■シーンⅢ 症賛-Syousan-
貴方は私。私は貴方。
表裏一体。一蓮托生。
同じなようで真逆。真逆のようで同じ。
貴方は私。鏡に映った私の姿。
夜の繁華街を駆け抜けながら、椿はふと思いつき、隣を走る凌に話しかけた。
「凌。NOISEとはなにか、答えてみろ」
「あァ? NOISEってのはァ、電脳症になった変異種の断片化が進んで、ぶっこわれちまったヤツのことだろォ?」
唐突な問いに、凌は訝りながらも答えた。椿は一言「正解だ」とだけ言い、更に続ける。
「なら、断片化とは何だ」
「個人を形成する情報の破損! だ、ろっ! 記憶とか自我とか、そういうのがバラバラになって崩れてくヤツだ! で、NOISEになったとき最後に残んのが、狂気だ!」
前方から飛んできたポリバケツのようなゴミ箱をかわしながらも何とか答えた凌に、椿は「良く覚えていたな」と褒めた。
「いきなり何なんだよ!」
「いや、あれを追い詰めるまで暇だからな。あんたがちゃんと授業を聞いていたか、ちょっとした試験の時間だ」
「いまかよ!」
そう言いながらも、凌はそれ以上の文句は言わなかった。
前方を逃げるNOISEをただ追いかけるだけの時間が退屈なのは、彼も同意であったらしい。人の群を縫うように走りながら、椿は淡々と問題を投げかける。
「断片化は何故進行するか。そして、抑制する術はなにか」
「異能を使うと進んで、調律を受けると治まる! んでェ、調律は《調律者――プレイヤー》ってヤツらの仕事だよなァ! 対策本部に山ほど! 地方の支部に最低一人!」
「その通りだ。終わったら本部に寄るぞ」
――――彼らはいま、逃走するNOISEを追跡していた。
警察のコンピューターがハッキングされ、ハッキング元を探知したところ、都内に住む中学生の少年に行き当たった。警察が捜査に乗り込むが、既にNOISEと化していた少年は警官に攻撃、そのまま逃走してしまった。
SIRENに要請が来たとき、ちょうど近くにいたのが椿と凌だったため、葬儀屋案件ではないただのNOISE事件ではあるが、出動することになったのだった。
「クッソ! さっきから何なんだよ、あの野郎!」
飛んできた置き型の看板を屈んで避けながら、凌が叫ぶ。
「あれはポルターガイストだな。ペルクナスの異能だ」
「知ってるし、そうじゃねェよ!」
ポルターガイストは命の通っていないものを操り、浮かせたり投げつけたりする異能で、警官もこの異能によってコンクリートブロックを投げつけられ、数人が重傷を負っている。小柄な椿より凌のほうが的として優秀なため、先ほどから何度も身をかわす羽目になっていた。
絶対領域を張りながら駆け回っているため、一般人は超常現象を目の当たりにすることも、椿と凌の授業を聞いてしまうこともないが、通り過ぎたあとに転がった看板やゴミ箱は目にすることになる。大凡「何故こんなところに?」で済むことではあるが、迷惑だということには変わりない。
「ペルクナスのCODE特徴は覚えているか」
「ペルクナスはァ、電気使い! すげェヤツは雷落としたりも出来るっつってた! 誠一朗が!」
「あたしのいないときも話していたのか。思っていたよりちゃんと会話出来るようでなによりだ」
葬儀屋などという新設部署に突然放り込まれたわりには、それなりに上手くやっているらしい。騒がしい凌と岩の如き静けさを持つ誠一朗では相性が悪いかと思われたが、そうでもなさそうだ。
「どういう意味だテメェ!」
「褒めたつもりだが」
「なら許す!」
凌が叫んだとき、前方でNOISEの少年が細い路地裏へ駆け込んだ。繁華街で人混みに紛れる作戦は無意味だと察して、入り組んだ路地裏に逃げ込むことにしたようだ。
それが、二人の狙いであるとも知らずに。
「では、抑も電脳症を発症する原因は何だ」
「深淵接続だろ! 俺ァずっと山にいたから知らねェけど、なんかすげェ機械使ってネットん中に潜って色々出来る技術があるっつってた! 誠一朗が!」
「まあ、そうだな。第二世代は、どういうわけか生まれつき電脳症を発症していることがあるが、此方はいまのところ、原因不明と言われているな」
少年を追って路地裏に入り込んだ二人は、相変わらず口頭試験を続けていた。話しながら走っているにも拘わらず、息が切れる様子もない。
数十メートル先を逃げながら、少年は背後に迫る二人の、あまりに暢気な会話に苛立っていた。警官に代わって自分を追っているはずなのに、まるで真剣味が感じられない。もののついでの如き態度で、退屈凌ぎをしながら追ってくる。それが、妙に腹立たしくてならなかった。
「何でだよ……僕のことは誰も褒めてくれなかったのに……!」
少年の脳裏には、逃亡するに至った原因となった出来事が過ぎっていた。
――――VR専用の匿名雑談ルーム、13ch。
誰もがそれぞれ好きなアバターを纏って集まる、電脳上の談話室。フリーチャットルームから、個人間でパスワードを決め、少人数で籠もれる個室まで様々あるこの空間で、少年はいつもの如くオンラインゲームサロンに入り浸っていた。
其処では、現在流行しているMMORPG、スカイガーデンの情報交換や雑談が行われていた。上級職に転職する方法や強力なレイドボスの倒し方、隠しルートの見つけ方などを話し合ったり、レアなアバターを自慢したり、パーティメンバーを募集したりと銘々好きに話していたところへ、少年がログインした。
『イバラの森のレイドボス、ザコ過ぎて話になんねーんだけど? ソロ余裕過ぎじゃね』
ログインするなり挨拶もなくそう言い放った少年に、反応する者はいなかった。アバターの上に表示される吹き出しを見回しても、皆が皆、変わらず雑談を続けている。
イバラの森のレイドボスは、レイドボスというだけあって、複数人のプレイヤーが協力して倒すことが前提のボスである。それを一人で倒したと言ったのに、誰もなにも言わない。
少年の想定では、誰もが羨ましがって賞賛するはずだったのに。そうでなければならないのに、賞賛どころか嫉妬の言葉すら出てこない。もしかしたら悔しすぎて言葉も出ないのだろうか。
『あれあれ? もしかして皆さん、あのザコに苦戦してるんですかー? どうしてもっていうなら可哀想な皆さんのPT入りしてやってもいいんだけどなー』
今度は周りに話しかける形で発言したが、やはり誰もなにも言わなかった。それどころか、一人また一人と、個別チャットルームに入っていってしまった。最後に残ったのはソーシャルゲームの初期アバターをそのまま使っているかのような、白シャツに半ズボンの雑なアバターの青年のみ。
その青年アバターも、一時的に離席しているのかゲームのほうにログインしているのか、棒立ち状態で少年のほうを向いたまま全く動かない。
『はぁ? 何だよアイツら。黙って逃げやがって。負け惜しみかよ、ザッコ』
逃げたその他のアバターに向けてそう吐き捨てたとき。初めて青年アバターが発言した。
『大したことしてねーのにイキってるからだろ。ザコって自己紹介かよ。くっせえな。イキるなら警察相手に喧嘩売るくらいのことしてからほざけよな。イバラの森ボス如きでデカい顔出来るとか普段どんだけしょぼいんだよ。お前、おつむ弱すぎて裏でリアル小学生っていわれてんだけどさ、正直小学生のほうが頭いいしまともだよな。お前と同類扱いとか、小学生に失礼だわ』
よりにもよって初期アバター如きに長文で煽られ、少年はVRゴーグルの下で歯ぎしりをした。顔中が発火したかのように熱い。目の前にいたら殴ってやるのに、VRではそれも出来ない。
『はぁ? アバターも作れねーザコがほざいてんじゃねーよ!』
『人を見かけで判断しちゃいけませんって、教わらなかったのか? あ、お前頭悪そうだから親も学校も見捨ててそうだな。悪かったな、イキリいじめられっ子君。保健室登校は楽しいか?』
『決めつけてんじゃねえよクソザコが! つーか、イキってんのはテメーのほうだろ! だったらテメーはどんな凄いことしたってんだよ! 何も出来ねーザコのくせに!』
『お前、ザコしか語彙ねーの? そんなんだからおつむ弱いって言われてるんだぜ。まあいいや。可哀想なぼっち君に、いいものやるよ』
そう言うと、青年は少年の個人IDに個別チャットルームのパスワードを送ってきた。普段なら「教えてない相手からメッセージが届いた」という事実に警戒するところだが、散々煽られて頭に血が上っている少年は、相手からの挑戦状だと受け取り、個室に移動した。
其処で待っていた青年は、少年ですらまだ到達していない、スカイガーデンの第三上級職にしか装備出来ない衣装を纏っていた。しかもイバラの森レイドボスなどお話にもならない強力なボスを何度も倒して素材を複数集め、一から作成しないと得られない、レア中のレアだ。
言葉をなくしている少年に、青年は拍手を送りながら言う。
『逃げずに来て偉い偉い。じゃあ、約束通りいいものをあげよう』
そう言うと、青年は両手で銀の靴を片方、差し出した。見た目は女物のシンプルなパンプスで、装飾も目立った特徴もない。形だけならシンデレラが落とした硝子の靴にも似ている。
『はぁ? 何だよこのゴミ。女モンの装備なんか寄越してバカにしてんじゃねーぞザコ』
『受け取ってもいないのにゴミだって言えるなんて、さすがイキリチワワ君だね。これがどういうものかも知らないくせに。それとも、受け取るのが怖くてキャンキャン吼えてるのかな?』
なにを言っても全く効いていない様子で煽り返す青年に、少年はムキになって吼える。
『うっせえザコ! あとで返せとかほざくんじゃねーぞ!』
そう喚きながら、ひったくるように銀の靴を掴んだ。その瞬間、青年のアバターが一瞬ノイズを帯びて歪み、白衣を着た男性の姿に変わった。
『受け取ってくれてありがとう。私はオズ。君のような、愚かな子供を愛する善良な大人だよ』
その言葉が聞こえたかどうかというところで、少年の耳元で、或いは頭の中で、甲高い耳鳴りに似た音が響いた。頭痛や目眩が起きるほどの衝撃に襲われ、一瞬意識が遠のきかける。
罠だったかと過ぎったとき、頭の中に無数の英数字が流れる光景を幻視した。サイバーパンクの映像作品などで使われる電子の演出を、或いはパソコンが壊れたときに見るブルースクリーンを、そのまま脳に叩き込まれたような感覚だった。
そして少年は、意味もなにもないような無数の英数字群を、何故か『理解』出来ていた。
『……ッ、な……何だったんだ、いまの……』
次に意識が戻ったときには、青年も白衣の男性も既に其処にはいなかった。だが、少年にとってそんなことはもうどうでも良かった。
まるで、生まれ変わったような気分だ。清々しく、晴れやかで、先ほどまで感じていた苛立ちが霧散したのを感じる。散々煽られたことすら気にならないほどの、果てしない爽快感だ。
彼は確か、警察に喧嘩を売るくらいのことをしてからものを言えと言っていた。以前の自分なら思いもつかなかったことだが、それも簡単に出来ると確信していた。
サロンの談話室に出てみると、周りのどの個室に何人こもっていてどんな話をしているのかが、手に取るように見えた。
『あのゆうた、頭悪すぎだし空気読めてねえし、マジでリアル小学生?』
『イキリキッズが来ると空気悪くなるし、さっさと消えてくんねーかな』
『イバラの森wソロw余裕でしたwwwくっせwwwうぇww』
まさか見られているとは思わず、サロンのメンバーは少年のことを嘲笑っていた。しかしそれもすぐに飽きて、話題は先日追加されたマップのことへと移っていく。
此処では、誰も少年を認めない。褒めるどころか、嘲笑でさえあっという間に飽きられる。
だったら認められるようなことをしてやればいいと、心の奥で囁く声がした。その声に従って、警察のデータベースをハッキングし、適当な犯罪者の名前と住所を匿名掲示板に晒してやった。
全ては、羨望と賞賛をこの身に浴びるため。
『来るんじゃねえよ犯罪者!』
『テメーみてーなゴミクズと仲間だと思われたら迷惑なんだよ』
『お前マジで消えてくんね? どの面下げてインしてんだよクソが』
数日後、サロンにログインした少年を迎えたのは、嘲笑ですらない拒絶だった。
アバター越しにプレイヤーたちの視線が、悪意が突き刺さる。発言を表す吹き出しもないのに、彼らの周囲に無数の罵詈雑言が浮かんで見えた。
ムカつく。ウザい。キモい。消えろ。失せろ。ゴミ野郎。ウジ虫。イキリキッズ。犯罪者。害悪プレイヤー。クソザコナメクジ。ネット弁慶。ゴミカス。ザコ。リア小。
いくつもの悪辣な言葉が、少年の前に映し出される。
激しい怒りに襲われ、目の前が真っ赤に染まったと思ったら、突然VRゴーグルが剥ぎ取られて現実に引き戻された。
「ざっけんなババア! なにして……」
てっきり母親だと思って振り返った少年の目に映っていたのは、数人の警察官だった。母親は、警官たちの奥で顔を覆って啜り泣いている。逮捕という単語だけ辛うじて認識出来たが、どうして警察が部屋にいるのか、何故手錠をかけられたのか、全く理解出来なかった。
理解も納得も出来なかったから、玄関から外に引きずり出されたとき、少年は家を取り囲む塀を構成しているブロックを分解して、鬱陶しい警官共と自分を売った母親に叩きつけてやった。
逃げる少年の背後で、止まりなさいと叫ぶ男の声がする。止まれと言われて止まるほどバカじゃないと頭の中で嘲笑い、少年は逃げ出した。
何処かに雲隠れでもしてやり過ごそうと思っていたのに、追加の追っ手はすぐに現れた。少年と同い年くらいの白髪女と、大きな鎖鎌を背負ったヤバそうな男。
逃げて、逃げて、逃げて――――少年は、足を止めた。