第57話 山本長官の死
昭和18年(1943年)4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官は前線基地視察に赴く途中、ブーゲンビル島上空で乗機である一式陸攻を米軍のp- 38戦闘機の機銃掃射によって、撃ち落とされて命を落とした。これは後に日本軍の暗号が傍受された事により、山本長官の行動予定を完璧に掴んでいた米国側の待ち伏せ攻撃によるものだったと言う事が分かっている。この指揮官の死は、戦後の人間から見れば太平洋(大東亜)戦争の分岐点と捉える見方が有力である。それ以前のミッドウェー海戦やガダルカナル攻防戦と言った大敗北を分岐点と見ても良いのであるが、山本長官の死は敗戦へシフトして行く分岐点となった事に違いはない。対米戦を反対し続け世論に押され開戦に踏み切ったものの、善戦を続け、早期講和を模索していた中での早すぎる死であった。山本長官の死は、日本にとってマイナスであっただろう。山本長官が生きてさえいれば、神風特別攻撃隊や、戦艦大和の沖縄水上特攻は絶対に無かったはずである。歴史にタラレバは禁物であるが。




