんだ?」

 粗捜しと言った口調でもない。あまり無垢な疑問だった。

 「数学の教科書。夏休みだからって、部活と遊びばかりをやっている訳じゃあない」

 机の中から数学の教科書を鞄に突っ込んで来たのは本当だ。相手をだますコツは、できるかぎり嘘をつかないことである。

 「それで、この志望動機は、どういう意味なんだい? なかなかユニークだね」

 立ち止まり、ぼくは言った。なるべく時間を稼いでおくのが吉である。

 「……そのまんまの意味だよ。念密に計画された難解事件を、賢く解き明かしてやるのが楽しそうだから」

 「ディテクティブズ・カタルシスという奴だ。じゃあミステリ研究会に入って正解だよ。ぼくらは探偵ごっこなら毎日やってるからね。……ところで、ミステリで何を読むの?」

 このまま普段やっているごっこ遊びについて語れば時間は稼げそうだったが、名探偵志望という彼に先を読まれてしまってもまずい。無難な話題に逃げることにした。

 「俺、活字は苦手なんだよ」

 根本君はそう言った。小説を読む(という体裁の)部活に入る人間が文字離れを起こしてしまってどうするのだろう、と思わないでもない。志望動機は本当に名探偵になりたいというそれだけなのだろう。

 「オーケー。読みやすいのを見繕ってあげよう」

 ぼくはそう言って微笑んだ。ぼくに限らず本好きの五割くらいに言えることだが、人が読む本を自分で決められると言うのはなかなか愉快なことなのである。自分の好きな小説を進めて、感動を分かち合うのだ。ミステリであれば殊更、読んでいる最中に『これはどういうことじゃい?』とヒントを求めてくるのに答えるのもなかなか楽しい。

 「それがありがたい」

 言うと、待ちかねたのか根本君は廊下を歩き始めてしまった。これはまずい。

 「根本君、そっちじゃないよ」

 と、ぼくは呼び止めた。「そうか?」醜い顔を晒して、方向を変える。一度か二度くらい道を間違えれば余裕が持てるだろう。本田達だって普段からごっこ遊びで鍛えられているはずだ。魯鈍じゃない。手際良く準備をしてくれるさ。

 「ところでさ、西条」

 「なんだい、根本君」

 「……なんか気持ち悪いな」

 「根本と呼ぼう。男同士なんだしな」

 と言って、ぼくはまた笑った。ポーカーフェイスは探偵ごっこの基本的な技術である。

 「男同士ね……。以前、俺に同じことを言う奴がとんでもない変態で、大変な思いをしたんだよな」 

 根本はため息をついて

 「なあ西条。どうして、部室の場所をチラシに記載していないんだ? そっちを直接訪ねた方が効率的だろう?」

 「ああ、それならね」

 あらかじめ言い訳を用意してある。

 「部員のほとんどがいる部室に途中入部の届けを出すなんて、なかなか緊張することなんだよ。教団で挨拶する転校生の苦しさに通ずるね」

 「それを解消する為ってことか」

 「そうさ。それから、細かい手続きがしやすいというメリットもある。効率的というなら、ぼくらにとってはこっちのが早く済む」

 「ふうん」

 興味なさそうに根本は天を仰いだ。

 「そうだ! 他の部員を紹介しておくよ」

 と言って、ぼくは歩みを止めた。

 「良いよそんなもん。俺は人間関係やりたくて入部するわけじゃないんだ」

 根本のそんな失言は流してやって

 「まずは女子からだ」

 「どうして女子からなのか?」

 「そんな肉体をしていながら文科系に入るってことは、多少の助平心はあるんじゃないのかい? 交際相手を見つけてさ、華やかなる青春を……」

 「俺。ガールフレンドならいる」

 「はあ? その顔で! あっりえねーっつーの!」

 根本が黙った。

 なんか、哀愁が漂っている。

 「失礼しました!」

 ぼくは叫ぶように言って、頭を下げる。取り乱し過ぎた。うむ。

 「いいや。良い。今のは当たり前の反応だよ」

 そういう彼の口調には、ぎこちなさが片鱗も無かった。

 「俺だってさ。まさか自分にそういう相手ができるとは思っていなかったんだけれどよ。好きな奴ができて、幸運にもちょっとした縁ができて、それで告白したら……。へへへ」

 「それはうらやましい話だね」

 ぼくも八坂さんに声をかけてみようか?

 でも『あなたの好意なんてどうでも良いわよ』なんて、平気で言いそうだもんな、彼女。そんな非常識なことを言いながらに、何一つ矛盾せず生活しているのが彼女の魅力なのだ。成績が良いのと美人なのも手伝って、同性には嫌われているけれど。

 「無粋なようだけれど。浮気してみるつもりは?」

 「好きな奴が二人いたら、二人ともと付き合いたいところだな」

 自分の気持ちに実直な奴だな。今のところは一人の女に首っ丈っていう意味なんだろうけれど。

 それにしても飄々とした男だ。

 ぼくは彼のことを、卑屈で暗い奴だと聞いていたんだが。

 「じゃあ紹介の必要はある訳だ」

 相手のことを知らないと浮気なんかできないしね。

 「まあ、そうだな。ああそうだ」

 「良し。小さくて眼鏡をかけた大人しいめの女の子が、高山遥さん。ぼくらと同じ二年生」

 「ふむ」

 「物静かで、不必要に喋らない子だね。でもとても愉快だよ」

 「おまえの説明は分かりにくいな」

 根本が顔を顰めたので、ぼくは

 「会えば分かるよ」

 と言った。根本は口を大きく空けた。こいつバカか、と聞こえた気がする。

 「それから、一年生の遠藤宵子ちゃん。宵に子供の子で宵子ちゃん。綺麗な名前だね」

 「おまえの名前と同じニュアンスだな。西条未明」

 「素直で可愛い後輩で、痩せっぱちでのっぽな体型。背はぼくと同じくらいの高ささ。常にカッターナイフを携帯していて、それで紙を切り刻んでいると落ち着くらしい。小説を切らないようにと普段から折り紙を持ち歩いている」

 「いったいその子はなんじゃらほい」

 「女子はこれで終了」

 「なんじゃらほい!」

 お気に召す子はいなかったらしい。

 まあ実物に会えば変わるかもしれないけれど。

 「次、男子。二年の本田学。坊主頭の気の良い男。物事を囃し立てるのが得意。分別がないように見えて、自己矛盾を許さない性格の持ち主でもある」

 奴がふざけるのは、頭が軽いからだ。決して心が軽いのではない。

 「そりゃ良い奴だ」

 「我がミステリ研究会でも、二番目の人格者だ」

 「一番は誰だよ?」

 「おいおい進入部員。みなまで言わせるつもりかい?」

 と、ぼくは胸を張った。

 「……部長は誰なんだ、人格者のおまえか?」

 「ああ、部長ね。……部長は、一度は会う価値のある男だよ。そして、一度会えば二度とごめんだと思うだろうね」

 さて

 「そろそろ行こうか」

 「おう、早くしてくれ」

 予定通り二回程道に迷って見せて(ミステリ研究会の向かいの校舎の、料理部とかに行った。エプロン姿の八坂さんがケチャップを窓から投げていた。痺れるぜマイハニー)、それから部室にたどり着いた。

 「ここだ」

 「散々迷いやがって。どういうことだよ」

 「いつものことだ。ぼくは方向音痴なんだよ」

 旧校舎の三階という今一つな立地条件。まあ、文芸部なる者が存在する中で、創立を許可してもらえたことを感謝するべきなんだろうけれど。

 「それじゃ」

 と、根本は自分で扉を開けやがった。なかなかの度胸と言うべきか。

 その時、空気が赤くどろどろしたものに染まる錯覚を覚えた。

 「なんだこりゃ」

 鼻腔に張り付くような甘辛い臭気。端的に言ってみりゃ異臭である。これだけをとってみても、大分怪しげな雰囲気だ。

 部屋には本を一冊手に持った少女が一人、床に転がっていた。棚の上の方の段から本が溢れ出していて、少女が乱雑にそれを引っ張り出したのが伺える。頭にはべったりと赤い何かがこびりついている。その周りには、本田がいて、高山さんがいて、宵子ちゃんがいた。

 「これ、死体です」

 宵子ちゃんが少女を指差して言った。なるほど、頭から血を流したこの少女は、既に事切れてしまっている訳だな。

 「こいつが持っている小説。高山隆盛の『二月二十九日未明』っていうんだが……オレがおもうに、こいつはあれだ。ダイイングメッセージって奴」

 人差し指を立てて、内緒話をするように本田。きひひ、という笑いが聞こえた。

 「ああそうかいそうかい」

 根本は肩を竦める。

 「で、おまえら三人の中に殺人犯がいるんだろう?」

 「まあ、ふつうに考えれば。こんな半端なメッセージを残されているんだから、ある程度犯人を絞っていくのがセオリー……。ああ。オレの名前は本田学」

 「名前なら全員分知ってるよ。西条から訊いた」

 根本は次は溜息をついて

 「なあ。ひょっとしておまえらバカなのか?」

 と言った。

 まあ、そのとおりなのだけれど。


 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

 一週間に一話くらいは投稿するつもりなのですが、これからもお付き合いいただけたら幸いです。もうアクセス解析を見るのが楽しくて仕方がないとです。小説を書く楽しみも、前と比べたら2.78倍くらいになりました。

 お蔭様で林崎は今日も元気です。本当にありがとう。

 

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