15. 夜の森
「そろそろ、野営の準備をしよう」
そうベトゥラが告げたのは、まだ空が明るい時分であった。
アムルは、空の色を見上げた後で、蜂蜜色の大きな瞳をベトゥラに向けた。
「もう? まだ歩けるよ」
しかし、ベトゥラから返ってきたのは、素っ気なく突き放すような言葉だった。
「そうか。それなら、まだ歩けるうちに、薪を集めてくれ」
アムルが何かを言う前に、ユースティスがアムルの腕を引っ張り、近くの木立の中へと連れてゆく。
背後から、ベトゥラがシンを呼ぶ声が聞こえた。ユースティスがそっと振り返ると、野営の準備をする白い使者たちの中から、背の高い一人がこちらへ向かって来るのが見えた。
使者たちは皆、同じ白いローブと仮面をつけているので、一目見ただけでは見分けがつかない。それでも、シンのつけている仮面だけは、他の三人と比べて何の模様も描かれていないので、見分けがつく。
ユースティスは、使者たちの姿が見える場所で、薪を拾い始めた。
(アムル、ダメだよ。僕の能力のこと、あの人たちに話しちゃ)
ユースティスに倣い、薪を拾おうと屈んだアムルが顔を上げた。きょとんとした表情で首を傾げる。アムルの肩に乗っているマルメロが、ピンクの髪の毛から顔を出した。
「どうして?」
ユースティスは、シンが自分たちから一定の距離を置いたまま近づいて来ないのを確認しつつ、薪を拾い続けた。監視されていることへの抵抗感はあったが、シンからは、他の三人と違って、血の通った人間らしい温もりが伝わってくる。それは、里の大人たちが自分たちを見る目と少し似ている気がした。
(もし、あいつらが僕の能力のことを知ったら、きっと警戒して、僕を一緒に連れて行ってくれなくなる)
「いい人たちだよ」
アムルの言葉に嘘はない。それが解るからこそ、ユースティスは苛立った。
(いたいけな少女を生贄にするなんて、いい人なもんかっ!
……お願いだよ、アムル。僕と約束して。僕の力こと、あの人たちには秘密にするって)
アムルは、少し戸惑いながらも、ユースティスに頷いて見せた。
「うん、わかった。秘密だね」
その言葉は、シンの耳にも届いたであろうが、シンは何も言ってこなかった。
アムルとユースティスが薪を集めて戻ると、シンが薪を綺麗に重ねて、魔法で火種を灯した。これくらいの魔法であれば、里でも使える者は多い。
しかし、アムルとユースティスは、生活の術として使える程度の魔法すら一切使うことができない。
火種が大きく膨らんで、薪を舐めるように炎へと姿を変えてゆく。その様を、アムルとユースティスは、所在なさげな面持ちで、互いの手を握りながら見つめていた。焦げ付くような胸の痛みと共に――。
皆が薪の周りに腰を下ろす頃には、すっかり空が藍色に染まっていた。
明るい森は、姿を隠し、不気味な陰影を落としている。
「念のため、この周囲に、罠を仕掛けておいた。
何か掛かれば……明日は肉が食えるな」
そう言ってソルブスは、懐から地図を取り出した。それをベトゥラと二人で眺めながら、明日通るルートについて相談を始めた。
ユヒは、自分の空になった水筒を取り出して、飲み口に手をかざした。ユヒの手のひらから暖かな光が溢れ、水筒の中が液体で満たされてゆく。ユヒは、それを、アムルとユースティスへと向けた。
「さあ、これを飲みなさい。元気がでる」
森を歩きながら、見つけたベリーや湧き水を口にして喉の渇きを癒していた二人だったが、半日以上歩きどおしで、喉がカラカラだった。
二人は、互いに顔を見合わせた後、戸惑いながらも交互に水筒に口をつけた。それは、冷たく澄んだ湧き水よりも、ほんのり暖かく、とろりと喉をとおる。まるでスープを飲んでいるようだ。それに、不思議と身体の疲れがとれたように感じた。
「食べなさい」
今度は、シンが、アムルとユースティスに、幾つかの小さな赤い実を渡す。
(……これ、クコシだ)
「クコシ?」
アムルは、ユースティスの方を向いて眉を寄せた。
「そうだ、よく知っているな。クコの実を、干して乾燥させている。
だから、栄養が凝縮されていて、旅の携帯食にちょうどいいんだ」
アムルは、ユースティスとコクシを分け合って食べた。
一粒は小さく、量も僅かばかりだが、口に入れると甘味が広がり、身体に力が漲るように感じた。
「すまないが、今晩は、これで我慢してくれ。持って来ていた荷物は全て、ヒプティスに括り付けていたから、手持ちにある食料は、今これだけなんだ」
「ヒプティスって?」
アムルが顔を上げて、シンを見る。使者たちが里へ降りて来た際、アムルとユースティスは、洞窟にいたため、ヒプティスの姿を見ていない。
ユースティスも、その名を聞いたことがないようで、口をへの字に曲げている。
「ヒプティスは……鷲の頭と翼を持っていて、大トカゲのような四肢を持った、飛行型の獣だ。<ハルディア>では、馬の代わりに使われている」
初めて聞くシンの話に、アムルが目を丸くしている。
馬ならば、<エルムの里>でも見掛けることがある。時折、里の外から馬に乗ってやって来る人たちがいる。彼らは、まだ幼い子供たちを連れていて、<エルムの里>に置いて引き返してゆくのだ。
「<ハルディア>って、どんなところ?
本当に空に浮かんでいるの?」
アムルも、<ハルディア>という名前は、モリスから聞かされて知ってはいる。
しかし、知っているのは、そこに宇宙樹があるという話だけで、それが一体どんな場所で、どこにあるのかすら分からない。存在すらあやふやで、里の大人たちも皆、おとぎ話だと思っている者の方が多いくらいだ。
「そうだよ。俺も、実際この目で見るまでは信じられなかったけどね」
シンは、いつの間にか自分の一人称が「私」から「俺」に変わっていることに気が付かなかった。
「どうして、そんな仮面をつけているの?」
「これは……規則なんだ。すまない。
<クラヴィス>と直接顔を合わせてはいけない、という古いしきたりらしい」
「どうして、顔を合わせてはいけないの?」
「それは…………すまない。俺には、答えられない」
シンは、申し訳なさそうに答えた。
傍にいて、話は聞こえているであろう他の三人も、決して口を挟もうとはしない。
(…………情がうつるから)
ユースティスには、彼らの心の声が伝わっていた。
そして、もう一つの理由も――――。
そこに、彼らの見えない暗い影を見たような気がした。
アムルは、きょとんとした顔で、ゆっくりと瞬きをしている。蜂蜜色の大きな瞳に、焚火の明かりがてらてらと光っている。
それを見たユースティスは、胸のあたりを誰かにぎゅっと掴まれた気がした。
「……さぁ、もう寝なさい。今日は、疲れただろう。
明日もまた、たくさん歩かなければいけないよ」
ユヒのしわがれた声が、やけに優しく響いて聞こえた。
アムルとユースティスは、樹の根本に寄りかかって、互いに手を握り合いながら眠りについた。二人とも、歩き疲れていたのだろう。朝まで一度も目を覚ますことはなかった。




