26. 風樹
一晩明けた翌朝、一同は、風樹の麓へと集まっていた。
聖樹である風樹は、付近にある山よりも高く、その天辺が雲に隠れて見えない場所にある。これを今から登ろうというのだ。それも、どこにいるのか分からない守護聖獣と、謎の黒い影を探しながら――――。
「……で、なぁ~んで私まで一緒に登らなきゃいけないのかしらぁ~……」
イサールが、シンの後ろを歩きながら、不満そうな気な声をあげた。まだ登り始めたばかりだというのに、肩で息をしている。
「そりゃあ、お前が風樹の樹官長だからだ。そうじゃなきゃ、樹官吏でもない俺やアムル、ユウまでが風樹に登れるわけがないだろう」
シンは、立ち止まることなく、顔だけ後ろに向けて答えた。イサールの後方から、ユースティスの白い頭がひょこひょこと付いてくるのが見える。
今はまだ緩やかな勾配が続いているが、上へ行くにつれて、傾斜は急になってゆく。元々体力のないユースティスに、この苦行はさぞ辛いだろう、とシンは申し訳なく思った。
アムルが自分も行く、と言い出さなければ、二人には、麓でユヒらと待っていてもらった方が良かったに違いない。
それでもシンが、二人の同行に反対しなかったのは、何となくユースティスの不思議な能力が今回の問題に役立つのではないか、と直感したからだった。
「……だったら、下で待ってるあの三人の誰かと登ればいいじゃないのよ!
<ハルディア>の樹官吏なんでしょう?!
なぁ~んで、私なのよぉ~!」
文句ばかり言うイサールの後ろから、無言でついてくるユースティスに目をやり、シンは溜め息をつく。
「お前……それでも本当に樹官長なのか?
聖樹に立ち入るには、その聖樹の樹官吏が必ず付き添わなければいけないんだ。
それが例え<ハルディア>の樹官吏だとしても、例外はない。
昨日、ベトゥラ様たちに付き添った風樹の樹官吏は、まだ登殿していないようだし……あまり大勢で動いては、聖獣が現れてくれないかもしれないからな。
それに、一晩俺のベッドを貸してやったんだ。一宿《《二飯》》の恩を仇で返すのか?」
「何言ってるのよー! 監禁してたの間違いでしょー!
私が逃げ出さないように見張ってたくせにぃー!」
イサールが金切声をあげて反論するが、シンは、全く意に介さず、歩き続けた。
「当たり前だ。お前には《《前歴》》があるからな。
じゃあ、逆に聞くが、俺が見張っていなくても、お前は逃げなかったのか?」
「逃げるに決まってるじゃない!」
「素直かっ」
「それにぃ~、私は、まだ樹官長じゃないって言ってるでしょ~。
私がいたって、何の役にも立たないわよぉ~」
「確か……〝継承の儀式〟がまだだ、と言っていたな。
なら、ちょうどいいじゃないか。一緒にそれも済ませてしまえ」
「あのねぇ~……ついでのお使いみたく言わないでくれるかしら?
そんな簡単なものじゃないのよ、〝継承の儀式〟っていうのは」
イサールの言葉に、それまで三人の周りを元気に走り回っていたアムルが口を挟む。
「〝継承の儀式〟って、何をするの?」
イサールは、アムルに視線をやると、表情を変えることなく答えてやる。
「〝継承の儀式〟っていうのはね、風樹に樹官長として認めてもらうために行う儀式のことよ。……と言っても、ただ延々と風樹を登って行くだけなんだけどね。それが、風樹に樹官長と認めてもらえるまで続くの。苦行よ、苦行っ。それが三日三晩かかるんだからっ。人によっては、ひと月以上かかることだってあるのよぉ~」
「それが嫌で逃げ出したんだろう?」
「うっ……そうよっ。悪い?!
だって、髪や肌のお手入れも出来ないのよ?!
そんなの私には、耐えられないわっ!
それに、私は、自由が好きなの。何かに縛られるなんて、まっぴら御免よっ」
イサールは、そう言いながら、長い翡翠色の髪をさらっと撫でた。
その時、アムルが何か言いたそうに口を開いた。
だが、イサールは、それに気付かず、話題を変える。
「っていうかぁ~私、まだよくわかってないんだけどぉ……どうして、怪しい影を見たってだけで、聖獣を殺す必要があるのよ?」
シンが、呆れたように肩でため息をつく。
「お前なぁ……守護聖獣が何のためにいると思っているんだ?
聖樹を外敵から守っているんだぞ。それなのに、禍々しい気配を放つ何かがいた……ということは、だ。外敵を追い払えないくらい守護聖獣が弱っているか、もしくは、守護聖獣本人か……の二択しかないんだよ」
「それって……守護聖獣が〝闇落ち〟しちゃったかもしれないってこと?
確かに、野生の獣が〝魔獣〟になるって話は、聞いたことがあるけど……守護聖獣もだなんて……そんなことって、あるのかしらぁ」
「……さあな。そうでないことを祈るよ」
シンは、少しだけ声のトーンを落として言った。
イサールが続ける。
「確かに、魔獣化した獣を元に戻す方法はないわ。
もし、守護聖獣が闇落ちして魔獣化してしまっていたらなら……殺すしかないでしょうね。風が止んでしまっているのも、それが原因かもしれないし…………でも、だからって、どうしてそれをシンがやる必要があるの?
<ハルディア>の樹官吏ってのは、そんなに無能なわけ?」
シンは、イサールの馬鹿にしたような言い方に、昨日会った風樹の樹官吏を思い出し、胸のあたりがもやもやとした。無能と言うなら、お前のところの樹官吏だろう、と思ったが、しばらくウィンガムの街を離れていたというイサールは、彼らと面識がないのかもしれない。シンは、責めたくなる気持ちをぐっと堪えた。
「……聖獣を手にかけるということは、その身に呪いを受けるんだ。
呪いを受けた者は、<ハルディア>に入ることが出来なくなってしまう。
彼らには、<クラヴィス>を<ハルディア>まで連れて行くという大事な役目があるからな。それに……」
途中まで言いかけたシンが、急に口を噤むと、歩みを止めた。
「それに?」
不思議に思ったイサールが、シンの背中に追いついて問いかける。
一番最後尾にいたユースティスも、シンの声が届く距離まで追いついて来ていた。
「……それに、俺は既に〝呪い〟を受けてしまっている」
そう答えたシンの声は、冗談で言っている口調ではなかった。
イサールが、驚きに目を見開く。
「呪いって……ちょっとそれ、どういうことよ?
あんた、まさか聖獣を殺しただなんてことを言うんじゃないでしょうね?」
「……あの時は、ああするしかなかったんだ」
シンが、不貞腐れたような口調で答えた。
それを聞いたイサールは、息を飲む。
「ああするしかなかったって……だって、呪いを受けたら、<ハルディア>へ入れなくなるんでしょ? どうするのよ?」
「……俺のことはいい。そういうお前は、どうなんだ、イサール。
このままずっと、自分の役目から逃げ続けるのか」
シンの厳しい返しに、イサールは、口を噤んだ。
二人の間に、気まずい空気が流れる。
それから四人は、しばらく無言のまま風樹を登った。
ユースティスは、三人について行くのが必死で、度々立ち止まって皆の足を止めた。
アムルは、辺りを飛び回るマルメロを追い掛けて、はしゃぎ声を上げる。そのことだけが、一行の気を紛らわせてくれていた。
「あんたは、いいわねぇ……空が飛べて」
そう言って、イサールがマルメロに、羨まし気な視線をやった。
しばらくして、シンが足を止めた。最初の目的地に着いたのだ。
「……ここだ。ベトゥラ様が黒い影を見た、という場所は」
聖樹の幹が途中で途切れて、内側へと大きく落ちくぼんでいる。中には、広い樹洞ができていた。人が二十人ほど入れるくらいの広さがある。
天井に割れ目があるのだろう。頭上から陽の光が射し込み、真ん中に飾られた小さな祭壇を照らしている。
祭壇の周りには、陽の光が当たらず、影をつくっている。その明暗が、ここを特別で神聖な場所だとを告げていた。
一行は、シンを先頭に、樹洞の中へと足を踏み入れた。
「うわぁ……すっごーい!」
目の前に広がる光景に、アムルが思わず感嘆の声を上げた。
マルメロがアムルの肩から離れ、樹洞の中を飛び回る。そして、幹の内側に沿って立っていた棒の先端に留まった。
それを見たイサールが、はっと表情を強張らせる。
「こら、ダメよっ! そこは乗るところじゃないわっ」
「アムル、悪いが、マルメロを……」
シンの言葉に、アムルが頷く。
「マルメロ、こっちにおいで」
アムルが両手を差し伸べて呼ぶと、マルメロは、翼を広げ、大人しくアムルの肩に飛び移った。
シンは、さっきまでマルメロが止まっていた棒へと近づく。
「それは、何?」
アムルが訊ねた。
棒は、木の枝が何本も巻き付いてできた歪な形状をしている。
「…………杖よ。聖化した樹官長が使っていた、アカシアの枝から作った杖」
シンの代わりに、イサールが答えた。その声は、しんと静まり返った樹洞に影を落とす。
杖には、【ワトル=コア】と記された金属板が掛けられていた。
シンは、杖の向こう側にある壁に視線をやった。影になっていて、ぱっと見は分からない。近づいてよく見ると、風樹の幹の内側に当たるそこに、人の顔のような造形が浮き上がっている。
それが人工的に彫られたものではない、ということが分かるまで、数秒かかった。そもそも聖樹の身体を人が傷つけてはいけないのだ。これが彫刻である筈がない。
《《それ》》は、まるで眠るような表情をしていた。かつてそれが、人間の姿をとっていたことなど想像もつかない。樹官長の身体は、風樹と一体化しているようだ。
シンは、一歩後退すると、手を胸の前に当て、祈るように頭を下げた。
「聖化……とは、不思議な現象だな。
身体が木化するというのは、一体どういう感覚なのだろうか」
顔を上げて、独り言のようにささやくシンの言葉を、イサールが拾う。
「…………ワトルは、言ってた。表面上は固い木に覆われていても、その内側には、生命の灯が流れている……って。
私には、まだ分からないけど……」
その時、ちょうど雲が陰り、辺りが少し薄暗くなった。
すると突然、イサールが重たい空気を振り切るように、くるりと後ろを振り返った。そのまま樹洞を出て行こうとして、入口に立っていたユースティスにぶつかる。
「……あら、やだ。ごめんなさい。
大丈夫? ……って、あんた……ユウって言ったかしら。
さっきからずーっと気になってたんだけど……その鬱陶しい前髪、どうにかならないの?」
そう言って、イサールがユースティスの前髪をかき上げた。
(うわあああ………! や、やめてっ……!)
ユースティスは、イサールの手から逃れると、慌ててアムルの背後へと隠れた。
「ゆーくんは、自分の目を見られるのが嫌いなの。
あと、人と目を合わせるのが怖いんだって」
アムルがユースティスの言葉を代弁する。
イサールは、自分に怯えるユースティスの姿を見て、不満そうに鼻を鳴らした。
「イサールも、怖いの?」
「え……?」
アムルの蜂蜜色の瞳が、イサールの目を真っすぐ見上げている。
「樹官長になるのが。だから、逃げたんでしょう?」




