落語声劇「反対俥」
落語声劇「反対俥」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約15分
必要演者数:最低2名
(0:0:2)
(2:0:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
男:とにかく上野駅まで急いで行きたい人。
しかし、車屋にまったくといっていいほど恵まれない。
車屋1:おんぼろ人力車の車夫。
とにかくのろくて、男が激怒するほど。
亀の方が速いんじゃないのか。
車屋2:人力車の車夫その2。
腕前は急行列車を追い抜くほど速い。
●配役例
男:
車屋1・車屋2:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:明治から大正の初期にかけて、人力車なんてのが流行りました。
その時分はと言うと、街角で車の梶棒に腰を下ろして、赤ゲットに
包まって客が来るのを待ってたわけです。
赤ゲットに包まってるもんだから、そそっかしい奴はポストと
間違えてハガキを入れたりなんかしたとか。
本当かどうかは分かりませんけどね。
今しも人力車を探して、今川橋の辺りでやっと車屋を見つけた男が
いまして。
男:おぉい、急ぐってのにこの車屋はしょうがねえな。
赤ゲットに包まってるのはいいけど、寝てやがるよ。
おいっ。
おいッ!
おい車屋ッッ!!
車屋1:【飛び起きる】
!ッへッ、へいッ!
どうもッ、ありがとう存じます!
男:バカ野郎この野郎、客商売だってのに寝てるんじゃしょうがねえな。
おう、悪いけどな、万世橋から上野駅まで行ってくれるか!?
行ってくれるか!?
車屋1:ええ、やってもよござんすよ。
男:やってもよござんすってなんだよ。
車屋1:やってもよござんすが、幾らくれます?
男:幾らくれますってお前な、こっちは客でおめえは車屋だろ。
車屋1:でもお客さん、言い値じゃ乗らないでしょう?
男:バカだねこいつは。
俺に言い値を吹っ掛けてやがる。
幾らだか言えってんだ!
車屋1:そうですか?
じゃ、これだけくださいな。
男:お、指一本出しやがったな。
指一本てのはわかんねえや、幾らだ?
車屋1:一万円ください。
男:バカ野郎この野郎!
俺はな、車の権利書ごと買おうってんじゃねえんだこんちきしょう!
車だけ乗るんだよバカ。
一万円なんて高えじゃねえか!
一円に負けろ!
車屋1:いやお客さん、値切るに事欠いて一万円のものを一円だなん
てハハハ……まけた。
男:まかっちゃったよ!?
車屋1:その代わりね、あたしの車は政府から古いって勲章をもらってる
くらいですからね、
乱暴に乗らないで下さいよぉぁあっとダメ!
その蹴込み足踏んじゃダメ!
それブレーキで押さえてんですから。
こないだのお客がそのブレーキ外して、私と一緒に走っちゃった
んですよ。
それからひじ掛けに掴ってぇって座っちゃダメ座っちゃ!
スプリングが出てるでしょ、ケツの間に挟んじゃいますよ。
スプリングハズカムなんて事になりますから。
男:うるさいよ!それじゃ、こうやって腰ィ浮かせてりゃいいのか!?
これっ、腕がだいぶ疲れるな!
車屋1:その代わり腰が楽でしょう?
男:なに言ってんだよ!
いいから!早くやってくれやってくれ!
急ぐんだ!早くやってくれってんだよ!急ぐから!
車屋1:【↑の語尾に喰い気味に】
あぁもう分かりました分かりました!
うん、んじゃ行けばいいんでしょ、行きますよ。
いいすか?いいすか?プッ、ブッ!【手に唾を吹きかけている】
いま梶棒を持ち上げますから。
せぇーのっ!ほっ!…ふッ!ふッ…!はッ…!
はぁぁッ!
男:おいなんだよお前、唸ってばかりで全然持ち上がらないじゃないか!
車屋1:いやいや、急いては事を仕損じると言います。
男:そんなの今はいらねえだろ!
俺は急ぐんだよ!
車屋1:わかってますよ!
私だってこうやってここで頑張ってるんだ。
ふざけてるわけじゃないんだ。
というかあんたね、そういう上から目線な事言って、
私が昨日まで何してたか知らないでしょ。
だからそういう冷たい事が言えるんだよ!
私はね、昨日まで入院してたんだ!
それで入院費がなくて、車屋になっちゃったんだよ!
あなたにその一円もらうでしょ、その一円持ってまた入院するん
ですから。
男:やだなおい、まるで保険証みたいな客になっちまったじゃねえか俺!
じゃこうしよう、俺が体を後ろにそらすから。
そうするとな、前の梶棒がずっとこう楽になるから。
いいか?
ほら、こんなもんでどうだ?こんなもんで、こんなもんでどうだ!?
車屋1:いやぁお客さん、最初からそうやって親切にするもんですよ。
そうしてもらえりゃ梶棒が簡単に持ち上がっちゃうんですから。
プッ、ブッ!【手に唾を吹きかけている】
プッ、ブッ!【手に唾を吹きかけている】
プッ、ブッ!【手に唾を吹きかけている】
プッ、ブッ!【手に唾を吹きかけている】
男:いつまでやってんだよ!
早く梶棒持ち上げろィ!
車屋1:わかってますよ。
いきますよォ。
はぁッ!!
男:おぉっおっおっおっおいおい!持ち上がりすぎ持ち上がりすぎ!
というかお前、梶棒にぶる下がってんじゃないか!
宙ぶらりんだよ!
車屋:いや、やっぱり準備運動てのは大事かなと。
なので懸垂をですね…。
男:いや見え見えの嘘つくな!
どうすんだよ!
車屋1:じゃ旦那、もうちょっと体を前の方へ。
男:前の方か、よし…こんなもんでどうだ、こんなもんで。
車屋1:あっ…あぁぁ……つきました。
男:は?ついたって何だよ。おい、何がついたんだよ!?
車屋1:ええ、地に足がつきました。
男:やだなおい!
今までやじろべえみたいな車だったのか!?
危ねえな、まったく。
どうでもいいけどよ、まだ上の方向いてるよ。
車屋1:いいんですいいんです、このくらい上向かなきゃダメなんで。
このぐらい前を持ち上げなきゃダメなんですよ。
でないと提灯引きずっちゃいますから。
男:なに、提灯……にしてはずいぶん長いなおい。
車屋1:何しろ提灯ない時におまわりに見つかったら事ですからね。
え、提灯長いのが気になります?
いやね、車買うので精いっぱいで、提灯まで手が回らなかったも
ので。
それで仕方なく、お稲荷さんの奉納提灯借りちゃいました。
提灯は~借り物ォ~、お客は~他人~♪【適当に節をつけて】
男:怖いこと言うなおい、バチが当たっても知らねえぞ。
いいから行けィ!
車屋1:いいですか?
じゃ旦那、行きますよ?
【徐々に元気がなくなってくる】
はあッ!
ちょいさ。
はあッ!
こらしょ。
はッ!
ちょいさ。
はッ!
こらしょ…。
はっ…!
男:おいおいおいっ、なんだよその車の進み方は!
体がよじれるよ!
車屋1:よじれたっていいじゃないですか、今日はちゃんと前に進んでま
すからね。
朝のお客の時は提灯の向きに逆らわな過ぎてうまくいかないもんだ
から、一か所でもってぐるぐるぐるぐる回ってましたけど。
男:やだよおい!
そんなお前、ロータリーみたいな事するなよ!
どうでもいいけどな、どんどんどんどん他の若え連中の車に追い抜か
れてるぞ!
車屋1:へえ、先のある若いもんには花を持たせましょうや。
男:年寄りの車にも抜かれてるじゃねえか!
車屋1:へえ、年寄りも先がないから花持たせましょ。
男:いや、花持たせすぎだろ!
車屋1:ええ、花の多い方が弔いは賑やかですから。
男:なんで葬式の話が出てくんだよ!
これじゃ上野にはいつまでたっても着かないじゃないか!
とっとと駆け出せよ!
車屋1:お客さん、もう忘れたんですか?
昨日まで入院してたって、さっき言ったじゃありませんか。
あたしゃ心臓が悪いんですよ。
走る為に足が動きゃ、心臓が止まっちまいますよ。
まあ上野なら明後日ごろには…
男:【↑の語尾に喰い気味に】
っいぃいぃ、もう降りる、降りる降りる、降りるよ!
車屋1:あぁ、そうですか?
はい…っと。
男:~~…ほら、車代。
車屋:あ、ありがとう存じます…え、50銭?
約束は一円のはずですけど。
男:ッバカ野郎コノヤロウ!上野まで行くから一円なんじゃねえか!
まだ半分も行ってねえだろうが!
今川橋から乗っかって須田町に着いてねえじゃねえか!
50銭だって高ぇくらいだ!
車屋1:…分かりました、よござんす。
またご利用下さいよ。
あ、お急ぎの時はあの柳の木の下にいますから。
男:なんだよ、お化けみたいな車だなこんちきしょう。
ったくしょうがねえなホントに…
もっと速い車こねえかな、速い車……おっ。
来たよ来たよ…あの車は速ぇな。
【手を二回叩きながら】
おうッ車屋ァッ!!
車屋2:あいよッ!
男:おめぇ、速いか!?
車屋2:なにをゥ!?
男:おめェ速いか!?
車屋2:は や い かァ!?
「か」だの「だろう」だのなんてなァ人を疑る言葉だってんだ!
この育ちの良くねえ奴だなこの野郎は!
男:ほォいいね、威勢がいいね。
悪いけどね、万世橋渡って北へまっすぐ行ってくれるかい?
車屋2:よござんすよ!
アラァイッ!アララァァイッ!!
男:おおい待て待て!
まだ乗ってねえよ!!
車屋2:っとっとっとォ!
お客さん、ぐずぐずぐずぐずしてちゃいけませんよ!
よござんすか、ぐっと蹴込み足を踏んでね、
ひじ掛けにしっかりつかまって、あんまり口を開かないようにし
て下さいよ!
なんでしたら口の中に新聞紙突っ込んでね、マウスピース代わり
にしてもいいですから!よござんすか!?アウッ!アラァッ!!
アラララララァァッ!アアァァラララララァァィィィッッ!!!
男:おぉなるほど、速ぇな!風を切って行くね!
こらァいいや、さっきのとはわけが違わぁ。
おうッ、おめぇ速ぇなァ!
車屋2:ええ!速ぇ事にゃ引けを取らんですから!
こないだも急行列車と競争して大宮で抜いたんで!
男:おいおい、そんな夢のような話をするなよ。
どうでもいいけど、さっきよりもだんだん速くなってきたな?
!おぉっと!?
なんだァ、いま体がスパーンと浮いたよ!?
いったいどうしたんだ?
車屋2:あ、いまドラム缶を飛び越したんで!
男:おぉいおい、そういう不自然なものを飛び越しぃおぉっとォッ!?
また浮いたよ!?
車屋2:ええ、ウケるからもう一回やったんでさ!
男:いやいやいやそういうのはいいから!
って向こう!踏切踏切!来た来た来た来た来た来た電車だよ!
あぶねえよ!
車屋2:何ぬかしゃるんでぇ、あっしァもうやめられねェ止まらねェ!
こう勢いがついたらね、お客さんの命ァあっしがもらったィ!
汽車が助かるかあっしが助かるか、一本どころの勝負でィ!!
これがもとで名物・直進行軍てのが生まれるんでェ!!
民明書房にも多分そうやって書かれるんでェ!!
男:じ、冗談じゃないよォあぁぁ危ない危ない危ないィィッッ!!
【ドン、と着地するSEあれば】
車屋2:お客さん、ーーいますかィ!?
男:なんだよその「いますか」ってのは!?
車屋2:こないだ同じようなことがありやしてね!
そん時ゃ後ろだけなくなっちゃってまして!
思わず「持ってかれたッッ!」って叫んだね!
しょうがねえから、梶棒だけ持って家に帰りましたよ!
男:荒川弘の漫画みたいなこと言うな!
それじゃお前、後ろの人はどうしたんだよ!?
車屋2:次の日新聞読んだら、「即死」って書いてありましてね!
笑っちゃったよ!
男:黒いなお前、真っ黒だよおい!
数年前に亡くなった會さんより腹黒いよ!
っってええッ前が土手だよ!土手土手土手ェェッ!!
車屋2:土手ッッ~~ッッ!
ふう、ふう…。
男:土手って…よくここまで来たよ。
目まいしてくるよ…っておい、ちょっちょっと待て…。
これァおい、ずいぶん寂しいとこだな…。
あ、あすこ看板があるよ。
なんて書いてんだ?
車屋2:えぇ、埼玉県浦和ーー
男:【↑の語尾に喰い気味に】
ッッバカ野郎コノヤロウ!
俺ァ上野まででいいんだよ!
なんで浦和まで来てんだこの野郎!戻れ!
車屋2:っわっわかりましたよ、戻りますよ。
戻るからちょいと待ってくださいよ。
ハァ、ハァ…戻ります。
男:戻れって早く!
車屋2:戻れ早くったってね…こういう呼吸の乱れる話はね、
とにかくね、辛いんだ…!
男:辛いって、お前が駆け通した結果だろ!?
いいから早く!
車屋2:そう言ったってね、
この噺10分あるかないかなのに25分の高座だもの、
疲れちゃったよ。
男:そんなメタい話をするな!
そういう楽屋話はいいんだよ!愚痴るな!
早く行けって!
車屋2:まぁまぁ、もう少しでサゲですから。
じゃ、行きますよ。
アウッ!アラァッ!!
アラララララァァッ!アアァァラララララァァィィィッッ!!!
男:おぉぉまた揺れて来た揺れて来た…!
車屋2:オラァァアァイイィィッッ!!
どいたどいたァァァァ!!
男:いや走りながら口きくんじゃないよ!
見ろ、お前が風切って口きくもんだから、俺のほっぺたにお前の唾が
ひっかかってしょうがねえだろ!
車屋2:そんならほっぺたにワイパー付ければいいじゃないですか!
男:またガタガタぬかしやがんな!
ワイパーって何だよ、んなもんこの時代にねえよ!
車屋2:川っぷちだ川っぷちィ!
芸者芸者!芸者が来たァ!
男:あぁぁ危ないッッ!!
【人力車が芸者をひっかけて川へ落としてしまう】
男:何やってんだよ!芸者さん引っ掛けて川へ落っことしちゃったじゃね
えか!
えらい事になっちまった…!
おぉい芸者さん!そこの杭につかまってなさい!
今あげてやるから!っておいおいおいこの野郎バカ野郎!
おい車屋!ぼんやりしてんじゃないよ!
お前が落っことしたんじゃねえか!
車へあげてやんな!
車屋2:車へ上げる?冗談言っちゃいけねえ。
芸者揚げるくらいなら車屋なんかしてねえよ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
橘屋圓蔵(八代目)
桂文治(十代目)
立川左談次
※用語解説
赤ゲット:紅い色の毛布。地方から東京へ見物に来た人がマントがわりに
体に巻いていたことから、田舎者、お上りさんを指す意味合い
もある…が、この噺には関係ない。
万世橋:神田須田町一丁目と外神田一丁目を結ぶ橋。
一円:大正時代の一円は、現在の価値に直すと1080円ほど。
ちなみに明治の頃の一円は3800円ほど。
時代がさかのぼるほど一円の価値は高い。
50銭:一円の半分の価値。
種類やらどのあたりに作られたかなどで現在の価値に直すとだい
ぶ変わる。
蹴込み:人力車のお客様が足を乗せる場所。
スプリングハズカム:春が来た、と言う意味。
歌にもあるし、映画にもある。
映画では柳家喬太郎師匠が男で一つで娘を育てた
父親を演じるヒューマンドラマ。
奉納提灯:お祭りを執り行う神社へ協賛金を奉納した証として製作される
物。
梶棒:人力車・荷車などを引くための長い柄
懸垂:運動の一種で、高い棒に手をかけてぶら下がり、
腕や背中の筋肉を使って体を引き上げる動作。
大宮:埼玉県さいたま市の10区の一つ、大宮区にある駅前のエリア。
名物・直進行軍:某漫画における、棒や刀を倒し、倒れた方角に向かって
ひたすら直進し、いかなる障害物があっても迂回する事
は許されない。それは家屋の壁だろうと下水道だろうと
告別式の会場だろうと、ヤクザの事務所だろうと徹底し
て直進する。
民明書房:直進行軍の出てくる漫画で何か新しい事が出てくると解説がわ
りに持ち出される架空の書物。ところがあまりにもっともらし
く書いてあるもんだからこれを信じる少年たちが続出。
荒川弘:鋼の錬金術師などの人気漫画の作者。
持ってかれた!:鋼の錬金術師で主人公が母親の錬成に失敗し、真理の扉
を開いた代償として足を片方持っていかれた時に発した
セリフ。
會さん:国民的演芸番組・笑点でかつて腹黒キャラを演じて大人気だった
あのお方です。本当、早すぎましたよ…六代目三遊亭円楽師匠。
楽屋話:主に劇場や寄席などの楽屋内で行われる話や、内緒の話、仲間内
だけで話すことを指します。また、物事の裏事情や内幕という意
味でも使われます。
サゲ:主に落語で話の終わり(オチ)を表す言葉。
芸者揚げるくらいなら~:芸者を揚げるとは、芸者を呼んで遊ぶ、
と言う意味で、それに引っ掛けた圓蔵師匠の
オチ。
※:なお、上方落語では「反対俥」は「いらち俥」となります。
いらち、とは関西地方の方言で、「せっかち」や「気が短い」
という意味です。
※:2人目の車屋が目的地を通りすぎて辿り着く場所は、噺家によって
様々で、長崎、鹿児島、青森のような所まで行くパターンもある。
なお、そういう所まで行って帰って来るには人力車の速度で
数百キロださないといけないとか。人間の出せる速度じゃない。