第84話 特攻の下地
兵器の発達も去ることながら、大日本帝国陸海軍には特攻の下地と言うものは存在した。真珠湾攻撃作戦で、九軍神として世間に周知されている10人の若者が乗り込んだ特殊潜航艇"甲標的"などは正に特攻の先駆けであった。10人が突入して何故九軍神なのかと言うと、5隻中4隻しか突入に成功しなかったからである。残りの1隻は、ジャイロコンパスの故障で航行不能となり、9人目は行方不明。10人目は米軍の日本軍の捕虜第一号となった。ハワイ真珠湾攻撃でその後に続いた日本海軍空母機動部隊が奇襲作戦で大戦果を上げる事になるが、開戦当時から生きて帰れる見込みの無い、十死零生でも作戦を遂行できればそれで良い。と言う空気が軍内部には少なからずあった事をこの九軍神と米軍の捕虜になった1名の若い海軍軍人達は教えてくれる。問題はいつそれを正式な作戦としたかである。この甲標的に関して、山本長官は九死に一生ならまだしも、十死零生の作戦は作戦とは認めないと仰られていたが、結局甲標的作戦は真珠湾攻撃作戦のどさくさに紛れ実行された。




