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醜い奴ら  作者: 川崎真人
23/35

人間 おしまい

 アクセスありがとうございます。

 投稿は今までどおり続けることにします。完結も見えてきましたし、きちんと走り抜けようと考えていますので、どうかお付き合いください。

 「ぎゃははは!」

 下卑た哄笑に店内全ての人間が繭を潜め、少年の方を見る。しかし、コーラで満たしたドリンクバーのコップを机一杯に広げた絶世の美少年に、誰も文句を言うことができないようであった。そりゃそうだ、少年の立ち振る舞いはワンプッシュで人を殺すスイッチを抱えたように飄々として、当たり前の神経をしていれば誰も関わろうとは思わない。

 「それでだ。俺はこう思う訳よ。広い宇宙の小さな星屑にこびり付く様にして生きてる、学名ホモサピエンス、いわゆるあれだ、人間って奴は、すなわちこの俺のことなんだよな。この俺は人間で、人間の一員が俺だ。いいやこれは少し違う、人間の一員が俺なんじゃなくて、俺が人間の一員なんだ」

 「当たり前じゃない、そんなこと」

 少年の隣、自身と目の前の男以外の全てを敵視するような少女が、店内を見回しつつ言った。

 「あんたは神様じゃないし、ゴキブリでもない」

 「そのとおり。だがしかし、問題なのは、それをちゃんと理解しているかどうか、ということだ」

 「誰だって知ってる」

 「知っているのと、理解しているのは大違いさ。おまえは医学を知っているか?」

 「そりゃ、当たり前の日本語じゃない?」

 「じゃあおまえは、医学を理解しているか? 理解していなければ、盲腸の手術をできない」

 「屁理屈よ」

 少年はコーラを一気に飲み下し

 「いいか。人間を理解する為に、分かっていなければならないことが幾つかある。まず、これは一番大切なことだが、生ゴミみてぇにそこら中に転がっている有象無象の連中と、ここにいる俺って言うのは、まったく同列の存在だということだ。いいや、これだとニュアンスが違って来る。……ここにいる俺と、そこら中にいる有象無象というのは、まったく同じような存在なんだよ」

 「だったら?」

 少女は呆れた風に、同時に楽しそうに言った。

 「誰かが俺を殴ったとする。俺は痛かったと、俺はそう思った。つまり、俺を殴った誰かも、殴られれば痛い」

 「そうね」

 「俺は殴られて不愉快だ。だから俺は、俺を殴った奴を殴り返す」

 「……不毛ね」

 「どうして?」

 少年は手のひらを晒す。

 「そいつは、俺と同じくらい不愉快になるんだぜ? それは喜ばしいことじゃないか?」

 「非建設的よ」

 「建設的であることの意義は? それは物事を良い方向に向かわせる為だろう。幸福である為だろう。嬉しいってのは、幸せってことさ。人を殺して幸せな奴に、人を殺すことは最も建設的だ。何せ一番近道で、無駄がない。無論というか、投獄されないことが前提だがね」

 そこまで言って、少年は羨ましく思えるほどの笑顔で「ぎゃははは!」大いに声を張り上げる。「ふうん」少女はつまらなさそうに、しかし楽しそうに頷いた。

 「それで? それと、自分を人間と認識することがどう関係するの? ワタシには、両者は矛盾しているように思えるのだけれど」

 「まあ最後まで聞け」

 少年はまたも両手を使って、少女を遮るような動作をする。

 「俺は人間だ。これを受け入れるのはたいそう苦労することだ」

 「そうかしら?」

 「苦労したんだよ。本当にね。……そうして、自分が人間であることが分かれば、他の人間と分かり合えるようになる」

 「あまりにも自然ね」

 「だから、俺はあいつらに復讐できた。するべきだと思った。みんな同じ人間なのに、どうして俺だけがあんな目にあって来たのかって、それを考えると、心の底から人を殺したくてたまらなくなった。ようやく正常に戻ることができたからさ」

 「……人を殺したがる奴を、正常だとは言わないわ」

 少女はいやらしい微笑で少年の表情を覗く。

 「それはただの狂気よ」

 「そうさ。だが、狂うというのはどういうことだ?」

 「正常じゃないこと、て言いたいの?」

 「ブラボー!」

 少年は拍手を打ち鳴らす。随分と忙しい両手である。

 「狂ったことをする大前提は正常なことだ。自分が人間であるという正常な感覚を取り戻した俺は、復讐を思いついた。それは復讐という言葉を記憶から引き出したって言う意味じゃない、湧き出して来た願望に復讐という名前を付けたのさ。もっとも、これは今だから思いつく表現だがね。ぎゃはは」

 少年は三度哄笑して

 「俺はこう思うんだ。人から人間扱いされない奴ってのは、自分のことを人間だと考えてられなくなる。こんなに自分が虐げられるのは、自分が連中と違うからしょうがない、人間よりも劣った何かだから、しょうがないって。そしてそんな思いは、同時に人間のことをナメた考えでもある。人として生きることが嫌だからそうじゃない何かになろうって? でもさ、簡単に人間をやめられるわけねぇよな」

 「そうね」

 「自分を人間と認めたら、自分がどれくらいの人間なのか分かる。そして、自分こそ人間であるという思いが強ければ強いほど、他の人間に対する感情が強くなる。俺の場合、憎悪の量が百倍になった」

 「良い迷惑だわ」

 「建設的だかどうだか、人が人を殺すのは倫理的にも論理的にもおかしいだとか、矛盾しているだとか屈折しているかだとか、そんなのはしょせん、神様の考え方なのさ。心がないから、物事を客観的に、数学の問題を解くみたいに考えちまう。そういう奴が動物愛護だの地球環境保護だの意味不明なことを言い出すに違いない。聖人がおどれらは? 仙人かおどれらは! なんつー傲慢ちきだ、人間が人間以外を理解できるかっつの。植物さんや動物さんは自分達で色々頑張っているのに、変な勘違いでいじくり回されたらありがた迷惑だっつーの」

 「随分な言いようね」

 「そもそもさ、環境だのに目を向けるのはたんなる自慰行為さ。自己を確立しようとする思春期ボーイが妙な哲学に嵌まるのと一緒。そんなこと言ったって誰も相手してくんねーぞ。相手に自分を認めさせるのは簡単だ、相手を殴り飛ばせば良い。人間だって畜生の一種なんだ、身体能力が高いほど良いに決まってる。頭脳で勝負するってんなら、策謀巡らせ罠を張って、嫌な奴の一人でも落とし穴に嵌めちまえば良いんだ。そうすりゃ簡単に優越感を手に入れられる。幸せになれる」

 少年は大いに笑い、コーラを口に含んだ。と思ったらコーラに飽きたのか、机にあったコーラを全て盆に載せて運び、全て捨ててしまった。それからコップを全て入れ替えて、今度はカルピスを注ぎ始める。

 「おい、霧崎だったな」

 と、根本君が急に席を立って、少年の肩を掴んだ。

 「派手に騒ぎすぎてるんじゃねぇの? ちょっとは店の迷惑考えろ」

 少年はカルピスのコップを一つ手にとった。

 「おまええにゃ、こないだも良いところで止められたな。醜男」

 ぎゃははと、少年は哄笑して、根本君に向けてカルピスをぶちまけようとする。すると根本君はすかさず、盆に載っているのも含めてカルピスを床に叩き落す。

 おうい。それ、誰が掃除するのよ。

 「反応はっえーなあ。大したもんだよ」

 笑みを浮かべる少年を、根本君は睨み続ける。少年は動じない。そして随分とフレンドリーな声で

「確かおめぇ、カシワンの友達だろう? だったらこっち来いよ」

 自分たちの席を親指で指した。「そのだっさい呼び方はやめなさい」少女はしっかり講義する。

 「良いじゃねえか。……そうそう、そこの綺麗なお嬢さんも」

 と、少年は私の方を手のひらで指し示す。

 「そうすっか? 渚。嫌じゃねぇだろう?」

 「まぁ、同じことよね」

 と、あたしは席を立った。

 

 「随分と逼迫した家庭環境でいらっしゃるのね、来島君」

 「まあな。親父の仕事がうまくいってねぇんだ。飴細工、腕が落ちて」

 ある日の昼休み、あたしは職員会議室のイスにゆったり座っていた。文化祭が近いというので、各クラスの代表が集まったのだ。体育館をどう使うかだとか、定番ネタをどこが利用するかとか、どの仕事をどのクラスが受け持つだとか。生徒たちに話し合わせても揉めるだけだと誰にでも分かる。揉めるのを見るのが楽しいのだろう。

 「俺は優秀で、特待生だから良い。ほとんどタダさ。タダほど高いもんはねぇってんで、勉強ばっかさせられているし、こんなふざけた会合に出席させられているがね」

 随分と皮肉っぽく、来島は言った。

 「ただ、俺より下もそうなるとは限らん。市の中学に行くことになるかもしれん。学費以前にな、貯金は底をつきかけていて、アパートも二回引っ越した」

わざとらしい溜息が漏れた。同情の視線が彼に集中する。だがそこで突然彼の顔がぱあっと明るくなり、両手を振り上げ立ち上がって

 「夢の三億であります! いや神様からの贈り物ですな! 家は戻ってきたし、晩飯のおかずは二品増えました! 買ってよかった宝くじ、素晴らしきことですな!」

わぁー、と拍手が三人分。それに憚るように

 「……今は幸福自慢はいらん! 後でゆっくり聞かせてくれ。今は会議、会議だ!」

 二年四組の熊埜御堂くまのみどう龍雄たつおがそう言い放った。演出系の出し物をするクラスの番号と、一から八までの数字が書かれた用紙を突き出す。体育館で演技をする、その順番を決めなくてはならないのだ。

 「いーじゃ~んそんなの。それちょっと貸して~」

 二年五組代表の風早桜子かざはやさくらこがのんびりした口調で有無を言わさず、熊埜御堂から用紙を奪い取った。ペンで何やら書き込み、そして皆に見せ付ける。

 あみだくじが書かれていた。

 「面倒くさいし。これで決めちゃおうよ」

 「ならん」

 熊埜御堂が慄然と言った。

 「それぞれのクラスの自信と意気込み、その演出の客観的な完成度を伺い、ドラマツルギーに従って並べなければいけない。最初に良くできたものが出てきて、後は尻すぼみになってしまうようなことはいけない」

 「そんな、クラスの出し物に優劣をつけるようなことしちゃだめだって~」

 と、正論のようなことを風早は言うが、熊埜御堂は

 「しなければいけない。文化祭がうまくいかないことは、それが一番あってはいけないからな」

 「大丈夫。来島君の例もあるでしょ~? くじ引きの神様は、人間にとって一番良い結果を出してくれるのよ」

 と、風早はすぐに手のひらを返す。

 「ふざけているのか?」

 「違うもん。みんなが幸せになることを、あたしはちゃんと考えてる」

 風早の発言は有益で、熊埜御堂の意見は真理だった。

 「ちゃんと頭を使うのなら、おまえみたいなのが何人いても良い。だが現実はそうじゃない。だから責任ある我々が、ここでこうして、目的に向かって話し合わなければならない」

そう言っては前哨戦を無理に終わらせ、熊埜御堂は 

 「自分達の出し物に自信のある者、手を上げてくれ」

 仕切り役を買って出て言った。三年生が一人いるというのに、大したものである。

 すっと、二年一組の薬師川隼人やくしがわはやとの手が上がる。熊埜御堂は「素晴らしい。その出し物を説明してくれ」と嬉しそうに言った。

 「我々の教室で販売しておりますお役立ちの商品を、皆様にご紹介いたします」

 髪の毛の中に埋めた瞳は真下に、くぐもった声がぼそぼそと。

 「ふむ。販売の資格は?」

 「既に手回しを」

 「なら良い。それで、何番目を所望する?」

 「もちろん最後です。興味を持たれた方に、即座に我々の教室に向かっていただきたく」

 「商品の宣伝とは、あまり日常的過ぎる。よってクライマックスには向かないと、俺は思うのだが?」

 熊埜御堂が部屋中を見回した。すると風早が元気良く手を上げて

 「宣伝の仕方によると思います! 清めの塩を売る為に、実際に幽霊を退治するかもしれないじゃないですか! もしそうなら、すんごいクライマックスになりますよ」

 「そのような演出はあるのか?」

 熊埜御堂が訊くと、薬師川は

 「いいえ。商品の効力をグラフや画像で説明するというもので、演出はやや弱いかと。中学生にも分かるようなユーモアを散りばめておりますので、万が一買われるつもりのない方がいた場合でも、楽しんでいただけるようになっておりますが……。しかしそもそも」

 薬師川はそこで言葉を区切り

 「式目の順序など、我々が販売します商品の素晴らしさの前では、ただの些事かと。それほどの自信が、私にはございます」

 「ふざけているのか」

 呆れた顔で熊埜御堂。そこで風早が手を上げて

 「今の薬師側君より強い自信があって、最後を希望する人~。手を上げて~」

 誰も手を上げない。風早は笑って

 「じゃあ決定。二年一組アンカーね」  

 「おい風早」

 「え、何? あなた最後が良いの?」

 「そうじゃない。その自信の根拠を、彼に尋ねたい」

 「今言っちゃったら台無しじゃな~い。そうでなくとも、誰も薬師川君を上回るつもりの人はいないよ。根拠なんて必要ないみたい。ね」

 皆に笑いかける風早に、頷く者数名。

 風早にやりこめられ、熊埜御堂は辛酸を舐めた顔で席に座る。風早はそのまま「自分の出し物に自信が無いから、他の人に期待するって人はぁ?」風早が言うと、三組のあたしを含めて四名が挙手。風早を含めると五名だ。

 「じゃ、熊埜御堂君と、工藤さんのクラスはどんな出し物? 何番目が良い? 」

 「活劇です。アンカー前を希望します」

 三年四組の工藤直実くどうなおざねが冷静に言った。熊埜御堂が続いて「流行歌に合わせて踊る。希望はトップだ」毅然と主張。

 「じゃ、他はクラス番号順で良いね!」

 「待て、俺に決めさせろ。皆もそれで良いな?」

 「期待しています。何日もかけて、じっくり考えてください」

 一年生一組の榊原唯人さかきばらただひとが物腰柔らかにそう言った。

 うまい言い方だな、と私は思った。会議は終わりになるし、熊埜御堂を不快にしない。ただ、公平極まるこの男の機嫌をとることは、果てしなく無意味なのだが。


 会議室を這うようにして脱出したあたしは、窓に向かって何度も堰いた。

 頭が痛い。あいつらの一言一句が頭の中でぐるぐる回って、不快感が鼻から耳からあふれ出そうになる。目元に浮かんだ透明な涙を拭い、じっと手を見る。

 変な物が混ざってる。

 こんなのは嫌だ。

 オセロなんかのマス目みたいに、色の褪せたタイルが廊下に並ぶ。ゆっくり座って、触れてみる。冷たい。力を込めれば、手が沈んでしまいそうだ。そんな風に、コンクリートになら混ざってしまっても良い。ただじっと、色んな人に踏まれるままに過ごすというのも、随分と気楽で、悪くないように思えた。

 気だるい。空を見る。嫌な種類の笑いを浮かべたみたいな、半端な曇り。灰色に隠れたあれは、太陽というらしい。彼の裏側では、たくさんの恒星がぼおっと、光っているのだろう。

 しょうがない。

 このまま突っ立っていても、どうしようもない。

 一歩踏み込んで、いっそみんな死ねば良い、なんてことを思い付く。これは行き着いてしまった考えだ、着陸地点が、そもそもここなのだ。でも、それを認めてはならない。

 二歩目。世界が素晴らしいと思えるようになった。そして同時に、何もかもどうでも良くなる。また立ち止まる。すぐ歩き出す。

 それで良い。

 ただ、続けていれば良いのだ。感じて、知って、解かって、同時に限りなく愚かでいて、それ以上何も必要ない。欲するべきは美学だけだ。

 「変な奴だ」

 背後から声がした。

 「ニカニカ笑って会議室から出たと思ったら、窓の前で停止。動き出したらすぐ停止。歩き出したと思ったら壁の前で足を動かし続けて、意味不明な体勢でもがき続ける。明らかに不振人物だぜ」

 「弘君?」

 ぬけぬけという醜男は、名前を呼ばれて薄く笑った。それはあまりに醜い笑みだった。だがそれは同時に至高の芸術でもある。どんなものにも美は宿る、醜いことにも美は宿る。

 「大丈夫、ちゃんと人が行ってしまうまで窓辺で気は抜かなかったわよ」

 「俺は良いのか?」

 「ええ。少なくとも合理的な意味で、あなたがあたしに害を与えるなんてことはないからね」

 根本君はまたも笑う。

 「旅に出ることでも考えていたのか?」

 「当たらずとも、遠からずね」

 「幸せを探しに?」

 「不幸から逃げるのよ」

 あたしは気を取り戻し、階段へ曲がった。一歩ずつ降りる。根本君は当たり前みたいに付いて来た。

 「この間、兄貴が女を家に連れて来た」

 「ふうん。どうだった?」

 「手首に金色の紐をジャラジャラ巻いた奴だ。耳にすげぇ数穴が開いていて、引っ掛かっているのは腰まであるやはり金色の糸だ」

 「まあ、チャーミングな人ね」

 あたしは勤めて笑った。嘲り笑いの類だったが、相応しいようにも思える。

 「で、何で兄貴がそいつを気に入ったのかといえばだな……」

 「脱ぐとすごいの?」 

 「それは知らん。脱がなくても、ある意味ではすごいがな。……兄貴に言わせると、女の美しさはそいつの意思に比例するんだと。金のアクセサリを纏う女はな、その骨格が全部金でできているんだよ」

 「すごいじゃない」

 「兄貴は女に言い寄られると誰でも構わず受け入れるんだがな。気に入ったなんてそんな風に言われてんのは、その女だけだよ」

 悲鳴と哄笑と、それからガラスの割れる音が同時に響き渡った。

 根本君は転がるように階段を駆け下りる。両足で力強く着地して、そのまま廊下を駆けた。あたしはそれを追う。

 「何だ!」

 女の絶叫。廊下を轟かせた声ともつかないその音は、あえて言語にするなら『もうやめて』

 「ぎゃはははははは!」

 教室から聞こえるのは男の哄笑。この世に存在している全てが愉快でたまらないといった類の、心の底から幸福を感じている人間が発する笑い。明らかに異常。根本君は二年に組のその教室の引き戸に手を掛ける。鍵がかかっているらしいことに気付く。

 「くそったれが!」

 体当たりをぶちかまし、その薄い板切れを教室内側に倒してしまう。中に入ろうとしたその時

 「ぎゃはは!」

 何かが弾かれたような音がして、根本君が仰け反った。顔を腕で覆う根本君をいくつかBB弾らしきものが通り過ぎる。

 「うぅ」

 廊下に逃げ出した根本君の顔には、いくつも痣が刻まれていた。おもちゃだからと侮れない威力を持っているらしい。

 何とか教室の中を窺ってみると、それは随分と酷い有様となっていた。机という机はなぎ倒され、椅子という椅子はそこら中にちらばっている。当たり構わず人に投げつけたのだろうことは想像できた。BB弾の弾が床に転がり、それを顔に受けた痕がある者は、加害者ともう一人を除いて皆無だった。教室にいる者はほんの数名、恰幅の良い二人の男の内、片方は足を抱えて蹲り、もう一人は割れた窓枠に上半身を引っかけて気絶している。他の者も似たような調子だった。

 「これが、いじめられっ子君一人の犯行なのです」

 と、あたしの肩に手が置かれた。

 「中で何が起こっているのかは、誰にでも想像できるよね。だから、誰も引き戸を突破しなかった。嵐が過ぎるのを待っている。どうせそう大事にはならないだろうと、皆タカを括っていた。どうせ負けるのはいじめられっ子君に違いないって、先生達も思っていたんでしょ~ねぇ」

 風早だった。暢気な、のびのびとした口調。

 どうして五組のこいつがここで起きていることが分かったのだろう。公社が違ったはずなのに。

 「最初は中の様子を聞いて楽しむ人もいた。でも聞こえてくるのは悲鳴ばっかでしょう? 逃げる逃げるは職員室。残ったのはあたしだけ。でも甲斐あったよ、いじめられっ子大奮闘、大勝利。こういう時、勝つのはやっぱり弱者じゃなくっちゃいけないよね。人数が勝って良いのは、硬い友情が存在する場合だけだよ」

 あたしは首を振った。

 「くだらない」

 その声に反応するように、根本君が立ち上がる。制服を脱ぐ。それを盾に教室内に突撃した。

 「良い展開」

 語尾に音符でも跳ねそうに、風早が言った。


 「ああ。深冬ちゃん? もう帰るから、庭の手入れはしなくて良いわよ。自分でしたいから」

 「解かりましたです。何があったですか?」

 「教室で一人暴れてね。それでけが人多発。ついでに」

 あたしは、自分の足元の少女を見下ろした。これは、確か、二組の学級委員で南浦まゆき。今日の会合にも顔を見せていた。二組はクラスで出し物をする予定だったそうだけれど。その優秀なクラス代表は、二年生でもっとも実力のある学級委員は、とても使い物にならぬ姿をしていた。

 銃弾が貫通し、胸に穴が空いている。あの少年が使っていたような、殺傷能力皆無のかわいいおもちゃによる銃撃ではない。本物の銃だ。その被害者の様子を、さりげなく観察してみる。多分、加害者はあの廃墟の二階にいるのだろうな。

 「運動場に死体出現。警察が来てからが多分面倒だから、今から帰るわ」

 怖くて家に逃げたことにすれば良い。あたしは中学生の女の子なのだ。

 

 「おまえも良くやったもんだな! ただのいけすかないハンサム野郎じゃねぇ! できるイケメンだ」

 「よしてくれよしてくれ! おまえの言っていることはまあ事実だが、まあよしてくれ! おまえこそできるブサメンだ!」

 下卑た男の笑い、二人分。周囲のお客の不快感も二倍だろう。お互いのことを褒めちぎりながら、バカみたいにコーラを啜っている。

 「しかし良く停学だけで済んだもんだよ。骨折した奴までいたんだろう?」

 と、根本君がさらりと訊いた。対して疑問に思っていない口ぶりだ。霧崎というその少年は「まぁな」と言いつつ、寂しげにコップを煽り

 「お袋がな。立ち回ってくれた。もう迷惑かけられねぇ。そこのカシワン」

 と、霧崎は隣の少女……柏と言うらしい……を指差す。

 「こいつも弁護に回ってくれたんだ。お陰様で、俺は明日から動堂私立中学に復帰できることになっている」

 「そりゃぁ、良いことだ!」

 根本君は大いに笑った。

 「クラスの連中はおまえにビビってるだろうさ! ガンを飛ばしまくってやれ!」

 「偽物ね」

 柏がそっと呟いた。根本君は、バツが悪そうに頬をかく。

 「いいさ。本当にヤバい奴にはなりたくない。あれくらい他人に容赦しなけりゃ、本物さ」

 「何の話だよ」

 「まぁ。これは友達の友達から聞いた話なんだがな」

 と、霧崎は話し始める。

 その『友達の友達』は、ある建物の廃墟で遊ぶのが好きだったそうだ。遊びというのは、犬を連れて来て追い回し、殺すことだったらしい。

 「なんて奴だ」

 根本君が繭を潜める。霧崎は「そのとおり。とんでもない奴だ」と嘲るように言った。

 「そいつか? その本物っていうのは?」

 「いいや。全然違う。その男は偽物ですらなかった。何せ、偽物になろうと必死になっていたくらいなんだからな」

 その『友達の友達』が根城にしていた建物に、ある日、一人の女の子が侵入してくる。女の子は『友達の友達』にこう言った。しばらくここに匿ってくれ、と。

 「ふうん。で?」

 『友達の友達』は本質的にはバカなお人よしだったから、その少女を一生懸命匿った。少女は足を折っている演技をしていたが、その理由は『友達の友達』には分からなかった。ある日、『友達の友達』は少女の前で犬を殺して見せた。それが愚かだった。少女は言った、そんなことをするくらいなら、自分を殺してみろ、と。

 その日から、『友達の友達』と少女の戦いが始まった。『友達の友達』はまず、少女を逃がさないよう柱に括り付けた。それから、あらゆる方法で少女を殺そうとしたが、臆病な『友達の友達』はことごとく失敗する。

 「最後はどうなった?」

 で、『友達の友達』は気付いた訳だ。自分の駄目さ加減に。どうして気付いたのかと言えば、それはその『友達の友達』がとある本物を目撃したから。

 「ようやく出てくるか」

 「ああ。こいつがすげぇのなんのって」

 あらゆる手練手管を使って『友達の友達』を拷問する悪魔のような女の話を、霧崎はした。そいつの所為で、『友達の友達』は何度も意識を失い、全てを失った。『友達の友達』は少女に降参宣言をして、彼女をその保護者を名乗る人物に引き渡したのだという。

 「その保護者って?」

 「知らん。確か、ミナミノミナミノみたいな名前だったと思う」

 「何だよ、それ?」

 「いつか続編が出ることを、ワタシはずっと待ってるわ」

 柏が妙に神妙にそう言った。

 

 「なかなか愉快な奴らだったな」

 すっかり気分を良くした根本君が、気持ちの良い声で言った。

 「そうかしら?」

 あたしはぞんざいに応答する。

 「くだらない連中だと思うわ」

 「手厳しいね」

 根本君は笑う。

 「くだらない、以外の感想があったら聞かせてくれ」

 あたしは沈黙した。根本君は少し笑って「おや」わざとらしく、脇道を眺める。「偉い別嬪さんだぜ」

 波野さんだった。深冬ちゃんと一緒にやって来た十と少しの女の子。彼女はあたしの方に気付くと、まばたきを何度かして「こんにちはぁ、はじめましてぇ」低血圧らしく、頭を派手に振るいつつそう言う。その拍子で地面に倒れそうになるのを、根本君が支える。

 「大宮の知り合いか?」

 「はい。たくさん、お世話になってる」

 立ち上がり、根本君の肩にしがみつく。そうしないとまた転んでしまうのだろう。

 「波野さん。あなたって、銃は使える?」

 あたしが訊くと、波野さんは首を傾げて

 「手が痛いのを我慢したら、誰でも使えるよ」

 「そう」

 あたしは小さく笑った。

 「波野さん。あなた、他に名前はないかしら? 波野何模なんて、言い難いこと極まりないわ」

 それ以前に、深冬ちゃんもその名前を使ってるから、外では不便極まりないのよね。

 「あれれぇ? 良い名前だと思うんだけれど?」

 波野さんは残念そうに下を向き

 「じゃ。何か考えてよ」

 明るい顔で前を向いた。

 「『一号』だ」

 根本君がふざけて言った。

 「相応しいと思うぜ」

 「えぇ。ちょっと変じゃないのぉ?」

 不服そうに、波野さんは言う。

 「それくらいが良いわ」

 あたしがそう言うと、波野さんは「じゃ、それ。大事にします」と、あまり不服でもなさそうに言った。

 読了ありがとうございます。


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