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第3話 中国戦線
零戦の正式名称にもある様に、三平と嘉三は国民学校高等部工業科を卒業後は三菱重工業㈱に入った。当時(昭和初期)は、学歴で小卒、中卒は当たり前であり高等部に進む人間は一握り。更に大学ともなると、更にその一握りと言う時代であった。とは言え、零戦を作ると言う事は、三菱重工業㈱にとっては最大級の大事業である事には違い無かった。それを若い三平や嘉三に託すと言う事は、彼等に図抜けた才能があったからに他ならない。20歳になる前から極秘で試行錯誤してようやく完成した二一型の零戦が戦争デビューしたのは、米英と戦争をする前の中国戦線の頃であった。初めて零戦に乗ったパイロットは後に撃墜王やエースパイロットに成長する手練れだったとは言え、その飛行性能に皆驚いたと言う。初陣の成果は勿論、言うまでもなく零戦を率いた日本海軍航空部隊の大勝利であった。その知らせは勿論、三平や嘉三ら開発チームにも伝えられた。三平と嘉三は喜んだが、次の戦争に備え改善の余地がないかを懸命に探していた。