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魔法使いの肖像画家  作者: 花淵菫
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 ──心、魂、感情の違いが、私には分かりません。


 ジェシカ・アリンガムは、人間の家庭に、生まれて来るはずのない子供だった。


 人の心の声を聞く事が出来る彼女は、七歳の誕生日を迎えた夏、一人の魔法使いと出会う。

「まったく! 鳥の巣みたいになってたわよ!」


 ジェシカの濡れた髪を、カナリーはタオルで乱暴に拭いた。


「取り敢えず、新しいのを揃えるまで、それで我慢してちょうだい」


 彼女は、ジェシカの頭を杖で突いて、服の丈を調整した。


 それから、教会の様な建物に入り、何処かに電話を掛けた。


 数秒後、金髪の少女が満面の笑みで現れた。


「うわー! 可愛いなぁ! 私は、エヴリン。エヴリン・スコット。中等部の首席。よろしくね?」


「よろしくお願いします」


 ジェシカは、ぎこちなく握手に応じた。


「ジェシカ・アリンガムと申します」


「リラックス! 肩の力を抜いて!」


「エヴリン。この子の家庭環境については、先程説明した通りです」


 カナリーが心配そうに念を押すと、エヴリンはウインクして見せた。


「はいはーい! お任せくださいな。行こう、ジェシカ。建物を案内する!」


「はい」


 ジェシカは頷いた後、カナリーを振り返った。


「ありがとうございました」


「いいえ。貴女の生活が、幸せな物になります様に」


 カナリーは胸元に星を描き、小さく頭を下げた。


 エヴリンは、少し声を落とした。


「ねえ、ジェシカ。ソルスアーティで良いの? 喧嘩が嫌いなら、マリャーシカに入った方が安全かも知れないよ」


「どういう事ですか?」


「魔法使いは、杖を持ち込めるけれど、人間は銃を持ち込めないの。人間だけじゃなくて、魔法使いも銃の持ち込みを禁じられているわ。体育の授業で、射撃訓練は受けられるけれど、それ以外の場所で所持していれば、一発で退学。魔法使いは、喧嘩になるとすぐに杖を出すから、酷い怪我をする子も多いわ」


「魔法使いの喧嘩を想像出来ません」


「家族は喧嘩を⋯⋯あ、ごめん」


「いえ」


「まあ、初等部の喧嘩は、大抵中等部が止めるから。貴女は大人しそうだし、大丈夫かな?」


「分かりません」


「分からないかー。それが一番怖いんだよな」


 エヴリンは、重い木の扉を開けた。


「はい、此処がサロン。共用部。夜中の一時までは使用自由。でも、使い心地の良いソファーは、上級生が陣取っているから、あまり期待しないでね。あの北側にある椅子は要注意よ。毎日誰かが悪戯を仕掛ける、暗黙のルールがあるから」


「悪戯って?」


「色々。お尻に痣を作りたくなかったら、座らない方が身のためだよ。んで、この奥が寮。初等部一年は五人一部屋。二年目からは十人になるよ。揉め事の半分は、寮で起きるから、静かに過ごしてね」


 エヴリンは狭い階段を登り、長い廊下の先の部屋の扉を開けた。


「早い者勝ち。お好きな場所をどうぞ」


「好きな⋯⋯場所⋯⋯」


 ジェシカは正直、ベッドの場所など何処でも良かった。少なくとも此処には、深夜遅くに自分の名前を呼びながら奇声を発する人物はいない。


「窓際⋯⋯は、危険でしょうか?」


「はい?」


 エヴリンは首を傾げた。


「危険? 何が?」


「窓際に灯りがあると、狙撃される可能性があります。生徒は夜間に宿題をこなす必要もありますよね? 視力と聴力には自信がありますが、より適した子供が入ってくる可能性は──」


「待った、待った!!」


 エヴリンは、信じられないと言わんばかりに遮った。


「私の話、聞いてた? 銃の持ち出しは禁止。貴女、まさか国境周辺の出身なの?」


「いえ。ですが、絶対に安全とは言えません。私は、母と二人で夜を過ごしていました。灯りの扱いに注意する様、言われておりましたので⋯⋯」


「此処は安全な場所なのよ。こっちに来て」


 エヴリンは、窓を開け、身を乗り出した。


「あの、遠くにある、青い光が見える?」


「はい」


 ジェシカは、夏の生温い風を受け、目を細めた。


「見えます」


「あの魔法石には、護りの呪文が施されている。同じ物が、学校の境界線に五つあるわ。ラーク師が認めた人間でなければ、敷地に入れない。武装も弾かれる。私達、中等部の魔法使いでも感知できない様な魔法で、護られているの。此処は絶対に安全。窓際を選んだ方が良いわ。夜中に、あの魔法の灯りが消えている事に気が付いたら、教員の誰かが死んだという事だから、貴女は真っ先に逃げ出せる」


「では、此処にします」


 ジェシカは、一番窓に近いベッドを選んだ。エヴリンは、ほっと一息吐き、杖を抜いてニッと笑った。


「カーテンは何色が良い? 今ならエヴリン先輩が好きな色に変えてあげるぞ?」


「好きな色が分かりません」


「じゃあ、黒にしよう。汚れが目立たないし、プライバシーを守るにはもってこいだ」


 エヴリンが杖を振ると、緑のカーテンは真っ黒に染まった。


「はい、これで良し! この後予定は?」


「⋯⋯何をすれば良いでしょうか?」


 ジェシカは、初めてのことだらけで、少し目眩を覚えていた。


 会話が成立する相手と、長時間話続けるのは、意外と辛く感じられた。相手に、自分がどう見られているか、常に気を張っている必要があるからだ。


「うーん」


 エヴリンは腕を組んで首を傾けた。


「貴女が、退屈でなければ、少し眠った方が良い様に見えるけど」


「では、寝ます」


「強制じゃないよ?! 学校の敷地内なら、夜の八時まで散歩も許されているし、食堂でおやつを食べるのもアリかな。気になる教科があるなら、先生に声を掛けて、予習するのも良いんじゃない?」


「寝ます」


 ジェシカは、綺麗に畳まれたシーツの中に潜り込んだ。エヴリンは、少しだけ残念そうに肩を竦めた。


「じゃあ、夕食前に起こしに来るね。その前に困った事が起きたら、サロンに来て。今日はずっとそこにいるから」


「はい」


 ジェシカは、そのまま目を閉じてしまった。


(この子が、あのアン・アリンガムの妹には、到底見えないわね)


 エヴリンは、シーツに散らばっている黒髪を眺めた。姉のアンは、蜂蜜色の髪に、赤い瞳。気が強く、周りの生徒を引っ張って歩くタイプだ。


 ジェシカは、あまりに弱々しかった。痩せているし、身を守る様に丸まって眠る姿が哀れに思えた。


(私が見守れるのは、一年間だけ。その後、上手くやって行けるかしら?)


 彼女が、家庭に問題を抱えた新入生なら、さほど心配は要らなかった。アンの妹である事が、問題なのだ。


 アン達は、熱狂的な信者に囲まれている反面、一部の生徒や教員から、徹底的に嫌われている。エヴリンも、好きにはなれなかった。


 喧嘩が起きたからと呼ばれ、駆け付けると、大抵あの三人組がいるのだ。


 エヴリンは、クレインの事も毛嫌いしていたが、あの三人に関しては、彼の評価が正しいと思えた。目立ちたがり屋の、思い上がり。礼儀知らず。恥知らず。


(ジェシカがウチの寮に入れば、クレインはこの子を贔屓するでしょうね。彼に好かれそうなタイプ。⋯⋯クレインが、キチンと生徒を保護してくれれば良いんだけれど)


 アンの件とは別に、クレインに気に入られて得をする事は、まずない。彼は偏屈過ぎて、殆どの生徒から嫌われている。極端な性質を持った魔法使いだ。


 ごく少数の生徒が彼を慕っている事は有名だが、その理由が全く分からないのだ。


 エヴリンは、あくまで凡人の中の優等生、秀才であった。自分でもその事を自覚していたから、見えていない世界がある事も、想像出来た。彼女の一番の才能は、他人だけに見える世界がある事を認める、謙虚さと視野の広さだ。


(さて。サロンを片付けますかね)


 下級生が仕掛けた悪戯の数々を取り除く為に、エブリンは寮を出た。


────


 太陽が西に沈みかけた頃、エブリンはジェシカを揺さぶった。


「おーい。夕飯の時間だよ」


「はい!」


 ジェシカは、寝ぼけた様子も無く、素早く起き上がり、髪を括った。


「すみません。調理用の服が無いので──」


「学食だって! 作る職員がいるの。私達は食べるだけだよ。それより、私の傍を離れないでね。もう、貴女の事が噂になっているから」


「⋯⋯噂?」


「大丈夫。規則を守っていれば、私もラーク師も、貴女を助ける事が出来る。喧嘩を売らないこと。買うのもダメ」


「分かりました」


 ジェシカは、ペコリと一礼し、エヴリンの目を見た。次の指示を仰ぐ様に。


「じゃ、行こう」


 エヴリンは、出来るだけ気軽に聞こえる様に言い、歩き出した。


「ベッドは硬くなかった?」


「はい」


 ジェシカは、短く答え、黙り込んだ。会話が続かない。エヴリンは、居心地の悪さを感じた。


「気になる教科は?」


「魔法制御強化訓練です。私の力が、役に立つのか、立たないのか、知りたいです」


「さては貴女、戦闘狂だな? 魔法は台所から生まれて、戦場で育ったって言われているんだ。元々は、日常生活を少し便利にする為の術で、攻撃や防御の為に使う事は、正しくないんだよ。でも、正直面白いよ。治安維持管理課の職員が教えに来ているから、進路について相談も出来るし」


「エヴリンは、将来どうするのですか?」


「⋯⋯どうするかねぇ」


 エヴリンは、答えをはぐらかした。


 彼女は今年いっぱいで義務教育期間を終えるが、幸い奨学金であと三年学ぶ事が出来る。三年後に、治安維持管理課の入所試験を受ければ、ほぼ百パーセント受かるだろう。


 しかし、試験に受かった所で、実戦で生き残れる要領の良さがあるかと聞かれたら、答えはバツだ。教員になる道もあるが、今後の人生を大きく縛られる事になる。


 公平・公正である事を求められる教師は、名前や姓を捨て、真っ新の人間として職に就く必要がある。レイハイデ校でも、全ての教員が鳥に関する名前を名乗っており、生徒は本名を知らない。


 また、教師が結婚して家庭を持った場合、子供は自分の教えている学校と別の所に通わせる必要があるし、家族全員に秘匿の呪文を掛けて、秘密を守らせなければならない。


 ラーク、クレイン、カナリーは家族を内戦で失っている。だから面倒な手続きをせずに教師になれたのだ。


 エヴリンの様に、普通の家庭で、それなりに幸せに育った者にとって、敷居の高い職業だ。


「何かの職人になろうかと思ってる。木と相性が良いみたいだから、額縁を作る仕事は楽しそう。魔法使いの肖像画家の仕事に触れられるし」


「肖像画家?」


「うん。”魔法使いの”肖像画家。限られた人しかなる事が出来ないんだ。私には才能がないから、せめて見守る場所にいたい」


「魔法使いの肖像画家になるための授業は、クレイン師が教えているのですか?」


「⋯⋯クレインに喰い付いたのか」


 エヴリンは苦笑いした。


「そうだよ。でも、彼はプロじゃない。資格を持っていないんだ。そのくらい難しいんだよ」


「エヴリン!」


 ジェシカは、素早く腕を上げた。


「⋯⋯ん?」


 エヴリンは、状況を理解出来ずにいた。気付けば食堂の前にいたのだが、ジェシカの腕に生卵と食器の破片が刺さっていた。


「ジェシカ!! おい!!!」


 エヴリンは、皿を投げ付けて来た男子生徒を睨み付けた。


「どういうつもりだ、グレイ!!」


「そいつが、喧嘩で使い物になるか、調べる必要があった」


 グレイは、悪びれもせず答えた。


「良い反応だ。スポーツをやったらどうだ? 歓迎する」


「⋯⋯お皿が割れてしまいました」


 ジェシカは、表情一つ変えずに、破片を引き抜いた。


「ちょいちょいちょい!!!」


 エヴリンは、傷口を見てあたふたした。


「待って、私、今ハンカチ持ってない!! 保健室に行かないと!!」


「われたお皿を元に戻す方法はありますか?」


 ジェシカは、素手で皿を集め出した。


「触っちゃダメ!」


 エヴリンは、慌てて遮った。


「怪我するでしょう?!」


「慣れています。それよりも、学校のお皿を割ってしまいました」


「何をしているんだ!!」


 雷の様な声が響いた。生徒や学童を掻き分ける様に、クレインが現れ、血を流しているジェシカとグレイを交互に見た。


「状況を説明しろ、スコット」


「グレイが突然、生卵の入った器を投げ付けて来たんです。ジェシカが腕で、守ってくれました」


「魔法を使用したな」


 クレインは、殆ど確信を持って、グレイに詰め寄った。


「常々言っていたはずだ。魔法は有限の力である可能性が高い。それをくだらない事に、惜しみなく使う事が、身の破滅に繋がるだろうと!!」


「先生! そんな事より、ジェシカの怪我を診てください!!」


 エヴリンの金切り声を聞き、クレインはジェシカをまじまじと観察した。


「⋯⋯やり返さなかったのか?」


「悪意は、感じられませんでした。私を試したかったのだと、分かりましたので」


「実に優秀だ」


 クレインはジェシカの腕を掴み、杖を向けた。傷はすぐに塞がり、染みついた血は一塊になってゴミ箱へ飛んで行った。


「制御出来ない怒りや、動揺によって、魔法が飛び出す事が多いものだよ。杖を持っていない魔法使いは、むしろ危険な存在だ」


「杖⋯⋯が無くても⋯⋯魔法は使えるのですか?」


「杖は、魔法の威力や方向を、正確にコントロールするためのもの。力を抑え込む道具だ。使わずに魔法を制御出来るのなら、それに越した事は無い。さて」


 クレインは、グレイをはじめ、好奇の眼差しで様子を伺っている生徒全員を睨んだ。


「他に、懲罰房行きを望む者は?」


 辺りが一斉に騒ついた。懲罰房行きは、退学の次に重い罰だ。


「”クレインの生徒”だったの?」

「ソルスアーティに入るというのは本当なのね?」

「一年生に喧嘩を吹っ掛けるなんて、馬鹿じゃないの?」


「私は」


 クレインは声を張り上げた。


「例えこの子がマリャーシカの学童であっても、喧嘩を売った馬鹿者は、懲罰房送りにしただろう」


「なんの騒ぎですか!」


 遅れてやって来たラークを目にした途端、生徒達は口を閉じた。


「”血の痕跡”がありますね」


「グレイが、魔法を使って、アリンガム妹に皿をぶつけたのですよ。破片が腕に刺さっていた様です」


「度を越しています!」


 ラークが怒り出した事で、その場にいる全員が縮み上がった。


「入学前の学童に、なんたる仕打ち! ミスター・グレイ。ご両親に手紙を出します! ジェシカ、怪我は?」


「クレイン師が、治療をしてくださいました」


「痕が残っていないか、確認させてください」


 ラークに言われるがまま、ジェシカは袖を捲った。傷痕は一切残っていなかった。これには、ラークも驚いた。傷を塞ぐ事は簡単だが、痕も残さず治療をするには、集中力も魔力も、膨大に注ぎ込む必要があるのだ。


「もし七歳の子供の腕に、生涯残る傷を作った者がいれば、私は退学以前に、中央統制議会へ突き出す必要があったでしょう。虐めとも呼べない、卑劣な行為です! 魔法使いによる、非武装者への攻撃は、犯罪行為です!! 加害者の年齢に関わらず、刑罰の対象になります!!」


 この様な出来事は、前代未聞だった。入学する時点で、杖を持っていない魔法使いはいないからだ。非武装の魔法使いが校内にいる事は、あり得ないのだ。


「ミスター・グレイ。貴方は”懲罰房”の中で、魔法使いがどれだけ血に塗れた時代を生き抜いて来たか、レポートに纏めなさい!」


(しばらく、寮で食事をしては?)


「はい、先生」


 突然、ジェシカが答えたので、全員が飛び上がった。彼女を試したクレインも、驚愕していた。


「この空間の中で、私の指示だけを聞き取れたのか?」


「先生は、しばらく寮で食事を摂る様に、指示されました」


「明日以降、なるべく早く、君が私の研究室を訪ねて来る事を切に願う」


「クレイン。この子には休息が必要です」


 ラークはジェシカの肩に手を置いた。


「寮へ戻りなさい。貴女の態度を見た子供達は、不用意に手出ししようとはしないでしょう。⋯⋯ミス・スコット。寮へ連れ帰って」


 エヴリンは、すぐに返事が出来なかった。アン達とは違う。紛い物でも、虚勢でもない才能が、目の前に示された。


 高等部で習う、読心術をジェシカは身に付けていた。


「ミス・スコット?」


「あ、はい」


 エヴリンは二度目の呼び掛けに、ようやく応じた。


「分かりました。寮へ戻ります」


「貴女も怪我を?」


「いいえ。⋯⋯ジェシカの反応は⋯⋯尋常じゃなかったので。まるで、最初から攻撃される事が、分かっていたみたいに」


 エヴリンは、眉を顰めて、ジェシカをまじまじと見た。


「避ける事も出来たんじゃない?」


「避ければ、貴女に当たっていました。私が腕を引っ張っても、貴女を動かす事は難しかったので⋯⋯」


「私、貴女を嫌いになりそうだ」


「生意気だから⋯⋯ですか?」


「確かに、私はその言葉を強く思い浮かべたよ。これが防御手段。でも、ちょっと違う。才能を羨ましいと思っただけ」


 エヴリンは、両手を広げて笑った。


「生意気とか、そんなくだらない理由で誰かを嫌わないといけないなら、この学校の半分くらいの生徒と喧嘩してる。毎年、私より優秀な学童は、幾らでも入って来るからね」


「私は⋯⋯貴女が羨む様な物を──」


「これから、私と同じ手段で貴女を欺こうとするヤツは、大勢現れる。心の声だけが、全てじゃないって覚えておいて」


「⋯⋯はい」


 ジェシカは、少し疑問を残しながらも頷いた。心が嘘を吐く状況を思い浮かべる事が出来なかったのだ。


 何時だって、人は発する言葉と、動作で嘘を吐く。心の声の方が正しい。


「そんな顔するなって!」


 エヴリンは、ジェシカの頭を撫でた。


「嫌ってないよ。寧ろ、君の様な子は好きだ! 喧嘩を買わずに勝つなんて、優秀だ!」


「⋯⋯好き」


 ジェシカは、まだ戸惑っていた。


 ラークは、グレイとその友人達に説教を始め、クレインは生徒達を散らした。


「行こう」


 エヴリンに手を引かれ、ジェシカは駆け出した。


 貴女を嫌いになりそう。そう言った少女は、もっと複雑な感情を抱いていた。羨望、嫉妬、諦め、賞賛⋯⋯。


「っ⋯⋯」


 ジェシカは思わず額を抑えた。


「どうした?!」


 エヴリンが振り返ると、七歳の少女は、恐怖にすくみ、泣いていた。


「わ⋯⋯分からないんです!」


「何が?」


「貴女の感情が⋯⋯複雑過ぎて⋯⋯! 本当は⋯⋯側にいて欲しくないのか、それともいて良いのか、判断出来ません! 私は⋯⋯私はどうすれば⋯⋯」


「しっかりしな!」


 エヴリンは、ジェシカの両肩を掴んだ。


「その魔法を使える人は、病気になる事が多いんだ。何故なら、人の心の声ばかりを気にして、自分の心と会話をしないから。貴女はどうしたいの? 私から離れたい?」


「私⋯⋯私は⋯⋯誰にも嫌われたくないです! 攻撃されたくない! 静かに過ごしたい! だから⋯⋯声を⋯⋯心の声を聞いているんです!」


(嗚呼⋯⋯この子は⋯⋯)


 エヴリンは、唐突に自分を恥じた。ジェシカは、決して生まれ付きの天才では無い。人の感情を正確に察する事が出来なければ、生きて来れなかったのだ。


 本人の言う通り、羨むべき才能では無い。


「ごめん。でも、やっぱり、貴女の技術を羨ましいと思ってしまう。多分、そう考える人は沢山いると思う。⋯⋯せめて私は、どうして貴女が優れているのか、ちゃんと記憶しておく。忘れない」


「エヴリン」


 ジェシカは、年相応のたどたどしい様子で名を呼んだ。


「エヴリン。私は、優しくして貰えて、嬉しいです。ここの人たちは、みんな好きです」


 相変わらず表情に変化は見られなかった。しかし、ジェシカは、初めて前向きな感情を言葉で表現した。

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