番外編 インドア
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「神様はさいころをふらないというけど、これがどういう意味なのか君は知っている?」
円垣内生徒会長は幼子が父に質問する時のような、無邪気さと無責任さを併せ持った爛漫な笑みを浮かべてそう訊いて来た。その問いには、神を嘲笑する悪魔の性質が備わっているように、榊原は思わないでもない。
「ふるまでもなく、何が出るのか分かるから、だそうですよ」
「ふうん。その言葉の意味を、僕は今まで、神様は運否天賦を嫌うということを表していると、そう思っていたんだけどなぁ」
「素晴らしい考え方だと思います」
「だろう。世界の在り方を決める神たるもの、自分の頭でちゃんと考えて判断をするべきだよ。さいころなんかで決められちゃ、たまらない」
目に従って駒を進める。二つすすめ。会長は嬉しそうに破顔しながら駒を動かした。
「しかし。神様はさいころの目が分かる、というなら、その目が人類や世界、または神自身にとって良いものではなかったとすると、神はどうするべきなんだろうね?」
「その時こそ、目を都合の良いものに変える為に、自身の手でさいころをふるんじゃないですか?」
普段の榊原なら、今の言葉は会長自身の口から出るように誘導するところであるが、この男に対してそんなことはしたくない。あらゆる問答でとりあえず相手に良い気分になってもらう、というのが榊原にとっては当たり前の癖だったが、そんな榊原でも、この男の機嫌を取ろうとは微塵とも思えないのだった。
面の皮の厚さには自信のある榊原でも、例え口先だけでも流石です生徒会長と言うのは憚られてしまう。それほどに、この会長は榊原他生徒会役員達から敬遠されていた。
敬遠、というより、単に嫌われているだけかもしれないな。
榊原は思いつつ、さいころを手に取った。
「僕は君が何の目を出すか、分かる」
と、会長はそこでそう宣言した。
「……はぁ」
「神は全知全能だから、さいころをふれば何が出るのか分かるし、また自分の手で何が出るのかも変えられる。でも、自分の手で目を変えてしまえば最初の予想が外れることになるし、最初の予想を外さない為に目を変えなければ、神が全能ではないことになってしまう。つまり、どういうことか」
「分かりません」
「さいころの目は全て、神様にとって都合の良いものでしかない。よって、神は全知全能であり、わざわざさいころをふる必要も、ないということだよ」
「…………」
言っていることが分裂している。榊原は知っている。こいつはただ、単に大仰なことを口にするのが好きなだけなのだ。
……というより、むしろ、こんなことしか話すことがないのかもしれない。榊原は今まで、この男が意味のある会話をするところを見たことが無かった。
「それで。会長はぼくが何を出すと思いますか?」
「一から六」
榊原は目を見開いた。
「きっとそのうちのどれかが出るはずだ。そして、どれが出ても僕にとって悪いものでない。だから、僕はさいころをふる必要がないんだ。榊原君、君がどんな目をだそうと、僕がどんな目を出そうと、僕がこのゲームで負けることは、ありえないからね」
「……それじゃあ、会長は何でこんなことをしているんですか」
「楽しそうだから」
榊原はさいころを振った。
六が出た。
「……それじゃ、会長がこれから何を出そうが、僕が勝つことは、ありえないということになりますね」
「そのとおり」
言いつつ、会長はさいころをふる。
出目は一。二回休み。
「如何様を疑うなら、君が代わりにさいをふれば良いよ。僕は帰って見たい番組があるんだ」
「…………」
このすごろく、持って来たのは会長のはずだ。
もう十二月になるんだというこの時期に、辞任寸前の生徒会長が部屋に現れたと思ったら、自作のすごろくを持ち出してやろうと言った。
前々から頭のおかしい男だと思っていたので、誰も驚いたりはしなかった。呆れ半分、不気味さ半分で、気が付けば参加させられたのが榊原である。
「会長、受験勉強してるんですか?」
「もちろん。僕は努力家なんだよ」
胸を張られる。
それはそうなのかもしれない。だがこいつの場合努力家というより、目的の為に手段を選ばない、と言った方が正しいと思う。でもなければ支持率0%で生徒会長に就任できたりはしない。あんなことをしてまで会長に就任しておいて、この男が何をしたかったのか、榊原は未だに分からない。
ただ、こんな人格破綻の見本のような男がどうしてか有能であることは、酷く不条理ながら認める他に無い。
「どこの高校に進学される予定ですか?」
絶対にそこは進路から外そう、思いつつ榊原は尋ねる。
「妹の家に近いところが良いかな。そうそう。バスケ部の強い、マド高なんてどう思う?」
バスケ部が強い、と来たか。一年生で弱小バスケ部を全国大会に導く快挙を成し遂げながら、大会が終わればすぐに辞めてしまった非常識はどいつだったか。高校でも同じことをする気だろうか。榊原はたまに、こいつはただ目立ってみたいだけなのではないかと思う。
「……円居高校、ですか? てっきり会長は、来年できる高等部に進まれるものかと思っていましたけれど」
「先生の中にはそれを勧めてくれる人もいるよ。ごく僅かだけれどね。誇らしい気分だよ」
この男の能力を考えれば、誰もが必死で高等部に進ませるはずだ。それがごく僅かだというのは、それだけこの男を理解する思考力ある教師がこの学校には多いということだろう。救われる話である。
人間は本音を隠せる程に評価される、という考え方の榊原にとって、自らの醜悪さをひけらかして愉しむようなこの会長は相容れない。これだけストレートに自分を主張する男であるのに、その主張を日々聞かされる榊原はこの男のことがまったく理解できないでいる。
「……五。これで僕のあがりだね」
心底喜ばしいというように、会長は無邪気に笑いながら自分の駒をあがりの場所に置いた。接戦だった、と言っても、たまに選択肢が登場するだけで基本的には運のゲーム、良い勝負も悪い勝負も、楽しい勝負も退屈な勝負も無い。ただ漫然と、会長の戯言につき合わされただけの時間である。
「どうだい。ぼくが勝っただろう」
だから何だ、榊原は思う。たまたま会長が勝っただけに過ぎないはず。だがしかし、どこかしらで、初めからこのような運命であったのだと、そんな風に考えてしまうのも確かであった。
「それじゃあ僕は帰るよ。番組には間に合わないから、妹の家にでも寄って行くかな」
「……妹さん、ですか」
円垣内忍。榊原の小学生時代の同級生で、内気な劣等生、という印象の可愛らしい少女だったように思う。たまに姿を見せると、会長はその妹のことを話題にすることが多かった。こいつの頭の中には、ボードゲームと哲学と他人を不愉快にさせること以外には、妹のことしか入っていないらしい。
「ああ。一人暮らしを始めてね。面倒を見てやらなくちゃいけないんだよ」
「……一人暮らして」
「料理の上手い子だし、お友達のいるアパートだから、大丈夫だと思うんだけれど。お兄ちゃん子で、懐かれるのが嬉しかったな。あの子の料理が食べられなくなるのも悲しい。食べる時わざと僕がわざと顔を顰めると、暗い顔をするあの子を観察するのがとても楽しいんだよ」
「……極限まで歪んでいますね」
会長は答えない。ただ、少し寂しい顔をしただけだ。
こういう皮肉の通じるところが、気持ち悪かった。会長はこれで人並みの感性を所有している。人並みの感性を所有していて、これなのだ。
「それじゃあ。榊原君、来年の新入生には、是非僕のことを伝え聞かせておくれよ」
言って、会長はにこりと笑った。
邪気の無い笑みに、兄の姿が重なる。
「後、そのすごろくは君にやるよ」
「いりません」
「それは残念だな。でもそれ、後攻になると絶対に負けないようにできているんだ。誰かに試してみると良いよ」
言い残し、会長はすごろくを残して帰ってしまった。
これを試したら負けだよな。榊原はそう自分に強く念じて、すごろくはゴミ箱に突っ込んだ。
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