第86話
「へぇ、アリスさんも恋人がいないだなんて……意外ですね。君は本当にただの付き合いできただけだと思っていましたよ。あ……でも、恋人がいたらここにはこなさそうなタイプな気もします。」
ハーネスさんと乾杯をしてしばらく、私はハーネスさんとの会話を楽しんでいた。
本当は適当なところで切り上げるつもりだったけど誰も声をかけてこないし、ドレッドから声もかからないし、普通にハーネスさんはいい人だしで私は任務そっちのけで会話を楽しんでしまっている……。
が、声をかけられないものは仕方ない。
馬鹿みたいに本名を言う私はある意味きっと恐ろしく怪しい人だから……。
「ちなみにですが、アリスさんは好きな方はいらっしゃるんですか?」
「実はいるんですけど、全然相手にされていなくて……。自分で言うのも何なんですけど、絶対少なからず思ってくれているって感じの行動をとってくるんですけど、好きとか、恋人になりたいとか言うと「いつかね」って返されるんです……。これってあしらわれてますよね?」
仕事そっちのけで何をしているんだと思う。
思うけど私はハーネスさんがあまりにも聞き上手でついついあまり人に言えないルイスの愚痴をこぼしてしまっていた。
隣にドレッドはいるけど多分どっちかっていうとドレッドは私の味方だと思うし、別にルイスに密告する心配もないことから私は雰囲気によって自分の気持ちを吐き出してしまう。
するとハーネスさんは私の面倒そうな愚痴なんてさらっと流してもいいものを「うーん」と唸りながら私の口にした状況について考えてくれているそぶりを見せてくれる。
そして――――――
「俺はむしろとっても愛されてると思いますけどね。多分、アリスさんが魅力的すぎるから恋人関係になったら……際限なく思いをぶつけすぎてしまってアリスさんの学業に支障をきたさせちゃうって思ってるんだと思いますよ。」
「…………え?」
考えて出た答え。
その答えを教えてくれるハーネスさんの言葉に私は少し血の気が引くような感覚を覚えた。
もちろんそれはハーネスさんの推測通りの事をルイスが考えていたら怖い、とかそういうのじゃない。
それはひどく大歓迎だ。
個人的にはルイスにもうこれでもかというほど愛されて可愛がられたい。
もう是非「離れたくない」とか言ってずっと抱きしめられていたい。
が、私が恐怖したのはハーネスさんが「私が与えていない情報」を知っていたからだ。
いくら私が抜けているとはいえ私はこれでも探偵の助手だ。
そこら辺の事にはちゃんと意識を向けられる。
更にお酒も入っていないノンアルコールを口にしている現状。
(私が「学生」という事は与えていない情報。つまりはアリステラ・クラウドラインについて知る人物、という事になる。)
ハーネスさんについての印象が「穏やかでいい人」から「怪しい人」へと変わる。
とはいえあからさまに気づいた素振りなんて見せてはいけないのは当たり前。
さて、これからどうしようか。
そう思い始めた時だった。
「アリスさん、今日は君に会えてよかったです。ずっと君に会いたいと思っていたんです。君がルイスの彼女かどうか、ひどく気になっていたのでね。」
ハーネスさんはいつの間にか空になっていたグラスをカウンターに置き、静かに笑みを浮かべながら立ち上がった。
ひどく気になる言葉を吐きながら。
その瞬間、私は先ほど覚えていた「既視感」の答えを見つけた。
そう、少しばかり髪色を含めた髪型や瞳の色が違うけど、顔の造形は先日ドレッドが見せてくれた写真の人物。
ルイスの元カレだった。
「君が男じゃなくて残念です。女の子じゃなかったら気兼ねなく手が出せたのに。」
ハーネスさんはにっこりと笑みを浮かべながら背筋の凍るような冷たい声で思いを語ってくる。
それがどういう意味なのかはいまいちよくわからないけど、「敵意」が向けられていることは理解できた。
どちらかと言えばライバルとしてぼこぼこにできたのに、みたいな感じなのだと思う。
つまりはハーネスさんはルイスに未練があるという事なのだろう。
……このタイミングでと思うけど正真正銘の恋のライバルが登場してしまったらしい……。
「また会いましょうね、アリスさん。次はちょっと―――――面白い事でもして遊びましょう。」
ハーネスさんは別れの挨拶を始めたその次の瞬間、私の耳元で不吉な言葉をささやいた。
【面白いことをして遊ぼう。】
それは決して一般的な遊びをしようという事ではないことがすぐに理解できた。
そして――――――
「ま、君が生きていたら、ですけどね。」
更に不吉な言葉を言い残し、ハーネスさんは静かに歩き去っていった。
(怪しいけど単独で追いかけるのは間違えているし、それにルイスの元恋人ってことは人の道に外れたことをする人じゃない、よね?)
人殺しや誘拐の手伝いをする人間じゃないと信じ、私は追うことをやめ、しばらくぶりに隣に座るドレッドへと視線を戻した。
するとしばらくぶりに見たドレッドが汗をかいているのが見えた。
いや、時期も時期だし汗をかくのはおかしくはないと思う。
だけどなんていうか、普通の汗じゃないような気がして違和感を覚えたその時だった。
「アリス、気を引き締めろよ。奴らが仕掛けてきた。どうやら眠気を誘う香がたかれていた……らし……い。」
ドレッドは何かをこらえるように力みながら私に小声で語り掛けてきた。
そしてその次の瞬間、ドレッドは突然カウンターの上に突っ伏した。
その光景に驚き、ドレッドに声をかけようとする。
けれどドレッドの名前を呼び終える前に急にめまいがして視界が真っ暗になった。
【奴らが仕掛けてきた】
視界が真っ暗になった私の脳内でドレッドの言葉が再生される。
何が起きたのかはその言葉がすべてを物語っている。
そう、ライラ夫人が仕掛けてきたのだろう。
(大丈夫、きっと大丈夫……。)
私は事前に聞いた作戦を静かに頭の中で再度確認するものの、確認の最中私の意識はプツリと途切れてしまうのだった――――――。
 




