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醜い奴ら  作者: 川崎真人
29/35

愛 六

 アクセスありがとうございます。

 投稿が遅れました。三日に一度投稿するなどと吐いておいて申し訳ない。

 どうか今回もお付き合いください。

 バケツ何倍分だろう。

 そこいらのアパートの部屋とは比べ物にならない豪奢なホテル。西洋風に纏まった、おめでたいとも形容できる厳かな紅白の空間。皇室すら思わせる少しばかりメルヘン過ぎるその空間の中で、赤黒い血液がぶちまけられ、少女の清潔な死体が中に浮かんでいた。

 弘は目を背けるように部屋を出て、それから大きく息を吐いた。

 ……あれくらいのグロテスクなら鏡で見慣れている。ただ、匂いがきつかっただけだ。

 深呼吸。大丈夫。自分は冷静だ。やるべきことはちゃんと分かっている、だから信じている。どれだけ盲目な愚か者になってでも。

 絶対だ。

 弘は意を決して、地獄絵図の部屋に乗り出した。

 「絶景だねぇ」

 如月の下卑た声が聞こえる。

 「最高だと思わないかい? なぁ港。メールが送信できるなら、今すぐにでも百目木にこの写真を送ってやりたいところだねぇ」

 「不謹慎とかいうんじゃねぇの? まぁ、言いつつカンバス取り出したりするかもな」

 「そうそう。あいつの作品、十三歳の少女の素足を羽虫が覆っているような奴だっけ?」

 「ああいうの変態って言うんだろう? 自覚がない分厄介だ」

 「何を話しているんだ?」

 死体を挟んで談笑する男二人に、弘は割って入って言った。二人分の下卑た笑い。

 「現場検証だよ。死体の状態について話し合っていたんだ」

 「そうそう」

 言いつつ、如月は部屋の中の窓と言う窓を見て回った。開くかどうかを試しているらしい。港はと言えば、更科の喉から渚の手を引っこ抜いてまじまじと見詰める。

 「間違いないな。これは妹の左手だ」

 「……分かるのかよ」

 「兄妹だかんな。毒花に刺された跡が残っている。……ったく、どうしてこいつだけが残っているんだろうね。犯人は人間の手にご執着なのかい?」

 未だに断面から血が噴出しているそれを手にとって、港の体は赤く染まっていた。弘はそれを、睨むように見詰める。

 「妹の体液だと思えば気持ち悪くないさ。俺の体にも同じものが流れている」

 港は弘の心を読むように言った。

 「しかし残念なのは、更科のお嬢ちゃんが死んじまったことだなぁ。……けっこう話が合ったんだが」

 「そうか?」

 港はずっと如月とバカ話をしていたようだし、更科は港のことなど意に介していなかったようだが。

 「あいつは滅多に自分のことを話さねぇからな。……苗字のとおり、本当に植物みたいに自己主張の小さい奴なんだ、俺ら人間からしたらな。ただ、喜怒哀楽が無いって訳じゃない。驚けば憎み、笑えば怠けるし、年頃らしい頭の悪いところもちゃんとある」

 そういう港は、悲しそうにするでも寂しそうにするでもなく、ただ謡うように

 「生きていても神様は別に文句言わなかった、普通の女の子だよ。その辺を如月は分かっていない。まあ、あいつが人間に肉の塊以上の価値を見出すなんて有り得ないけどな」

 「それは失礼なんじゃないかなぁ?」

 と、部屋の様子の確認が済んだのだろう、如月がやって来て言った。

 「ボクは他の誰よりも、人間の素晴らしさを解する者だと自覚しているぜ」

 「それが本当ならおまえは今頃とんでもない人間嫌いになっているよ。俺の妹みたいにな」

 港は無感動に笑った。

 「おまえは人間を絵画か音楽みたいに批評するじゃないか。そういうのが通用すると思っている時点で、おまえは人間のことをまるで分かっていない」

 「手厳しいね」

 如月は港の言葉を何ともなさそうに

 「けれど。ボクからすれば、おまえは少しばかり人間と言うものに執着が強すぎるんだ。機械をいじくるのは少しは得意だったろ、プログラムと脳味噌がどう違うのか、考えてみると良い」

 「おいおい。おまえは人間を誰より強く愛するんじゃなかったか?」

 「どんなものにでも美は宿る。環境によってプログラミングされた脳味噌を持つ人間も然りさ。……ちなみに言うと、ボクにだって愛せない人間はいる」

 「ほう? 例えば」

 「おまえとか」

 「ひでぇ」

 言いつつ、二人は同時に笑った。とても楽しそうな、気の許した者同士の掛け合いだった。

 「……と、いうのは冗談だよ。ボクはおまえが結構好きさ」

 「奇遇だな。俺もおまえは結構嫌いじゃないぜ」

 「それは良かった。だったら、このままボクら二人この屋敷から出て、共に生還と友情を祝おうじゃないか。岸谷が風間を引っ張り出して、百目木が見付けた居酒屋で」

 などと言って、如月はこちらを指差した。

 「根本も一緒に、だ」

 「……おう」

 生きて帰りたいのは確かだが、この二人の交友範囲に自分が納まるのは考え物かもしれない。

 「ちょっと1号室の窓を調べて来る」

 港が伸びをしながら言った。

 「そうだね。携帯電話が使えないことは、さっき港と二人でいやと言うほど試した。どうにか外界にアクセスする方法を探さなくっちゃ」

 「ああ。いつ明かりが消えるか分からない、ほどほどで動いた方が良い」

 余裕綽々な声色。弘は二人のあまりに淡々とした態度に肩を落とした。死体が見付かって、もう少しそれを憂いる時間があっても良いはずなのだ。如月は人間に対して冷酷なところがあり、港のシニカルな面は死者にあまり執着することを良しとしないだろう。だが弘はまだしも正常な中学生であり、戦友の死に様と血溜まりに浮かぶ恋人の左手を目にしたばかりなのだ。この年配二人ならそれに気を配るくらいはできそうなものだが。

 「おい。閉まっていやがるぞ」

 扉のドアノブをがしがしと弄りつつ、港は言った。それからすぐに諦めて手を離す。

 「何だって」

 そう言えば更科も、この部屋のドアノブを握って離していたんだっけ。思いつつ、弘は未練がましく扉に縋りつく。港は弘のその様子を意にも介さぬように

 「どうする? 徹底的に全部の部屋の中を調べて、あらゆる窓を開けてみるしかないか」

 誰にともなく問い掛ける。

 「どうにかぶち割れないのか、窓ガラス」

 根本が右手を握り締めて言う。

 「……あれはおまえでも割れそうもない。強力無比を絵に描いたようなもんさ。……ふつうあんなにごついのを用意するかね?」

 「二部屋くらいなら、金銭的にも可能だろうさ」

 港が長い腕を広げて

 「あんまり作為的だよ。何が何でも俺らを閉じ込める気らしい」

 「なんて言ったって、どうにか隙を探さないことにはどうしようもないじゃないか。……このホテルのどこかには、襲撃者が潜んでいるはずなんだし、そいつを締め上げてもボクらの勝ちさ」

 「ひょっとしてよ、痩せ男。おまえがそうだったりしてな?」

 「何おう」

 「冗談だよ。……んじゃ、俺この階調べるから。これが見世物にせよ、試練にせよ。突破口がどこかにはあると考えるのが自然。挫けず行こうぜ」

 言い聞かせるように、港はそう口にした。


 弘は十二階の廊下を進んでいた。ありとあらゆる方法で部屋の扉にアタックを試みたのだが、立て板に水であった。

 だいたいにおいて、三人が分散してしまうというこの状況ははたして望ましいのだろうか。腕力に自信のある弘としてはあまり気にならないことであるのだが、如月は喧嘩をする体付きをしていないように見える。明かりを消されてしまえば三人固まっていようが同じことなのかもしれないが。

 「ちくしょう」

 1201号室の扉を力任せに蹴っ飛ばす。びくともしない。自分がここまでしても無駄なのだから、他の二人にこれを破壊するのは難しいことだろう。……いいや。あの二人なら何か型破りな方法を使ってくれるかもしれない。

 「……エレベーターの扉なら、こじ開けられるかもしれないな」

 などと思い、のろのろと廊下を歩く。それが無理だったらいよいよ一部屋ずつ調べていく他無い。仮に中に入れたとして、それはこの状況を作り出した者が意図したことであるのだろうから、腹の立つ話である。

 豪奢なエレベーターが四つ並んでいる。扉のサイズからして、それぞれ大人三人が大の字になれるほどの広さはあるのではなかろうか。弘はその扉に手を強く貼り付けて、血管が部ちぎれそうに力を込めた。

 ……開け!

 両手の筋肉が軋む。がたがたと、そんな情けの無い音を扉は発し始める。

 ……ひょっとすると。

 が、駄目だった。まるで魔物が閉じた口のように、扉は弘の腕力に対して無反応だった。どんなエレベーターでも力ずくで開くようになっているはずなのに、ここは一体どうなっているのか。まるで人間を幽閉する為の施設のようではないか。

 「く、そ。くそ!」

 弘は力の限りその堅牢な門を蹴り飛ばす。怒りに任せ、感情をぶちまけるように

 「開きやがれ! この野郎!」

 こうでもしなければやってられない。弘は醜く、エレベーターの前で暴れまくった。

 「開け! 開けよ! 開いてくれ!」

 懇願するように、恫喝するように、弘はひたすら足を放つ。とても冷静ではいられない、頭に血が上り、心に生じた不安を追い払うように体を動かす。

 「開くんだ!」

 チンッ、と、間抜けな音が弘の背後で響いた。

 空気が僅かに入れ替わる感覚。弘は振り返り、そして信じられないものを見た。

 「根本?」

 エレベーターが開いて、当たり前のように中から出て来たのは、料理部の八坂詩織。

 「八坂? 八坂おまえ、どうやって……。どうしてこんなところにエレベーターで!」

 「……あなたこそ」

 普段の鉄面皮をほんの僅かに歪ませて、恐れるように称えるように、八坂は口を不器用にぱくぱくと

 「ここはわたしの家なのよ」

 「はあ?」

 弘はただでさえ醜い顔をつぶれたアンパンのように歪めて八坂を見た。

 「わたし、居座り屋というか、営業していないホテルだのアパートだのの部屋に居座って生活しているの。その仕事で今日からここで暮らすことになって、それで」

 ……そりゃあそういう生活もあるのだろうが、どうして中学生の八坂がそんな不憫な状態になるのか、にわかには理解しがたかった。

 「……まあ分からないでしょうけれど。ちょっと訳があって両親の顔を随分見ていないもので。中学生じゃまともな労働もできないから、こんな状態。……あなたはどうして」

 「おいおい」

 弘は首を振って

 「学校はどうするんだ、おまえ」

 「転校するしかないわね。毎朝飛行機に乗る訳には行かないし。……まあその内届けが行くんじゃない?」

 まったく混乱すべき事態だ。八坂の言っていることはまるで納得できないし、かと言って虚言にしては酷すぎる。というかそもそもエレベーターが起動したのだろう。

 「それで。あなたは何をしているの?」

 八坂が無表情に言った。

 「……閉じ込められている。エレベーターの扉をこじ開けて、紐で齎して下に降りればどうにか脱出できるんじゃないかと思った」

 「閉じ込められてる?」

 「ああ」

 八坂はちらりと、自分の乗って来たエレベーターを一瞥する。弘は迷わずそれに乗り込んだ。

 「……ちゃんと動いてる、よな」

 一階のボタンを押す。

 反応が無かった。

 八坂が少し目を大きくした。弘は溜息を着き、エレベーターを降りて

 「……シャッターが下りている所為で十階より下は入れない。……八坂、おまえも閉じ込められているんだよ」

 「そうみたいね」

 八坂は平坦な声で

 「それで。あなたは誰かから呼び出されてここへ来て、幽閉された。おそらくは、何者かのつまらない遊びの為に」

 つまらない遊び。

 多分そうなのだろう。あの電話の主は、今のこの状況を楽しんでいる。もしかしたら今頃、十階にでも人数分の人形が置かれているかも知れない。そして誰もいなくなるのだ。

 「ああ。多分それは、おまえも同じだ」

 「妙だと思った。こんな綺麗なホテル、立地条件が悪いって訳でもないのに、どうして潰れちゃうのか、閉業するにしてもどうして居座りが必要なのか。……こういうことなら納得が行く」

 八坂の心の機微は読み取れない。その表情は仮面というよりマネキンだった。

 「他に誰かいるかもね」

 やはり坦々と八坂は言った。

 「それに、何か仕掛けがあるかもしれない。外に出るためのヒントか、わたし達を貶める罠か。いずれにしても探さなくちゃいけないわ。どうせ何か条件を満たさなきゃ外には出られないルールなんだろうし、ホテルの中、回ってみましょう。そうしながら、お互いに詳しい話をする」

 偉く冷静に、八坂は判断を下す。漫然としていて、あまり能動的とは言えないが、しかしそれしかないということは八坂も弘も理解していた。

 「……そうだな」

 港達とは上で会えるだろう。とにかく、自分はこの階をしっかり調べることだ。


 「やあ根本君、ひさしぶりだね」

 元気に気さくに手を上げて挨拶したのは、人形師の神代信一郎だった。ミステリ研究位階とも深いかかわりがあり、もしかしたら文化祭にちなんで学校を訪ねて来るかもしれないと西条が話していたのを覚えている。

それがどうしてこんなところに。

 「仕事の打ち合わせがここだと聞いてね。機能ここに来てからずっと閉じ込められている。特殊な儀式に使う人形をそろえるのだそうで、普光院様に呼ばれたんだ」

 「……なるほど。らしいことだ」

 嘲るように、如月が言った。

 「亮君とは十三階で会った。中に入ったは良いが、閉じ込められて。僕は携帯電話を使わない主義だし、ここの公衆電話はどれもこれも使えない。窓も全部閉まってりゃ屋上も閉鎖されて、しょうがなく二階の部屋で寝て、起きてからすることもなくだらだらしていたら、きゅうに明かりが消えた。誰かいるのかと思って二階中を調べても何も無い、他の階に行こうにもシャッターが降りていて、エレベーターで一階に行こうとしたら何故か十三階に飛ばされた」

 「ボクは十三階のレストランで食べ物を探していた。……どういう訳か冷蔵庫にたくさんある、しばらく生きていけそうだ」

 「しばらく閉じ込められるってことでしょうね」

 八坂が表情のない声色で言った。

 「……そうだね。君はなかなかものの本質を見る力があるようだ。頼もしいね」

 如月は楽しそうに言う。八坂のことを気に入っているのだろう。

 「君は確か、西条君の幼馴染で……」

 神代が八坂の方を興味深そうに見る。

 「八坂詩織です。あなたは、腕の良い人形師で、神代信一郎さんでしたね。話は窺っています」

 「腕の良い、とは、嬉しいね。西条君は僕のことをそう紹介してくれたのか、そうかそうか」

 神代は腕を組み、うんうんと首を振る。喜怒哀楽する心を失っていない人間のみにできる、素直な感情表現であった。これが西条ならもっと白々しい態度に出るところである。

 「それで。君達はどうしてこんなところに?」

 「今さっきまでここでふつうに生活していて、突然人が現れたものですから。何がなんだか」

 八坂が根本のほうを見る。

 「俺達の知り合いを騙る誰かに、メールで呼び出された。そこの男……如月も一緒だ。他に三人いる。三人いて……」

 弘がそこで言いよどむと、如月は小さく笑って

 「女の子が二人死んだ。名前は大宮渚と更科深冬」

 説明を引き継いだ。

八坂の眉間に皺が寄る。神代はまず驚いて、それから泣きそうな顔になった。

 「現場に行きましょうぞ、もう一人の男もいつか戻ってくるはずだ」

 如月は平気な顔でそう口にした。

 

 「なるほど。これは大宮さんの左手だ。……綺麗な肌をしていたからね、色を良く覚えている」

 まじまじと、神代は血溜まりの部屋を観察している。

 「こっちの子は見たことはないが。すごい美少女だね、人形作りの参考にしても良いくらいだ」

 少女の人形を作る為ならあらゆる倫理や道徳を超越する嫌いのある神代信一郎のこと、死体となった更科に強く引かれるのだろう。その視線には灼熱が宿り、細部まで更科をしゃぶり尽くし自らの糧にしようとする思いでぎらぎらと光っていた。

 「……血溜まりの少女。死んでいる、魂の抜けた冷たい体。最高に清潔な体。これを表現できれば、死体の魅力を宿した人形を作ることができれば。……いいや、それは違う。違うはずだ」

 神代は自嘲気味に笑って

 「やれやれ。ついつい不謹慎なことを、醜態を晒したね」

 「いいや。格好よかったですよ、神代先生」

 親しみと敬愛を込めた口調で、如月が言った。

 「ボクは生きた人間にこそ魅力を感じるが、先生の芸術も理解できなくはない。状況を顧みず芸術を求めることは、他のあらゆることに諦観した気高き魂だ。それほど美しい姿は他にない」

 「まいったな。そんなんじゃないんだ。僕はただ、勝手なことをしているだけだ。まともな大人はちゃんと分別つけて、社会に貢献できているよ」

 神代はぎこちなく笑って

 「分かっちゃいるけど、やめられない」

 そう言った。

 「やれやれ。いつの間にキチガイが二人に増えてやがる」

 そんな声が聞こえる。開けられた扉から出現したのは、大宮港。

 「君は、被害者の兄だったかな?」

「そのとおりだ。……先生とやら。随分と随分なことを言っているが。ひょっとしてあんたは死体を検分する事ができるのかい?」

 「どういう意味かな?」

 「あんたが更科のお嬢ちゃんに見入ったあたりから、ずっと扉の前にいた」

 「どうしてそんなことを?」

 「状況を知りたかった。俺が入った途端に、あんたが刃物を振り回すようなことだってありうるだろう? 何せ状況が状況だ、新参者は警戒しなきゃいけない」

 「道理だね」

 神代は納得したように

 「質問に答えるけれど、別に刑事をやっていたとか、そんなんじゃない。死亡推定時刻を言い当てるとか、指紋による被害者断定とか、科学的なことは何もできない。ただ、一度会った女の子の特徴はだいたい覚えている。……ここまでばらばらのぐちゃぐちゃだと、この左手がなかったら誰か分からなかったかもだけれど」

 「そうか」

 港は部屋の中に入ることをせず、親指で外を示す。

 「いくつか入れる部屋を見つけた。こんな鉄臭い部屋にいることは無くなった訳だ。……もう夜も八時、そろそろくつろごうぜ」

 弘は立ち上がった。すぐにでも、こんな部屋から離れてしまいたかったのである。


 「なるべく皆で固まっていた方が良い。一人でいる間にぶっ殺されるという危険性がある」

 そういう港に、八坂が

 「あなた達は五人一緒にいるところ、明かりが消えている間に襲われたんでしょう? 襲撃者に対抗した人間までいたのに、それでも被害者を守りきれなかった。人数は無用です」

 坦々とそう反論する。弘は何も言わず、二人のやり取りを見守った。

 「……それと。失礼なことを言いますけれど、わたしにはあなた達三人の中に犯人がいるように思えて仕方がない。暗闇の中じゃあ、一緒にいた五人の内の一人が被害者を1102号室に引っ張りこむのも、簡単です」

 「それで。犯人の可能性がある俺達と同じ部屋で寝たくないと、君はそういう訳だ」

 「端的に言いますと。……鍵をかけて篭城すれば無敵ですから」

 ……そう言えば、この女は一人でいる時に一番安心する性格だったけ。確か西条が楽しげに話していたな。

 「信頼できる人間同士で同じ部屋にいれば良いじゃん。手を繋いでいれば暗闇でも安心だよ」

 如月がきさくな態度でそう言った。八坂は首を振って

 「分かりました。わたしは一人でいます」

 やけに硬質に聞こえる声でそう答える。おいおい、研究会でお馴染みの俺はどうなる? 信頼できないのかよ。

 「それじゃ。俺も一人で寝ようかね」

 港まで体を伸ばしながらそう言う。

 「ボクはどうなる? 一緒に寝ようよ港くんよお」

 如月が甘えた声を出す。

 「ねー根本君。君もどうだい? とても頼もしいんだが」

 「……」

 弘は黙り込む。何だかんだ、強い意志力を持つ如月のことを弘は深く尊敬しているし、またいくら自分に腕力があると言って一人でいるのでは心細い。そしてその如月の友人であり渚の兄である港のこともまた、ある程度信頼するべきなのではなかろうか。

 自分のことだけではない。如月のことも、港のことも、弘は危険な状態を共にした戦友のように感じている。如月がへらへらしていることで勇気を貰ったし、港がいい加減に物事を判断することで自分は手持ち無沙汰にならずにすんだ。ならば、力の強い自分はせめて彼らのことを守るべきなのだ。

 ……大宮を守れず、更科を死なせてしまった自分が何を言っているのか。

 そんな風にも考える。

 あの時、弘は一度、部屋から飛び出してしまった。……迷ってしまった、自分の在り方に。

 そして、今も自分は……。

 「俺は一人で部屋にいる」

 考えて、そう決断した弘だった。

 「それで良いのかい?」

 神代が心配そうに弘を見た。

 「みんなで一緒にいた方が良いに決まっている。多分無いと思うけれど、この中に犯人がいる場合でも、みんなでいれば手出しはできないだろう。部屋は広いんだ、ベッドから布団だけ引っぺがしてベッドや床で寝れば」

 「そうじゃないんだ」

 神代の言うことを遮って、弘は言う。

 「俺は十一階の、更科のいる部屋で寝る」

 如月が驚いたように両目を見開く。

 「あんな臭いところで?」

 「おまえは黙れ」

 弘は眉間に皺を寄せて

 「まさか犯人も、同じところで犯行を起こそうとは思うまい」

 「それはおかしい」

 港はぴしゃりと言った。

 「そんなことは関係ないだろう、どう考えても」

 「うるさい」

 弘は部屋を出て、十一階への階段を下って行く。 

 誰にも何も言わせない。

 大股で十一階へと降りる。そして、廊下の奥、1102号室の扉を開ける。

 放たれる激臭。血たまりに浮かぶ、人格奴隷の少女。

 弘は渚の左腕を取って、崩れた表情の、それでも美少女の口を開けさせ、銜えさせた。

 「これはおまえにやる」

 『意味はあるんですかぁ?』

 「……欲しくないのか?」

 『そうじゃなくて、あなたがここに来たことですよぅ。……本当は分かっているんですよね、やるべきことは』

 「うるさい。ちょっと自分で調べてみるだけさ」

 『どうしてそんなこと、抜け抜けといえるんです? あなたバカですか? それとも臆病なんですか?』

 「うるさい」

 『それとも、本当は大宮さんのことを愛していなかった?』

 「黙れ」

 『だとしたら許しません、絶対に許しませんよぅ』

 弘は更科の死体を蹴っ飛ばした。乾きかけた血が飛沫と舞い、ベッドを赤く汚す。

 足を持ち上げた。更科の頭を踏み潰そうと、それを強く叩き降ろす。白い左手を銜えた端正な顔は、信じられないほど固く、まるで鉄の塊のようだった。死後硬直というものだろうか。足を真っ赤にした弘は、次の攻撃を繰り出そうと再び体を持ち上げて

 「根本君、入るよ」

 神代の声だった。弘は我に帰り、ほとんど無意識の動きでオートロックを解除し、神代を招き入れる。

 「なんだよ」

 「僕も、今夜はここで眠る」

 神代の薄い体には、不思議な迫力が宿っていた。自らの使命を確信し、必ず引かぬと凛としている、そんな力だ。

 「君は何か、自分の考えがあってここに来たんだろう? 僕も、僕の考えでここで寝かせてもらうよ」

 言われなくても分かる。こいつの目的は、自分を一人にしないことだ。……心配なのだ、この顔の醜い、意思の弱い、恋人を信じ続けることもできない愚かな自分のことが。

 守ろうとしているのだ。このように血溜まりの地獄で過ごすことになろうとも。

 「好きにしろ」

 言って、弘はベッドに飛び込んだ。

 神代はにっと笑って、そして弘に覆いかぶさるようにベッドに入る。

 「うおぅ!」

 「このベッドはかなり広い。一緒に眠ったって問題ないに違いないさ」

 片目を閉じてウィンク。血飛沫の飛んだ赤いベッドで、この醜い男と一夜を過ごすつもりらしい、この男は。

 「いい、いい。俺はソファで寝る!」

 「なるだけ近くにいた方が安全だよ」

 「じゃあまずはシャワーを浴びよう! 多分使えるはずだ!」

 「OK。男同士だ、一緒に入ろうじゃないか」

 最早弘の話など聞いちゃいない、神代はとことんまで弘に付きまとって来るのだった。

 

 翌朝。

 一人個室で眠っていた大宮港の死体が発見された知らせが、如月によって二人に伝えられた。

 読了ありがとうございます。

 これからもお付き合いください。

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