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魔法使いの肖像画家  作者: 花淵菫
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出会い

 ──心、魂、感情の違いが、私には分かりません。


 ジェシカ・アリンガムは、人間の家庭に、生まれて来るはずのない子供だった。


 人の心の声を聞く事が出来る彼女は、七歳の誕生日を迎えた夏、一人の魔法使いと出会う。

 ジェシカ・アリンガムは、生まれてくるはずのない子供だった。


 両親、六つ年上の姉は人間。曽祖父母の代まで遡っても、魔法使いは一人もいない。


 ジェシカが四歳の時、真夏の湖を凍らせて見せると、両親は何か縁起の悪い物を目にしたかの様に、彼女を遠ざける様になった。


 姉のアンは、度々ジェシカに歩み寄る姿勢を見せたが、両親が無理矢理引き離した。


 家庭に居場所のないジェシカにとって、レイハイデ校の寮に入る事は、唯一の救いだった。


 七歳から、九年間。最長で十二年間。


 アンが寮に入ってから、ジェシカは入学出来る日を心待ちにしていた。幾つもの季節を見送る間に、様々な事が起こったが、彼女は表情一つ動かさなくなっていた。


 大抵の事に、無関心でいた方が楽なのだ。


 七歳の誕生日を迎えた夏、初老の女性がトランクを抱えて家にやって来た。彼女は魔女だった。


「貴女が⋯⋯ジェシカ・アリンガム?」


 女性は、玄関にぼーっと座り込んでいたジェシカを見つけ、ショックを受けた。


「あの⋯⋯貴女のお姉様は⋯⋯」


「アン・アリンガムです」


「なんてこと⋯⋯。何か⋯⋯何か良くない事が起きているとは⋯⋯薄々⋯⋯でも⋯⋯」


 彼女は、レイハイデ校の校長だった。アンは快活な性格で、誰とでも仲良くなれる、優しい生徒だった。成績もトップ。所謂人気者。家庭に問題がある子供には見えなかった。


「ミス・アリンガム⋯⋯アンは、家に戻っていないのですか?!」


「寮にいるのだと思っていました。あの」


 ジェシカは、ようやく立ち上がって、前のめりになった。


「姉のこと、両親には言わないでください。母は、もう既に、口を利ける状態ではありません。故障しています」


「中に入りますよ」


 女校長は、勝手に扉を開けて、押し入った。


「お父様は?!」


「仕事です」


「お母様は?!」


「父が留守の間、部屋に閉じ込められています」


「一体どういう事ですか!」


 校長は杖を抜き、階段を急足で昇った。ジェシカは、何故女性が、母の部屋を特定出来たのか、不思議でならなかった。


(これは⋯⋯)


 ドアノブを見た瞬間、女校長は全てを悟った。彼女は、一旦杖を下ろして、ジェシカと目線を合わせた。


「私は、レイハイデ校の校長、ラークと申します。貴女はご両親に愛されていますか?」


「⋯⋯分かりません」


「この家で学ぶことを望みますか?」


「⋯⋯いいえ」


「では、レイハイデの寮に一刻も早く入りたいと、そう望みますか?」


「はい!」


 ジェシカの瞳に、強い光が宿った。ラークはほっとした。母親は手遅れかもしれないが、子供は間に合った。まだ、心が生きている。微かに、幸せを求めている。


「貴女のお母様は、病気です。私が病院へお連れします。貴女には、これを」


 ラークは、ジェシカに緑色の石を手渡した。


「魔法使いが移動に用いる、魔法石です。レイハイデ校の校長室へすぐに移動できます。先に行って、部屋から出ずに、待っていなさい」


「ラーク師。貴女のトランクの中身が、中央統制議会から送られて来た、入学手続きの書類でなければ、私はその言葉を信用出来ませんでした」


「なんてこと!」


 ラークは、派手な音を立てて、トランクを落としてしまった。


「貴女⋯⋯私の考えを読んだの?」


「嘘を吐いていないか⋯⋯相手が何を望んでいるのか、私は常に知る必要がありました。安全に生きるために」


「その魔法は⋯⋯いえ⋯⋯この話はあとね。とにかく貴女は、レイハイデへ向かいなさい。危険物以外は持ち込み可能よ。もし、駄目な物があった時には、学期末まで私が預かります。とにかく急いで荷物を纏めて、その魔法石に、ほんの少し自分の魔法を注いでください」


「はい」


 ジェシカは、その場で石を強く握り締めた。持って行きたい物など、何もなかった。


 ラークは、数秒間その場を動けなかった。


(姉妹共に、特別の才能があったのね⋯⋯)


 彼女は、アンの嘘を見抜けなかった。ジェシカは、ラークの秘密を見抜いてみせた。


(アン・アリンガム。貴女が融和派の友人を持っていなければ、私は激しく警戒した事でしょう)


 一階から物音が聞こえて来たが、ラークは一切動揺せず、手早く鍵を開けた。扉は、魔法で閉ざされていた。


「しっかりなさい!」


 ベッドに鎖で繋がれた女性に駆け寄り、顔を覗き込んだ。


「イザベラ・アリンガム。私を覚えていますか?!」


「⋯⋯アビ⋯⋯⋯⋯ル⋯⋯」


 憔悴し切った女は、ラークが捨て去った名前を囁いた。そして、涙をこぼした。


「ジェシカは⋯⋯ジェシカは、私の子供⋯⋯。私が産んだ。アンも、ジェシカも⋯⋯確かに⋯⋯私が⋯⋯。この腕に抱いたの!! 私の⋯⋯私の大切な⋯⋯」


「子供たちは無事です」


 ラークは静かに告げると、振り返りもせず、背後に忍び寄る男を、魔法の縄で縛り上げた。


「⋯⋯残念な事になりましたね、メイソン。貴方は非常に優秀な”魔法使い”だったのですが」



────


 ほとんど光の差さない部屋で、ジェシカは何度も瞬きをした。この部屋は、本で埋め尽くされている。


 部屋の隅には、ボロいベッドが置かれており、机には砂時計と、ノートが山積みになっていた。


 しばらく佇んでいると、誰かが扉をノックした。


「ラーク! ラーク!! 学童が湖に入って、死に掛けていたぞ!!」


 乱暴に扉が開き、すこぶる機嫌の悪そうな男が現れた。彼はジェシカを睨みつけると、顔を歪めた。


「⋯⋯お前が、アリンガムの妹か?」


「はい」


 ジェシカは、慌ててお辞儀をした。


「お初にお目にかかります。ジェシカ・アリンガムと申します」


「ラークはどうした?」


「私の家に残りました。先に行って、待っている様にと、指示されました」


 ジェシカは魔法石を男に見せた。彼は、少しだけ肩の力を抜いた。


「また、高慢で、無礼な生徒が来るかと思い、吐き気をもよおしていた所だが、礼儀を弁えている様で何よりだ」


「姉が、失礼を働きましたでしょうか?」


「失礼を働くことを、仕事と思い込んでいる様だ。⋯⋯いや、君に言うべきではなかった。歳のわりに、しっかりしている様に見える。魔法使いかね?」


「魔法使いです」


「では、私の寮を選択すると良い。君がもし、厄介事を避けたいのなら」


 ジェシカが答えあぐねていると、ラークが霧の様に姿を現した。かなり草臥れた様子だった。


「⋯⋯困った事になったわ、クレイン。なんとしても、アン・アリンガム、パトリック・アラン、ヴィクター・アルバーンを探し出して!」


「治安維持管理課の職員を動員してはどうかね?」


「もう動員したわ。中央統制議会は、カンカンになっている。⋯⋯嗚呼、別にアンが何かしたわけじゃないわよ」


 ラークはジェシカに優しく語り掛けた。


「多分察しがついていると思うけれど、貴女とお母様は、不当な扱いを受けて来た。その責任は、お父様が負うことになるわ」


「それは、私のせいです!」


 ジェシカは、懸命に声を張り上げた。


「私が魔法使いだからです! 血縁者に魔法使いはおりません!!」


「ラーク──」


「黙って!」


 ラークは、クレインに、強力な秘匿の呪文を掛けるより、他になかった。


「この子は、開示の呪文を無意識に使っています。子供に話す事は⋯⋯極力選ぶ必要があるわ」


「この歳で、教員の思考を読めるのか?!」


 クレインは、心底驚いた様子で目を見開いた。ラークは、ジェシカの両肩に手を置いた。


「貴女、他人の心の声が常に聞こえて、頭痛に悩まされたりしていない?」


「いいえ。聞こうとしなければ、聞こえません。先程は、身の危険を感じたので、師の考えを探る様な真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」


「完璧にコントロール出来ている様ね。その能力については、口外しない様に。魔法使いの中でも、限られた者しか使えない術です」


 ラークはボロボロの椅子に腰掛け、深い溜息を吐いた。


「⋯⋯何を⋯⋯話して良いのやら⋯⋯。ただ⋯⋯今晩から、貴女は温かい食事を摂る事が出来ますし、寮に入れます。今の貴女にとって、それが一番重要でしょう」


「母は、どうなりますか?」


 ジェシカは、胸元をギュッと掴んで質問した。


「何時から、鎖で繋がれる様になったのか、私は覚えていません! 母は、食事を摂る事が出来ますか?! 寝る場所はあるのでしょうか?! 誰か⋯⋯夜中に泣き叫ぶ母を、宥める人はいますでしょうか?!」


「問題ありませんよ」


 ラークは、嘘を吐くより他になかった。そもそも、七歳になったばかりの子供が、病気の母親を一人で世話する義務など、無いのだ。


「お母様は問題ありません。ですが、お父様の事は、何れ耳に入るでしょう。裁判を受ける事になるかと」


「父は何をしたのですか?」


「何もしなかった事が、問題なのです。ともかく、クレイン」


 ラークは、しかめ面をしている男を見上げた。


「カナリーを連れて来て。この子は身体を清潔にして、数日休んでから、身の回りの全ての品を揃える必要があります」


「父親は魔法使いか?」


「それが今重要ですか?!」


「この子が、今後私の寮で上手くやって行けるか心配だ。姉と同じ様に、魔法使いに対しての偏見が強いのなら──」


「黙りなさい!!」


 ラークは机を叩いて立ち上がった。大人でもあとずさる気迫を前にしても、ジェシカはボーッと立っているだけだった。


「偏見?! この子は、自分が目にした物を咀嚼して、自分の道を決めるでしょう!!」


「全ての魔法使いが悪人であるという誤認を、君は正すつもりがないのか? 大抵の場合、人間が先に──」


「魔法使いの悪行が原因です」


 ラークは、断言した。


「覚えているでしょう? イザベラは、魔法使いに対して、偏見の無い子でした。全ての原因はメイソンにあると、私は”真実の宣誓者”の前で証言出来ます!! ジェシカ?!」


 彼女は、クレインに掴み掛かる寸前で杖を抜いた。


 ジェシカは、古びた茶器に手を伸ばしていた。


「貴女⋯⋯何を⋯⋯」


「お茶を温めようと思ったのです」


 ジェシカは、素早く手を引っ込めた。


「紅茶は、人を落ち着かせる、魔法の飲み物です」


「⋯⋯それは、朝淹れた物で、渋くなっているわ」


 ラークは、子供らしい配慮に、少しだけ頬を緩めた。


「でも、貴女はそのお茶を温められるのね?」


「はい」


「杖が無くても、魔法の制御が出来るのは、良い魔法使いの証よ。貴女は、クレインの寮でも、上手くやれるかもしれないわね」


「私は⋯⋯どこかで、上手くやれるのでしょうか?」


「問題ない」


 クレインは、ジェシカの肩を叩き、眉間に皺を寄せたまま笑みを浮かべた。


「私は優秀な魔法使いを歓迎する。特に、礼儀正しい魔法使いを」


「彼は貴族出身なのよ」


 ラークは素早く付け加えた。


「貴族らしい問題を、幾つか抱えているけれど、優秀である事は確か」


「お世話になります」


 ジェシカは、スカートを摘んで、クレインに行儀良く頭を下げた。ラークは、その様子を見て安堵した。魔法使いの中にも、クレインの態度が原因で、寮を変えたいと申し出る生徒が大勢いるのだ。


「さて。では、クレイン。議会の職員が来る前に、カナリーを連れて来てちょうだい。待っている間に、私はこの子に説明を済ませるわ。学校と、世の中について」


 ラークはティーポットを空にし、新しい紅茶を作って、ジェシカを椅子に座らせた。

 短編として、肖像画家への依頼のお話はいくつか書いて公開していたのですが、腰を据えて学生時代を描こうと思います。

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