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第40話 海軍兵学校
日本海軍の戦闘部隊を率いる部隊長や士官を教育する海軍兵学校は、陸軍士官学校に遅れる事2年。1876年(明治9年)に創設され養成が行われていた。この上級機関に陸軍大学校と海軍大学校が作られる事になるのであるが、それはエリート中のエリートの話。海軍兵学校卒だけでも充分に当時はエリートであった。陸軍士官学校や海軍兵学校からは多くの名将・愚将を輩出したが、大日本帝国陸海軍の屋台骨となる人材育成の為、設立された割にはこの差別化戦略による弊害の方が多かった様な気もする。日本が1945年に敗戦するまで、69年間で海軍兵学校を卒業した人材は、終戦後の混乱期を経て戦後日本のスタートダッシュを支えた。同期の桜と言う歌があるが、この歌は元々海軍兵学校や陸軍士官学校で歌われていたもので、同期の絆の強さがそのまま、大日本帝国の強さであった。日本式エリート養成のひな型とも言うべきであるこの海軍兵学校は、多かれ少なかれ日本海軍と言う形の見えない姿を現す鏡となったのである。




