2つの学生団
──心、魂、感情の違いが、私には分かりません。
ジェシカ・アリンガムは、人間の家庭に、生まれて来るはずのない子供だった。
人の心の声を聞く事が出来る彼女は、七歳の誕生日を迎えた夏、一人の魔法使いと出会う。
マリャーシカは、現在戦争状態にあった。
元々この半島は、火を崇める魔法使いと、魔法を使えない人間が、触れ合い、共に暮らしていた。しかし、魔法使いの持つ力を恐れた人間は、浄化の火を以って、世にいう魔女狩りを行った。
魔法使いたちは、それまで仲良くやって来た隣人が、突然自分たちの住まいに火を放つのを呆然と見ていた。中には得意の魔法で仕返しする者たちもいたが、多くの魔法使いが、"昨日の友人"の横暴を、虚ろな心で眺めるにとどまった。
そこに付け込んだのが、隣国ソルスアーティの一部の魔法使い。彼らは水を崇める宗派で、この教えは大陸全体でみれば、火を崇める宗派よりも信者が多く、かつ、歴史が古かった。彼らは火の神を疎ましく思っており、マリャーシカをどうにか改宗させようと、日々目論んでいたのである。
十年前、人間に、火を以って家族や友人を殺された者は、喜んでソルスアーティの民を同胞として受け入れた。
五年ほど経った頃には、マリャーシカの多くの魔法使いが、拝火教の人間を遠ざけ、拝水教に改宗。国の中枢に、ソルスアーティの民が多く忍び込み、実権を握る様になった。
魔法を使えない人間たちは激怒した。拝火教の彼らは、政治の中心から追いやられ、国に対する影響力を殆ど失ったのだ。
魔法使いと、それ以外の人間⋯⋯拝水教と拝火教は真っ向から対立。だが、両陣営とも一枚板とは言えなかった。お互いの宗派と存在を認め合おうと、手を伸ばす者もいた。
レイハイデ校は、マリャーシカの最南部に位置する。現校長のラークは、魔法使いと人間の、両方を受け入れていた。
北のアザレア校と並ぶ、この国一番の教育機関だ。
中立の立場を掲げる両校からは、治安維持管理課の職員⋯⋯優秀な戦闘員が多く輩出されており、ラークやクレインも決闘の腕は確かだと言われている。レイハイデを占拠したくば、百人規模の軍隊が必要だろう。
「この学校には、三つの学生団があります。貴女が所属する可能性があるのは、マリャーシカか、ソルスアーティ。お姉様は、マリャーシカ団にいます。どちらの学生団にも、魔法使いと人間がいますが、魔法使いが多く所属しているのは、ソルスアーティです。クレイン先生は、そちらの監督をしています」
「自分で、選ぶのですか?」
ジェシカは、不安気に視線を動かした。ラークは大きく頷いた。
「自分で選ぶのです。ですが、機会は三回あります。入学時、最初の春休み、初等部最後⋯⋯つまり六年年の終わり。その三回です」
勿論例外はある。虐め等を原因に、普通の寮生活を送れなくなった場合には、途中で移動を認められる。
「私は、基本的に、中途半端な時期に移動する事を認めません。自分の選択に責任を持つべきだと考えています。たとえ、七歳の子供であっても。貴女が悲惨な環境にいたとしても、世の中は配慮や譲歩をしてくれません。一先ず、自分で選ぶのです」
「私は、クレイン師の寮に入ります」
「おやまあ!」
ラークは肩を震わせて、クスクス笑った。
「はっきり言って、そういう選択をする子供は、一人も見た事がありませんよ。彼の何処が気に入ったのです?」
「考えと、言葉が一致していました。嘘のない人です」
「⋯⋯なるほど」
ラークは愉快そうに肘をついた。
「確かに、クレイン先生は、私が王様だろうと、首相だろうと、あの態度を変えないでしょう。そういう点では、私も一番信頼しています。シュエット先生と言葉を交わせば、貴女の選択も変わるかも知れませんが」
「クレイン師は、どの教科を教えているのですか?」
「芸術科と⋯⋯そうですね⋯⋯。とても難しい問題なのですが、心や魂⋯⋯形のない物に関することです。それらは、魔法使いの画家にとって、重要な内容ですので」
「心⋯⋯」
ジェシカは、ぼんやりと自分の心臓の辺りを摩った。心とは、何を示す言葉なのか、彼女は理解出来ていなかった。もしかすると、自分には、心が無いのではないかと、疑っていた。
心は、なんの反応も示さない。痛むことも、喜びに打ち震える事もない。本当に存在するのか、疑問だった。
ラークは、顔を顰めた。
彼女は、アンの嘘を見抜けなかった。てっきり彼女が、毎年夏休みに家に戻っているものと信じていた。
しばらくすると、外でドタバタと音が鳴り響き、扉が勢い良く開いた。
三人の学童が、殆ど投げ込まれる様に転がり込み、その後ろに怒りを堪えたクレインと、数人の大人達が雪崩れ込んで来た。
「ラーク! この子らは、あろうことか、ラースウェルの養育場でキャンプを楽しんでいた! 北の山間!! 国境付近だ!!」
「なんてこと──」
「ラーク師。五度目です」
紫色のローブを纏った魔女が、書類を差し出した。
「この子達は、国の要監視人物です。首相から、手紙を預かって来ました。レイハイデの校長が指導出来ないのなら、最早監獄以外に行き場がありません」
「全面的に、此方に非があります。今後、長期休暇の際、この子達を学校の敷地外へ出る事を禁止します」
ラークは杖を振り、三人に呪いを掛けた。
「良いですか?! 今後無断で学校の外に出れば、誰かが見つけ出すまで、あなた方は、芋虫の姿で地面を這い回る事になります!!」
「先生、酷い!」
「酷いですって?!」
ラークは、窓が振動するほど大声で怒鳴り、男子の顔を覗き込んだ。
「ヴィクター!! 貴方は自分がどれだけ危険な事をしているのか、分からないのですか?!」
「俺、ただ国内キャンプを楽しんでいるだけだ! 他の奴らと同じ様に」
「他の子供は、保護者が同伴しています」
紫のローブの女性は、かなりキツく釘を刺した。
「今は、保護者同伴であっても、危険な情勢です!!」
「だけど──」
「ヴィクター!」
今度はクレインが怒鳴った。
「例え学年一の成績であれ、十三歳の子供が戦闘に巻き込まれて生き残れる程、甘くはない!! 身の程を弁えろ!!」
「三人共、懲罰房行きです!!」
ラークは、そう告げてから、ただ一人の女児に目を向けた。
「⋯⋯妹さんの顔を忘れましたか?」
「え?」
少女は、初めてジェシカの顔をまともに見た。
「ジェシカ⋯⋯なの?」
「母さんは、ずっと姉さんの帰りを待っていた!」
ジェシカは、椅子から飛び降りて詰め寄った。
「どうして、ほとんど戻らなかったの? 姉さんは、私と違って愛されていたのに。大切にされていたのに!」
「⋯⋯何を言っているの?」
アンは、嘲り混じりの笑みを浮かべた。
「しっかりしなさいよ、ジェシカ! “私たち”は、愛されていなかった!!」
「姉さんは⋯⋯それじゃあ⋯⋯私の事は──」
「どうして私が、貴女の面倒を見なきゃいけないのよ!! 私はまだ、学童なのよ!!」
言葉の節々に、恨みが溢れていた。ジェシカは、困惑した。不愉快な何かが、喉に詰まって苦しかった。
ラークは、アンの目の前に膝を着いた。
「貴女は、家の状況を把握していたのですか? 何故私に相談しなかったのです?」
「⋯⋯どういう事ですか?」
アンは、訳が分からない様子で、ラークの目を見つめた。ラークは暫く見つめ返し、首を横に振った。
「正直、貴女の言葉が本当かどうか、分かりかねます」
「本当です」
ジェシカが口を挟んだ。全員が彼女に注目した。
「本当⋯⋯です。姉さんは、嘘を吐いていません。⋯⋯本当に、家で良くない事が起きるなんて、考えていなかったんです」
「何があったの?」
アンは、ジェシカの言葉を素直に受け入れ、訊ねた。ジェシカは、アンの目の前に膝を着いた。
「母さんは、故障しました。良い日と、悪い日があります。大抵、悪い日ばかりで、身の回りの事を自分で出来ず、暴れるので、父さんが仕事に行っている間は、ベッドに鎖で繋がれているの」
「故障って⋯⋯。貴女⋯⋯人間は機械じゃないのよ?!」
「姉さん。貴女が家に戻らなかったのは、自分が魔法使いだとバレたくなかったから?」
ジェシカの言葉に、アンは顔を引き攣らせた。
「なんで⋯⋯貴女に⋯⋯秘匿の呪文が通用しないのか、分からない。杖さえ持っていないのに。やっぱり、貴女の方が優秀なのよ!」
「アン・アリンガム。貴女は恨み言を言いたいだけですか?」
ラークは厳しく追求した。
「お父様は、裁判を受け、有罪になります。貴女の妹さんが受けた仕打ちは、そういう程度の物です」
「秘匿呪文師の資質だ」
クレインは蔑む様に吐き捨てた。
「自分の本音を隠し、自分にとって不都合な心の声から目を背ける様になる」
「例外はいます」
紫ローブの女性が、クレインを睨んだ。
「秘匿の呪文は、治安維持管理課職員が身に付けるべき、最低限の技術ですよ。教員も同じはず」
「承知しているとも。私は、ただ、然るべき訓練を受けた大人と同列か、より優れた存在だと錯覚している子供に向けて言葉を発している」
クレインは苛々と返し、アンを見下ろした。
「君はここに来てから、酷い態度を取り続けている。その理由が分かった。強烈な劣等感だ。君の妹は、優れた魔法使いになるだろう」
「クレイン!!」
ラークは、よろけて机にぶつかった。
「なんてことを!! まだこんなに小さな子供に──」
「言霊師や、占星術師に言われなくとも、明白だ」
「やめないか!」
紫のローブを纏った初老の男が、クレインの腕を掴んだ。
「その発言は、君の能力を使用しての物か?!」
「誰が見ても明らかな──」
クレインは、息を呑んだ。普通は”見えない”のだ。
ジェシカの纏う炎の色が、ラークと同じくらい強烈である事など。
しかし、彼には見えてしまうのだ。一部の魔法使いが、他人の嘘を見抜けるのと同じ様に、複数の未来の可能性が。
その能力を発揮する者は、百年に一人いれば良い方で、歴史に名を残す為政者は、大抵同じ力を持っていた。
「クレイン。公式の記録として、残さねばなりません」
ラークは頭痛を堪える様にこめかみを摩り、ペンを手に取った。
クレインは、少し躊躇いながらもジェシカの目を見詰めた。
「駄目だ、ラーク」
彼は、目を背けて唇を噛んだ。
「学童に話すべき事か、議会が精査する必要がある」
「一体⋯⋯いえ、分かりました」
ラークは、よほどの事情があると推測し、片手を挙げた。
「無断外出をした生徒を懲罰房へ。それから、カナリー。貴女はジェシカをソルスアーティ団の寮へ連れて行ってください」
「行くわよ」
まだ二十代と思しき教師が、ジェシカの腕を掴んだ。
「貴女の事は嫌いじゃなかった!!」
突然、アンが叫んだ。
「嫌いじゃないの!! 仲良くしたかった!! でも、はっきりしたわ!! 私は貴女を好きになれない!!」
「姉さん──」
「貴女は生まれた時から、強い魔法の力を持っていた! 誰も彼も、貴女を特別扱いする!! 私は⋯⋯私は貴女を嫌っていないのに!! ムカつくのよ!!」
「特別扱いされた事はありません」
ジェシカは、ほとんど起伏のない声色で返した。カナリーは、ジェシカの腕を強く引っ張って、部屋から連れ出した。
アンは、ようやくラークと向き合った。
「⋯⋯あの子は、元に戻りますか? あんな不気味な子じゃ、なかったはずです」
その言葉から、ラークは複雑な感情を読み取っていた。アンは、嫉妬していたのだ。本心では、ジェシカを嫌っているわけではない。
「分かりません。ですが、心の傷を癒すには、傷付けられた時間の、倍以上掛かる物です。貴女は一先ず、自分の行いについて、反省なさい」
ラークが、外へ出る様指示すると、アンはもう逆らわなかった。
三人の生徒達が、充分遠くへ行ったのを確認してから、ラークはあらゆる防御を部屋に施し、クレインを睨んだ。
「それで?」
「ジェシカ・アリンガムは、千年名前を語り継がれる、偉大な功績を遺すでしょう。但し、双子の果実が地に落ちた時。彼女は死を超え、普遍的に紡がれる、最も重要な魔法について⋯⋯理解し、世に知らしめる」
「死を超える?!」
紫色のローブの女性は眉を吊り上げた。
「不老の病の事ですか?!」
形式上、病と呼ばれているが、特定の手順を踏んで作られた魔法の薬を飲めば、老化を止める事が出来る。
その代わり、生殖機能を失い、ある日突然、死を迎える事になるが。
一部の魔法使いは、この魔法を応用しようと、血眼になって研究を続けている。
「私を馬鹿にしているのか?」
クレインは、女性を睨み返した。
「予見には、ある程度、私の主観が混ざる。私は起始再生研究課の連中が弄り回している魔法に、一ミリも魅力を感じていない。不老不死なんぞ、想像しただけでも虫唾が奔る!」
「貴方がまとまで何より」
ラークは素っ気なく答え、クレインの言葉を綴った紙を、中央統制議会の職員に差し出した。
「ジェシカ・アリンガムは、何か偉大な事を成し遂げる”可能性がある”様ですね。それは、毎年入学して来る、学童全員に言える事です。その可能性を潰す事も、同じ様に」
「クレイン師。貴方は、公職に就くべき人間です」
「それなら、ラークを倒してくれ」
クレインは、うんざりとした様子で、女性に人差し指を突きつけた。
「どういうわけか、ここの校長は、気に入らない魔法使いを傍に置く趣味を持っている。コレクションの一つを手放す様に、どうか説得してくれ!」
「冗談を!」
女性は震え上がって、チラリとラークを盗み見た。
「師と戦うくらいなら、ちょっとした紛争に駆り出された方がマシです!」
「これでは、私が脅している様に見えるわ」
ラークは肩を竦めて笑った。
「クレイン。出て行きたければ、引き止めませんよ。どうぞご自由に」
「ややこしくしないでくれ」
クレインは苛立ちを隠さず、鼻を鳴らした。
「”普遍的に紡がれる、最も重要な魔法”を、どう解釈したら、不老の病になるのか! 短絡的で、繊細さのかけらもない連中に、私が協力すると思うかね? 君が、一教員を保護しないと言うのなら、私は私の力で、自分を守るより他にない。但し、二、三人巻き添えになる事は承知して欲しい」
「誰も貴方を拘束しようなんて、考えません」
魔女は慌てて付け加えた。クレインも、一筋縄では行かない魔法使いだ。彼は気難しい性格故、役所での勤務には向かなかったが、資格は持っている。
治安維持管理課の特別構成員で、有事の際には、国防のために呼び出される。但し、教員を務めているため、優先順位は最下位だが。
「要するに」
ラークは、面白そうに笑みを浮かべた。
「私も、クレインと同じ価値観です。此処の教員は、全員、命以上に重要な物を、理解しているのです。あなた方とは、上手く行かないでしょう」
「貴女の志を、私も理解しています」
魔女は引き下がらずに、訴え掛けた。
「ですが、分別の無い子供が、不意に命を落とす様な事態は避けたいのです。あの子達を、指導してください。何れ素晴らしい魔法使いになるでしょう」
「素晴らしい⋯⋯魔法使い⋯⋯ね」
ラークは、教育上の悩みを抱えていた。優秀な魔法使いの就職先として、真っ先に上がるのが、治安維持管理課⋯⋯要するに国の対テロ組織だ。
就職した若者の内、半数が一年以内に殺されている。殉職率が異常に高い。
皆、命以上に重要な物の為に戦うのだ。年々、それを賛美する感情は薄れて行った。
「矛盾を抱えていない、おめでたい人間なら、賞賛と受け取ったかも知れないけれど、私は痛烈な嫌味だと感じたわ。貴女も私の事を恨んでいるの?」
「⋯⋯⋯⋯正直、貴女の態度が気に食わない」
女性は、本音を打ち明ける選択をした。
「あなた方が戦っていれば、とっくに内戦は終わっていました。命以上に重要な物などありません。貴女は」
ラークに口を挟む暇を与えず、畳み掛ける。
「起始再生研究課の研究について、口出ししたいのでしょう。私が死んでも、言葉は残ります。ですが、私が死んだ時、その言葉が私の命以上に価値のある何かに変化するとは思えません。何も遺らないより、マシという程度です。⋯⋯中央は、この学校を、融和派の戦闘員を養成する場所だと認識していますよ」
「なんとも返せないわね」
ラークは手を組んで俯いた。
「事実よ。だけど、この学校を任せられる人間が、他にいるかしら?」
「分かっています!」
魔女は書類を引っ掴んで踵を返した。
「貴女は教師として、素晴らしい方でした。私がこの職に就けたのも、貴女のお陰です。ただ、疲れているだけです。次にお会いする機会が無いかも知れませんが、どうか生徒に配慮をお願いします」
彼女は、同僚を引き連れて部屋を出て行ってしまった。
ラークは、頭を抱えて突っ伏した。
「相手にする必要は無い」
クレインは、一応フォローするつもりで言葉を掛けた。
「見ての通り、彼女は少々過労気味だった。大人になるほど、人生に矛盾は増えて行くと、貴女が言ったでしょう?」
「何年前だったかしら?」
「”何十年前”でしょうね」
クレインは、小さく一礼して踵を返した。自分の事だけでも精一杯の状況で、老人の人生相談に乗るつもりは、サラサラ無かった。
恐らく、望んだ形にお話は進んで行かないかと思います。
亡き人の肖像画を作製する事で、人の心を救う⋯⋯というのが、魔法使いの肖像画家のお仕事です。
ですが、現実的に考えて、治安維持管理課の職員が指摘していた様に、遺言、手紙、写真や絵が遺る事よりも、「今、この時間を、共に生きていて欲しかった」という想いに勝る物はないと、私自身痛感しています。
短編を読んだ事のある方は、救いのあるお話も目にしたかとは思いますが、「良い話」ばかりではありません。
向き合えない傷や痛みについても、描いていくつもりです。