孤独 一
どうも。皆さんのお陰で今日も生きながらえている人格破綻者、林崎エセでございます。
アクセスありがとうございます。
新章突入です。前回と比べてダークなタイトルになっていますが、しかしあれほど救えない話にならないよう注意しています。
書いていて一番おもしろいのは二章のような話なんですよね。私の悪趣味に付き合っていただいて、本当にありがとうございました。
そして今回もお付き合いいただけると光栄です。
ぼくに与えられた部屋が四畳半なのは、居候先の動堂雄大さんがかつて飼っていたイチゴちゃんの犬小屋が五畳相当の広さだったことに由来する。
あの人は人間と犬をそれぞれ同じようにとるにたらないものだと考えているらしく、ゆえにどちらかの種族を殊更に優遇するようなことをしない。なので、彼は自らの所有物が自らにどれだけの貢献ができるかというそれだけで住居や食事を決定するのだ。さしあたっての愛玩物としての能力はぼくよりもイチゴちゃんのほうが上手という訳。
もっとも、今のぼくの生活は文字通り犬以下だがそれでも不満があるという訳では決してない。巨大な犬小屋が与えられていたことから分かるように、雄大さんはイチゴちゃんのことをかなり溺愛していたようであり、一食数千円からなるドッグフードを彼に与え、純金からなる首輪で彼を束縛していた。よってその格下のぼくであっても一般的な水準に漏れないだけの食事その他の生活物資を得ることができる。また、四畳半という部屋の広さも中学生の一人部屋としては決して悪くない。とどのつまり、屈辱に耐えさえすればそこそこ快適な生活ができるということ。そしてプライドを捨てるのならぼくは得意。
「おはよう、ミメイ」
その声がしてから、ノックの音がした。自分で拾って来たデジタル時計を見やると、五時十七分。学校に行くには随分と早い時間だな、と思いつつ、目が覚めていたのも事実なのでぼくは布団から這い出した。睡眠時間は零、最後まで布団の中で眠気を持て余していただけである。
「……ミメイ? 起きなって」
またノックの音。
勉強机と本棚以外に何がある訳でもない四畳半。畳の裏にはちょっとしたコレクション。この狭い部屋ではあまり物を所有しすぎない方が賢明だ。ぼくはどちらかと言うと空想遊びが得意なので殊更問題はない。ノートに向かって何か文字でも書いていれば時間は潰れる。
「朝だよって! 今日からガッコ行くんでしょ! 早くしないと!」
さて、と。今日から新学期が始まる訳だが、どうも気分がすっきりとしない。昨晩からつい先ほどまでずっと眠っていなかったからだろう。若いからって調子に乗っていた訳では決してなく、眠りたいと思えなかっただけだ。とは言っても宿題はいい加減に済ませておいたし読みたい本もなく、他にすることもないので布団の中で寝た振りを続けていた訳。
「ミメイ!」
とうとう扉が開かれた。布団を片付けおえたぼくは少女の方を向いて「おはよう、トモ」と片手を挙げて挨拶をする。与えられた部屋の広さが三倍ほど違うことから分かるように、この屋敷における格付けにおいて彼女はぼくより数段上だ。少なくとも表面的に、彼女に対する礼儀を欠くという訳にはいかないだろう。
「何度も呼んだのに返事をしなかったのはなんでよ?」
「必要がないと思ったからさ。ぼくが返事をしても君は扉を開ける、しなくても開ける。そうだろう?」
目もくれずにぼくが言うと、五十棲共はその場で地団駄を踏んで「わたしに気持ちに興味はないのぉ?」と言った。
「一つ屋根の下で暮らしている人間同士、気の置けない関係でいたいものじゃないか。ぼくは君を現象だと思う、君はぼくを人間だと思う。これが何より正しい」
「訳の分からないことを言うな!」
トモはまた床を踏みつけて
「ミメイはわたしで遊んでるんでしょう? そうでしょうそうでしょう。そうに決まってる。そうじゃない訳がない!」
「そんなことないさ。おもちゃにするなら、もっと良いのがいくらでもある」
どちらかと言えば、ぼくは御しやすい人間を自分の都合に合わせるほうだった。ぼくは言葉をボールのように壁に投げつけるのが好きで、たびたび彼女をその壁役にする。
「おもちゃって何よ!」
怒鳴りつけるトモに、ぼくは
「相変わらず君は可愛いなぁ」
と言った。
小学六年生と言えば心内環境における自意識の絶頂期であるはずで、その年の女の子にこんな素直な褒め言葉を吐くのはふつうなら有効だ。しかしトモは
「うるさいよ!」
と何のそれだけ言った。喜びも照れも心理的な反発すらない。
「あんまりわたしを怒らせると怖いんだらね」
「そうかい。これくらいで怒る人間なら……」
ぼくは本棚の裏から菓子パンを一つ取り出して、トモに向かって放り投げた。
「これくらいで怒りを納めるものだろうね」
「わーい、やっほー!」
捻くれ最高期であるはずの小学六年生はパンを与えられて幼女のようにはしゃいだ。ふむ、ぼくがこれくらいの年の頃は、人から施しを受けるのはそれだけで腹が立ったものだがな。ガキ臭く甘ったるいパンなら尚更。
ぼくがトモに与えたのは、チョコレートと生クリームをふんだんに使った実に大味なパンである。脳味噌を幸福だと一時的にでも思わせるのには丁度良い、ある種麻薬的なパンだ。部長の思想に対する反発から、なるべく食に快楽を求めないようにしているぼくがなぜこんなものを所有していたのかと言えば、トモを餌付けする為である。
男なら、誰だって年下の女の子には懐かれたいものだ。
「まったくミメイは気が良いよ。ハンサムだね! 天才! 最高!」
「そうだろう。そのまま君の持ちうるポギャブラリの全てでぼくを褒め称えよ」
「クール! ダディ! 美しい! 綺麗、艶麗、華麗、鮮麗、壮麗、流麗、端麗典麗豊麗そして美的! 何よりカックイー!」
「トモ、もう一つあげよう」
「わーい」
小学生の女の子が食べる量としてはそれは正しいのだろうかな、と思いながらぼくはパンを放り投げた。褒め殺された結果である。
「ところでさ、トモ。どうして今日はこんなに早いんだい?」
「早いんじゃないよ。昨日からずっと起きてた」
「だめじゃないか、そんなこと」
お兄さんぶって忠告してみる。一睡もしなかったのはぼくも同じだが、だからと言って人に注意する権利が失われる訳ではないだろう。蟹の親子のたとえ話をぼくはあまり好きでない。
「違うよぅ! 雄大さんの隣に付いていたんだもん! 徹夜でお仕事なんだよ!」
それは、まあ。
雄大さんも酷いことするなぁ。
「あのねあのね、最上の奴と会議があったの。それで、その内容を記憶させられたんだ! しんどかった!」
「そりゃ大変だな……。最上って確か、五賢帝の第五位の方だっけ? あの軍事企業の」
などと口をついたのは稚拙な用語。
「そうそう! 最上の癖に一番下の。雄大さんにはこびへつらってる感じだったよ! 良い気味だね!」
小さな女の子らしからぬ言い草である。
「……まあ、如月創介が死刑になった今、雄大さんは事実上の第一位だからねぇ……。それにしてもトモ、おまえは本当に最上様の企業のこと、嫌いなんだな」
「戦争良くない。学校で習ったよ!」
それは、まあ。今の日本はそういう風潮だけれど。
確かにぼくだって徴兵されるのは絶対にごめんだ。自分や仲間の為に争う合うことは生き物にとって絶対的に必要で、その究極系たる殺しあいを放棄することは自らができそこないであることを認めることに違いないが、それが分かっていても弱虫に殺人は無理だ。
あんな気持ちの悪いこと、これから一度だってしたくない。
「まあでもさ。最上様だって、五賢帝に数えられる中じゃあ一番良心的じゃないか」
「それでもだめ。爆弾の研究なんて野蛮だよ」
ぼくとしては、それはむしろ好ましいところだが。戦争が完全に兵器同士の戦いとなれば、その分兵隊の労力が減るだろう。いっそどっちがより強力な爆弾を持っているかを見せ合って決着してしまえば余計な犠牲がなくてすむだろうに。
「街を焼き尽くす威力の爆弾を一般市民が作り出せる技術とそのマニュアルを完成させるとか、バカみたいなこと言ってたけれどね。できる訳ないんだよそんなこと」
確かに、そんなことできてしまったら、薄ら寒くっていけないや。
「まあでも、それを成功させるのが大企業最上だからな……。その意味じゃ、他の上位の……たとえば第三位の普光院なんかよりずっと性質が悪い」
「ええー! 普光院のがずっと酷いよ!」
「そうなのか? トモ、さっきまで最上が一番嫌いだって言ってたじゃん」
「嫌いと酷いは別だよ。最上は個人的に気に入らない、普光院は客観的にいけすかない」
小学生らしからぬ喋り方をするなぁ、相変わらず。
「ま、良いや。現代的にも将来的にも、ぼくには関わりのない話さ」
などと諦観したように言って、ぼくはその場で着替えを始める。服を脱ぐぼくに、トモは何のリアクションもしなかった。
トモは根本的なところで他人と隔絶して生きているから、目の前で異性に裸になられることなんて何でもない。そもそもぼくは、彼女にとってパンをくれて色々世話を焼いてくれる便利な年上の男以外の何でもないのだ。
それで良い、とぼくは思う。
腹をすかしたトモの為に朝はだいぶん早くに起きてしまっていたので、ぼくは校門が開くその時間に合わせて登校することとなった。屋敷にいても学校にいても同じなのだ。
職員室から鍵をかっぱらって教室に入る。やはりというか誰もいない。ここはひさしぶりに日課でもするかと思いつつ、やめた。新学期の初めの日、浮かれた頭で訳の分からない時間に登校するバカがいないとも限らない。
することがなくなったぼくは適当なテキストを取り出して予習を始めた。勉強をするのを殊更苦痛だと感じない性質なのである。ぼくが相当な愚か者であることはついこの間発覚したところだが、そんな人間でも勉強さえしていればある程度の貫禄はあるものだ。学力第一のこの動堂私立中学なら特に。
そう言えば、一年生の終わりの方の日、こんな風に教室で勉強していたら学年トップの女の子にイスでぶん殴られたんだっけ。いいや、勉強していたからぶん殴られたのではなくして。
あの子、確かサラシナとか言ったか。更級日記というものがあるし、その漢字があてられていたのだろう。いいや、更科だった気もする。由来は何ぞ? なんかの植物だったかしら。まあ良いや。
脳味噌のネジを巻きすぎて切っ先が心をシェイクしたみたいな女の子だったな。どことなく狭霧ちゃんに似ていた気がする。
狭霧ちゃんと言えば、最近は島のみんなと連絡とっていないな。と思ったので、ぼくは知りうる限りのメールアドレスに同じ文面を送信した。この携帯電話という奴を便利だと感じることも決して少なくない。こいつがなければ今頃みんなはぼくの名前も忘れているだろう。ぼくがこいつを嫌いなのは、逆もまた然り、と言えるからなのだが。
携帯電話をポケットに仕舞うと、その後すぐに電話がかかってきた。
「きゃほー。西条君ひさしぶりー! 良くもメール送ってくれたねうれしいよ。あたしのこと覚えてたんだねきゃー」
まったく面倒だ、などと思ってしまう。ぼくはどちらかと言えば友情を大切にする方だが、殊更に会話が好きだという訳でもない。……まあ、最初からこうなることは分かっていたか。或いはぼくは、深層心理では人のいない教室で誰かの声を求めていたのかも。
「やあ、井内さん。相変わらずカルピスソーダみたいな声だね」
「そーゆー西条君は相変わらずアイスを潰してお湯に浮かべたみたいな声してるね!」
「それは良い比喩だ。ところで、内のクラスに絵の具みたいな声をした男がいるのだけれどね」
「そんなことより聞いてよ西条君。幸恵がねー」
などと、人の話を押し切って早口言葉のように声を吐き出す井内さん。これで爽快な声をしていなければただの不快製造機だな、なんて限りなく失礼なことを考えながら、ぼくは話に頷いた。
「あ、そうだ西条君。そう言えばそっちには八坂がいるんだよね」
ほとんど親しくない彼女のことを平気で呼び捨てにする井内さん。まあ、それが彼女なのだけれど。
「そうだよ、同じクラスだ」
「仲良い?」
「仲良ければうれしい、といったところかな」
今の台詞は、我ながら自分の腹の底が濁っているのを晒し過ぎてしまったと思う。
「ふうん」
などとつまらなさそうに言って
「それにしても西条君、良くこんな時間に電話かけてきたね」
「早く学校に来すぎてね」
「西条君らしい……。って、もう始まったんだ。こっちはまだだよ、だから幸恵と徹夜でメール合戦してた。それで今死ぬほど眠い」
「それじゃ、早く死ぬか眠るかした方が良いんじゃないかな」
「そうするよ、じゃあねー」
と言って、電話が切られた。まあまあ楽しかったというのが本音だろう。未来のマイハニーは八坂さんだけれど、と言って他の女の子が眼中に無いという訳でもない。
まあ、井内さんとの会話はなかなかおもしろかったということ。
「朝っぱらから楽しそうやねー西条。今の電話の相手女の子っしょ?」
と、例えるならぬるくなったスポーツ飲料とでも言うべき軽薄な声がして、振り向いたそちらには不審者が立っていた。
背の低いその不審者はサングラス越しにこちらを覗き込むようにしながら、マスクの向こう側からその不快な音波を吐き出している。目を引くのは両耳の三連ピアス。赤白紫の飴細工のような動物がぶら下がっている。
「おれっちさぁ女と話している男ってその態度で分かるんだよねぇ。リア充オーラをむんむん発しているようなムカつく奴のことはよー!」
驚いたことに学生服を着ているその不審者はどうやらこの学校の生徒らしい。校章の色からそう判別するに、ぼくの同級生だ。いくら他人に無頓着なぼくだからと言って、こんな奴を今になって知るなんて我ながら間抜けだな。
「ああムカつくとか言ってごめんねー。本当すんませんでした! いえいえ不精わたくしめこのとおりの身なりでおなごどころか同姓まで逃げていくのであります! いやぁそれにしても西条さん、今の子何よ? おたくの笑顔指数から判断しますに、かなりのレベルの女性ではありませんか? ここは是非わたくしに紹介してくださいー。ああ、これはお近づきの印」
そういうと、不審者は耳のピアスのうち紫色のキリンをもぎ取ると、ぼくに差し出した。
「はあ、どうも」
やや粘ついたその感触はまさに飴だった。
「内の家で作った飴ちゃんです、お召し上がりください」
……なるほど、耳に飴を引っ掛けているのは家の宣伝の為という訳だ。
「いやーおれっちってば何と言いますのん? ミステリ研究会で部長に近い権限持ってるあんたみたいな人格者と違って、いわゆるカリスマって奴が不足してるんですよねん。こういう小賢しいことしないととてもとても我が二年六組の室長としてやっていけないんですわ!」
「はあ? おまえが六組の室長?」
ぼくだったら、何を寄越されてもこんな奴に一票も出したくない。
「ぎゃははーん。そーそー不精わたくしめこれでも生徒会役員! 我ら動堂私立中学の生徒代表の一人であります」
嫌だ! こんな奴に代表されるなんて御免だ!
「名前を来島勇治郎と申します! ところで西条、今回は生徒会役員として、おたくのミステリ研究会のことでお話があって来たっちゃ!」
「はあ……」
我らが部長風間劾の立ち上げた奇人集団、ミステリ研究会。正式にはミステリ研究部というのだが、それについては語感の良い研究会を名乗っている現状。
「失礼ながら、おたくについては色々と調べさせて頂いていますゆえ、いつどんな何があったのかは我々もある程度把握しております」
などとぬけぬけと、来島はぼくらが生徒会に目を付けられていることを伝えてきた。
「それにつきましてはお悔やみ申し上げます。部員の方が二人もお亡くなりになられたそうで……。こちらは粗品ですが、受け取ってくださいませ」
左耳の残った二つの飴を差し出してきた。象と、それとザリガニ。こちらも溶けかけていてべとべととしている。
「そしてわたくしといたしましては、そちらさまの傷心を汲み取ってそっとしておいて上げたいと思いますところなのですが、そうもいかないのでありんす。わたくし、心を鬼に致しますよ。……このままじゃ、ミステリ研究部は廃部にするしかないんだっちゃ」
と言って、来島はサングラスの中でウィンクをした。
ちくしょう、喜んで嫌がる。
「それで? もう部費は渡せないって旨を伝えに来たのかい? だったらそれはあんまりというものだよ。ぼくらだって、自分たちなりに真面目に活動して、紆余曲折あった末今に至ったんだ。まだまだ意欲もあるし、建設的な活動のできる自信もある。部員の誰の意思も死んじゃいない。そういう部活をただの一言で廃部にするのが、君達生徒会の仕事なのかな?」
などと、白々しいことを言ってやると、来島は手を叩いて「そのとおり!」軋んだ声で言った。
「ミステリ研究会の活躍につきましては我々も感服しておりますゆえ、委員会一同となって最大限譲歩した処置を考案いたしました! その内容というのが」
両手を開き、自らの言い分が釈迦の説法とでも言うように
「今から一週間以内に部員を五人確保すること! それから、ミステリ研究会が如何に優れた活動を残せるかを事実として生徒全員に示すこと! もちろん過去の栄誉を語るとかはいけません! 部員が二人も欠ければ色々と違いますからね、現在の研究会の実力を見せてください! 合格判定は生徒会の総意或いは五人の職員または三十五人の生徒に心から『ぐう』と言わせること! 分かりましたか?」
何が最大限譲歩した、だ。ぼくは唾を吐きたくなった。
新しい部員を内の部が迎えるには何がしかの工夫が必要になってくる。せめて来年まで待ってくれるなら新入生をだまくらかせばどうにでもなるのに、こんな時期じゃあふつうの勧誘ではほとんど不可能だ。それからこれは規定なのだろうが、生徒会の全員か一定の人数の職員または生徒から支持を得るという条件も著しく理不尽だ。生徒会はうちの部の存続をてこでも認めないだろうし、社交性が皆無なメンバーばかりのミステリ研究会が三十五人の生徒から協力を得るというのは非常に難しい。
「当然! お友達に頭を下げれば良いと言う訳ではありませんよ! きちんと、正々堂々、おたくの立派な活動によって先生方や善良な生徒に認めてもらわなければなりません。最低限の実績をこちらに提出してもらうのも条件ですきゃら」
きゃらきゃら、と来島は二回続けた。それに対してぼくは
「良いよ」
と答えた。
「おりょ?」
意外そうな顔を来島は近づける。ぼくは少し笑って
「我が部員はみんな優秀なんだ」
と言った。
殺人者クラブ 著・ミステリ研究会一同
人間という生物が他の生物に対して驕ることができる要素が存在するというのならば、それは自らの同族を合理的な理由なくして殺害することが可能だと言う点であろうか。
情緒欲で同族を殺害してしまえる人間なる種族について私が思いを馳せるのは、ひとえに、私自身がその人間なる種族に生を受けたからに違いない。私自身、例えば自らの安全の為だとか、成長のためだとか、そういった建設的理由をなくして殺人を行なった経験があるのだ。
はて、私ははたして愚か者なのだろうか。それはそうに違いない。私の知能や運がもう少しでも劣っていたとするならば、今頃私は刑務所というところで後悔の念に苛まれ続けていたことだろう。そして、完全犯罪を成立させた殺人犯はともすればある種のヒーロー性を他人に持たれているものだが、私から言わせて貰えばそんなのはシアワセな傍観者様からの意見でしかない。私のような者の心は酷くささくれていて、混濁した醜い色合いを放っているものなのである。
私のような愚か者が自らの整合性を保つにはどうすれば良いのかと言えば、それはとにかく愚行に徹することしかないだろう。すなわち、それが自らの生命活動の一環だとでも言うように、無意味に人を殺し続けることだ。要するにそれが愚行であると忘れてしまうほど愚かになるという意味である。まったく救いようが無い。
さらに救いようの無いことには、私のような脳味噌のいかれたバカ者が世の中には数多く存在するということだ。その一員たる私が言うのも難ではあるが、奴らはまさに常軌を逸している。まずはその集団名からして頭の悪いこと。いいや求人の層や集団の目的を明確に表していると言えばそれなりなのだが、それにしても殺人者クラブとは、いったい全体これはなんという
「何書いてんの?」
向かいの窓から声がして、ぼくは原稿用紙から顔をあげた。
「小説だよ。ミステリさ」
原稿を読み返してみて、ぼくは唸る。ふむ、これはなかなか、我ながら良いものを書いたのではなかろうか。一人称からなる文章は自ら読者のほうに歩み寄っているし、内容そのものもなかなかに魅力的だ。なんというか、こう、中毒性のある悪趣味といった趣を演出できているんじゃないかしらん。これならいけるだろう。そうに違いない。
「ふうん、意外ね。創造性が欠片もないあなたは読むだけの人間だと思っていたわ。途中までで良いから読ませてもらえる?」
「かまわないよ」
そういうと、ぼくは二枚の原稿用紙を丸めてから八坂さんの方に放り投げた。「あいた」胸のあたりに紙玉を一度ぶつけ、床に落としたそれを拾い上げる。
「耳に飴玉を引っ掛けた生徒会役員の男にね、このままじゃミステリ研究会を存続させるのは無理だって言われてさ。どうも、部員集めと、それから具体的で目に見える活動を示すことが必要になるらしい。そこで、今までの研究の成果を生かして小説を書いてみた訳さ。よくできているだろう?」
八坂さんは相変わらずの無表情でぼくの文章に目を通し、それから大きくため息をついて
「で? これを大量に印刷して配る訳だ。文芸部が毎月やってるみたいに」
「そういうことだね。それで、三十五人の生徒か五人の職員に内容を認めてもらえれば、まずこの関門は突破できるって訳。なかなか冴えているだろう?」
「ふうん。ところで西条、これが同世代の人間に認められると本気で思うの?」
八坂さんにそう訊かれたので、ぼくは胸を張って
「職員室にも持っていくつもりさ。生徒が自ら原稿用紙何十枚もの文章を書くんだ、努力くらい認めて貰えるだろう」
「だったら、せめてまっとうな文章を書きなさい」
そう言うと、八坂さんは原稿用紙を一枚ずつ丸めてこちらに放って来た。一つはぼくの顔面に直撃しそうになり、もう片方は窓ガラスにぶちあたりそうだった。いずれもキャッチすることに成功したぼくは、用紙を机の上に広げてから
「まっとうって、何だよ」
と首を捻った。
「少なくとも、タイトルに『殺人者』っていう言葉が入っているものをまっとうとは言わないわ。それだけで忌避されかねない。それにこれって冒頭の文章にしてはティストが不安定なのよ。全体的にちぐはぐだし、即興で書いたことが簡単にばれてしまうわ。きちんとプロットを構築してから書きなさい、ミステリなら殊更それが大切でしょうに」
「……料理部の人間に小説の書き方を諭されるとはね」
ぼくは苦笑して、それから自分の書いた文章に視線をやった。
言われてみると、言われた通りなのである。ミステリ的なトリックについては既存のどの作品から引用するか決めてあって、それと主人公のデータ以外何にも決まっちゃいない。そんな状態から書き始めたって碌なものができないのは分かりきっているではないか。
そう言えば八坂さんって大のSF好きだったよな。読書経験も或いはぼくより豊富かもしれない。書かせればぼくよりうまい小説を作るだろうか。
「……ごめんなさい。わたし、ちょっと酷いこと言ったかも」
「いいや、君が言ったのは真理だよ。ぐうの音もでないや。ううん、やっぱりぼくに書くのは無理なのかな……」
たいていの作家がそう主張するように、やはり心の中に捻出すべき何物かを持っていないと小説を書くのは無理なのだろうか。ぼくのように惰性ばかりで生きる人間が手を出して良いものではないのかもしれない。
「西条、あなた、書いていて楽しかった?」
「ええ。まあ、そりゃ、うん」
ペンを持っている時、これまでのそしてこれからの人生のあらゆる汚点から開放され、なりたい自分や行きたい世界がすぐそこにあるような、そんな気分になることができた。限りのない深みへ潜水するような、そんな悦楽。
「じゃあ、大丈夫よ。あなたには書けるわ」
と言って、八坂さんは微かに笑んだ。そしてすぐに鉄面皮を取り戻し
「ところで西条、さっきのメールのことなんだけれど……」
ああ、そう言えばというか、島の友達全員にということで、間違えて八坂さんにも送ってしまったんだっけな。これは恥をかいたかもしれない。
「気にしないでくれたまえ。いわゆる、お久しぶりメールという奴をみんなに送ったのにまぎれただけさ。無意味な内容だっただろう?」
「そうね。使っている鉛筆はHBである、なんてところなんて特に」
それは本当に無駄な文章だな。少しは頭を使って書くんだった。
「それで、井内さんに電話を貰ったよ。元気そうで」
などとぼくが報告すると
「へ?」
と、抜けた調子の吐息を漏らして
「あいつ、生きてたんだ」
八坂さんは呆けたように言った。
「そうだよ」
「……ふうん。それは良かった。わたしはてっきり土谷あたりに」
二人の会話を遮ったのは、扉が強引に開く音だった。
「西条君、おもしろいものを持ってきたよ」
高山さんと、それから上品に澄ました表情の少女だった。高山さんが持ってきたものが彼女なのだろう。ずいぶんと失礼な言い方だな、などと考えていると
「お嬢様?」
素っ頓狂な声で俗っぽいが窓の向こうから発せられた。八坂さんのほうを見ると、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まっている。すると少女はやはり上品に微笑んで
「こんにちは。詩織さん」
「は、はあ。どうも、お世話になってます」
萎縮した声で、そう言って八坂さんは後ろに下がった。
八坂さんの今の態度、少女に対する怯えのようなものが少なからず含まれていた。怖いものに対してまずは逃げるのが彼女だ。しかし彼女が人間に対してそういった弱みを見せるなどと、それはあまり尋常な事態とは言えない。
「くすくす」
そう聞こえてきそうな笑い。まるでコマ送りの漫画みたいな動作で八坂さんを見送り、そしてぼくの方を向き直った。
「私は普光院摩子。今日は、あなた達に相談したいことがあって来ました」
普光院という名前を聞いて誰もが思い浮かべるのが超能力である。
小難しい理論はぼくには解せないけれど、宗教団体としての普光院はある種の超能力を科学的、論理的に立証してしまっているのだそうで。それはもう恐ろしい騒ぎだったらしい。などと他人行儀な表現になるのは、ブームの始まりから終わりにかけてぼくはずっとテレビも新聞もない環境で生活をしていたからなのだけれど。
全国の宗教団体を牛耳り財団としても一流であるところの普光院は、日本で五指に入るほど有力な家族といって違いない。他の五指と言えば如月、動堂、木原、最上の四つなのだけれど、それらと普光院のトップをひっくるめて『五賢帝』などと稚拙な用語で呼ばれたりもする。本当に稚拙なので、それを知っているのは彼らと関わりのある人間たちだけだ。ようするに、自分たちを恥ずかしくなるような称号で呼んで遊んでいるという訳。
それで、その普光院様が内のミステリ研究会にどうしていらっしゃったのかと言えば
「私の指輪を探していただけないでしょうか」
という御用の為だ。
「はあ」
などと、いい加減な相槌を打っておく。向こうから話しやすいような雰囲気を作ってやるべきなのだろうけれど、ぼくではどうしようもない。ぼくは決して上品な方との会話に慣れている訳ではないし、向こうだってもしかしたら上流の人間として扱われるのに飽き足りているかもしれない。苗字ばかりに目が言って、摩子さんその人を禄に捕らえていないのが原因だろう。
「指輪、というと? 紛失してしまったのかい?」
勤めて自然に、ぼくはそう尋ねた。いつもどおりにいくのが正解だろうと思われた。そもそもというか、相手の家柄に萎縮してしまうというのも格好悪い。
「ええ。そうなの」
悲しそうに、摩子さんは言った。
「ダイヤなのですが、ロッカーの中の金庫に仕舞っておいたのが、始業式から帰るとすっかりなくなっていて……」
「もう少し詳しくお願いできるかな?」
少し身を乗り出すようにして、ぼくは言った。我ながら高飛車な態度である。虚勢と思われても仕方がない。
「ええ。その、いつも私は、ネックレスにつるした指輪を首から提げているの。指に嵌めないのは、そうしていると先生方に注意されてしまうから。それでも肌身離さず持ち歩いていたいものだから」
「はい」
まあ、ダイヤなんてとんでもない貴重品を勝手に持ち歩かれてはどうしたって困るよな。過度に高価な装飾品の持ち込みは禁ずる、と生徒手帳にも書かれている。
「でも、今日の朝、生徒会役員の……来島という方、に取り上げられてしまいまして。これは生徒会で預かっておく、などと言われて……。とても怖かったです」
そりゃあ、サングラスにマスクに三連ピアス(飴細工)を装備した色黒の小男に大切なものを奪われたのでは、こんな線の細い女の子には耐えられないだろう。
それよりあの男こそ、装飾品で校則に引っかかるのではなかろうか。いいや、サングラスもマスクも実用性がちゃんとあるものだし、耳についているのは飴だ。それにピアスではなくてイヤリングならば、人から顔を顰められるだけですむ。それにしてもあいつが生徒会役員だというのは解せない。
「どんな扱いを受けるか分からない。私はこう主張しました。『ロッカーの中に金庫があるから、そこに仕舞っておく』と」
「なるほど。生徒会が管理するより、ずっと安全だ」
奴らの貴重品管理といったら、職員室の奥にあるダンボールの中に放り込むことだからな。本田の持ち込んだプレーステーションポータブルが一度そこにねじ込まれたことがあったんだっけ。
「しかし、それも始業式から帰って確かめてみると、宝石の部分だけがすっかり無くなっていたの」
なんと。
「金庫の鍵はちゃんとしめたのかい?」
「暗証番号によるものなのですが、十一桁のもので。私しか知りません」
「それをどこかに書き留めていたり?」
「私にしか分からないように」
「参考までに、どんな風に描いたのか教えてくれるかい?」
とぼくが言うと、摩子さんは生徒手帳の一ページにペンを走らせた。
「どうぞ」
『△○☆☆☆、☆○☆○、○×◇×、☆○☆○、××△△△○△、△△☆☆☆☆、○○○◇×、△○☆☆☆、×☆、○×◇×、○×◇×』
うむ。まったく訳が分からない。
「それだけじゃなくってね。普光院さんの財布もやられたみたいよ」
暗号文と睨めっこをしていたぼくに、高山さんがそう口を挟む。
「始業式の間にかい?」
「そう。被害者は普光院さんだけじゃなく、二年一組の、ほとんど全員の財布がやられたんだって。普光院さんが少し遅れて教室に入って来ると、もう教室の中はすごい騒ぎだったそうよ。全財産を持ち歩いていたバカな生徒もいたそうで」
「ふうん。ぼくなら財布はポケットに入れて持ち歩くけれどね」
「そうしなかった生徒のものがやられたってこと。教室の鍵はきちんと閉めていたから、大丈夫だと思ったんだってさ。残念なことに、犯人は窓を破って進入してきたってことね」
ずいぶんと乱暴なことをするものだ。そこまでして手に入れたがったということは、摩子さんの金庫を破れる自信を、犯人は初めから持っていたことになる。
「ところで摩子さん。あなたの財布は?」
「ええ、被害にあいました。お札を百枚ばかり持ち歩いていたのですが」
うわ。やっぱりブルジョワだ。
「そんなに持ち歩いて危なくないの? 中身の問題じゃなくって、摩子さん自身が狙われかねないよね」
「学校までは送り迎えがありますから。それに、誘拐その他の危険なら、財布があってもなくても同じです」
それはそうだけれど。
「財布の中身など惜しくありません。お金がなくなれば、クレジットを使えば良いのです」
「はあ」
などと、ぼくは生返事を返すしかなかった。
「失礼ながら、その指輪というのはあなたにとってどれくらいの損失で?」
と、いうのは、彼女が身に付けているダイヤがどれくらいの価値のものかを純粋に知りたかっただけだ。こんなブルジョワが取り返したがるのだから、それはとんでもない額なのだろう。
「お父様が、くれたものなの。だから、盗まれたって言う訳にもいかなくて、あなたたちを頼らせていただいて……」
心のそこから申し訳なさそうに、摩子さんは呟いた。
「取り返すための出費はいくらでも。盗んだ人を見つけてくれれば、どこに売ってお金に換えたのだけ訊くわ。その宝石店で買い戻せば良いのです」
つまるところ、摩子さんにとってはどうにかなる値段のものということか。
「分かった。犯人を突き止めれば良いんだね」
この事件を無事に解決に導けば、生徒会だってミステリ研究会の存続を認めざるを得なくなるはずだ。今度は探偵部としてデビューすることになるかもしれないが、それはそれで愉快そうで良い。
小説を書く必要もなくなる訳だ。そう思うと、少しばかりの寂寥感に襲われる。けっこう楽しかったし、やりたいことだったのだけれど。まあ良いか。
「協力していただける?」
「もちろん」
と、ぼくが言うと、摩子さんは綺麗に微笑んだ。
「大丈夫なの?」
摩子さんに帰っていただいた後のこと。八坂さんが怪訝そうにそう言った。
「あなたがもしも失敗したら、その時はどんな報復があるか知れないわよ」
「ははは。大丈夫さ、初めから期待なんかされてないもんね」
ぼくは言って、それから携帯電話を取り出した。こいつの便利なのは、頼りたい知人がどこにいようといつでも連絡をつけられるところだ。逆もまた然りなのが、ぼくがこいつを嫌う理由である。
「はい、誰ですか?」
心底うっとうしがるような、まるで煮えた日本酒のようなその声色。根本だ。
「やあぼくだよ、探偵君。おもしろい事件を仕入れたんだが、推理してくれないかい?」
はたして、こいつに任せて大丈夫なのだろうか。
読了ありがとうございます。
ここまで読んでいただいて分かるように、今度の話では殺人トリックを主軸においていません。そういうタイプのミステリが世の中に多数存在するのですが、私が書くのは初めてであります。
私、書いたミステリではことごとくキャラクターを殺してきました。なぜそんなことができたかと言えば、ある小説で殺したキャラクターでも、別の小説で再登場させることはできたからです。しかしネットにアップする分ともなればそうもいきません。名前を変えて出したところでどうせばれますし。殺してしまって後悔しているキャラもけっこういます。柳沢ちゃんとか。
そういう点から考えると、今度の話は私にとって大分書きやすいということになりますね。思う存分自分のキャラクターを愛することができるのです。クレバーに構えて登場人物を自分の道具として扱う必要もありません。
基本的にはミステリ小説という体裁で書いているのだから、あまりキャラクターを重んじ過ぎるのは筋が違うのですけれども。バランスを損なわないように注意しつつ、筆者も読者も楽しめるようなのを書きたいと思います。
これからもお付き合いください。