1.婚約式前夜 準備は大変というお話ですわ
ハレム、それは強者の証。
ハレム、それは栄華の象徴。
ハレム、それは古から続く血の盟約なり。
強さこそが正義。血の結束にて数多の部族をまとめ上げ、傾国の悪魔アー・クヤ・クーを滅ぼし給え。
故に婚約破棄。それは紳士の信頼の証、愛する者への試練なり。
故に婚約破棄。それは淑女の嗜み、破棄されてこそ一人前、女の誉れを掴み取れ。
此度もまた一人の女が絢爛たる愛のためにハレムに挑む。
◆ ◆ ◆
アモルリーベには大小様々な国家が存在する。その中でも列強と呼べるのは三つの国、騎士国家のグラフィナ王国、魔法国家のライシャール帝国、そしてアモルシア教の総本山サントホリー聖教国だ。
そんな三大国のうちの一つで、魔法使いの国であるライシャール帝国の西部には獣人達の小国家群が広がっている。
ルマニア獣人国連合。
獣人は、遥か昔、西の最果てと呼ばれる夕栄の影の国からやってきた流浪民の末裔と言われていた。彼らは人より強靭な肉体を持ち、武に秀でた戦闘種族である。近年は戦闘のプロフェッショナルとして他国からの要請に応じた魔獣退治が国一番の収入源となっている。そんな懐事情もある故かルマニア獣人国連合では人材は何よりの宝。何より強きを尊ぶ精神であるからこそ、強い子が望まれ、祝福される。
故にルマニア獣人国連合の結婚とは一夫多妻、特にハレムと呼ばれていた。
そんなハレムに近々加わることになる一人の女性がいた。
レオナ・パルパテーラ・パンサー。猫獣人のパンサー族の姫君だ。一族の中でも一際小柄な体躯は彼女のコンプレックスであったが、 誰にも負けない俊足と柔らかく美しい黄色の毛並みに宝石のように煌めく黒い斑点が彼女の自慢だった。
「アサド様。レオナ・パルパテーラ・パンサー、ただ今戻りました」
「うむ。此度の遠征大義であった。無事で何よりだ」
ライシャール帝国とグラフィナ帝国、二大国を超えたさらに東での魔獣退治依頼。
遠征から帰ったレオナを出迎えたのは彼女の最愛の人、アサド・レオレアオ・リオン、猫獣人のリオン族の王子だ。獣人国連合の頂点である現獣王様にも引けを取らない太陽のように美しい鬣に筋肉隆々とした野性味あふれる立ち姿にハレムの姫君達は皆夢中だった。かく言うレオナもアサドの純粋な強さだけではなく、彼の外見に一目惚れした口だ。レオナは意外と面食いだった。
「一先ず安心したぞ。明日が私たちの婚約式だというのにまだ帰って来ぬのかとヒヤヒヤした」
「それは要らぬ心配をおかけしました。ですがこの通り、ご心配には及びませんわ」
「ははっ、ならば良かった。そう言えばレオナよ、明日の婚約式、アー・クヤ・クーを誰に頼んだんだ?」
ルマニア獣人国連合には結婚に関するとある慣習がある。
『婚約式において婚約破棄を打倒する』
始まりは建国の祖、初代獣王と呼ばれるガリア・ゴゴリーユ・ゴリラの時代。
獣王ガリアには愛する獣人の姫君がいた。獣人の姫君が誰だったのか? については割愛する。なんせ獣人は数が多い。諸説あるが大抵姫君は生まれの部族のものとして口伝されているのがほとんどだ。
数多の部族をまとめ上げた獣王ガリアは、姫君との婚約を民衆の前で披露することで、これからの新時代の到来、明るい未来を顕示しようと試みたのだが、婚約式当日に恐ろしい出来事が起きたのだ。
獣王ガリアは黒髪黒目の恐ろしいほどに美しく整った顔の人形を引き連れてこう言った、姫君との婚約を破棄し、美しき人形と新たに婚約しよう。
それが獣人達に古くから言い伝えられている傾国の悪魔アー・クヤ・クー。悪魔は獣王ガリアの心を惑わし、国を乗っ取ろうとしていた。
そんな恐ろしい悪魔を姫君が武力で打倒し、獣王ガリアの心を取り戻して幸せに暮らしたという昔話である。物語のその後としてこちらも諸説あるが、獣王は二度と悪魔に魅入られないように数多の強き女性に心を捧げ、その精神を守ってもらう。代わりに獣王は絶対的な力で女性たちの身を守る。これがハレムの始まりであるとかないとか。
要は昔の教訓から始まった験担ぎの儀式である。
愛し合う男女の二人は婚約式にてお互いの愛の絆を確かめ合う。
悪魔アー・クヤ・クーに扮する神殿の婚神官と男は女を婚約破棄することで、愛する者への信頼とする。君ならば必ずこの試練を乗り越えると。
悪魔アー・クヤ・クーに扮する婚神官と女は武術にて力を競い、婚神官の悪魔の面を割ることで、愛する者へ武力を示す。守られるだけの花ではないのだと貴方の心を守りますと。
故に獣人達にとって婚約式とは非常に重要な意味を持つ結婚前の一大イベントなのだ。獣人の女の子にとって婚約式は己の武を愛する男に余すことなく伝えられる憧れの場であった。それはレオナも変わずで、明日の婚約式を楽しみにしていた。それはもうアサドの問いににやにやと喜色満面の笑みを溢れさせながら答えるほどである。
「ふふふ、アサド様も期待してくださいな。明日は七等婚神官のアリヤ・エレパス・エレファン様にお願いすることができました」
「ほう。それは素晴らしい。七等婚神官がアー・クヤ・クーを務めるのは何年ぶりだ?」
「十年ぶりですわ」
十年前、現獣王の二十六番目の王妃が最高位の七等婚神官にアー・クヤ・クーをお願いし、三日三晩の戦いの後、婚約式を成功させた。それはそれは獣人国連合全体でお祭り騒ぎとなった。レオナも当時のことは昨日の事のように覚えている。同じ女性としてアー・クヤ・クーの悪魔の面を殴り壊した王妃様の女傑っぷりは惚れ惚れとするものだった。その勇姿を目に焼き付けて、目を爛々と輝かせた少女は、私もあんな風になりたいと幼心ながらに憧れを抱いたのだ。
レオナは明日の婚約式に想いを馳せ、アサドと仲睦まじい会話を交わしながら、二人の時間を過ごす。婚約式が終われば、今度は結婚式の準備が待っている。嬉しくも大変な時間がまたやってくるのだろう。そう思うとレオナは此度の婚約式の準備をふと思い返してみた。婚神官の選定まで本当に大変だったが、とても満足のいく出来になったと自負している。
慣例で婚約式にてアー・クヤ・クーを務める婚神官は婚約破棄に挑む婚約女性の実力の一つ上が良いとされている。
これは獣人達が強さを尊ぶことと婚約破棄が二人の愛を試す試練である事が大きい。婚神官と婚約女性の実力が離れすぎていては、悪魔の面を割ることができず婚約式は失敗に終わってしまう。かと言って、八百長などもっての外だ。まあ、獣人の気質としてそんな卑怯な真似をする者など皆無なのだが。
故に一つ上の実力の婚神官に依頼するのが適切とされている。乗り越える試練として婚約女性は胸を借りる気持ちで挑むのだ。
とはいえ、どの様にして実力を測ればいいのか? 神殿には実に不思議で便利な植物が育てられていた。
拳樹の花。
全高1.5メートル程の巨大な花で、とぐろを巻く太く丈夫なうえによくしなる茎、頭には風船のように膨らんだ大きな蕾がついている。
この花は衝撃を与えると花開く性質があり、与える衝撃により花の色が変わる不思議な花だった。
故に婚約式の一月前に女性は神殿に訪れるのが習わしだ。
何をするかって? もちろん殴るのだ。全身全霊、今持てる力のすべてを込めて殴る。女は強さの証明のため、七色に変わる不思議な花を全身全霊を込めてぶん殴る。
赤・橙・黃・緑・青・藍・紫の七等級で武を示す。これ即ち拳指、自身の強さと同時に婚神官を決めるための特別な指標である。これが神殿で執り行われるアー・クヤ・クー選定の儀であった。
もちろんレオナも目を輝かせて、拳樹の花を満面の笑みでぶん殴った。花はこの日のために一本一本神殿で大切に育てられた、婚約式を迎える女性のための花だ。この儀式もまた獣人国の女性にとって一生に一度のこと、乙女の花道なのである。
流星のように流麗な軌跡が一閃。スパンッとレオナの拳が唸った。何度も激しく揺れ動く拳樹の花が止まると同時に蕾はゆっくりと花開いた。レオナの花はそれはそれは美しい藍色の花だった。十年ぶりの拳指六、憧れの獣王二十六番目の王妃様と同じであった。
その美しい藍色の花を目の前にして、レオナは感動のあまり涙した。こんなに嬉しい事があるだろうか? 嬉しさのあまり胸がはち切れんばかりであった。
その翌日、興奮冷めやらぬレオナは何とか気持ちを整え、神殿から貸与された婚神官名鑑に目を通すことにした。そう、拳指は定められた。あとは婚神官の選定である。彼女が手にするのは最高位の七等婚神官のもの。婚約する女性、それも実力のあるものしか見れない大変貴重な一品だった。
とは言え、レオナは幼い頃から心に決めていた。自分が婚約式をするときは絶対にあの人にお願いするのだと。
アリヤ・エレパス・エレファン。
現獣王二十六番目の王妃の婚約式も執り行った七等婚神官。出産・婚約・結婚式を頼みたい婚神官No.1。彼女に婚約式を執り行ってもらうだけで、ルマニア獣人国連合中の女性から羨望の眼差しで見つめられる事間違いなしである。
何よりめちゃくちゃ強いのだ。自分の力がどこまで通用するのか試したい。武人としての血が騒ぐのだ。
そこからが大変だった。もろもろの手続きを終え、レオナは婚約式の依頼をするためにアリヤの元を訪ねるのだが、本気で戦ってほしいと失言し、婚約式を断られ、毎日通いつめて頭を下げる日々。そんなレオナの姿に考え直したアリヤが本気で戦う条件として高位魔獣三種の指定討伐依頼を出したり、渡りに船とレオナが東の小国から来た魔獣討伐依頼に飛びつき、大遠征の旅に出たりと忙しない一ヶ月であった。
無事、遠征先で高位魔獣三種を討伐して帰ってきたレオナは見事アリヤに実力を示したのだ。
「よろしい。あなたの熱意、何より貴方が示した武に敬意を評して、明日の婚約式は私が婚神官としてアー・クヤ・クーを務めましょう。パンサーの姫君レオナ、全力で挑んできなさい。望み通り私の本気を持ってしてあなたを断罪しましょう」
アリヤから賜った言葉、それは何よりも嬉しいものだった。明日、レオナが挑むアー・クヤ・クーは何よりも強大で恐ろしい壁として立ちふさがる事だろう。婚約破棄、望むところだ。レオナは明日婚約破棄を打倒し、アサド・レオレアオ・リオン王子と婚約する。彼のハレムの一員となる一歩を踏み出すのだ。
「レオナ」
「はい」
「愛してる」
「はい、私も愛しています」
「婚約破棄、必ず打倒してみせろ」
「もちろんです。未来の旦那様」
二人で愛を囁き合う、それがむず痒く、何よりも心地よい。そんなちょっとしたやり取りが嬉しくて、おかしくもあり最後には二人して笑い合っていた。
大丈夫。二人の想いは同じ方向を向いている。明日は無事アー・クヤ・クーを倒し、レオナは婚約破棄を打倒するのだ。ハレムのお姉様方も待ってるわよと温かい言葉をかけてくれた。こんな所で躓いてなどいられない。
皆の期待に応えるために、愛する人のため、自身の夢を叶えるためにレオナは明日を迎える。
まさか、あんな異物が紛れ込むなんて、この時の彼女は思いもしていなかった。悪夢の婚約式が幕を開ける。