あふれる
何気ない日常に潜むもの。
それは突然現れる。
少しでも何かを感じたら、深く関わってはいけない。
「だって言ったじゃんか、”喰ったって“さ」
洪水警報が出る程の大雨の夜、警察官の二人は大家と共に、マンションの一室を訪れていた。
急な雨のせいで、傘の用意をしてなかった二人は、びしょ濡れになっていた。
「こいつは…ひでぇな」
「えぇ…余程…いかれた奴ですね」
このなりでは中に入れないので、玄関から中を見る二人。
外の雨の音と、自身の放つ声が混ざり合い、耳がそれを判別する事を諦めようとしている。
浴室のドアが開け放たれていて、そこから中の様子が伺えた。
「鑑識の手配を」
ベテランの方の刑事は、若手に指示を出す。
「かしこまりました…」
浴槽へと水が流れ続けているが、表面張力が最早役に立たなくなって、溢れ続けている。
浴槽の中に遺体があり、その外側には更に遺体が三体あった。
「お前はよく食うなぁ」
大学の学食で食事を楽しむ男二人。
「むぁ?ほ〜かぁ?」
「お前見てるだけで腹がふくれるわ!」
彼の口から溢れたソースが、テーブルに落ちた。
プレイボーイ、それが私が彼に抱いた最初の印象。
「嫌な奴」だった。
見る度に、隣りに居る女性が違う。
乗ってくる車も違う。
恐らく、ボンボンなのだろう。
入学してから暫くして、何気に彼と同じグループになってしまった。
まぁ、深く関わる気はないから、どうでもいいのだが。
夏休み明けの大学。
男性二人、女性二人で、昼休みを過ごしていた。
「な、なんだと!」
「俺は大人の男になったぜ!」
女性陣は興味なさげに、スマホをいじっている。
「…それは、自慢か?」
「そりゃそーだろ」
「大学に入るまでチェリーだった奴が自慢とか、恥ずかしくないのか?」
「む…」
「まぁいい、それでどんな人なんだ?」
「それは…」
「どこでヤッたんだ?」
「だから…」
「ちゃんと喰ったんだろうな?」
「喋らせろ!!」
くだらない会話、くだらない日常。
数日後、記録的短時間大雨情報が発令されている中の下校。
「最悪…」
カバンを探るが、折り畳み傘はない。
「…嘘でしょ?」
更に不幸な事に、定期券がないのだ。
「…ここに来るまではあったのに、何処で落としたんだろう」
………。
上から水滴が落ちてきて、手のそばで跳ねた。
それが指に当たる。
「え?」
水の感触ではない、何か生暖かい。
粘り気がある。
「まさか!?」
彼女の全身から、血の気が引いた。
絶対に上を見てはいけない、そう本能が警告している。
いつの間にか、マンションの一室に連れ込まれていた。
彼女は自分が何故、浴槽にいるのか、理解出来ずにいた。
(たしか…定期券がなくなって…その時声を掛けられて…)
浴室では、勢い良くシャワーが出続けている。
彼女は全身ずぶ濡れで、ひどく身体が冷えている。
「全く、外の雨の音がやかましいなぁ」
ボソリと呟く彼。
「なんで?」
「いやぁ、ただただ好みだったんだよ」
そう言えば、彼が連れている女性は、皆黒髪のロングヘアだった。
「…わたしだって」
「何か言ったかい?」
「………それだけで、わたしを?」
「それだけじゃないよ、ブサイクに用はないからね」
「…そう、クズでよかったわ」
「何か言ったかい?」
「いいえ」
「だって言ったじゃんか、喰ったってさ」
浴室に電気は点いているが、部屋の方には点いない為、彼の顔は見えない。
「なんなの…」
「美味しく頂いたんだよ」
「まさか…嘘でしょ?本当に…?」
暗がりから彼が出て来た。
その姿は、彼女が一瞬想像したものと変わらなかった。
彼の手が何かを掴んでいる。
小玉スイカ程のものを、片手でぶら下げている。
「頭は硬くて、かじれなかったよ」
悪びれずに言う彼。
彼は連続猟奇殺人者だった。
浴室には、今までの犠牲者が放置されている。
私の側まで来た、彼の口の周りは、紅く染まっていた。
シャーっと、シャワーが出続けている。
「いただきます」
そう言った彼女の声は、彼に届いただろうか。
「よかったわ、獲物の方から来てくれて」
妖艶に嗤う彼女は立ち上がり、左腕を真横に振るった。
ガチャッと、玄関のドアが開く音がした。
「何故、結束バンドが解けている?」
彼は驚愕の表情のまま、持っていたモノと一緒に地面に落ちた。
シャワーとは別の水音が、浴室に響いた。
「わたしだって、食べちゃいたい位、好みだったのよ」
狩る側が、突如として狩られる対象になるのは、良くあること。
ある一定条件で、人格が変わる人間も存在するという事。