人間 二
いつもありがとうございます。林崎です。
アクセスありがとうございます。
この前書き、後書きの文章。作品の雰囲気を阻害しているのではないかと思うことがあります。もちろんと言うか邪魔なら読み飛ばしていただくようにしてください。ただの私のエゴですので。すいません。
それでは本編をお楽しみください。
つまらない現実から逃げるようにして私が辿り着いたのは、狂気と殺人の跋扈する推理小説の世界だった。当たり前のように人が死ぬその緊張感は、お腹の中でちりちりと燃えるような清い刺激であって、あらゆるわずらわしいことから私を解放してくれる。
あーあー現実の方でも人が死なないかな、なるべく身近が良いわねぇなんてことを言って、おバカな殺人ごっこなんてやっていたからバチがあたったのかしらん。本田と宵子ちゃんが死んじゃった。いや本当に人死にがでるなんて私、びっくり仰天だったわ。あの時は随分とセンチメンタルになってしまったものだけれど、そこは私、女の子だし。すぐに立ち直って忘れてしまった。白状だと言われればそうなのかもしれないけれど、既に死んだ人間のことを慮って生きた人間が憂鬱になるのは何か違うじゃない。そーよ、私ってば生きてんだから、何だって楽しめなくっちゃいけないんだわ。と、女が自分を納得させる理屈と言ったらこんなもんだった。
あの西条なんかに至ってはあの時の出来事を自分なりに決着させるでもなく風化させてしまっているみたいだった。時間によって癒せないものはない、なんて仰ったのはどこのどなただったかしらん? 太宰さんだったか夏目さんだったか、ミステリ以外の作家に私興味ないの。そういう訳で今日も部室に持ち込む為鞄に入れてきたのは木島敏明。件の西条がどういう訳かあまりピックしていないのか忘れてしまっているのか、あまり部費で卸そうとしない作家である。死者の体の一部を使ったトリックが大好きで、医者の殺人鬼と言えば敏明だ。主人公はどこにでもいるような女子高生や女子中学生……私みたいな……が多くて、脳味噌の回路が破綻してしまっている男の子……こっちは部長さんかしらん。西条も可愛い顔して実は結構良いセンいってるのよ。根本はビジュアルからして論外……が裏で暗躍していることが良くある。とにかく全体的に酷く暴力的で、冒涜的で、悪趣味を前提にナンセンスな道徳が展開され、それも最後には必ず破綻して、疲弊しきった登場人物はある極致へと辿り着く。
何もかもはおおよそどうしようもないものでしかなく、自ら生きるのではなく自分を生かすだけの人生の救いは死ぬことだけ。そんな作者の哲学は『他殺志願幽霊』で一度完結してしまっていて、以降はいわゆる本格ミステリを書いて暮らしている。
本格の定義というのは色々あるけれど、私達研究会の見解では、最高のトリックを可能な限りフェアな形で作者が読者に繰り出すミステリが本格である。それだけに特化していれば良いのだからキャラクターを立ててみたり道徳を語ったりする必要はもちろん皆無だ。このさいではエンターテイメント性も排除しちゃったってかまわない。ようするに、本格ミステリとはつまらないミステリのことをさす言葉なのである。
「ねえ高山。その、何考えてるの?」
クラスメイトで同じミステリ研究部員の柏がおずおずと私に声をかけて来た。別に何を考えていた訳でもないのだが、体も口も動かさない人間がしていることと言えば、回りの人間からしたら考え事以外にありえないことだろう。
「別に」
端的にそう答えて、私は柏についと顔を近付けた。
「ところで、柏。ちょっと用事があるから、昼休み、理科室で待っていてくれないかしら?」
私が言うと、柏は少し首をかしげてそれから
「良いけど……」
と呆け面で言った。
うん、そこでは理科の先生が、理科係りの私に実験の準備を手伝わせようと待ち構えているところよ。
私達の誇る動堂私立中学はとにかく偏差値が高いことで有名なのだけれど、対してその校風と言うものはまるきり酷いものがある。具体的にどんな風に酷いのかと言えば、私が二年生になってからの六ヶ月間で生徒が四人ほどお亡くなりになっている程だ。意識不明が一人いれば警察病院に入院した子もいる。そういう訳で、来年の新入生については先生方もあまり期待していないようだ。
有名なところで大きな事件が二つほど、あるのだけれど、その内の一つは私達ミステリ研究会を渦中にして起こっている。ちなみに言うと被害者と加害者ともに部員であった。そういう訳で、私達はあまり上品な集団だとは誰にも認識されていない。廃部に追い込まれなかったのは副部長の手腕である。
ちなみに、彼が右往左往している間中辣腕なはずの部長は家に引きこもってネットゲームに興じていた。実は私も一緒にプレイしていたりする。不思議なカリスマで人数を集めた部長は、驚くべき統率力でパーティを纏め上げ、他のプレイヤー(主にソロプレイヤー)に対してあらゆる嫌がらせを執行していた。ついには伝説となり、ほどほどで永久追放を食らってから、今は良い思い出となっている。
「ねえ西条君、最近ごっこ遊び、あまりしなくなったね。どうして?」
部室にて、我らミステリ研究会の中心人物たる西条に意見を出してみる。別に、文句がある訳でもなければ、疑問に思っている訳でもない。かと言って話題作りなどと低俗な目的がある訳でもなかった。だったらどういう意味があるのかと自分に訊いてみても、何やらじめじめしたものが内側から湧いてくるだけで、まるきり要領を得なかった。
「楽しんでくれる人が少なくなったからね。この間の射殺ごっこの時なんか、柏さんはずっと呆れ顔だったし、根本はルールを今一つ把握してなかった。今以上に部の結束力を高める必要もないようにぼくには思えるし、殊更、意味なんかないんだよ」
思ったとおりの回答だった。最後に付け加えられた言葉が如何にも西条らしい。
「宵子ちゃんがいた頃はみんな楽しめたんだけれどね。まあ過去のことを思い出してもしょうがないんだけれど。常に前を見据えていかなくっちゃね」
にやにやした表情を文庫本に差し出しながら、西条はさらりとそう言った。良く可愛がっていた後輩のことを過去のことと呼ばわった上に、仲の良かった同級生に至っては完全に忘れ去っている。以前からどこか人間の欠けたところのある人だったけれど、事件のあった後くらいからはそれを隠そうともしなくなった。おそらく、自分の欠陥を意識しなくなったのだろう。
恥ずかしげもなく、媚びることもなく、あくまでも飄々とした破綻者になったのだ。
自覚があってこんな風なのよりは、まだ良いのだろうか。
「ところで高山さん。柏さんと言い、根本と言い、今日は遅いね」
頭をまるで使わない台詞は本を斜め読んでいる時の西条の癖だった。意識が本と現実の境界に沈みかけている。
「……柏は、また理科室に呼びつけられているわ。真面目だからあの子、気に入られたんでしょう? 根本は知らない」
「なんだ。その言い方だと、柏さんは本来理科室と縁の無い人間ってとだね。よほど職員に好かれていると見える。しかしあの子が、職員に対して自己主張をするだろうか」
などと意味もなく疑問をこね回して遊びながら、西条は本を読了した。酷くぞんざいな手付きで本棚に仕舞い込みながら「まあまあだな」なんて心にもないことを言う。それから枝瀬誠人の『探偵業と作家業』を指先で取り出す。お気に入りらしく、私の知るだけで四、五回は読み返えされている本だ。
「ちーっす」
気だるげな声を伴ってやって来たのは醜い男、根本弘。恋人にこっ酷くふられて傷心の神様の悪趣味なジョークみたいな顔をしている。西条はあからさまにその顔から目をそむけて「遅かったね」と、とてもどうでも良さそうに言った。
「おぅ」
理由を言うこともせずに、根本は私の近くのイスをひいてでっぷりと腰掛けた。こいつにはいちいち人に近付きたがる癖がある。どちらかと言えば体格の小さな人の傍にいた方が落ち着くらしく、男の先生など大人を嫌った。そういう訳で、私は良くこいつに付きまとわれるような形になるのだった。
どうせ私は幼児体型ですよー、なんて一人で口を尖らせる。一人勝手に落ち込んでいてもバカらしいので、私は読書に戻った。そんな一連を見て、嫌がられていると思ったのか根本は私の傍を離れる。鋭いのか鋭いのか、尊大なのか卑屈なのか良く分からない男だ。
「そうだ、根本。今っておまえの三組、室長誰なんだ? 碇本はもう帰ってこないだろう?」
本の腹を真ん中で割いて、おそらくは見せ場のシーンを目で追う西条が根本に訊いた。
「あん? 室長かぁ、そういやまだ決まってないな」
「へぇ。そりゃ随分といい加減なことだね。もろもろの責任は誰がとっているんだよ」
「さあ」
根本は肩を竦める。
「更科、碇本、十条と。優秀なイメージの奴が件並みいなくなっちまったからなぁ。……大宮の奴はやりたがらないし。前まで碇本に頼りすぎていただけに、奴がいなくなると途端に酷い有様でよ。まったく他力本願な奴らだ」
その他力本願なクラスに属しているのはどこのどいつなのかと思う。
「十条さんに……更科さんね。どちらも室長に向いた人だとは、ぼくには思えないけれどね」
訳知り顔の西条。根本は「まあそうだけどさ」と呟いて
「クラスの長っていうポジションも悪くねぇと思って、立候補してみたんだよ、俺」
「ほう。それで?」
「怠惰な生徒達は、まあ誰でも良いし俺でも良いって具合だったけれど、担任にものすごい反対された。むかついた」
「それは気の毒に」
根本の納めるクラスは嫌だな、と私は思った。南浦だってあまり人格のできた室長ではないけれど、義務以上の成果はきちんと収めているし、今では私の言いなりだから色々と都合も良い。来島だって、弟や妹がたくさんいるのもあって、実は面倒見が良い性格だ。少しばかり人をバカにして評価しない嫌いがあるが、この間の一件でそれも治ってきたらしい。
うちの学校はあらゆるポジションに属する生徒に実力を求める傾向が強い。はたして、円垣内先輩の後を継いで生徒会長になるのは二年生の誰なのだろう。南浦か、来島か。風早なら私達にとって愉快な学校になるだろうし、熊埜御堂なら来年も今までどおりでつまらないままだろう。まさかあの薬師川が生徒会長就任と言うことはないよね。
「君が生徒会役員というのもおもしろそうだけれどね。研究会の地位はさらに上がるに違いない」
「もういいだろ、それは。……あんまり来島とかに無茶言うのもやめろ。奴だってバカじゃない、その内に何か仕掛けてこないとも限らん」
言って、根本は入り口近くの席に座った。本を読むでもなくぼけっとしている。また腕立て伏せを始められたら邪魔臭いので、私は適当な話題を提供してやることにした。
「ねぇ。更科さんって、未だに有名でしょう? とてもとても成績が良いっていう。でも私、今一つ人物がつかめていないのよね。教えてくれない?」
そう言うと、根本と西条がおもしろく顔を見合わせる。困ったような、愉快がるような、そんな調子で。男同士のアイ・コンタクトをしばらく交わした後、二人同時ににへら、笑った。何がそんなにおかしいのだろう。
「宇宙人が人間に擬態してそれからカニバニストに目覚めたら、あんな感じになると思うぜ」
何よ、それ。私は目を細めることしかできなかったのを見て、西条が含みありげに
「或いは、世界の真理に挑んだ神代信一郎と世界の終焉に挑んだ最上覇様が、それぞれの情熱と技術と能力を注ぎ込んで完成させた、ここではない異世界への可能性みたいな女の子だね」
随分な言いようだった。おもしろがっているとしか思えない、ともすればあからさまな悪口の方がまだましに思えるような評価である。
「根本君はともかく、どうして西条君が彼女のことを良く知っているの?」
「ああ。一年生の頃は同じクラスだったものでね。……イスで思う様殴られたことがあるよ。あの時は怖かったな」
苦笑する西条に、根本が
「奇遇だな。俺なんか毒塗ったナイフで切りかかられたことがあるんだぜ。……しかもその後が……思い出したくも……」
ちゃらちゃらと開いた口をすぼめ、思いっきり幸せが逃げそうな溜息をする根本。
本当に、どんな子なんだろう。その更科というのは
『更科だって? ああ更科ね更科。あれだろう? 更科深冬。まあ俺から言えるのはあれだね、すげえ美少女だ。まじでだぜ? おまえ、今まで学校ですれ違った中で一番可愛いのを思い出せ。……思い出したか? ようし、それが更科だ。君ほどじゃないが、背は低かったかな? ……ごめんごめん。うん。人物? ああ、人物ね。分かんない。向こうからは何もしようとしないし、こっちから話も通じない。大人しい女の子の後ろにずっと隠れていたんだっけな? ……ええと、確か大宮渚さんだっけ? ほら、七月の事件で担ぎ込まれた』
西条と根本の曰くあまり関わるべきではない人間らしい更科深冬の情報を、私はとある軽薄な男子から仕入れることに成功した。
昔から、おもしろそうな物事を見付けると首を突っ込みたくて仕方がない性分なのだ。更科深冬、実に興味深い人物ではないか。学業成績については学年トップ、というか全国順位でも一位。上位ナンバーだとか上一桁だとかそんなじゃなくして、掛け値一切無し、正真正銘本物の、一番を取ることも少なくなかったらしい。
そしてその容姿。なるほど私達の年齢でもっとも優秀な子供としては相応しい美しさ。私も幾度となく目にかかったことがあるあの子だ。まったく、噂事に対する疎さがここへ来て露見した。どうせ中坊の口コミから碌な情報は手に入らないなんて高ぶっていたのが間違いだった。おもしろいことは、どんなところにでも潜んでいるものなのに。
と、いう訳で。訪ねたのは大宮渚さんのご自宅。
根本に紹介して貰っても良かったのだけれど、可能な限りは人に頼らずにおもしろいものを独り占めにしたいのが私。自分でも感服するような行動力で辿り着いたその家は、なんというか茂っていた。ちょっとした植物園が開けそうなお庭の具合。その昔毒草を触って大変な目にあったのを思い出しながら恐る恐る玄関に近付き、チャイムを鳴らす。ピンポーン、間抜けな音に飛び出して来たのは、寝ぼけた顔をした、高校生くらいの男性だった。
「……どちら様?」
「渚さんの友達で高山です」
端的にそう伝えると、青年は「あっそう」とどうしてか愛想のある声色で、しかしぞんざいな言葉を発し
「妹ならどっかの公園にいるよ。君の足の長さなら……B駅に行ってそのまま反対方向にまず六歩、右折して三十五、左折して二十、また右折して百九十一のところだ。車に気を着けるように」
そう言って、青年は一方的に扉を閉める。
何、今の。
私だって、どちらかと言えば変わり者だけれど、身内の客人に対して今の態度にはだいぶ驚かされた。あの薄皮一枚を引き剥がしたらロボットが出てくるのではと思わせるくらいの、ことごとくが効率的な動作。
妹、と言っていた。彼は大宮渚の兄なのだ。……早くもおもしろくなって来た。根本のガールフレンドでもある大宮渚さんとは、はたしてどんな人物なのだろう。
「あはは。未だに深冬ちゃんのことに興味持つ子がいたなんて。あなた、随分と人間的な方なのね」
上品な仕草でそう言ったのは、公園のベンチに腰掛けた大宮渚。傍らに猫を抱いて、お菓子を使って餌付けを行なっている。思えば、まともに話をするのはこれが最初だった。
「好奇心も旺盛で、知的なことじゃない。やっぱり知性という奴があった方が、人間は人間らしいのね」
言いながら視線は猫に集中。餌を食べ終わり満足した猫は、礼を言うように大宮に擦り寄って、また来るぜとばかりに喉を鳴らしてから去って行く。大宮はその一連を機械的に観察するばかり。
それからやっと、こちらに向き直った。
「わざわざあたしの家まで訪ねたんでしょう? 大変だったんじゃない? その動機に対してそれだけの行動力を発揮できるのは、すごいことよ。将来出世するかもね」
良く分からない持ち上げ方だった。何だか褒められている気がまったくしない。綺麗な笑顔と上品な物腰で、その内側の他人に対する凄まじいまでのぞんざいさを覆い隠したような、陰りのある美人だった。その意味では、いい加減な口調の割に神経質な根本とは対照的だろう。
「それで何が訊きたいのかしら? あの子については少しばかりの知識と心得があるから、ある程度何でも答えられると思うわ」
古い友人に対しては随分と無機質な言い方だった。まるで更科深冬という分野について討論をするみたいな調子。
まあでも、私が持つ事情や理由を訊いて来ないのには助かる。向こうにはこちらに一切の興味がないのだ。適当に問答を済ませてしまいたいという、そんな意図が見え隠れする。
「そうね。……じゃあいきなりこんな質問をするけれど、彼女、どうして学校を退学しちゃったの?」
どうして警察病院なんかに行ったのですか、という質問だった。大宮は私の求めるところをすぐに察したようで、少しばかり酷薄な笑みを浮かべて
「人を殺しちゃったの」
何でもないように言った。
「はあ」
そう返すのがやっとの私。
「ちょっとばかり情欲を解消するやり方が独自だったのを、随分とこじらせっちゃってね。私が提供した草花の知識で毒薬作って人に飲ませて、挙句には刃物を持って家に押し入ってまで人を殺して。偶然その家にいた根本君が羽交い絞めにしたのを、警察が引き取ったの」
「ふうん」
七月の事件の話だろう。殊更に新聞やらニュースやらで報じられることも無かったし、事件の犯人らしき人物を知ったのは私には初めてになる。
なるほど言われてみれば辻褄はあう。日本の警察機構を信頼するなら犯人は学校からいなくなった人物で無ければならない。四人いる退学および失踪および死者の中から一人を選ぶなら、警察病院……精神科……に送られた更科深冬が明らかに怪しい。
それにしても、根本の奴。そんな大事件に巻き込まれておいて話一つしないなんて怪しからん話ね。そしてうらやましい。私もそれくらいの事件に巻き込まれてみたい。
などというのは、とてもとても不謹慎なことだろう。人の不幸をまるでレクレーションのように扱ってしまうのは、私の悪い癖だ。人間なら誰しもそんな特性を持っているものだとは思うけれど、私のそれは殊更に顕著で、しかも能動的だ。危険や異常に自らすり寄って行き、なるだけ自分の安全を崩さないように要領良く人を使って事態を引っ掻き回す。
私が溜息をついたのを、大宮は笑みを崩さず見詰めていた。そんな顔をされるくらいなら、無表情の方がまだ良いようにも思えた。
その時、背後で甲高い笑い声が響いた。
中学生くらいの彼は、血も凍るような美少年。忘れる訳も無い、霧崎次郎という不登校の生徒だった。派手なモデルガンを掲げ、サッカーをする子供を蹴散らしながら公園を闊歩する。
先ほど大宮さんに餌をやられていた猫を乱雑に持ち上げると、邪気を撒き散らさんばかりの眼で腕の中のそれを一瞥。不気味に一笑し、酷く不器用な足取りで駆けて行った。
「あの猫、あたしに良く懐いてくれていてね。時々ここに姿を見せるのだけれど」
大宮はまるきり、考え事をしながら話すような、空気の抜けた声で
「これから二度と来なくなったなら、ちょっと面倒なことをしなくちゃいけなくなる。……まあどうせいつかは見付かるのだし、良いか」
思わせぶりな台詞を吐き出した。それから緩慢に立ち上がって、尾行するように霧崎を追う。
「あなたも来るかしら?」
おもしろそうだったので、私は黙って頷いた。
その日、霧崎は学校の近くにあるパチンコ屋の廃墟に行って、そのまま出てこなかった。
正確には日が暮れても中にいたということで、例えば中で死んでしまったと言うことはないのだけれど。どうやら鍵を作っているようで、私達がその中に入ることは叶わなかった。
「どうも彼、ここが好きみたいね。……ありがとう、付き合ってくれて」
感情のない声でそう言った大宮と分かれて翌日。私は再び、その廃墟を訪れていた。なぜならば、おもしろそうだったから。
霧崎次郎。そのキャクターは或いは更科深冬に追随せんほどに輝いている。成績はかなり優秀、そしてあの美少年ぶりに、そこに世界が存在しているのが不愉快でたまらないと言った態度。他の生徒から受けた攻撃への復讐方法の陰湿さ、その行動力、頭脳、性格は、いつかあいつ人でも殺すんじゃねと誰しもに思わせる程だった。その霧崎が根城にしているのがこの廃墟だ、おもしろいものが無い訳がないというものではないか。
「あのう、高山?」
あいも変わらず聞き取りにくい声。柏である。
「良く来たね」
「……うん、まあ。ところでワタシ、南浦に中庭来るよう言われてるんだけれど」
「気にしなくって良いわ。話は着けてあるから」
私がそういうと、柏の顔がぱっと明るくなった。私のことを、まるで信頼すべき友を見るようにしている。そのとおり、私はあなたの友達よ。
「で。あれは用意してくれた?」
「もちろん。そこに横倒しにしてるでしょう?」
指を指された方を見ると、なるほどそれは脚立だった。私が指定したとおりのサイズ。どこで調達したのかは知らないけれど、頼んだのは今朝なのに、もう用意されているのには素直に感服する。この子、これで結構頭は良いのだ。
「じゃあ、それを向こうの窓の下まで運んでくれない?」
「うん。分かった」
奴隷根性丸出しといった風に脚立を運ぶ柏。まったくこいつは本当に重宝する。でも、なんだか素直な良い子を騙しているみたいで少し罪悪感。まああの重たい脚立を運ぶのに比べたらこれくらい我慢よ。
「運べたよ」
良い汗をかいて柏さん。「ありがとう」笑う私。天使の笑顔である。
それじゃあ、心しまして。私は脚立を登り始めた。
入り口には鍵がかかっているので、進入するなら窓しかない。一階のどこにも窓は確認できなかったものだから、わざわざこんな大事をしなければならなかった。
まあ、手間がかかるのは実は嫌いじゃなかった。苦労が多いほど物事はおもしろいし、何せちょっとした冒険気分を味わえる。
脚立の頂上。辿り着いた私は一度息を付いて、それから、さあ、と窓の方を向く。感動の一瞬、中に入ってからが本番だ。
なんて、無邪気に考えていた私の目に飛び込んできたのは、横たわる普光院摩子の姿だった。
「はい?」
不気味に開かれた眼。濁ったその瞳は目の中にぞんざいな調子で転がされている。意思らしきものが何一つないそれは、疑いようも無く、死人の目だった。
そして、それを鎮魂歌と言えば、少しばかり死者に対して嘲弄的だろうか。死体の出現で研ぎ澄まされた私の神経、その聴覚を刺激するこの少女らしき声は
……大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん大宮さん……。
廃墟の二階、何者かの住居のようなそこの奥から響くその声に、情けないことに私はびびって動けなくなった。バランスを崩し、脚立ごと倒れそうになるのを下で柏が支えてくれた。
「高山?」
「ううん。何でもない」
これは、まあ。
おもしろくなって来たのは良いけれど。大事件っぽくなってきたけれど。……私一人じゃ手に余るかも。ほら、あれ。精神的に。
実は私ってばけっこうナイーブなのよね。よねよね。
いやまじで。
読了ありがとうございます。
この作品の他に、長編連載を始めました。タイトルは『どうしてこうなった』私の思うままにキーを叩いて作った、まともな小説と呼べるものかややきわどいような作品です。私の気性が現れたみょうちきりんな文章ですが、よろしければ、そちらの方も読んでいただければ嬉しいです。
もちろん、そちらの投稿の所為で『醜い奴ら』がおろそかになるようなことはないようにするつもりです。
これからもお付き合いください。