第69話 生きろと言えない
昭和の大日本帝国陸海軍には、部下に生きることを命じた人間が非常に少なかった。戦陣訓に見られるように"生きて虜囚の辱しめを受けず"と言う様な風潮が蔓延り、死ぬ事で責任を果たせると言う様な間違った考え方が幅を利かせ過ぎていた事は確かである。その最たるものが特攻である。生きろと言えないどころか、部下に十死零生を命じた。御国の為に黙って死んで来い。と命令をしていたのだ。作戦的にも人道的にも、特攻は下の下の外道である。とは、特攻作戦の父とされている大西瀧治朗中将も語っている事である。他にも玉砕や自決の強制は明らかに生き残る事を前提とはしていない。いくら航空機や戦闘機が特攻の作戦しか選択肢がなかったとしてもである。最後には練習機までもを特攻に利用するなど、愚の骨頂ではないであろうか?どんな苦境に立たせられてでも、死んだら終わりである。ゲームオーバーに成らず生き残ってさえいれば何か道は開ける。生きて部隊に戻って来る事が軍人にとっての至上命題であるはずなのに、昭和の大日本帝国陸海軍はそれとは180度違う事をさせていた。これは大きな失敗であり、敗北からの教訓でもある。




